号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

物事の考えの基本 2

物事の考えの基本、パート2です。

今回は細かな事を書いていこうと思います。

 

前にネットでひろゆきさんが「人の頭は良くはならない」と言うような事を言ってたと思います。

この意味は、たぶん、コンピューターで例えると「CPUは変わらないしメモリも増やせない」と言うような意味かと思います。基本の性能は変わらないだろうと言う事です。あってると思います。

ただソフトは変えられますね。表計算ソフトや、お絵かきソフトが入っているか? いないのか? で出来る事も効率も変わって行きます。人はソフトの様な物を入れる事は出来るので、つまり学べるので結果「頭が良くなった様な効果は、後からでも出せる」と思います。

逆に基本がスーパーコンピューターであっても、何もソフトが入ってなかったとしたら、何も出来ないのです。オオカミに育てられた天才少年が何が出来るか考えてみて下さい。

なのでソフトが大事なのですが、OSとそのAPIも大事でしょう。

OSが「道徳や宗教などの、社会の基本事項」の事でしょう。

そしてAPIが何をするにも便利な道具であり、必要な基本命令なので、その性能で全てが変わっていく事でしょう。だからAPIが「物事を考えの基本」の事だと思います。(ここで言うAPIは、ソフトを作るのに必要な基本の物と言う意味、と取ってください)

つまり、基本の考えが良く出来ていると、そこから導き出されるもっと複雑な事も良くなる。そのもっと複雑なものを増やすと、頭が良くなったと同じような効果が得られる。と言う事です。

 

さて「基本性能は変わらないので、知識を得れ」と言う事ですが、どのレベルで知識を得たか、に差があります。

1番良いのは、その意味や細かな内容を理解している事です。この人は応用が出来る人です。

高校数学で言うと、微分積分が何をしているか分かっている人で、ある程度でも仕組みを知っていて応用が出来る人です。数学者を目指したりする人です。

他の例では、車のエンジンやパソコンのCPUなどの中身の作りを知っている人です。

細かな事を言うと、この作りを知っているにも、かなりレベルの差があります。エンジンが何をしてるのか? などの仕組みを知っていても、エンジンを設計できる人はほとんどいませんからね。

すなわち、作り、仕組みを詳しく知っているほど、応用も広範囲に出来るようになる。

ただ普通はそこまでは無理なので(その道のプロ意外)「ある程度知っている」が現実的だと思います。「全ての職業のプロ並みの知識」がある人にはなれないと言う事です。

2番目に良いのが、公式を知っていて、そこに数字を入れ答えを出せる人です。

この人は応用は出来ないけど、少なくとも好きな数字を公式に入れて、それぞれの状態に合わせた答えを出せる人です。

細かな作りや流れは分からないけど、どう言う時に、何を使うかは知っているでしょうし、知って置くべきです。

このレベルの人に大事なのは「どの時に、どの道具を使うか?」「その問題点などの気にする事項はなにか?」を理解しておく事です。

車の運転や、パソコンを使っているほとんどの人がこれですね。

乗用車を使うか? ダンプカーを使うか? バスを使うか? その利点や問題点は? 金がかかるとか、道が細くて通れないとか、そもそも大型免許を誰も持ってないとか。

それぞれの道具の使い方、使う時を知らないと、大きな失敗をしてしまいます。

道徳で言うと「人は殺してはいけない」ですが、戦争中で銃を向けられている時なら違う、と言う事です。

3番目が、公式も分からないけど答えを知っている人です。

この人も応用は出来ないし、使える場面が限られてくる。一つの答えしか知らないからです。

掛け算の九九を知っているようなものです。丸暗記です。

他には円周率を知っている人です。

 

でもほとんどの人は円周率を知っているだけの人ですよね? 

だからこの「ここで言った3番目の知っている」も侮れない。それでかまわない時も結構多いと言う事です。

ちなみに2番目の人だと、円周率を出す公式を知っている人です。1番目はその式が何をしていて、どうしてその公式になっているかを示し説明出来る人ですね。

ここで大事なのは「自分のその知識は、どのレベルか?」を分かっているかと言う事です。

3番目の、ただ答えを知っているだけの人が多いのに、皆「私は知っている」と思っています。

この人は2×3は6だと知っているが、2を3回足した答えが6だ、と分かってない人です。

自分が知っているレベルを知らないと、恥をかくので気を付けましょう。

さっきも言いましたが「全てのプロ並みの知識を得る」は現実的に無理なので「何をどの程度知っておく事が、自分にとって最適か?」を考え「取捨選択」をする必要があると言う事です。

なので今言った1から3までの「知っているレベル」のどれも大事だし使用する、と言う事です。

その中で「基本的な物事の考え」は、少し掘り下げておいた方が良いと思います。全てにおいての基本になるので、軽く応用がきくようにしておくと、いつでも役に立つからです。

 

それでは細かな事を羅列していきます。

 

【人は自分が物を知らないと分かった時は、少しは物が分かってきたと言う事だ】と言う様な言葉を聞いた事があると思います。

まさにその通りです。世の中には知らない事が多すぎる。情報が多すぎるのです。

だから自分が物を知らないと分かったなら、世界の状態が少しは見えて来たと言う事なのです。

 

【世の中の自然に出来た物に、絶対なものなど、まず無い】

まず完璧な絶対の答えなど無い物や事がほとんどです。

だから「絶対当たっている」とか「絶対正解だ」等は怪しいと、いつも自覚しておくべきです。

そう言うと数学で「1+1は2は絶対だろ」等と言う人がいる。これはこれが正解だと人が決めた物です。だから正解がある。逆に絶対の正解がある物は、絶対の正解がある物として人が作り上げたものである可能性が高い、とも言えます。

「絶対な物がない」と言う事は、言い換えると、「例外はまずある」と言う事です。

この事は思っている人も多いかと思います。もちろん私もそうです。

しかし最近「結構忘れるな」と思ってきました。分かっている筈なのに「これは絶対だ」と決めつけてしまう場面が多い事に気が付きました。そして間違って後悔します。

なので注意が必要だと思い、書きました。

思い込みには、気を付けましょう。

 

【思い込みは気を付ける】

今言った事そのままですが、思い込みって怖いですね。

知らない事は、知らないと自覚していて分かっている。だから知りたい時に調べます。

しかし思い込みで「知っているつもり」になっている時が怖い。知っているつもりなので調べないからです。そして間違えます。

他の事でも、探し物をしてる時「ここはもう探した」と思い込んだ時が一番見付からない。探した気になっている所に探し物があると、まず見付からないのです。これもそうで、まだ探してない時の方が見付けやすいのです。思い込んだから難しくしてしまった例です。

「策士、策に溺れる」と言います。これもそうで、自分の策は完璧と思い込んだ事から生じる失敗です。しかもかなりの失敗になる事が多い。

などの普段の生活でも会社でも、思い込みから失敗する事も多いので気を付けましょう。

自分だけではなく、「私は能力が高いのだ」と間違った思い込みをしている人は、この国に何千万人もいる事に気が付きましょう。

 

【弘法も筆の誤り】

本当に能力が高い人だったとしても、人は間違えるものです。

そこを忘れ、私は完璧だと思ったらどこかで失敗します。

人は、どんなに優れていても間違える事があると、日々自覚して置くべきです。自分でも他人でもです。

 

【すべてを疑え】

「能力が高い人も間違える事がる」「絶対のものなどまずない」とすれば、全ての事に間違っている可能性があると言う事です。

全ての事は、間違っている可能性を考えとく必要がある。

テレビで名のある有名な学者がその人の専門の話をしていたなら、合ってる可能性は高い。

ネットでどこの誰が言ってるか分からない物で、その一人しか言って無い物はまず間違いでしょう。

ただ可能性がとても高い物でも、間違ってる可能性がある事は頭の片隅に置いておくべきです。

そして「全ての事は、可能性が高いか、低いかの問題だ」とも理解しましょう。

 

【人には波がある。つまり日々どんな時も同じではない】

人には良い時と悪い時がある。

単純に体調とか、好きな人に振られたとかで、おかしくなる事はありますね。その時にいつもと同じパフォーマンスを期待するのは酷です。

あと単純に怒ると我を忘れる人もいます。この人もいつも同じではないと言う事です。なぜこんな事で自分の不利益になる事をしてるのだろう? と言う人が結構いますよね? 感情が制御できないのです。

それと、前にも言ったけど、人には優先順位があります。

例えば、優先順位で、金よりも立場よりも友よりも、プライドが上になる人がいるのです。この人は損しても皆が離れて行ってもプライドを取るのです。つまり、こういう人には何を言っても聞かなくなる時がある。

なので優先順位一位がプライドとか自分自身とかの人には、常識が通用しなくなる時があると思っておいた方がいいでしょう。私なら距離を置きます。

 

【物を考える時、一度大げさに考えてみると分かりやすい】

大げさな例です。

今の家にあるテレビより大きな画面のテレビが欲しい、とする。さてどの位がいいのか? 

分かりやすくまず大げさに考えてみます。100インチのテレビを部屋に置いたらどうか? 金額とかを無視しても、とにかく邪魔でしょう。デカすぎると逆に見にくいでしょう。

だとすれば大きければ良いと言う訳では無いと気が付く。

大きくなればなるほど不快になると気が付く。

多分どこかに快適な大きさがあり、それより大きくなるたびにどんどん不快になって行くグラフが頭に浮かぶ事でしょう。

税金の税率とか休日とか労働時間とか、そもそもお金とかなどで、極端に大きいのを一度考えてみると、見えて来る物があります。皆さんもやってみて下さい。

他の例えです。お金が1億円あれば幸せになれそうだと思う(実際どうかは微妙だと思いますけどね)。なら10億なら? 100億なら? いやそこまであってももう変わらないだろう、と思えたのなら、どこかに「もう、お金がいらないライン」があると言う事です。

10億もいらないと思った人がいたとしても、本当に1億円と10億円の間がそのラインなのか? と考えてみる。もしかしたら、もっと下かもしれないだろう? 1000万円で幸せかもしれない。もっとあっても骨肉の争いになりそうな家族だ、じゃあ1億もなくても良いかな? なんて思う人も出来て来る事でしょう。

 

逆に小さな物もそうで、極端に小さく考えてみましょう。

さっきのテレビの大きさなら、小さいと見にくく不便そうだと思うでしょう。

なら大きくても小さくても不便なので、一番いい具合の中間があると思う筈です。そこを探しましょう。

なぜこの例を行ったかと言うと、ゲーム用のモニターは24インチから27インチが良いのだそうです。それ以上大きいと、画面端が見にくくなり、競技ゲームだと支障が出るのだそうです。つまり31インチでも良くないそうなので「結構幅が狭いな」と思えたので書きました。

 

ちょっと話がずれますが、物語でもそうです。極端に大きな生き物や作り物を考えてみるには面白い事でしょう。他に極端の多い物とかもです。

雲まで伸びている柱。良く見ると椅子の足。デカいし上が平らなので町があると面白いかもしれない。背もたれの上に偉い人が住んでるかもしれない。でも誰の椅子だろう? 巨人がいるのか? じゃあ座りに来るのか? なら座らせない為に、巨人と戦う戦士がいるかもしれない。

神社でお参りして、神に家いっぱいの金が欲しいと言う。家に帰ると家いっぱいに金が詰まっている。良く見ると今は使えない古いお金だ。換金すれば良いけど、多くなると暴落して売れなくなる。誤魔化し誤魔化し換金して数百万円。しかしこの家の金を出さないと住めない。どうやって? 業者に頼むといくらかかる?

 

【逆を考えてみる】

逆の人の立場になってみる、なんてのは大体良い事ですね。

この人本当に善人なのか? 本当に悪人なのか? と逆に考えてみると、見えて来る事があります。

人の立場に立てる想像力がないと、失敗する事は多いので注意です。仕事でも家庭でもです。

人は思ったより違う感覚、考えがある事を知っておくべきです。

それとは逆に、思ってるより自分や知ってる人と同じな事もある。

例えば男と女です。どうも平均の脳の作りが違うらしいので、得意不得意が違うそうです。前にも言いましたが、書籍「話を聞かない男、地図が読めない女」を読んで下さい。参考になります。

でも「事実よりも大きく、男と女は違うと思い込んでいる人も多いようだ」と私は思っています。男も女も変わらず、ずるいです。しかし男のずるさは浮気で出やすいですね。浮気をするのが男だから男だけずるいと思ったら間違いだし、浮気をしやすいのは男なのは事実です。どこが同じで、どこが違うのか? を間違えないようにする事が大事です。

「逆」だけじゃなくて、見方を変える事も良いですね。

良くあるのが、東を上にした地図で、中国側から日本側を見たような地図です。この地図を見ると、中国が海に出る為に、日本が壁の様に立ちふさがっているのが分かります。邪魔に見えますね。中国には邪魔だなと思っているでしょうね。

 

【勘の可能性を馬鹿にしない】

意外と合ってる時もあるのが勘です。

ひろゆきさんも言ってましたが「人は、第一印象が当たる時が多い」と言う事です。

第一印象が悪いと、まず悪い人です。

その後「いや思ったより良い人だな」となったりしますが、こっちの方が大体勘違いです。その後やっぱり悪い人だと、なりやすいですね。

ただ、もちろんこれも例外があるので分かりにくいです。

でも「思ったより勘はあてになる」と言うのが、今まで生きて来た私の現在の感想です。

ちなみに、「勘」と言うのはスピリチュアルな事でありません。意識してないが頭で何かが勝手に動き、過去の経験に照らし合わせ、答えを勝手に出してくるものが「勘」です。

 

【その原点を探る】

複雑になった物でも、元を探れば単純になり分かるものもあります。

人は動物です。

なら人の感情や行動が、ほぼ裸で動物の様な生活の時に必要な物であった可能性が高い。

そのほぼ裸の生活から、人はほぼ進化して無いのだから、その時大事だった名残が今でもあるだけなのです。前にこのブログで言いましたが、怒りも笑いも、ほぼ動物の頃に必要だったものの名残でしょう。

法律や規則などの決まり事もそうです。そもそもそれはなぜ必要だったのか? を考えるべきです。

ゆとり教育は失敗だったと言うい人が多いですね。そもそもなぜ必要だったのか? を言ってる人が見かけなかったです。どこかには隠れていたのでしょうけど、根本を言わない人ばかりが、どうでも良い事をテレビで叫んでましたね。

ゆとり教育は「必要性が薄い事を教えている為に、もっと必要な事がないがしろにされている。だから止める」と言う事です。

「子供の頃、家にいて勉強ばかりしていても、ろくな大人にはならないから止めよう」と言う事か「必要そうな事を、空いた時間に独自で学んだ方が良いだろう」と言う事かと思います。

「学力が下がったから失敗だった」と言うのがあってるなら、そもそも「必要性が薄い事」では無かったと言う事です。もしくは「必要性が薄い事が下がって騒いでいる」かのどっちかですね。

金融とか政治とか社会情勢とかの、大事な事を教えないで、日々の役に立たない事を覚えさせる今の学校を直せない国に、未来はないですね。

前にも言ったけど、大学受験を車の免許みたく「その学校でやっていける最低学力以上のある人は、皆合格」にするだけです。それだけである程度のゆとり教育は出来ます。

あとは、そもそも教えるものが間違っている。役に立たない物を覚えてる時間があるあなら、役に立つものを覚えた方が良い。勉強だけではなく、スポーツでもコミュニケーションでもアルバイトでも良い。子供の頃に知るべき事は、いくらでもある。

それと、教える割合も間違っている。難しい数学が必要なら、国にとって必要な割合の人に、集中的に教えるべきです。全体の学力など関係ないだろ。

原点を考えるべきです。大学は何をする所なのか? 勉強する所です。

そのみんな知っている事がずれている事も、国民みんなが知っている。おかしいと知っているのに直せないのがこの国です。だから終わっているのでしょう。

 

【簡単な事が出来ない人に、難しい事など出来る訳が無い】

昔バイトで「こんな仕事なんて、まじめにやったって意味が無い」みたいな事を言っていた奴がいました。

ただ私も同じに思ってました。

問題はそこではなく「では、その仕事をまじめにやるか?」です。

人は器用ではないので、たぶんその文句を言って仕事をまじめにやらなかった奴は、将来それなりの会社に行っても「こんな仕事やりたかったわけではない」とか「こんな部署にいたくない」とか「もっと価値のある仕事なら頑張る」とかなんとか言って、まず仕事をしない。

逆に「その将来の役には立たないどうでもいいバイトを頑張る人」はどうなるか?

もちろんどうでも良い事でも頑張るのだから、何の仕事でも頑張るのです。私が人事で選べるなら、こちらの人を選びます。

まあ正直に言うと、その中で「頑張り過ぎる人」だと逆に不器用であり、他の仕事も上手く出来なかったり、頑張り過ぎてつぶれたりするので、「そこそこ頑張る人」が正解だとは思いますけど。

人だけではなく会社もそうです。

会社で細かな所がいいかげんであったりして「細かな所だから関係ないだろ」と思いがちですが、細かな所さえ直せない会社だと言う事です。

あっちこっち細かな所にいいかげんさが見えてると、いいかげんな会社なのです。だから表は良さそうに見えても、中が腐っていたりします。そして崩れて始めて外から見て分かる。つまり会社が傾いて始めて分かるのだが、その兆候は前から細かな所に出ている物だ、と言う事です。

だから細かな問題がちょこちょこ見えて来る会社を、私は信用しません。中が腐ってると思った方が良いでしょう。ちなみに国もそうです。

 

【他人の意見を聞く】

人は完璧ではないので、他人の意見を聞くべきです。

他人の意見を聞かない偉らそうな人が結構いますが、私にはただのカッコつけている馬鹿にしか見えません。

分かる人が見たら、能力が低い人だと思われる事すらわかってない、残念な人です。

人の考え何て野球の打率みたなものです。自分は三割も打てるとして、他人は一割しか打てないとする。しかし「今日試合で自分は全て空振り三振だけど、一割の奴は今日は猛打賞」の時もあると言う事です。

つまり自分が本当に優れていたとしても、自分が外れ、自分より能力が低い奴が当たっている時もあると言う事です。

それに世の中には知らなければならない情報が多すぎるので、他人の情報も取りいえる事をしないと限界があります。他人の意見を聞かないと言う事は、わざわざ得られる情報を減らすのだから、ただの馬鹿なのです。

他人の知力、情報、能力を使えない人は、何かを達成する能力が低いのだと気が付くべきです。項羽より劉邦が勝ったりする事があるのです。

世の中でピラミッドの上の方に座っている人は、幻の椅子に座っているようなものです。

下の者が汗水たらして働いている時、自分は涼しい所で座って高給をもらえるのはなぜか? と言う問いに「自分は頭がよく、経験があるからなのだ」と言う人が多いと思います。

「自分は頭がいいから高級取り」と言う幻に座っているから、他人に意見を聞けないのです。

「頭が良いのに他人に意見を聞くのか?」を思われ、幻が解けない様に気を付けているのでしょう。ただただ残念な人達ですね。それでも成功者なので、かまわないでしょうけど。

覚えておきましょう。人の意見を聞けないワンマン社長などは、残念な人だとバレてますよ。周りが言わないだけでね。

 

【事実は事実】

私は良く「その行動をする奴は頭が悪い」と言います。

そうすると「じゃあ、お前はどうなんだ?」と返す人がいます。

でもまずは、私の事は関係がない。事実としてそいつの頭が悪いのは変わらない。

例えもいらないかと思いますが、例えば、とても臭い奴がいて私が「お前は臭いな」と言ったとします。

「お前だって臭いじゃないか」と言い返したとします。

それでもし私が臭かったとしても、その言ったやつが臭い事は何も変わらない。私が臭かろうが臭く無かろうが、そいつは何時でも何処でも、誰にとってもとても臭いのです。臭かったら自分が困るでしょ? じゃあ素直に気を付けましょう。

ちなみに私は自分の事も独り言で「頭悪いなあ」と言う事があります。別に自分は特別だとは思ってはいない。他人でも自分でも頭が悪い行動をとったら、頭が悪いのです。事実は事実です。

しかしその次に「その人が何を思って言ってるのか?」「本当は何を言いたいのか」を考える事は必要です。

つまり、まず第一に事実としてその言葉通りを考える。

そして第二に「その言ってる裏の理由を考える」事も必要です。

人はほぼ必ず思惑があります。だから言ってる言葉には、まず裏の気持が作用して、内容を制御して話してしまう。これはほぼ全ての人がそうです。良い人悪い人関係なく、自然とやってしまう物です。

正直に本当の事を言う人でも、言いたくない事はわざと隠して言わないものです。

逆に知ってほしい事はあえて強く言うものです。自分が褒めてほしい事を話しの中の暗に含めたりします。

つまり嘘を言うような人ではなくても、人は言葉の中で「相手に思ってほしいように話を制御している」ものなのです。

言ってる事は嘘でなくても、そこからイメージされる事は嘘かも知れないと言う事です。善人ぶってても、他人の事など本当は何も考えてない人は結構いますよね?

なので、まずは表の事の見えている事実は事実として受け止める。

そして裏に隠れている、話し手が伝えたい(もしくは隠したい)事実を突き止めようとする事も必要です。これは難しい時もありますけどね。

 

この位にしときます。

今後少し思いついたら足すかもしれません。

読んで、当たり前だと思った方も多いでしょう。

知らない未知なる自分の未来を切り開く言葉がある、と思ってるのなら、勘違いです。

だから昔からよく言われる言葉に良さがある事に気が付きましょう。

「当たり前」を本当に理解してますか? 本当ですか? 知っている気になってるだけじゃないですか?