号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

頭の体操 6

YAHOOニュースとか、Youtubeとか見ているのだが、そのコメント欄の内容が「大丈夫か?」と言うのが多い時がある。

 

まず第一に、頭のいい人はこんな所では発言をしない。聞くに値する内容を話せるため、ここで発言しなくても構わないから。

第二に、頭のいい人は発言で内容を確定しない。「絶対こうだ!」などとは言わないという事。なぜなら大体はそうじゃない可能性もあるから。

第三に、頭の悪い人のほうが、自分に自身がある。だから恥ずかしい内容でも強く言える。頭のいい人は、自分レベルはいくらでもいると知っているから。

第四に、バカは感情をコントロール出来ず、自分の感情さえ理解もしてないので、感情に流されたコメントを平気で書く。

などの理由が考えられます。

もちろん一般意見です。当てはまらない人もいる。

 

 

さて、YAHOOニュースで見つけたのが、ひろゆきさんの話です。

大阪万博は大人気なのだから、行きたくもない子供を招待する必要なんかない」みたいなコメントを書いたら、「あなた頭大丈夫?」というコメントをした人がいたそうです。

それに対してひろゆきさんが「皮肉がわからない人を見るたびに、一般人のレベルを再認識出来る。日本人の半数の偏差値は49.9以下」みたいなコメントを載せたそうです。

それに対して堀江さんが「この表現は適切でないと言うか馬鹿」とコメントしたようです。

ここまではいい。

問題はこれに対する一般人のコメントが「大丈夫か?」と言うのが多いことにビックリします。

なんでこの二人のコメントに対し、自分も同レベルだと思いコメント出せるのだろうか?

 

さて、そう言いながら、私も同レベルだと思い、これから意見を書いていきます。私が自分の能力も知らない馬鹿かどうかは私自身には分からないので、判断はみなさまに任せます。

 

ちなみに、ひろゆきさんのこのコメント、とても良く分かる。

もしかしたら私とは違う意味、感覚で言ってるのかもしれないけど、どうであっても、とても大事なコメントだと思うのです。

 

まず、偏差値50以下が、半数だとは限らない。偏差値だと、点数が偏っていると人数は半々にはならないからね。

でも言いたい事は、そういう事ではない。

大体半数は馬鹿だと言いたいだけであり、「大体」で良いと言うことだし、大体だと半数になるでしょ?

 

次に、頭の良さを偏差値で表すのは馬鹿ではないのか? という話について。

まず、なんの偏差値かは言ってない。学校の勉強のテストではないかもしれないという事。

「頭の良さを象徴化したのを、偏差値で表した」と見ればいいと思う。

もちろん頭の良さなんて、考え方が色々あるので一つの点数では測れず、だから本当は偏差値では表せない事は大前提です。

 

ただ、ここは「皮肉が分からない」という話をしている場であり、つまり「言葉の裏にいある、本当に言いたい事が分からないのは、馬鹿だ」という話なので、この象徴化された言葉でいいんですよ。

この内容から、大体半数だと分かれば良いことだし、象徴化された数値から、馬鹿が半数いると伝われば良いだけのことです。

つまり、このひろゆきさんのコメント自体が「裏の言葉が分かるかのテスト」になっているのです。

だから「半数じゃない」とか「頭の良さは偏差値では測れない」とか言っている人は「裏の本当に言いたい事が分からない人」だという事です。

 

もう一つ、大体、正規分布になっているとして、偏差値49.9以下が約半数になるとするとしても、問題がある。

まず「馬鹿が半数いる」と言いたいとしても、49.9以下が馬鹿とは限らない。

日本の偏差値が45の人がいたとして、学校もない国だと同じ点数て60かもしれないからです。

今現在50点が偏差値50だとして、20年後はみんな頭良くなって70点の人が偏差値50になったとしたら、未来の偏差値49.9以下の人でも(69点くらい取れてる人もいるだろうから)馬鹿ではないかもしれないのです。

つまり「頭が悪いのが半数いる」と言いたいとのだとしたら、間違っている。

あくまで「平均以下は、半数いる」事を言ってるだけです。

 

そして「平均以下は、半数いる」事を言っているのだとしたら、当たり前の事を言っているだけです。

で、堀江さんはこの事を言ってるのではないのかな? と思っています(違うかもしれないけど)。

「頭が悪い人がいる。頭が悪い人は国民の半数もいる」なら言いたいことは分かるが、「頭が悪い人がいる。平均以下は半数いる」と言う文面なら、何を言いたいか分からないからです。

 

と言いながら、私には「平均以下は半数いる」という言葉に含まれた意味が分かるのです。

(もう一回言うけど、ひろゆきさんが同じように考えているかはわかりませんが)

私は常々思っているのが「人生とは、馬鹿とどう折り合いを付けていくかのゲームの様な物だな」という事です。

(注意、さっきも言ったように、馬鹿を一つの点数で表すことは出来ませんが、分かりづらいので象徴化して、一つの点数で表せるとします)

まずここに「ミスター平均さん」がいるとします。この国のちょうど真ん中の頭の良さの人です。

この平均さんは、人生で会う人の半数は、自分よりも馬鹿なのです。

もちろんそこには、自分の先輩、上司、親兄弟、友達、政治家、警官などなど、全ての人が含まれます。

人口の半数が自分より馬鹿なのだとしたら、立場が上の人、お金持ちの人、成功者、それらの中にも、必ず自分より馬鹿な人が混ざっていると思いませんか? 実際、必ずいます。

そういう自分よりも馬鹿な人と折り合いを付けて生きていくのが、人生なのです。

 

もちろん、残り半数の自分より頭がいい人とも、折り合いを付けていく必要がありますが、そこは簡単です。

従えば良いからです。考える事もない。

もちろん悪い人かどうかを判別する必要はありますが、逆に言えばそこだけを頑張れば良いのです。信用できる人かどうかだけを気にすればいい。

 

しかし馬鹿は厄介です。自分より権力がある馬鹿は厄介なのです。

それがたとえ悪くない人であっても、自分を含む多くの人を不幸にするからです。

少なくとも、自分がやれば不幸にならなかった事も、そいつが決めた事でみなを不幸にする事でしょう。

それは精神的に辛いのです。だから大きな問題です。

 

「ミスター平均さん」でも半数なのだから、もっと上だともっと大変です。

上位10%に入る人なら、人生で会う人の9割は馬鹿なのです。

しかも点数が離れすぎた低い人には、説明すら困難になります。

何を説明しても、頭の良さが違いすぎると理解されなくなる。

ネズミに説明しても無理なのと同じです。

 

しまいに「この世界はネズミの王国なのではないのか?」と思えてくることでしょう。

みんな「チューチュー」しか言わないからです。

 

話を戻し、ひろゆきさんがもし「半数は平均以下」と言いたかったのなら、こういう理由です。

「平均の人にとっても、世界の半数は自分より馬鹿なのだから、馬鹿な発言しかしない」という事です。

 

そして、頭の良さが大きく劣っている人には、話は通じない。

逆に頭が良すぎる人の言ってることは理解できない。

なので、人は自分の偏差値付近の狭い世界に行きていることを、理解しましょう。

下を見ればネズミがうろちょろしているし、上を見れば宇宙人が不思議な言葉を発してふわふわ漂っている。その中間の狭い世界で生きているのが全ての「自分」なのです。

 

ちなみに、話はズレるけど、皮肉が分からないのが馬鹿だとは限らない。ひろゆきさんはこの事を知らないのか? 知ってて言っているのか?

アスペルガーの人には、皮肉は通じない。

だから通じない人の中にはアスペルガーの人が混ざっているのも理解しておいた方がいいでしょう。

 

 

さて、話は変わり「サッカークラブの町田が筑波大に負けた」というニュースの事です。

これも、何が大事なのか分かって話しているのか? と思える発言が多いですね。

 

大事なのは「けが人が三人出た」という事です。

 

まず、実際は何が起こったかは分からない。

私には分からないのもそうだが、ほとんどの人でも分からない事です。

その中で一般人は、何が起こった「可能性が高いか」を言うことしか出来ないのです。

 

「町田が最初に危ない当たり方をした」という人がいます。

それはそうでしょうが、当たられた彼は怪我をしてません。すぐ立ったでしょ?

 

「町田が危ない当たりをして、それがファールにならず、だから審判が危ない試合にしたのが問題」と言っている人がいます。

これはこれで間違いがない。

だけどそれと「けが人が三人出た」のは意味が違う。

 

「町田はいつも当たりが強くファールが多い」とも言う人がいる。

でもjリーグでファール数一位でもないし、二位でもない。

そもそも相手にけが人は出してはいないようです。

 

ぶつかって相手に怪我させるかどうかって、結構微妙な感覚が大事だと思うのです。

足をけるにしても、危ないところは蹴らない、強くは蹴らない、危なそうな転ばせ方はしない、などの、一見同じに見えるが、実際は違うものです。

では、それを見て分かるのか? と言うと、多分、分からない。

力を入れて肘打ちしたか、力は抜いて肘打ちしたかで怪我の大きさは変わるからです。見ても分からない。

だから結果からしか分からないでしょう。

単純に「試合を通して、けが人を何人出したのか」という結果から、危ない当たりをしたかの可能性を判断するのみです。

 

町田は敵にけが人を多く出しているわけではない。jリーグの敵でも筑波大にもです。

なら、ファールが多くても、危ない当たりは控えているのでしょう。

 

逆に筑波大との試合では三人出ました。

一人なら「まあ、そんな時もあるか」と思う。

二人なら「運が悪い時もある」とも思える。

でも三人出たら「怪我させた方の、やり方が悪い」可能性が、かなり高くなるのです。

jリーグでも、普通三人もけが人出ないでしょ? 町田でも、どこのチームでもです。

それが今回は町田には出て、筑波大には出てない。

これに対し、「町田の選手が弱くて、筑波大の学生が強かったからだ」なんて言う人もいないでしょ?

町田の選手が弱いのなら、jリーグでもけんが人続出だろ?

 

もちろん分からない。

たまたま、運が悪く町田の選手がけが人が三人出たのかもしれない。

でも普通なら「筑波大に問題があったのではないのか?」と思うほうが自然です。

これは分からないのだから「罰しろ」という事でもないのだが、普通は筑波大の方を疑うべきです。

それを町田の方の文句を言う人ってどうなのだろうか?

少なくとも状況証拠だと「町田の方が正しいかもしれない」と言うべきではないのか?

そして「でも実際はわからないのだから、筑波大を攻めるのは間違っている」となるべき話題だと思うのです。

 

「町田のサポーターの行動も悪かった」という人もいます。

それもそうなのでしょう。

でもそれとけが人が出てる事は別です。関係がない。関係がない事を正当化のために言う人はただの馬鹿です。

 

町田の監督は「筑波大の選手の態度も悪かった」とも言ってました。

これは見てないので分かりませんが、態度が悪いのなら気をつけるべきです。

「お前が言うな」と町田の監督の方に文句を言っている人がいる。それはそれでもいいけど、そういう人は筑波大の選手が悪かったかどうかは言わないね。

「筑波大の選手の言動も悪くなかった」なら分かるが「町田も悪いのだから言うな」はただの感情です。

試合中の選手の言動が悪かったのを直さないと、もしプロになっても成功しなし、ただの社会人になっても成功しない。

だから大学生のためにも(町田が嫌いなのは別にして)選手の言動が悪かったら直させるべきです。

 

筑波大の監督も「なんども映像を見直したけど、うちの選手は悪くない」と言ってたようです。

つまり「うちは何も悪くなく、町田の選手が勝手に三人怪我をしたんだろ」と言ってるようなものです。大丈夫かな?

ちょっとこの言動には危うさを感じる。

 

何度も言うけど、本当のところは分からない。

だけど謝ってしまったほうが良かったと思うよ。今後は気をつけますと。

なぜなら「悪くない」と言ってしまったら、直せないからです。

謝った方が、大学生にも監督にも、どっちにとっても良かったと将来思うと、思うけどね。

 

そういえば、筑波大の方にも誹謗中傷が来てるようです。

それはそれで違うから、止めてほしいね。

ただこれに対しても、筑波大の監督は強めに反応してるようなので、若いなあ、とは思う。

今回は、町田が嫌われていたからあの程度で済んだけど、普通なら筑波大がもっと強く叩かれている。

それを救うのは監督であり、それは強く出ることではない。強く出れば出るほど反応も強く出るだけです。

 

筑波大の監督は選手を守りたいのなら、黒田監督に会いに行って、マスコミの前で謝ってしまえばよかったのです。

高校と大学とは違うだろうが、筑波大の監督にとったら、町田の黒田監督は青森山田で結果を出した先輩監督です。

だから「これからは気を付けます」と謝っても別に間違ってもないだろ。けが人も出しているのだから。

謝ったところで、勝っているのだから、勝ち逃げ出しね。

謝らないのは、選手を守りたいのではなく、自分を守っているのでしょう。

 

 

まとめ

今回の題名も「頭の体操」です。

私の言ったことが正しいかどうかはともかく、この程度のことは誰かにコメントで書いてほしいですね。

そしてそこから「それは間違っている、なぜならば……」と話が出来るようになれば、ネズミの世界からの脱出がかなうのですが、いつか来るのでしょうか?

いい加減、本能に任せた「チューチュー」しか言わない人が、いなくなって欲しいものです。