生存戦略 とは何なんでしょう?
生き残る方法です。
しかし個人の事ではなく、種としての 生存戦略 なら少し意味合いが変わってきます。
つまり人々全体が種として最終的に生き残る方法であり、それはより多くの人が生き残る事を目指すという事です。
そこには個々の命は問題ではありません。個人の生き死には関係ないのです。
アリやハチなんかが分かりやすいですね。仲間の為に戦って死んでいく。ミツバチなんかは針で人など刺すと抜けなくなって、無理やり抜くと内臓の一部ごと刺した方に残り結果死んでしまうようです。でもいざとなったら刺す。仲間の為に死んでいく。それでも生存戦略にそっていて、結果多くの仲間が生き残るようになっていると言う事です。
ピングドラム とは何でしょうか?
他の人の考察を見て一番多いのは 愛 だったと思います。あとは助け合いとか心とか命とか、そんな所でしょうか。そう言う物が重なり合ったものなのでしょう。
それが 輪る とあるので 回る愛 巡る心 助け合い 親切は人の為ならず、と言うような事を言いたいようです。
そこに実際にあった過去の事件を思い描けるように作られた物語、地下鉄サリン事件といわゆる酒鬼薔薇の事件、それに子供ブロイラーの様なもっと大きな社会的な問題も象徴的に含み、多蕗(たぶき、メガネ先生、タロとも読める)や、時籠ゆり(ときかごゆり、ファビュラスマックス、ジロとも読める)等のよくありそうな個人の(特に子供の)問題。
そこから導き出せる答えは、これらの大小の実際にある社会の問題は、輪るピングドラム(回る愛、助け合い)で解決できる、と言う事です。
と、普通の物語ならここで終わりなのですが、ピンドラが新しいのは 「それは生存戦略だ」と言ってる事です。
愛や助け合い が必要だとか素晴らしい等のきれい事で終わらず、「それが今の時代の人々がより多く生き残る方法だ」と言っているのです。
この言葉には誤魔化しがない。つまり全ての人が生き残ると言う事ではない。生存戦略に沿って生きた生き物が、全て生き残るのではないのです。
例えば、猫は一度に5,6匹子猫を生みますが、生存戦略に沿っていても生き残るのはせいぜい1匹です。
人もそうです。お腹がすいた人が持っているリンゴの半分を誰かにあげてしまったら、あげた人も死んでしまう事もあるのです。
しかし皆がリンゴの半分をやれる人で集まった村と、誰も何もあげない人で集まった村があったら、リンゴの半分をあげる人の集まった村の方が最後まで残る。そういう時代だと言っているのです。
ピンドラは表向きは古臭い昔ながらの助け合いの物語を描きながら、裏では分かる人用に真実を置いておく物語です。やってくれますね、イクニさん。
私は今、助け合いや愛の物語が古臭いと言いました。そして生存戦略は新しいと言いました、なぜでしょうか?
昔の人も馬鹿ではないのです。
普遍的な人にとって大事なもの、良いものは、ずっと昔の人がすでに分かっていて、何度も物語として登場しているのです。
だから普遍的ないい話をやろうと思ったらどうしても古臭く感じてしまう。
では生存戦略が新しいのは?(正確には 助け合いや愛=生存戦略 の事ですが)
もちろん昔の人が言ってない事です。
もう一度言います、昔の人は馬鹿ではない。言ってないのは昔は成り立たなかったからなのです。
だから今なのです。今の人が今こそピンドラを描かなければいけなかったのです。
そしてここから、どうして今 助け合いや愛=生存戦略 が成り立つのかを書いていきたいと思いますが一つ注意です。
これは私の考えです。ピンドラの中にはありません。もちろん私はイクニさんは分かってたんじゃないのかな? という気持ちで書きますが、違うかもしれません。
まあそんなものだと思って良ければ先に進んでください。
[ 生存◯◯ ]という文字を見せて ◯◯ に入る文字は? と皆に聞いたとき、なんて答えるでしょう?
戦略 でしょうか? 私が思ったのは 競争 です。
若い人は分かりませんが、大人は 生存戦略 より 生存競争 の方がなじみが深いのではないでしょうか?
世界でも長らく生存競争で来たように思いますが、この国 日本 は分かりやすく生存競争で近代は戦ってきたと思います。
幕末に黒船が来てから「このままだと列強国に取り込まれてしまう。皆が殺されないまでも今までの様な幸せはなくなる。プライドを持って生きてはいけなくなる。すりつぶされてしまう」と思い、国をあげて戦ってきたように思います。
それから富国強兵に励み、何度かの戦争にも何とか勝って、調子に乗り、第二次世界大戦に積極的にかかわっていきます。そして惨敗です。
その後も「戦争はダメだ。国が亡ぶ」とは分かったものの「このままだと資源のないこの国はもたない。人間らしい幸せな暮らしはできない。そしていずれどこかの国にすりつぶされてしまう」と思い、今度は国をあげて 経済 で戦ってきました。
日本は極東の資源のあまりない小さな島国ですから、生き残るためと生存競争をずっとしてきたように見えます。
(余談ですが「生き残るため」と言いながらも皆が殺される訳ではないので、それは他国に「すりつぶされてしまう」と言う言葉で上手く表す事が出来る所が、面白いですね)
しかし、生存競争が段々社会に合わなくなってきます。
一つは奇しくもこの国に大きく関わりがあった 核爆弾 です。
そしてその後に大陸間弾道弾ミサイルが開発される事により、列強同士の表立った争いが不可能になったのです。
しかし冷戦は続きます。先進国民の見えない所ではまだ戦っていた。
それもソ連の自滅で急に終わる。
その後は?
国の枠組みがゆるくなります。なんでもグローバルになってくる。
昔では考えられなかったことですが、ロシアで景気が悪くなるとアメリカでも悪くなる。そんな時代になります。
段々国の勝ち負けでなくなり、企業の勝ち負けになり、しまいには個人の勝ち負けになってきてます。
国の勝ち負けは、一応生き残りの意味合いもあった筈です。
しかし今の時代の個人の勝ち負けは生き死にの事ではなく、どれだけ裕福になるかの事を示します。
生存競争ではなく、いつの間にかただの競争になっていたのです。
昔の話です。
全ての人が生きていけるだけの食料が用意できない時代は、奪い合っても良かったのです。
そこでより強い者が生き残るのが 生存戦略 だった時代も長らくあったのです。
今の話です。
ではこの国はどうなったのか? と言うと、戦後は皆が腹いっぱい食べ物が食べれなかったのに、今や皆が腹いっぱい食べれるだけの食料を国が用意出来ます。それどころか皆が糖尿になり痛風になり、それでもまだ余り毎日たくさん捨てれるだけの食料を用意出来るようになりました。今の問題はそれを上手く分配する事だけです。
人間が生きるのに必要な、衣食住(衣類、食料、住居)の他の二つも国として皆が幸せに暮らせるだけの物を用意できます。これもあとは上手く分配するだけです。
生きるのに必要最低限以上の物、昔は三種の神器とも言われた、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、がもはや皆の家に普通にあります。高校生でもバイトすれば買えます。草薙の剣と同じぐらいの攻撃力があるとうたわれた洗濯機が皆の家に普通にあるのですよ! もはや神話の時代です。
それはこの国ではもはや生きる為に競争をする必要はなくなったと言う事です。
競争する必要がなくなった、と言う事だけではありません。競争をして自分だけいい思いをして他の人はどうでもいい、では済まされなくなってきたのです。
環境問題がそうですね。自分だけ良ければ環境は気にしない、では済まされなくなってきました。回りまわって自分の首を絞めるようになってきました。
原発もそうです。事故が起きれば他人事では済まされない。
テロもそうです。テロに走る人々を関係ないと無視していられない時代になりました。
それらは全て力の影響です。良くも悪くも人は力を持ちすぎた。原発も原爆も環境問題も人が世界を壊すだけの力を得たと言う事です。
テロもそうです。昔は虐げても無視しても力なく死んでいった人達が、テロを起こし沢山の人を殺せるだけの力を得たのです。
それは今の時代だからです。
そこまで力がなかった昔は、無視しても自分にあまり返ってこなかっただけなのです。
まとめます。
今の時代、生存競争が出来なくなったばかりか、する必要も無くなった。
必要も無い競争が、力を持った今の時代だからこそ危なくなってきた。
勝ち組の人々が競争で勝って裕福に暮らしているつもりが、しっぺ返しを食らう事になってきたのです。
無視をすると、自分の生活や命も危うくなるかもしれない時代になった。
それでも本当のお金持ちなら、生きてるうちは逃げ切れるかもしれませんが、その子供や孫は苦しむ事になるだろう。
生存競争がなくなり、残ったただの競争も生存戦略ではない、つまりより多くの人が最終的に生き残る方法では無い。と言う事です。
それは今の時代だからです。
さてもう一度 生存戦略 とは何なんでしょう?
今の時代多くの人が生き残る方法は 助け合いや相互愛 とピンドラは言っているのです。
だから新しい!
今の時代に、今の人でなくては言えない言葉なのです。
人の歴史が何千年か何万年か知りませんが、助け合いや相互愛がただのきれい事や徳の話ではなく、より多くの人が生き残る方法 だと言える時代がきたのです。
やっときたのですよ。ここまでやっとたどり着いた。
なのに今の時代 生存戦略 は上手くやれているのでしょうか?
イマジン ですよ。考えてください。想像してください。
アニメの世界にもどりましょう。
今 世界に必要な言葉 生存戦略 この言葉が出てきた以上、これ以上にこの物語に大事な言葉など無いのです。そう思います。