号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

12 輪るピングドラム 終着駅 「愛してる」

ピンドラ最終話「愛してる」の考察です。

 

大事なものから書いていったので、どうしてもこういう普通の考察が後になってきます。

しかも意味なんか考えずに雰囲気で見れる最終話だったので、あまり気にしないで見てましたが、よく見ると確かに分かりにくいですね。

分からなくてもなんとなく見れる作品である。これが大事ですね。そうじゃないと独りよがりな作品になります。

しかし分かりにくい事には変わりないので、書いていこうと思います。

もしこれを見て新たな発見があったのなら、もう一度見てほしいですね。

同じものなのに意味が分かると、世界が違うように見えてきます。

それが狙いです。世の中にはよく考え見ないと分からない事がある。そこには嘘も誤魔化しもある。よく考えろと。

しかし一人では限界があります。なら皆で考えて答えを導き出せと。

それがピングドラムだと。

もう一度よく見てください。なんとなく見てた人は、自分が見てたものが灰色だったと気が付くでしょう。世界はなんてカラフルなのだと思う事でしょう。

 

最終話冒頭、冠葉、晶馬が箱の中に閉じ込められてます。

これはオウムはこういう修行をしてたからだそうです(山田さんが言ってました)。

言われてみれば確かにそうで、私も思い出しました。修行と称し危ない事をさせて死亡者も出してた筈です。

 

黒いテディドラムはもちろん爆弾です(毒ガスかも?)。

 

95のマークが沢山ある不思議な空間に行きます。

2号ペンギンがゆで卵を持っていて、後で生卵に戻っているので、昔に戻って行くと言う事です。象徴的に呪われた95年に戻って行くと言う事です。現代と過去、両方につらなる呪いです。

プリンセスオブクリスタルが不思議な空間に皆を連れて行くのと同じで、眞悧が作った呪いの空間です。

 

冠葉が「これを成功させる事が唯一の方法、生存戦略なんだ」と言う。つまりテロを成功される事が生存戦略だと言う。これはもちろん悪い冠葉が言うので間違った生存戦略の解釈だ、と言う事です。

 

眞悧が言う「真に純粋な生命の世界は利己的なルールが支配している。そこに人の善悪は関与できない。つまりもう何者も止められないのさ」これは悪の眞悧の考えだと言う事であり、間違いだと言う事であり、嘘でもある。

生命の世界は利他的なものもある。だからこそ人はこの本能をまだ持っている。

そして人の世界の話なのに、人の善悪が関与できないと言うのは間違いであり、嘘でもある。例えば、動物の世界は弱肉強食なのだから人の世界でも弱い者がひどい目にあってもいい、と言う人と同じです(ただそんな単純でないのは、実は人の世界でもあっている時がある、時代がある。だが現在ではほぼ間違っていると言う事です)。

 

眞悧がペンギン帽に言う「桃果ちゃん、見せてあげるよ。世界が壊れる所を」

眞悧はここに来ても桃果です。と言うよりこの言葉が全てです。これが眞悧のしたい事の全てです。世界を呪った子供が誰ともつながれず大人になり、そして死んで凍った呪いを世界に残す亡霊です。

 

その後また、昔の箱に閉じ込められていたシーンになります。

子供の冠葉が言う「大切な人に伝えてほしい事がある」

これは大切な人がいると言う事です。たぶん兄弟です。その後に箱の中でリンゴを見付ける。これは冠葉には大切な人がすでにいたから象徴的にリンゴをもう持っていた、と言っている人がネットでいました。そうかもしれません。そもそも象徴的ではなく実際に兄弟が冠葉が寝てる時にそっと入れといた、とも考えられます。

でも肝心なのはそっちでは無く晶馬の方です。だったら晶馬も自分が死んだら大切な人に何かを伝えてもらおうと思う。しかしです。大切な人の名が出てこない。いないのです。父も母もいた筈です。それに愛されて無かった訳でもないでしょう。しかし歪んでいた。だからこそ、ここで箱に入れられ死に向かっていた。歪んだ父母の愛が晶馬には分かっていたのです。だから大切な人ではなかった。実は晶馬には大切だと思える人がいなかったのです。

 

 シーンは現在に戻り、「冠葉どうして?」と言う晶馬に眞悧が言う「人はね光が必要なんだ。そして彼はようやく見付けた。光を希望を。それだけが彼の生きる意味なんだ。なのに今、世界は彼から光を奪おうとしている。君も世界に加担して、彼を闇の中に置き去りにしているんだよ」

これはそのまま眞悧は自分の事を言っている。光を、桃果を、世界が自分から奪おうとしていると。

だから冠葉にもそうさせ「ほら可哀そうだろ?」と言っている。「俺も可哀そうなんじゃないのか?」と言っている。桃果に。

 

荻野目 苹果が電車に乗ってきます。細かい事は言いっこなしです。ただやはり苹果は桃果と同じような不思議な力があったと言う事でしょう。小さな力かも知れませんが。

 

日記は燃え呪文も知らない。しかし苹果は「一番大切な言葉なら知っている」と言う。それにかけると。

大切なのは日記ではない、呪文ですらない、心だと。

苹果はそれに気づき始めている。

それが桃果の残した事だと。

それがピングドラムだと。

 

晶馬が言う「君も僕たち兄弟も過去に呪われているんだ」と。

親の世代が、前の世代がやった事で、その次の世代が苦しめられる。子供が苦しめられる。これがイクニさんの今回の一つのテーマですね。

第二次大戦から考えても、この国は前の世代がやった事の呪いを受け継いできてますね。そしてその呪いを受けた子供が大人になり、また次の世代に新たな呪いを残してきてます。そしてまた次の世代に残して……とずっと続いてます。決して他人事ではない。はたしてどの位の人がこの恐ろしさに気が付いているのか?

 

晶馬が子供の頃、冠葉とのあった事を思い出し「やっとわかったよ。あの時僕たちが出会った理由が。この時の為だったんだ」と言う。その言葉とともに音楽が流れ初め陽毬が宙に浮かび上がる。

これは晶馬が冠葉とあった理由が分かった。と言うだけではなく、物語的に私達に向かって、ペンギン帽がプリンセスオブクリステルが桃果が三兄弟の前に現れたのは、この時の、この瞬間の為だった! と言う事です。

 

陽毬が今回は目の色がピンクにならないままペンギン帽をかぶり「生存戦略!」と叫ぶ。ここからが本当の 生存戦略 だと言う事です。

 

そしてプリンセスオブクリスタルが作るいつもの世界に潜っていきます。深く、心の奥深くまで潜っていきます。

この巨大な黒テディと白テディが橋で繋がっている世界。良く分かりません。こここそ色々な暗喩が隠されていそうなのですが、ありすぎて良く分かりませんね。

分かる範囲で、しかも大事なのは、この世界は桃果が作った世界であり、外部から眞悧が関与できない世界である事です。だから桃果がペンギン帽が、今必要だったのです。

そして白と黒が共存しているこの世界。これが人の世界であり、これこそがバランスの取れた人が目指す所と言う意味です。

 

巨大な黒テディの下に冠葉がいます。体の周りを丸い矢印が回っています。これが呪いです。輪る呪いです。受け継がれてきた呪いです。

 

今回は陽毬はピンクの目では無い、そのままです。つまり陽毬の意識のままである。

ちなみにプリンセスオブクリスタルは、半分になった不完全な桃果と深層の陽毬が合わさって出来たものです。

それが女王様なのが面白い訳です。

12話で陽毬がロールキャベツを作る時「全部ひん剥いておかずにしてくれるわ」とふざけていますが、そんな所もあると言う事です。

イクニさんは、女の深層にはそんな部分もあるとちゃんと分かっている所が面白い訳です。

 

その後、冠葉の周りを回っている赤い矢印、呪いの矢印が黒テディにもうつります。呪いが広がって浸食されてきているのです。それが陽毬の立っていた場所にも一瞬映る、つまり呪いがそこまでうつり、それで床が割れてガラスの結晶みたいなものが周りに飛び散り、陽毬がこれ以上進めない様に邪魔をします。

しかし陽毬は傷付きながらも前に進みます。

 

晶馬は言う「そうか僕らは始まりから全て罰だったんだ」

原罪ですね。ただ原罪の宗教的な解釈は色々あるようですが。

ピンドラで言いたい事は、人は生きて行く上で色々つらい事があるものだ、と言う事でしょう。つまり呪われたこの子達だけではなく、皆多かれ少なかれ辛い事が待っていると。そのつらい事がある世界を生きて行くのが人の道だと言う事でしょう。

 

 晶馬が昔を思い出し、冠葉を兄にすると親が言い出した事を言う。

前に言ったように、父剣山の友の弟だからでは無いでしょうか?

 

陽毬の血が赤いペンギンマークになる。これはその後に冠葉から出てくる血が赤い企鵝の会のマークなのと対比でしょう。ただ面白いのは結局どっちも白と黒のペンギンマークだと言う事ですね。結局元は同じ人間だと言う事と、どっちにも白い部分と黒い部分があるのが人だと言う事です。

だからピンドラはあちこちペンギンなのです。人には白も黒もあると言いたいのです。

ただペンギンマークより企鵝の会のマークの方が黒が多い。より黒によっているのは間違いが無いのでしょう。

ちなみにピングフォースのマークは真っ黒のイワトビペンギンですね。眞悧がいた時代は真っ黒だったと言う事です。そしてペンギン帽もイワトビペンギンです。眞悧の呪いでペンギン帽になったと言う事ですね。

 

冠葉が「だめだ俺はまだお前に何も与えていない」と陽毬に言う。

男はこういう生き物ですね。何か物理的なものを与えるのが男の仕事だと思っている。もちろん私にもその気持ちは分かりますけどね。イクニさんはこの辺もちゃんと表すので面白いですね。

 あと冠葉の場合はトラウマもあるのでしょう。

12話最後で陽毬が死ぬときに言う「どうして俺じゃダメなんだ!」と。これは父親(と思っていた人物)に「お前じゃだめだ」と拒否された過去を持っているからです。それがトラウマになっている。

しかしこれは違う意味ですね。だからこそ二重にひどい訳ですが。前に説明したように、父親と思っていた人物が冠葉に言いたかったのは「お前じゃ生贄としてはダメだ」と言う事ですからね。12話で最後眞悧があらわれ「そう、君じゃダメさ」と言います。もちろん眞悧には分かっていたからです。なぜダメなのか? 何がダメなのかを。そしてそれを知ってて騙す。大人が子供を騙す物語です。

冠葉が「何も与えてない」と言うのは何かが出来ないと愛すべき人に拒否される、いるだけだと拒否される、と思っている。つまり陽毬と同じトラウマをかかえて生きてきたのです。

 

その後冠葉の体から赤い企鵝の会のマークが出てくる。これは血ですね。そして呪われた血である。そして血が魂とか命とかの象徴です。つまり二重の比喩ですね。

これはもう体に留めておけなくなったのか? もしくは桃果の、この世界の浄化作用です。そして陽毬の思いも浄化作用として働き、呪いの血が、魂が命が全て出てくるのです。

そして浄化されたので出た命がリンゴになる。

 

しかし全て出てしまったので、このままでは生きてはいけない。

だから命が必要です。

だから晶馬が自分の命の半分を分け与える。

自分から取り出した命を陽毬に手渡します。この時晶馬は子供の姿です。

これは子供の時に冠葉にもらった命(リアルリンゴ)のお返しと言う事と、子供の頃晶馬が陽毬にリンゴを渡した事を、見てる私たちに思い出させるためです。

冠葉は父と思ってた男が死んだとき、陽毬にバンソウコウを張ってもらってる。冠葉はプリンセスオブクリスタルに命を分け与えてる(取られていたけどその後自分でも差し出そうとしてたので本望なのでしょう)。それらの子供の時からの助け合いや愛でつながり回っていると言う事を思い描かせる。

この時も晶馬と陽毬の周りには赤い矢印が回っている。これはつながりを表してますが、呪いの矢印と同じですね。呪いも愛も全てつながり回っていると言いたいのでしょう。だから原罪なのです。罪も罰も、愛も心もつながり回っていくのが人だと言うのです。

リンゴの受け渡しを誰から誰にどの位渡していった、と言う様な事を考察している人がいますが、それはあまり意味が無いと思います。誰かの助けや愛がどっちが多いどっちが大きいいと言うのがヤボなのと同じです。大事なのはそうやってつながっている事です。大小や数では無いのです。

 

その後とうとう呪文の発動です。

「運命の果実を一緒に食べよう」

これは人間宣言ですね。人として一緒に生きて行こうと言う事です。良い事悪い事に呪いまで含めてそれをわかち合って、助け合って生きて行こうと言う事です。これは言葉でも晶馬が言ってますから同じ事です。大事なので二回言いました、的なものです。

冠葉から晶馬そして陽毬、ダブルHをかいして苹果へと回る言葉です。余談ですが冠葉の前は? エスメラルダかもしれませんね。すると海を渡っている。西洋からも白黒、良い事悪い事渡ってきているのでしょう。

リンゴは命も愛も呪いも含まれたメタファーですね。キングオブメタファーです。そりゃイクニさんが使わない訳がない。

しかし大事なのは言葉では無い。呪文がこれな訳がない。たぶん気持ちが入っていればなんでも良かったのでしょう。それを苹果は分かったのです。とうとう桃果の心に触れたのです。そして自己犠牲で誰かを助ける事で、この瞬間だけ桃果になったのです。だから呪文が発動する。

 

駅名の看板が出ます。95番目の駅「運命の至る場所」その前94番目の駅が「生存戦略」です。これは前に言いましたが、95年の事件を表し、その前に生存戦略があると言う事です。事件の前の生存戦略が間違ってなかったら、運命の至る場所が変わっていたかもしれないと言う事です。

その看板が反転して、命とサソリの炎が分かれる事を示します。運命の乗り換えです。世の中にただの物など無いのです。誰かが犠牲になる。銀河鉄道の夜に出てきたサソリの炎になる人が必要なのです。未来に行けるように誰かの道を照らす為にサソリの炎として燃え照らす人が必要なのです。

しかしこれは危険な事ですね。眞悧復活の生贄と紙一重です。ピンドラの生贄は自分じゃないので悪いと分かりやすいですが、じゃあ誰かが自分を犠牲に眞悧を復活させればありなのか? と言う問題もあります。なので『さらざんまい』で自己犠牲の苦言を呈するのがイクニさんらしいですね。

 

陽毬を抱き上げる冠葉。その周りを回っていた赤い矢印がはじけ飛びます。呪いに打ち勝ったのです。

前回23話で晶馬が桃果に言われます。あれを止められるのは晶馬と冠葉だと。

(これも余談ですが、眞悧はあれ呼ばわりですね。そして桃果にあの列車であなた達のピングドラムを見付けると言われる。あなた達のですから皆持っててもいい物ですね)

でも晶馬はともかく冠葉は何をやったのか? と思いませんか?

私は前に眞悧は実態をもって復活できた、と言いましたが正確には、実態を持っている様に他人に見える形で復活できた、ですね。

古今東西、悪魔は全て、幽霊もほとんど現世に影響を直接はおよぼせません。出来ないのです。だからこそ悪魔であり幽霊でもあるのですから。影響をおよぼせるのなら神か超能力者かただのすごい奴かのどれかです。

眞悧は日記に触れる事が出来ないと言ってました。それだけではなくたぶん何もできないのです。眞悧を分けてできた黒兎もいます。つまり黒兎から眞悧に戻れたのではなく、黒兎から眞悧の亡霊がにじみ出ているのです。亡霊ですから何もできない。誰かにやらすしかない。昔から悪魔は人と契約をします。これも同じで自分では訳あって出来ないからこそ人にやらすのです。そう、冠葉をだまし、冠葉にテロをやらすしかないのです。

ならテロを止める為に出来る事は? 冠葉の目を覚ましテロをしないようにさせる事なのです。結局は他人が関与してたとしても、自分の中に悪魔がいて呪いがあり、自分で自分と戦うしかない。

冠葉一人では無理でした。だから晶馬が、陽毬がいた。しかし昔冠葉が晶馬を助けた。晶馬が陽毬を助けた。だから回り回って助けられた。輪るピングドラムです。助け合って皆で呪いに打ち勝ち、眞悧の陰謀をくじいたと言う事です。

これでイクニさんが言いたい事は、死んだ前の世代がかけた呪いに、子供の世代が皆で助け合って乗り越えろ、と言う意味です。

 

冠葉は結晶化して砕けていきます。この時子供ブロイラーの時あった何かを砕く機械の絵が入ります。冠葉すりつぶされてます。資源ゴミですね。これは前に言いました。

たぶん冠葉は塩になってます。塩の結晶になっている。人を殺すなどの罪を犯した。その代償です。旧約聖書で神の言葉に背いたロトの妻が塩の柱にされてます。

ちなみにプリンセスオブクリスタルのクリスタルも結晶の意味です。たぶんこれも塩ではないかと思います。新約聖書ですが、あなた達は地の塩、世の光である、と言う様な記述があるようです。塩は役に立つ物であり必要な物だったので、愛と慈悲と言う意味合いで使われているそうです。そして塩からもクリスタルからも光と言う言葉が連想されるので、プリンセスオブクリスタルは塩であり光でもあるのでしょう。ちなみに塩対応ですね、プリンセスオブクリスタルは。

塩は大事で役に立つ物である、と同時に神に背いたら塩の柱にされる。ここに呪いと光両方が連想される、白と黒両方の意味が一つの物の中に連想されます。冠葉と陽毬も白と黒に見える。そしてそれでも結局同じものだと言う事も連想させる。白も黒も同じ人間であり助け合って生きて行く仲間だと思わせる。まあ良く出来てますね。

 

眞悧が言う「君たちは決して呪いから出る事は出来ない。僕がそうであるように」

これも前に言いましたが「僕がそうであるから、皆がそうでなくてはならないんだ」と言う事ですね。

愛も回り回って帰って来る事があるように、呪いも回って帰って来る。眞悧は他人を呪う程自分も呪われる。良い事も悪い事も回って戻ってきます。因果応報です。

眞悧は言う「君達は絶対に幸せなんかになれない!」これも前に言いましたがラスボスが心を込めて言う事ははずれると言う事です。イクニさんからのエールですね。優しさですね。

 

冠葉が本当の光を手に入れたと言う。

眞悧の言ってた光は偽物だと言う事が分かったと言う事です。

 

晶馬が苹果の代わりにサソリの炎として燃えます。

これを、どうやって晶馬は代わりになれたのだ? と言う人がネットでいました。ここまで非現実的な事のオンパレードなのにそこ気になります?

やる気になれたら何でも出来るのですよ。人の心の中ではね。

 

123号ペンギンのベルトコンベアーがまた出てきます。でもまだ生まれ変われないのですね。また戻される。やる事がまだ残っているって事でしょうかね? 気になるならもう少し付いていろと言う事でしょうか? 

このペンギンとピンクの熊のぬいぐるみ、あとはかすかな記憶ですか、それらが新たな世界でも残った。完全に全て無くなった訳ではない。無かった事になったのではなく前に進んだのだと言う事でしょう。

 

桃果が眞悧に別れを告げます。眞悧はどこにも行けないと桃果が言う。何処にも行けないのでしょう。変われない者は何処にも行けないのですね。

では桃果は何処に行くのでしょう? たぶん解脱するのでしょう。

それともう一つの可能性もあります。それはもう苹果として生まれ変わっている、と言う事です。

苹果は桃果と会えませんでした。直接は話せませんでした。5話でプリンセスオブクリスタルにつけられた手錠を破り、帽子を投げ飛ばしてます。桃果だから出来たのか? そもそも乗り換える呪文を言える時点で桃果ではないのか?

でもペンギン帽は? と思うでしょうが、眞悧がいい例です。黒兎が存在していて眞悧もいます。言ってみれば黒兎から映像や声だけが出てきているのでしょう。桃果はペンギン帽に不思議な力を封じ込められたとしても、人としての部分は生まれ変わっている。そして苹果からペンギン帽に残った力を通して桃果の言葉が出ている。最後ペンギン帽に残った記憶から眞悧に話しかけ、苹果として生きて行くために行ってしまうのです。

ただ結局記憶もなく生まれ変わるのだから、それに何の意味があるのだろうかと思うでしょ? その通りです。

ファビュラスマックスも眞悧も苹果は桃果ではないと思っていたようです。生まれ変わりでも、記憶も残っていないのならやはり別人だと言う事です。

イクニさんはだから輪廻転生を信じてないか、あっても意味が無いと思っていたのではないのか? と思うのです。そもそも宮沢賢治も本当に輪廻転生を信じていたのか? とさえ思ってしまいます。そしてだからこそ最後、冠葉と晶馬が死んだとは思えないのです。死んでなく生きていた、そして陽毬の様に何かがかすかに残っているのではないのか? と思うのです。そう、かすかなものです。それが自己犠牲の神からのご褒美です。かすかなものの為に自己犠牲出来ますか? それは自分で決める事ですね。

 

世界が変わり、電車の中、黒テディが白テディに変わっています。無害なものになったと言う事です。しかし白テディはあるのでつながりはあると言う事でしょう。陽毬と苹果のケガもそうで無かった事ではないと言う事です。

しかしこの黒と白のテディはどちらもロボットですね。真っ白な物も真っ黒な物もどちらも非人間的な物だと言う事でしょう。だから人はペンギンなのです。白黒混ざったペンギンが人を表してる物語なのです。

 

ファビュラスマックスとメガネ先生が自分たちが残されたのは、次の世代子供達に愛を残すためだと言う。このタイミングで言うのは、これは世界が変わって記憶が無くなった筈なのにこの事は変わらないと言う事ですね。記憶を無くしているかもしれませんが、何か他の理由が新たについて子供たちに愛を伝えていくと言う事でしょう。

 

マリオと真砂子が出てきます。マリオの呪いも解けています。

真砂子が夢を見たと言う。兄がいたという夢を。不器用な兄がいたと言う夢を。愛してると言ってくれた兄がいたと言う夢をね。

 

陽毬は池部のおじさんの子供になってます。父母では無くそれでもおじさんなのですね。でもそれでいいじゃないか、その位で十分幸せではないか、と言う事ですね。

ダブルHのファンですね。これも前に言ったように、もうアイドルになる必要が無くなったからこれでいいのです。

そしてピンクのぬいぐるみとおでこの傷です。これもすでに言いましたね。悪い思い出が良い思い出になった証のぬいぐるみと、生きていける証の傷です。

陽毬も苹果も傷つき、それでも人として生きて行くのです。

 

ぬいぐるみの中に手紙「大スキだよ!!お兄ちゃんより」

ダサいですね。これが感動できるようになる物語です。

言葉では無いのですね。心が見えたら言葉では無い。

 

さんちゃんが植えた植物が芽を出してます。メリーさんの羊で枯れた木ですかね? 枯れてもまた植えればいいじゃないかと言う事ですね。ずるはいけません。不思議な灰をまいて元に戻すなんて事はやってはいけないのです。自然の摂理に反してはいけないのです。人の範疇でしか手を出してはいけないのです。地道に植えていく事しかできないのです。

 

冠葉と晶馬が子供で出てきます。

生きてますって。命を分け与えたから半分になり子供です。

(前に、これは生きてる死んでる両方取れる意味であるが、7対3位で生きてるに傾いていると思っていましたが、『さらざんまい』を見て9対1位で生きてると思えるようになりました。『さらざんまい』が分かりやすく死んでるかも?ミスリードをしてたので、ミスリード好きなんでしょうね)

顔が無いのは、晶馬の友達の様に普通の人になったからです。

 

冠葉が言う「つまりリンゴは愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ」

このリンゴは色んな意味があるメタファーですが、今回は「人である事」だと思います。

冠葉が晶馬に命の半分をもらった後、結局すぐ塩になりすりつぶされていきます。それでは対して意味がないのでは、と思えそうです。

 塩になるとは、神の意志に反した事をした者への天罰です。

サソリの炎とは? これも神の摂理に反して世界を捻じ曲げた者への天罰でもあります。

神はご褒美をくれるにしても、死んだ命をそうたやすくは生き返らせてはくれません。そんな簡単だったら誰も死を悲しみません。だから冠葉は晶馬から命を半分もらえなかったら、死んだままだったでしょう。

しかし神から受ける筈だった天罰を許してもらえる、この位のご褒美はありそうです。

塩や炎になる罰を今回だけは免除され、人である事を許してもらえました。それが自己犠牲の心へのご褒美であったのです。

 

陽毬が言います「運命と言う言葉が好き」だと「信じているよ、いつだって一人なんかじゃない」と。

運命が好きになれるようになったと言う事です。

言いたい事は、いつだって一人じゃないと言う事を信じろと言う事です。確かにそれを信じる事が眞悧にならない方法です。信じれない眞悧はずっと自分を呪い続けてしまいます。

しかし信じろですか。確かなものなど無いのですから、最後はそこに行き着くのかもしれませんね。でも最後にですよ。あくまでやり尽くして考えつくした後、最後の最後に信じるのです。

 

冠葉と晶馬が「どこに行きたい?」「そうだな、じゃあ」と言います。

もうどこにでも行けるようになった。呪いから解放されて自分でこれからは決めていけると言う事でしょう。

 

最後星の中を歩いていきます。

幽霊ペンギンと一緒に歩いていきます。

銀河鉄道の夜を思い起こさせます。カンパネルラの様に死にそうですね。

ラッパ吹く天使が現れます。これも最後の審判の時ラッパを吹きみんな蘇るそうなので、死んでいて蘇るように見えますね。

それでも私は生きてると思います。信じていますからね。

 

無数のリンゴあり、無数の赤い糸が伸びていきます。

沢山の人、沢山の可能性ですね。

そして最後にこちら向きの手と受け取った半分のリンゴ。

見てる人にもリンゴが輪った、と言う事でしょう。

 

最後のイラスト

良いイラストですね。構図上難しいのに苹果が陽毬に手を伸ばしてますね。最後まで芸が細かいですね。

中心が、小さな冠葉と晶馬を抱きしめる陽毬。

この位が人が手に入る最良の幸せじゃないかと言う事でしょう。

これ以上だと嘘になります。眞悧のように大人が子供に嘘はいけません。例え今一気持ちのいい終わり方じゃなくても、子供を惑わす嘘はいけないのです。

小さな冠葉と晶馬を抱きしめる陽毬、この小さな幸せを得る為に人は一生懸命生きて行くのです。

 

ありがとう。