アニメ「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」感想です。ネタバレです。
一番の印象は「若いね」って事です。
監督の年齢は知りませんが、イクニさんよりは若いでしょう。
この「若い」は「良い」「悪い」両方の意味です。
「やりたい事をやるぞ」と言う熱意なんかは、今のイクニさんには感じませんね。
「ウテナ」位まで戻らないと、イクニさんからはこの熱量は感じない。
だから今見れるこの「勢い暗喩アニメ」はこれしか無いのじゃないでしょうか?
今のクオリティでこの手のアニメを見れたのは、とても良かったです。
悪い事はやはり、こなれてない。
どこか、何か、たどたどしい所も「ウテナ」に通じる所があります。
それが「さらざんまい」なんかまで来ると「出来上がってるなあ」と感心しますよ。面白いかどうかは人それぞれですけどね。
内容は「アンコール」みたいな感じでした。
やってる事はほぼ同じです。
少ない新たなメッセージは「舞台が終わっても、学校が終わっても、終わりではない。その向こうを目指せ」と言う事ですね。
この劇場版だと「死」が「演劇者の心の死」だと言うのをハッキリ伝えてきますね。
テレビ版の頃の主人公は「演劇を学んでいる最中なのに、上を目指す気が無い」
他の生徒は「自分はこの程度とあきらめる」とか「前やったのが素晴らしかったのでこれ以上はないだろうとやる気が出ない」等で心が死んでいる事を表す為に、暗喩として死の世界を重ねてきてました。
それが今回は分かりやすく、血吹雪を出して死を表したり、単純に「死んでる」なんて台詞で言ってくるので、監督の「分かってくれ」と言う心の叫びでしたね。「誰も気が付いてくれないので、叫びました」と言う事です。
今回の映画だと、前は気持ちが盛り上がったけど「卒業もあり、皆またやる気をなくしている」と言う事を「死」で表してました。
つまり、やってる事は同じです。
映画版はただ「分かりやすくしました」って事であり、これも「ウテナ映画版」に通じる所がありますね。
そして「演劇者」も暗喩で「アニメ制作者」の事だろう、と言うのは前に言った通りであり、今回の映画もそう思って見ると筋が通ってますよ。
まずテレビ版では「死の世界」を暗喩として隠し、それが「演劇者の心の死」と重ねる。
その「演劇者」すらも暗喩であり「アニメ制作者」の事である。
つまり暗喩まみれで本当の事など何も映ってはいない、と言う事です。
それを分かって見ると、今回の映画版も「物理法則はすべて無視な、暗喩物語」である事に納得がいくのです。
今回も電車が出て来ます。
「ピンドラ」からでしょうけど、ピンドラも「エヴァ」からでしょう。
そして「ピンドラ」も寺山修司からでもあるし、宮沢賢治からでもあるのです。
更に「マギレコ一期一話」の電車も「ピンドラ」と寺山修司あたりからでしょう。
で、「スタァライト」も電車になる訳です。この監督は子供の頃に「エヴァ」に影響された、と言ってたので「エヴァ」の影響でもあります。
「線路は続くよ、どこまでも」と言う事です。
(そう言えば、キャラがこっちに向かい話し出す所がありました。もちろん元は寺山修司からですね)
映画の最後、主役の子の所はさっぱりしてましたね。既にテレビ版でも長くやってるので、もういいだろうと言う事でもあると思います。
大事なのは「また立ち上がり、次に挑む」と言う事なので、あれでいいのでしょう。
子供の頃からの夢をかなえ、上手く行き酔ったような気分になったりしたが「それで満足するな」と言う事です。ここを監督が自分と重ねて来たのかと思います。
そうですね。まだ向こうです。皆まだ向こうですね。