号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ギュウ、キュッ、キュッキュッ、キュフッ。

 この題名は「輪るピングドラムの細けえ事は、ここにまとめて記す、にゃー、oh my God!」
と、ペンギン語で言っているような気がします。

 

アニメ「輪るピングドラム」細かな事です。ネタバレです。

 

2019年 10月 21日 追加


細かな所の解釈が違う気がしてきたので記します。
分かっている人には「何を今更」と言われそうですが、ペンギンは思っている人に付いて行く幽霊であり、お手伝いをしますね。これって背後霊とか守護霊と言うやつですね。
そうすると桃果に無理やり送り込まれたと言うより、他の人にも付いている良くある事(もしくはたまにはある事)だと言う事です。
ならコンベアーを逆回転して戻ったのも、ただ自分達で未練があるので守護霊としてまだ残っていたいと思ったからかもしれません。もしくはその気持ちが神様に届いたか、桃果が手を貸したかだと思いますが、結局は自分で残ったのだと思います。
そう考えると最後に桃果がもういないのに、まだ残り守護霊として小さな冠葉と晶馬に付いて行くのも理解できます。
親子の絆が実はあったのだと思わせる終わり方ですね。
1号2号はもちろんですが、良く考えればエスメラルダも母なのだから冠葉に付いて行くのは当たり前ですし、さんちゃんも陽毬に助けられたが、晶馬にも助けられたのだから付いて行ってもおかしくないのですね。
最後に冠葉と晶馬に幽霊の守護霊が付いて行くのだから、やはり小さな冠葉と晶馬は生きているのだと言う事になります。なるほどね、良く出来てますね。

 

2019年 12月 19日 追加

 

そもそも宮沢賢治自体が、物語の中に色々仕込んでいる人だったらしいですね。

今から宮沢賢治の本を読んで、それから内容も考察してたら、歳とって死んでペンギンに生まれ変わりそうなので、あきらめて考察サイトを見て来た事を書きます。

輪るピングドラムなので助け合いと言う事で勘弁です(しかし便利な世の中になりましたね。私が書く事なんて皆の努力の寄せ鍋です。一応煮て味付けはしましたって事です)。

 

 「銀河鉄道の夜」に出てくる「鳥捕り」は、白鳥座あたりで乗るので、白鳥座の隣にあるこぎつね座にかけてキツネが化けた人ではないかと言われてるそうです。物語の中では答えを言ってませんけど、確かにそうですね。

なので、ピンドラ4話で苹果が「トリくん」と書いたTシャツを着てるのは、化けている(いい子を装っていて、やってる事、つまり日記に沿った行動をしている事を隠している)事を表しているのでしょう。その後晶馬が着る事になるのですが、これも同じですね。晶馬もやっている事を隠して近づいています。

 

カンパネルラと言う名前は、イタリアの聖職者で哲学者のトンマーゾ・カンパネッラから取っていると言われているそうです。

そして元の名前はジョバン・ドメーニコ・カンパネッラである。つまり銀鉄(長いので今後「銀河鉄道の夜」の事をこう表します)のジョバンニとカンパネルラは二人とも一人の人物から取った名前だと言われているそうです。

銀鉄のカンパネルラが死ぬ話は、仲の良かった妹か友達の死にかけて作ったと言われているそうです。仲の良かった人の死を「まるで自分の半分が死んだようなもの」と思ったのでは無いでしょうか? それで一人の人物から、生き残るジョバンニと死ぬカンパネルラ両方の名前を取ったのだと思います。

なのでジョバンニとカンパネルラは双子性がある、とか同一人物性がある、と言われているそうです。だから晶馬と冠葉は双子として(本当は違うが)出てくるのでしょう。

元のキリスト教の聖職者のカンパネッラは、ユダヤ教徒と信仰について議論したり、キリスト教が異端だとしていた地動説を説いたガリレオを正しいと言ったりして、ローマ教皇庁の牢獄に入れられたそうです。つまりその時のキリスト教の教えに疑問を持っていたと言う事です。

そしてカンパネッラの名を銀鉄に入れる宮沢賢治の意図はなんだったのか? 

宮沢賢治は熱心な仏教徒でした(法華経)。しかし銀鉄にはキリスト教の影響がある。そしてキリスト教に疑問を持った人、カンパネルラの名前をいれる。これは宮沢賢治自体が仏教に疑問を持ってたと言う事では無いでしょうか? 他の宗教を知れば世界は仏教だけで出来てるなんて事は無いだろうと思うだろうし、科学を学べば更にそうです。仏教やキリスト教も含め、それらが正解だとは思えなくなってたのでは無いでしょうか? だから友や妹の死を簡単に受け入れられなくなってたのでは無いのか? 仏教を信じていれば輪廻転生でまた生まれ変わる。それでいいじゃないですか? しかし疑問を持ったが為に書いた物語が「銀河鉄道の夜」だった気がします。

そして結局、宮沢賢治は若くして亡くなってしまったので、答えが出なかった。銀鉄で最後ジョバンニは何も言わず物語が終わります。今わのきわで宮沢賢治は、そう簡単に答えなど言えるものでは無いと気が付き、最後に出来るのは後世に疑問を投げる事だと思ったのでは無いでしょうか? 

その後、後世の人達が読んで自分なりの答えを出してきたのでしょう。その中で読み手では無く、物語の作り手として受け取り、答えを出したのが幾原さんだった気がします。言うなればアンサーソングです。

その答えは生きる事です。死の向こう側には何も無いと言っているように思えます。輪廻転生をどっぷり入れる物語を作りながらこの答えです。分かる訳はないですね。輪廻転生を信じているのならば、最後の晶馬と冠葉は死んでいて幽霊でいいのです。その後生まれ変わるのだから死んでていい。しかしそうしないのは輪廻転生を信じてないからでは無いでしょうか? そして宮沢賢治もそうだったのでは無いでしょうか? 幾原さんは「宮沢賢治も実はそう思っていたのでしょう? そもそも疑問を投げながら答えは持っていたのでしょう?」と言う事までも含めた、この答えだったような気がします。

 

元の聖職者カンパネッラはガリレオの地動説が正しいと言ってたそうです。

それで病院のシーンで天球儀みたいのが出てくるのですね。

天球儀は元々は地球が真ん中にあり星々が周りをまわる事を表しています。つまり嘘だと言う意味です。そして間違った科学だと言う意味です。それが病院のシーンに出てくるのは眞悧のアンプルは嘘っぱちだよ、と言う意味ですね。そして回る呪いや捕らわれてる事、つまり鳥かごも表しているのでしょう。

 

細かな事で

ザネリは女説があるようです。でも説だけでどうもそうでは無いようです。しかしだから女の陽毬にかけているのでしょう。

 

23話で真砂子が「フーディーニの魔法で世界は変えられない」と言います。

フーディーニは昔いたアメリカの奇術師ですね。なので眞悧のやってる事は奇術のような嘘っぱちだと言う意味でしょう。

そしてフーディーニは偽霊媒師を暴いていた人の様です。眞悧のやって居る事に加担するのではなく、逆に眞悧の嘘を暴く側に回るべきであると言う事ですね。つまり間違った側に行ってしまっていると言う事でしょう。

 

宮沢賢治自体が裏に色々意味を隠す人で、幾原さんはそれを包括して物語を作り、そして更に意味を加えて隠す。

分る訳ないじゃん、と言う事です。

そして、しかし、早く次の作品を見てみたいなと思う毎日です。

 

2020年 4月 6日 追加

 

wikiによると、イクニさんは「ピンドラ」を製作途中に「ユリ熊」の構想が出来た、とありました。

始め「何かおかしいな?」とは思ったんだよね。アニメ制作は忙しいと聞くのに、ピンドラ制作中に次を考え始めるなんて出来るのかな、と。

 

宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」を書き始めたのが1924年ごろと言われています。

そして銀鉄を書いたのは、妹か友の死がきっかけだと言われいます。

妹トシがなくなったのが1922年です。そして関東大震災が1923年。死をテーマにした銀鉄を描くのに、この二つが関係しているのは間違いないですね。

 

2011年3月に東日本大震災。そして川上とも子さんがなくなったのが6月です。7月からはピンドラが始まっています。そしてイクニさんは銀鉄を元にしたアニメを作っている訳です。

だとしたらどうしてもイクニさんは宮沢賢治と自分を重ねてみてしまうでしょ? そうだったのでは無いでしょうか?

だからピンドラの最中にユリ熊の事を考え始めてしまったのでしょう。

やはりユリ熊は川上さんから始まったのですね。

宮沢賢治は若くして亡くなってしまいました。しかしイクニさんはまだ生きてますね。宮崎駿さんも富野さんもまだ頑張っています。この二人の年齢まではまだまだあるので、イクニさんのこれからの生きざまを見せてほしいですね。

 

2022年 4月 8日 追加

 

ちょっとした事なので、ここに足します。

アマゾンで寺山修司を検索してたら、1973年に寺山さんはアラーキーさんに弟子入りして写真を撮りだしたようです。不思議な人ですね。

それで写真展をやり、名前が「寺山修司幻想写真館 犬神家の人々」だったようです。

もちろん「犬神家の一族」から名前を取ったのでしょう。

だからピンドラの左兵衛の名も、あの回の池で逆さになり足をあげている絵も「犬神家の一族」のパロディをやってたのですね。そんなの分かるかい!

これでエヴァ寺山修司が入っている、と言う暗喩になるのですが、だから誰が分かるの?

 

ちなみに、アマゾンで他の寺山さんの本で「ロンググットバイ」と言うのも見付けました。これもレイモンドチャンドラーのロンググットバイからだと思われます。

犬神家は映画しか見てませんが、面白かったですね。それにロンググットバイも面白かったです。寺山さんはこう言うミステリーも好きだったのですかね?

でもだからピンドラもミステリー調だったのかな? なんて思えてきました。

うーん。どこまで色んな要素を取り入れてるのだろうか? ピンドラ。もはや不気味ですね。

 

あと寺山修司と言う人のある面に、私がひかれるのも分かった気がします。

感覚的に近い人だった気がします。あくまで半面ですけどね。

 

せっかくなのでここで言っときます。

「天才」幾原さんも、寺山修司を前にすると「すごい人」幾原さんに見えます。

天才肌と言うのが必ずしも良い事でも無いのだけど、あの幾原さんより「天才肌」に見えるのだから、寺山修司の珍しさはもはや珍獣レベルです。コロイデスペンギンですね。