号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

授業中に鍋

yahooニュースで面白い記事が出てました。

「大学授業中に鍋を食べたのをSNSに載せ、それの賛否が出ている」というニュースです。

 

このニュースから考えるべき大事な事は何か?

 

私が気になったのは、これから賛否しか出てこない事です。全然ダメです。

 

まずは賛否を考える事は大事です。

いや、そもそもそこから始めるしか無いでしょう。

授業中に鍋を食べるのが良いのか? 悪いのか? です。

ただ大事なのはそこから後の事です。

 

その前に、まずは賛否から。

まず、法律的に良いのか? そして道徳的に良いのか? 社会的には? 宗教的には? 等を考える。これが賛否です。

そして個人的にはどう思うか? も考える。

 

それから、良いとしても悪いとしても、なぜか? を考える。

例えば「ルール上悪い」と結論が出たとして、そもそもそのルールがあっているのか?

もし「法律上悪い」としても「法律が悪く、そっちを直すべきだ」ということすら考えるべきなのです。

 

では逆に「ルール上良い」となったとして、なぜこれが良いのか?

良いとしたら、そもそも何が問題だと思い、この事が気になるのか?

 

そこから、本当の問題は何か?

 

 

まずは良いか悪いかです。

他の人が言っているように、鍋は流石に他の生徒にとって邪魔でしょう。だからダメです。

 

では食べる事自体はどうか?

このニュースのコメントで書いてあって面白かったのが「邪魔にならなければ食べることや飲むことをOKにした」という先生のコメントです。

この人は社会人を対象にした夜間の授業のことだそうで、そうすると「仕事の後で、ギリギリで食べれなく、お腹が空いているよりは食べたほうが良い」という判断だそうです。

なるほどですね。確かにこれだと食べても良さそうです。

ただ、鍋はダメです。流石に邪魔だからです。

だとしたら、パンとかおにぎりになる。それなら邪魔にはならない。

でもね。パンやおにぎりなら5分で食べられる。5分前に席に付けれない人っていますか?

5分前に席に付けれない人は、たぶん仕事で遅れる事も多いでしょう。遅れて良いのなら5分でパンをかじった後で授業をうければいい。

つまり食べる時間がないというのは、普通は成り立たない。

 

でも食べる時間がどうこうは抜きにして、そもそも食べてはダメなのか?

たぶんパンくらいなら邪魔にはならないし、やってもよさそうです。

しかしです。では「体がなまっているので、ヒンズースクワットしながら授業をうける」のはどうか? 腕立ては? 腹筋は? 逆立ちは? 席の一番うしろで他の生徒に見えなけけば邪魔にはならないでしょう。

でもダメでしょ?

邪魔にならなければいい、と言っても、管理が面倒くさくなったり、それでも他の生徒が「気が散る」という事だってあるのだから、ダメになってもしょうがない。

だから飲み食いを禁止したとしても、別に悪くは無いと思います。

授業をうける際の「飲み食いの自由」は、学校側の判断でいいと思います。

つまり、絶対的な正解は無い問題です。だから結論から言えば、どっちでもいい。

 

ちなみに、義務教育ではダメです。

なぜなら「社会的な常識を教える」事も入っているからです。

会社で飲み食いしながら会議をしてはダメです。販売でレジを打ちながら、客がいない一瞬だとパンを食べてもいい、となることは無い。

だから義務教育ではダメだとなっても、それで正解です。

 

 

で、問題はここからです。ここから先を考えれる人にならないといけません。

 

そもそも「食べながら授業を聞く」のも、別にありじゃないのか? と思えるという事はなんなのか?

ここに「そこにいて、授業を聞く理由もない授業だ」と言う事実があるのです。

 

その前に、そこにいなければいけない授業もあるでしょう。

スポーツとか、実験とか、料理実習や演奏などです。

これらの時の飲食は、普通はダメでしょう。実習の邪魔になるからです。

 

では食べることが邪魔にならない授業とは?

それは、ただ聞くだけの授業です。

 

では、ただ聞くだけの授業を、わざわざそこにいて聞く理由があるのか?

今やネットで見れます。そもそも録画でいいじゃないですか?

家で録画を見るのなら、そもそも飲食だろうが、寝そべっていようがどうでもいいのです。

 

では、なぜそこに行って聞かなければならないのか?

それは、勉強が大事ではないからです。

そこが日本の闇だと誰も言わないのが、この問題の本質です。

 

勉強自体ではなく、それをやったという事実がほしいだけです。

そしてそれは「卒業した」という証明がほしいだけに他ならないのです。

今の日本の大学など、勉強など大事ではないのです。

 

例えば、予備校とか英語教室とかなら、別に行こうがどうだろうが関係がない。だから出席だって関係がない。卒業すら無い。

それは「本当に勉強する所」だからです。そこに行って勉強する事自体が大事なのです。

これが本当の勉強です。

 

本当の勉強自体が大事なのだとしたら、出欠席すら必要がない。

私は、卒業証明書など発行しなければいいと思っています。大学でも高校でもです。

では会社はどうするのか? 高校や大学入学の資格はどうするのか? 医者などの試験をうける資格はどうなのか?

それは、その都度大事な事を試験すればいいだけです。

大学に入れる学力があるかは、試験すればいいだけであり、高校に行ったか? とか年齢はいくつか? も関係がない。

医者などの試験も、大事なのは「その知識、技量があるか?」です。なら試験をすればいい。それこそ数日かけてやればいいだけ有り、その分、試験料金を高くすればいいだけです。

会社だって、必要な試験があるのなら、自分らで勝手にやればいいのです。

「うちの会社は、今の東大が受かる学力が必要だ」と本当に思っているのなら、東大入試試験と同レベルをやればいいだけです(そんな会社は無いでしょうけど。つまり実質意味がない試験が大学入試です)。

 

前にも言ったけど、大事なのは「大学で授業に付いていける基礎学力があるか?」が大事なのであり、それのための試験をすることです。

すなわち、車の免許と同じで、ある一定点数以上で全ての人を合格にするべきなのです。東大でもです。

そして、入れる人数を超えるのなら、抽選にするべきなのです。

そう言うと「入れなかった優秀な人がかわいそうだ」等と、それらしい事を言う人がいます。

もし、優秀な人が全て入れる優れた大学が無いのなら、それが問題であり、良い大学を増やせばいいだけです。

でもやってみて下さい。抽選にして、しかも卒業証明書も発行しないという事を。たぶんほとんどの人が、大学など行かなくなる事でしょう。

でも勉強するための場所が大学なのでしょ? 勉強が大事なのでしょ? なら「東大出ました」などという「おまけ」などいらないでしょ? なら卒業証明などいらないし、そもそも在学中のテストすらいらない。

 

 

鍋を食べながら受ける授業などいらないのです。

物を食べながら勉強をしたければ家ですればいい。

映像だっていくらでもネットで見れるのだから、世の中に大事な授業などネットで流して、勝手に見ればいいのです(公立の授業なら可能です。それが小中高でも大学でもです)。

本当に勉強自体が大事なのなら、それだけでいいのです。学校に行く必要すら無い(義務教育は別です。中学までは、これからも学校に行かせましょう)。

 

今のこの国は「その学校を出た」という証明書がほしいだけです。

そしてそれは「格差を作るために必要なだけの存在」なのです。

問題は、その格差の物差しが不完全な所です。今の作りでは意味がないのです。

 

すぐれた野球選手が欲しいのなら、野球をやらしてみればいいのです。

その勉強が必要な資格も、会社も、ただその必要な事のテストをすればいいだけなのです。

 

 

さて「授業中に鍋」の記事から、これらの事を考えられたでしょうか?

考えられなかったとしたら、それこそが、今の日本の勉強のやり方の間違いだと思いましょう。

全ての人が受けた教育。その中で多くの人が「何か間違っている」と気がついている学校の存在。しかし直すことが出来ない国です。

全ての人が「なんとなくはおかしい」と気がついている事すら直そうと考えられないのが、今のこの国です。

いいかげん、この呪いから脱却してもいいのではないでしょうか?