号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ニュースなどを見て思った事。22年7月21日

2022年 7月21日

ニュース等を見て思ったことを書きます。

 

最近は、あまりこのブログで書くことも見当たりません。

結局行き着く所は同じで、だから同じ事を繰り返し言う事になります。

大事な事など、それほど多くはないのです。

なので前に書いた事の繰り返しになる所があるのは、勘弁です。

 

まず大前提が必要なので、小難しい事から言います。

これから私が書く事で「そんな事知ってるよ」「分かってるよ」と言う所がある事でしょう。

しかしこの「知っている」が結構危ない事は理解しておきましょう。

 

例えば「人を殺してはいけない」とは皆知っています。

それは人を殺した人でもそうです。知ってはいるのです。

しかしその「重さ」や「重大さ」が分かってないのでしょう。

 

ここで言う重さとは、それが人の心に与える影響の事です。

例えば子供は大人より残酷な事を平気でします。それは心で重さが分かってないからです。虫の足をちぎったり、カエルに爆竹入れて吹き飛ばしたり。

 

ここで言う重大さとは、その後自分がどうなるか? という事です。

犯人が捕まり、その後後悔したのなら、それは分かって無かったという事です。

 

後悔しようがなんだろうが、人を殺した人は実行したし、「殺してはいけない」事はほぼ全ての人が知っていた筈です。「人を殺してはいけないなんて、知らなかったよ」と言い訳する犯人いないでしょ?

 

ではそこまで極端な特殊な人ではなくて、一般人はどうか?

「内臓が悪いから、酒を飲んではいけないと、知っている人」

「ダイエット中で、食べてはいけないと、知っている人」

「テストが近いので、ゲームはしてはいけないと、知っている人」

いますよね? もちろんそこら中にいる。

ではこの「知っている人達」がそれらをやらないのか? と言うと「知っていても、やる」という事は皆さん知っているでしょ?

つまり普通に知っているけど「出来ない」し「やらない」人がいる事は、皆知っているのです。

 

知っている「度合い」と言うのもあります。

一つは量であります。

「日本を知っている」とは皆思う事でしょう。

しかし人口は? 男女比は? 為替は? 地名や法律等を何処まで知っているのか?

 

もう一つは「強さ」とでも言いますか。

分かりづらいので、これは例で言います。

子供に「車に気をつけて」と言う。そうすると子供は「知っている」と言う。しかし子供は向こうに友達を見付けると、車を気にしないで飛び出したりします。

知っていても、強く思ってないと、急に忘れたり出来ない事があるのです。

 

更に言うと(これは前にも言ったけど)例えば「愛を知っているか?」と誰かに聞いたとする。

その人が色々な角度からの情報を延々喋れたとする。ならその人は愛を知っているのか?

ではグーグルで愛を検索する。色々な角度からの情報が集まる事でしょう。ならグーグルは愛を知っているのか?

グーグル検索なら「違う」と分かると言うのなら、音声認識で「愛とは?」と聞くと、延々愛について自動で喋ってくれたとしたら? その内容が始めの聞いた人と同じ内容だったとしたら? その差はなんなのか?

 

つまり「そんな事は一々言わなくても知ってるよ」と思う方は、知っていると言う事を疑った方がいい。

「知っている」という事がどんな事なのか?

それを知らない人が「知っている」と言う言葉を使ってるとしたら、何を知ってると言うのでしょう。

 

さて、これが前提です。

 

最近ユーチューバーのヒカルさんが「大学なんて行っても意味がない」みたいな事を言ったようです。

それに対してのカズレーザーさんの意見。「大学に行ったら給料が変わるのは事実だから、違いはあるし意味はある」と言うような事を言ったようです。まあそうでしょう。

このニュースでひろゆきさんの前の意見も乗っていて、この人も「大学卒業の方が将来稼ぐ金は多くなる」と言う事実を言っていましたね。

 

さてこのニュースで大事な所は「理想と現実」という事です。もしくは「理論的と現実的」と言ってもいいかも知れません。

これがごっちゃになっていると分かりづらし、違う事なので話している意味すらなくなる。

だからちゃんと分解して話すべきです。

なのにそれをする人が見当たらない。もしかしたら何処かに居るのかも知れないけど、そういう人が世に出てくるべきですね。

 

まず第一に、大学もしくは高校で学んだ学問がなければ、今の職業でやっていけない人がどの程度の割合いるのか? という事です。

これは「大学に行かないとその会社に入れない」とか「大卒でないと必要な試験が受けれない」等は、今は無視します。それは別の問題だからです。

「勉強をする場所」が、そもそもの学校です。その勉強内容が働くのに必要か? と言うと、ほとんどの人に必要が無いのです。

では高校か大学で学ぶ内容が必要だ、と言う人の中でも「必要な所だけを学べば、一年位で覚えれる人」がどれほどいるのか? という問題です。たぶんこれも数は多い筈です。

 

例えばです。

金を払って大学に行くくらいなら、会社がただで(給料を出さず)一年教えればいい。

それだと会社が損をするので、例えば「その後三年は会社で働く」とかしてもいいし、「大学行くはずの金を会社に払う」とかしてもいい(たぶんこの中間くらいにはなれると思う。つまり大学行くよりは安く学べる。そして能力があればそのまま会社に残れる。もし会社に残らないなら、違約金を生徒が払えばいい)。

まあ実際は半分は教えてもらい、半分は小間使いみたいに働き、差し引き給料なし、になるかも知れない。もちろん教える会社はちゃんと教えているか国に調べられるのが前提ですけど。

 

言いたい事は、確かに「勉強をするという場」としての大学も高校も「今の状態なら、半分もいらない」と言う事です。

 

もしくは大学も高校も、一年くらいにして、専門的なものだけを教えるようにする。

そして他の事も学びたいのなら、また一年他の学校に行けばいい。

 

コミニュケーションの場、とか人との縁を作る場、と学校をとらえる人もいるでしょうけど、それは他でやれよ。

例えば地域で16歳から20歳までの、合同体育場所を作るとか。合同体育祭。合同文化祭。合同クラブ(体育や音楽や文化部も)など、それが本当に大事だとしたら、学校などを抜きにした場所を提供する必要があるという事です。

もっと細かく言えば、例えば「20歳までは、雇った会社は、暫定的に、夏休みを何日与えなければいけない」などを決めてもいい。16歳は一ヶ月、20歳は10日とか。

そうする事により、高校や大学の価値は薄れるし、この程度で薄れるならそもそも価値が薄いのです。

 

等など「今の義務教育でない学校は、機能的にみてよろしく無い」という事です。

その上高い学費を払い大学に行くなんて、ほとんどの生徒にとって、論理的、内容的に意味が無いのは間違いがないのです。

(「ほとんど」と言うように、全てではない。しかし半分もいらない。たぶん10分の1もいらない)

 

これは論理的に考えると、今の大学はほとんどいらない、もしくは行く必要もない、となるという事です。

 

しかし現実は違います。

それがどんなに理不尽でも、性能が悪くても、おかしくても、実際としてそうなっているのだから、その上でどうするかを考えるべきです。

つまり実際問題「大学に言ったほうが給料が高くなる可能性が高い」のは事実なのだから、それを狙ったとしてもいいでしょう。

「可能性が高いだけで、絶対ではない」と言うのはそうだが、なら保険なんていらないでしょ? より可能性を高める事自体は間違ってはいない。そもそも絶対なんて事はどこにも無い。

 

だから、カズレーザーさんやひろゆきさんの意見が正しい、となるのだけど、個人的に気に入らないのは「それは実際問題としてそうした方がいい」と言わない所です。

おかしい物があり、それはおかしく、意味がないのだが、そうなってるのだから従え、は良いけど、識者なのでしょ? それから「しかし間違っている世の中なのは、皆自覚しておくべきだ」と言わないのはどうなのでしょう?

大学や高校の勉強の内容が必要ないと分かっている国民は、何千万人もいるはずです。なのに誰もおかしいと言わない。

おかしいことを皆が知っているのに「おかしいと言わない」この国に未来があるとは、到底思えないけどね。

 

始めに言ったように、これは事実と論理や理論(もしくは理想)がごっちゃになって話しているから分かりづらいのです。

だからそれは別々に言うべきです。

これを識者に言うと、どう答えるのか?

もしかしたら「そんな事は知っている」「でも皆知っているだろうから言わなかった」と言わないだろうか?

だとしたら「皆が分かってない」と言う事実を知らない人だと言う事です。

もしくは「世間は知っているつもりになっているが、よく理解してない」事を理解してない人です。

もしくは世間などに説明する気もない人です。

今はSNSも含め、ネットで事細かに説明も出来る(テレビみたく時間がなく細かく言う事が出来ない訳ではないという事です)。

なのに、あきらかにごっちゃになっているこの問題を、分解して話せてる人がどれほどいるのかな? と思えるニュースでした。どうもまともに答えれる人がいなく見えるので、危ない国に見えます。

 

 

他に、少し安倍元首相の暗殺事件について書きます。

なぜ宗教団体の名前が出てこないのだろう? と思っていたら、闇が深かったからでしたね。

そして問題(しかもマスコミも含め、知っている人は多くいたはずの問題)が大きく出てきて、直そうとする機会になったのは良い事だったと思います。

ただそれが暗殺が成功して問題が明るみに出た、と言うのが気にいらない。

亡くなった人達の側に問題があったかのように見えるし、暗殺が後世の危ない人達に正当化されそうだからです。

個人的には、この問題だらけの日本を支えていて変えない政権政党だから、自民党も嫌いだし、安倍さんも「格差があってあたり前」とも見えるスタンスだったので嫌いなのだが、それでも殺される筋合いはない。

例え宗教団体に関係があったとしても、あの位で死ぬ事はない。

これを言うと「知ってるよ」と言うのでしょうけど、皆知っているはずのこの事実を強く言わないので、もっと強く言っといたほうが良いと思ってます。

もう一度言うけど「知っている」のは本当か? という事です。

 

殺した奴が、母が宗教団体に金を渡したのが原因だった、と言ってるようだけど、これも公平に正確に知っておくべきです。

犯人の方で問題なのは、宗教ではなく「ネグレクト」の方です。

ここで宗教の方も問題が大き良いので、2つの問題がごっちゃになり分かりづらくなっているので、これも気に入らないのだが、これは別の問題です。

母が溺れたのが宗教ではなかったらどうだったのか? もしくは元々金もなくただ家に帰らないだけならどうなったのか?

それでも「ネグレクト」だと結果同じ問題になった事でしょう。犯人が狙う人を他の人に変えただけでしょう。

金が家に一文も無くなったとしても、それがなんなのか? 元々一円もない人だっているのだから、やはり金や宗教問題ではなく、ネグレクト問題だと思い、別に考えるべきです。

 

ただそれでもやはり宗教の方も問題があるようなので、それはそれで考えるべきです。

ひろゆきさんが、なにか法律を作りカルト宗教が税金も払わないで好き勝手やっている状態を変えるべきだ、と言う様なことを言ってたようですが、そうでしょう。

法律とは善悪ではなく、あくまで世の中が上手く回っていくためのルールです。双方が納得している売春や賭博やネズミ講がなぜ違法なのか? を考えましょう。あれは善悪の話ではないのです。

だから世の中に良くない宗教団体の問題があるのなら、規制するべきです。ただそれだけの事です。

ただ大事なのは「あの宗教団体に対して」ではなく、どの宗教団体に対しても公平なルールを作るべきだ、というのは頭に入れときましょう。

これも「知っているよ」と言いたい事でしょうけど、世論の多くが「あの宗教団体に対して」と思っているのが不気味なので、あえて言っときました。

これも私はどの宗教団体にも何の気持ちもないのだけど、公平な対応が大事だのは覚えておいたほうが良いで言いました。

じゃないとあの宗教団体を特別扱いした自民党と同じ穴のムジナになってしまいますよ。

 

ちょっと話はずれますが、安倍さん襲撃で「アベガーも悪い」と言っていた人に対してです。

元首相で長くやり、しかも色々上手くも行かなかったし、色々事件に関わっているのか? ともされたのが安倍さんです。

だから悪く言う人だって多くいるでしょう。

だから「殺されたから、悪く言った奴らも悪い」というのは、発想が飛んでるな、と思ってました。ある程度なら悪く言われてもしょうがない立場の人だからです。

もちろん限度があるけど「あいつを殺せ」等とはネットでも言ってないはずです。なら捕まっている。

なら悪く言った奴らも悪い、というのは「誰にも何も悪く言うな」と言うことですね。堀江さんや橋下さんが言いそうなことです。自分らが悪く言われてるからね。

とは言え、これも「この位の事(アベガーが悪い)を言う人だっているだろう」と言う程度の言葉です。大した事ではない。これも公平に見る必要がある。

だからこそなのだが、謝ってしまえがいいのに思いますけどね。謝らなくても「今回は違った」と言えばいい。

この、自分の前の発言を「無かったかのように無視する」事の方が人として信用が出来ない。この意味(どこが問題なのか?)を理解してる人達なのかな?

 

今回の安倍さん襲撃からの宗教問題は、色々入り混じっていて分かりづらいですね。

だからこそ正確に見ておく必要があります。

感情的になり「あの宗教を潰せ」とかなると、問題意識が皆に続かないからです。

世間が理不尽に感情的になればなるほど、政府は誤魔化しやすいのです。

だからあくまで論理的に「誰が、いつ見てもおかしい」と言い続ける事が大事なのです。