号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

頭の体操 5

ここで書くことがなく、書いても前に言ったことの繰り返し、だとは何度も言っています。

それは、物事の考えの基本など「有限」であるという事です。限界がある。

これは、物語でも音楽でもゲームでもそうです。

新しい分野以外の限界は、結構近い。

 

 

IMFの報告により「AIで影響をうける先進国の国民は6割にのぼり、その半分は仕事を奪われる」とニュースで出てきてます。

まず大事なのは、これは「あてにはならない」という事です。もちろんIMF自体も分かっていて出しているのでしょうけど。

 

ChatGPTを出したOpenAIでさえ、ChatGPTがあんなに流行るとは思っていなかったようです。

そもそもやってみるまで、ChatGPTが実際どのくらいの精度を出すのかさえ分かって無かったのです。

(流行るかは世間の気持ちが分かってなかった事であり、精度の方は能力自体の事なので、違うものだが「どっちも分からない」という事です)

だからIMFが分かるわけがない。

 

ただ方向性はあっていて、示せてます。これは地震予測と同じ様なものです(地震も起きるのは分かる。それがいつかが分からないだけで)。

世界に影響を与える事と、仕事を奪うのは本当でしょう。

ただ、どの割合か? はあてにはならない。

(そもそも、このニュース記事だと「いつ」というのがない。今年か、来年か、はたまた10年後か?)

 

それを踏まえても、今回はあっていると仮定します。

だとすると3割弱の人が仕事を奪われる。

これは良くない徴候です。

5割を超えれば怖くはない。みな仕事がなくなるからです。赤信号みんなで渡れば怖くない、です。

そうなればベーシックインカムなどで生きては行けるようになる。

ただ3割というのは、微妙です。もしかしたらその人達はとても困る日常が待ってるかもしれないからです。

 

しかし個人的には、3割でとどまる意味が分からない。

3割いければ、そこから6割位は簡単に行けると思うけどね?

 

たぶんですが、ロボットの事は考えて無いからだと思います。

丁度、落合陽一さんが出してきた外国のロボットの映像が、youtubeで出てましたが、料理を作ってましたね。

もちろん精度が分からないので、まだ疑ったほうが良いのですが、もしかしたらロボットも急激に進化するかもしれない。

そうなると、6割位行ける気がするけどね?

もちろん、まだまだ分かりませんが、可能性は見えてきたと言う事です。

 

さて「AIが仕事を奪う」というと「新たな仕事が出る」という人が必ずいます。そうでしょうか?

それで、それらの人は昔の歴史を持ち出します。「今までだって科学の進化で仕事を奪われて来たけど、新たな仕事が生まれてきた」と言うのです。

言うまでもなく、似たことで例えることは注意が必要です。似てるけど違う場合もあるからです。

 

(また話がズレるけど)

私は例えをよく使います。

それは分かりやすいからです。そしてそれは、感覚的に分かりやすいからです。

辞書を調べると、日本語で説明が書いてある。その言葉を調べるとまた日本語で書いてあります。

そして最後は感覚的に「知っている言葉」になるまで、潜って行くことになるのです(だから英語が分からない人が、英語の辞書を調べても、どこまで言っても分からない)。

だから、感覚的に分かる所まで、例えなどで表していくが大事だと思っています。

 

しかし自分でよく使いながならなんですが、似てるけど違う場合があるので注意です。

イルカと魚竜は似てるけど違うし、タラバガニはカニではありません。だから感覚的では間違っている時もある。

本当にその例えが、この場合でもあっているのか? と考えることが大事です。

 

 

さて話は戻り「AIに仕事を奪われても、新たな仕事が出来る」事についてです。

昔はそうだったが、今後もそうなのか?

大事な事は「どのくらい新たな仕事が残っているのか?」という事実です。

 

 

(またまた話はズレるが)

ひろゆきさんが言ってた事で「仕事の効率がよくなっても、仕事の時間は減らない。なぜなら、人はもっと何かが欲しいと思うので、結局働く」と言ってました。違うと思います。

欲しいと思うものにも限界があるのです。

パソコンは、もう安いものでも、動画も見れるし、ワープロのような物も出来るし、ネットも見れる。はっきりいってこれ以上はいらない人もいるでしょう(ゲームは別ですし、ここからAI関連が流行るかも知れませんが、それらをしない人ならもうこれ以上の性能はいらない)。

昔は夢のアイテムだった、洗濯機も掃除機もテレビも冷蔵庫も、高校生でもバイトで買えます。

今欲しい家電ってなんですか? たぶん「新しい冷蔵庫が欲しい」などと、既存の物の新しいものという人が一番多いと思うのです。

なんども言ってるけど、昔は三種の神器と言われた家電がみんな手に入る、神話の時代に入っているのです。

だから、もういらないという人が多いでしょう。少なくとも半世紀前とは欲しい物や物欲は桁違いに無いと思います。

働くこともしかりです。「効率が良くなり、更に働いて給料を多くもらう」より、「給料同じで、短く働きたい」という人が多いのが現状なのです。

 

さて、また話は戻り「江戸時代などの昔は、ほとんど農家だった。今は農家は少なくなったが、他に仕事で埋まった」という人がいます。

でもそれは、まだまだ欲しい物があったからに他ならない。

もう一度聞きます。欲しい家電はなんですか? もっと働いて、もっと給料がほしいですか? 出世したいですか?

「なら、休みが欲しい」という人が多いのが、現代なのです。

 

その中で仕事を奪われる。

だとしたら、もう新たな仕事などないのです。

 

ではブルーカラーはどうか?

これもロボットが出てきたら少なくなる。

ではロボットの修理、監視はどうか?

それだってそこまでの人はいらないでしょう。働く人の一割養えれば良いほうだと思います。半分仕事が無くなれば、1割増えても、4割は無くなったままです。

(監視のほとんんどは増えるのではなく、置き換わるからです。コンビニの店員がそのままコンビニロボットの監視になる)

 

後は政治の仕事です。

「貧富の差が広がる」と言いますが、先進国では貧富の差を広めるのは政治次第です。単純に税金を増やし、ベーシックインカムでばら撒けばいいだけです。

 

「人のケアをあつくする」と言う解決策も、政治にはあります。

介護などはもちろん、今までの「民事不介入」も止め、隣人トラブルに警官や役人が介入したっていいのです。

いじめ問題だって、その為の人を雇い、問題があったら役人が学校に数人で行って解決すればいいのです。

生身の人がやれる事などいくらでもあるけど、これは政治次第です。

(前にも言ったけど、半分の人が仕事を奪われるとは、半分の人が働かなくても国は今と同じに周る、という事です。だから国レベルで言えば、この半分の人が何をするかは国が考えれば良いという事であり、だからいじめ担当や隣人トラブル担当の役人を増やすことだって出来るのです)

 

なので、別に暗黒世界ではないのです。

ただそれは政治の問題になるので、政治の関心は今まで以上に必要です。

 

もちろん戦争や兵器、そしてテロは怖いけど、それは嫌でも止められないので、対処していくしか無い。

前にも言ったが、AI兵器に対抗できるのはAIしかない。

怖いと言ってAIは止めようとなったら、対抗できるものがなくなるのです。

どっちみち止めない国は出てきて、そこで開発はされるのだからです。

 

まとめです。

自然発生的な新たな仕事など、もうあまり残って無いかも知れない。

あとはどれだけ政治的に解決するかです。

逆に言えば、政治的解決でなら、いくらでもやる事など増やせるでしょう。

 

 

では他の事。

 

ディズニーって、今やマーベルもスターウォーズも持ってるのか。いや聞いた事あった気がするが、どうでも良く無視してました。

ただ、最近のていたらくからすると、同じ会社がトップと言うのは納得がいく。トップがアホだと何をやってもダメだからです。

 

その中でポリコレ問題がよく出て来ます。

ディズニーもマーベルでも出て来るので、やはり同じ会社なのだな、と分かると言う事です。

 

ポリコレとは何か?

ポリティカルコレクトネス、すなわち「政治的正しさ」の事だそうです。

物語で政治的正しさ? すなわちアホだと言う事です。

 

これは、客にとっての正しさ、でもなく

制作者の正しさ、でもなく

ましてや、企業の正しさ、でもない

物語制作で政治的な正しさを求めたと言う事であり、アホ丸出しなのです。

 

政治とは? 辞典では「主権者が領土、人民を治める事」だそうです。

それのどこに、物語を作り売る会社がやる理由があるのか?

 

まず会社なのだから、売れなければならない。

しかし最近は、実際売れてない。

別に黒人が主役だろうが、性別が何だろうがどうでもいいが、それで売れて無いのなら、ただの失敗です。

逆に売れてたら、商売として、黒人が主役でもなんでも良いと思う。

 

次に客にとって正しいか? つまり見たいのか? 面白いのか?

これは売れて無いのだから、同じく見たくないのです。

 

もちろん、とても売れる映画は、時として大して面白くなく、ただ世間受けを狙った物もある。

だから「とにかく売れればいい」と言う訳では無いのだけど、「売れないのは面白くない」のです。つまり最低限は確保してない映画は、ほぼつまらない。

(マーベルズは世間受けはいいらしいけど、売れてない映画は見た人が「見たい人」だけになる。その「元々見たい人」には受けが良かったと言う事です。となると、多くの人にはどうでもいい作品だと言う事です。もちろんそれも否定はしないけど、結局元を取れなくてはやっていけないので、ただの自己満足です)

 

政治的に正しくあれと言うのは、そのメッセージをうたう事で国がまわる、もしくは権力者が喜ぶ、と言う事です。

国がまわると言う事は、国にとって良い事だと言う事です。

国にとって良い事とは、個人が良い事だとは限らない(国の為、もしくは権力者の為、個人を見殺しにしてもいいからです)。他国が良い事だとも限らない(自国の為なら戦争してもいいのです)

すなわち、正義は関係がなく、道徳も関係がないのが、政治です(関係がないが、上っ面はそうなってないと今は支持をとれないから、上っ面は正義ぶってるだけです)。

 

それを一企業の物語制作でやろうと言うのがディズニーです。どうかしている。

もちろん、権力者などにこびを売る必要がある。世間全体にもそうです。

これは「環境に気を使っています」と同じで「気を使ってます」と言う態度を見せ、実際は企業としての利益を一番に考える事が、企業がする仕事です。

国としての事は、国と政治家がする事であり、それを企業がしてる事自体アホです。

(ディズニーのお偉いさんが大統領選挙にでも出るのなら意味が分かるけど、そうじゃないのなら、ただの失敗です)

 

では政治的ではなく、法律的、もしくは社会的な正解と考えたらどうか? 

こっちの方が、性別や人種が問題になる事です。

政治的正解で性別や人種を表そうとするから、おかしいのです。

さっき言った様に、政治的だと、正義ではない。

だから自分の主張を通そうとする奴らが、主張を通すと言う理由だけで利用しているのが、今のディズニー物語です。これが「政治的正解」というやつです。

 

では法律的、社会的正解とは?

それは調べてもらえば分かるけど、法律などルールは「してはいけない」物が多いのです。

例えば、長い包丁をそのまま手に持って歩いたら捕まります(銃刀法違反だったと思います)。しかし鉛筆ならいいし、定規でもいい。持って歩いて良い物は書いてありません。多すぎるからです。

すなわち「してはいけない事」が、法律的、社会的なルールの基本です。

(「してはいけない」が基本だから罰則がある。するのが素晴らしいと言って褒美は書いてない。するのは普通だからです)

(義務も同じです。「しなければならない」は「してはいけない」で表せれる。「納税をしなくてはならない」は「脱税はしてはいけない」と同じです。しかし「してもいい」は多いから表せられない場合が多く、だから基本は「してはならない」で表す、と言う事です)

 

人種問題も性別問題も、大事なのは「差別をしない事」です。すなわち、してはいけない事が基本です。

多くの人種や、特別な性別を、無理やり登場させ推し進めるのがルールではない。あくまで差別をなくすことが正解であり、ルールで定める事です。

だから企業は商売として「彼ら彼女らを登場させる事で、売り上げが上がる」と判断したならそうすればいいのであり、皆が求めて無いのに無理やり登場させるのが正解では無いのです。

 

ちなみに、私は黒人のリトルマーメイドは嫌いです。

でも人種差別ではない。あれが日本人女優でも嫌です。

単純に皆が求める人を採用するべきです(もちろん。黒人を使う事で売り上げが上がれば文句は言えないが)。

個人的には、両方で撮れば良かったと思うけどね。黒人と白人両方で撮ればいい。ちなみに個人的に東洋人マーメイドはいらないけど(分かってるだろうけど私は日本人で、日本人が好きだが、これは意味が違うと言う事です。エディーマーフィーの役を白人がやっても嫌です)

 

もっとちなみに、日本で視聴率を持っている人でマツコ・デラックスがいます。これが日本です。アメリカだとありえないそうです。

差別があるアメリカだからこそ、無理やり引っ張り出す必要がある。

差別が少ない日本だと、無理やり引っ張り出す必要がないと言う事です。

もちろん日本でも差別はある。結構ある。

しかしなれたら溶け込むのが早いのも日本です。少なくともアメリカほどの根の深さが無いのです。だからマツコもそうだし、昔出てたボビーとかサンコンとか、受け入れられる。

ポリコレとか言って、無理やり登場させるしかないうちは、アメリカは差別の国だと思った方がいい、と言う事です。

本当に差別がなくなれば、役者が白人ばかりだとか言う事は、誰も気にしなくなるのです。

 

とにかく、会社と言うのは、おかしいのは雰囲気で分かる。

いや、おかしな雰囲気が外から見て分かる時は、かなりおかしい時です。肝臓がんみたなものです。

だからディズニーは責任者がおかしいのでしょう。

早く更迭するべきです。

もしその人が才能があるのなら(他の経営部門とかで)、才能がある部分だけにさせ、物語制作には係わらせない方が良いでしょう。

 

アメリカという国の、ディズニーと言う有名企業でこの程度なのだから、考えるという事は、まだまだ必要だと思わせるニュースでした。

 

 

23年1月18日 追加

 

この書き方だと分かりにくかったので、少し足します。

 

「ポリコレ関係なく、単純に面白くないのが問題だ」と言う人がいます。その通りです。

 

まず第一に、私が言いたかったのは「ポリコレと言う物につられ、客が見たくなる物語制作がほったらかしだ」と言う意味です。

 

第二に、物語上いらない多様性を入れる事で、物語の足を引っ張っている。

これは俳優や役柄だけではなく、製作者側の選び方にもかかっているようです。

 

そのいらない要素が、そこまで大した事が無いのだとしても、そのマイナス要素を直す事が出来てない。

例え小さなマイナス要素であっても、それを直す事が出来ない人達は、大きなマイナス要素だって直せないのです。

 

例えば、万引きし放題の国があったとします。しかし重犯罪、強盗や殺人は厳しく取り締まっている国、って言うのを想像できるでしょうか?

小さな犯罪を無くす事が出来ない国は、大きな犯罪も無くす事が出来ないのです。

 

だから私は「会社がおかしな時は雰囲気で分かる」と言ったのです。

ただ面白い物語を作るのだけでも難しいのに、ポリコレと言う、物語の面白さには必要がない要素に振り回されている会社は、既に会社自体が失敗しているのです。

物語制作上の小さな問題を直せない会社は、大きな問題だって直せる訳が無いのです。

 

 

あとは、単純に「飽きられた」と言う人がいます(特にヒーロー物は)。

これもあってはいます。

だから興行収入が少なくなったのは、ポリコレよりも飽きられた影響が強いでしょう。

ただ、元が取れてないのは意味が違う。赤字は意味が違うのです。

赤字ならやらない方が良い。

つまり「飽きられたが、ちょっとはプラス」ならやれば良く、それがちょっとしか儲からないのは、飽きられたからかもしれない。

しかし赤字はやっている事自体、失敗なのです。やらないのが正解です。

その判断が出来て無いから、赤字映画を作っている。

赤字映画をやるかどうかは、アホかどうかの問題であり、飽きられたのは関係がないのです。