号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

運と実力

「運と実力」について書きます。

 

前にも書いたのだが、あらためて考えると、分かりづらかった気がしてきたので、もう一度書きます。

(分かりづらいのは、自分の中で内容を端折っているからだと思います)

 

努力出来る能力も、遺伝的に生まれつき決まっている。

努力出来る状況、すなわち、社会的状況、環境的状況、経済的状況、そして時代、全てが運で決まるのだから、それらが影響する「実力を得る」事自体も運である。

だから全てが運である。と言う人がいる。

たぶんあっているとは思う。

 

ただ、その答えから生まれてくる事だと、間違った考えや感情が生まれやすいので、注意が必要です。

 

まず「運」とは、結果からしか分からない。

あくまで結果から「あの人は運が良かった」と言う事実が分かるのみで、未来の事は分からない。

 

だから何かをして成功するかは「運」次第かも知れないが、その運があるか無いかは、誰にも分からないと言う事です。

だから運次第だとしても、やってみないと、まず成功はしない。

 

「まず成功しない」とは?

これも運で決まっているのだろうけど、運にも限度があるという事です。

一億円以上の宝くじの一等を、一回当たる人は確かにいるけど、10回当たる人はいない

(だまら「まず」が付く。「ほとんど」成功しない、と言う事です)

 

野球選手になりたいのに、子供の頃に野球の練習をしなければ、野球選手になることはない。

(これは、もしかしたら、天文学的確率で、野球の練習をしないのに野球選手になれる人がいるのかも知れないけど、その確率はたぶん地球がなくなっても現れない位の確率だろうと言う事です)

 

つまり、運次第だろうが何だろうが、野球選手になりたかったら、野球の練習をするしか無いのです。

運次第だろうが何だろうが、やる事自体は同じだと言うことです。

 

これは他の事でもそうです。北海道にいて、明日の東京のライブに行きたいと思ったとする。

なら行くしか無い。

家でゴロゴロしていて、運良く明日東京にたまたまいる人は、いない。

本当に行けるかは運次第だが(地震や台風で交通機関が止まったりして)、行こうとやってみない人は、まず間違いなく東京にいる事はない。

 

だから、未来の運は、やってみないと分からないのだが、やるしかない。

 

ただ過去の運は分かるとは言いました。

野球選手になりたいと思っても、まず女性は無理です。身長が遺伝的に低くても無理です。そもそも病気を持っていたら、無理です(心臓病などの)。

明日東京に行くのも、台風が来るのは前から分かっているし、金がないのも分かっているなら、まず無理です。

これら、未来でも無理だと分かっている、決定している「運要素」もあるのは事実です。

(ただ、塞翁が馬のことわざのように、本当に運が悪いのかはわからない時があるのは言っておきます。東京のライブに行けたら、東京で車にはねられるかもしれないからです)

 

生まれつきの才能も、今一分からない時もある。

野球の才能があったから上手くいった人はいるだろうけど、才能はあったのに努力しないで失敗した人だっているでしょう。

努力出来る遺伝子を持ってるかも運次第だが、それがどの程度かは分からない。

普通より2倍努力出来る遺伝子を持った人がいたとして、その人が3倍努力してたら、褒められても良くないですか?

 

これらだって「そうであっても、それが出来た事も、また運だ」という人もいるでしょう。

では、運だとしたら、何が問題なのか?

 

まず実力です。

これは運だろうが何だろうが、実力があるのは褒められるべきです。

大谷翔平イチローも、実力が付いたのにも運が関係してたとしても、実力があるのは本当であるので、だから褒めるでしょ?

少なくとも「実力がある」と言う事実は認めるべきです。

 

努力もそうです。

出来た事が運次第だろうが、死にものぐるいで頑張っている人は、頑張っているのです。

364日野球の練習を、本気でしている高校球児の努力は、「運」で出来たのだから、どうでも良いですか?

運だろうが何だろうが、実際努力はしているのなら、それはそれで認めるでしょ?

 

「全て運」とは、どちらかと言うと失敗した人の事で、大事な考えですね。

「失敗したのは、運がなかっただけ」かも知れない。

 

成功した人の方で言うと「思ったよりは運なのだから、偉そうにするな」と言う戒めです。

 

これは「成功したのは頑張りや才能ではなく、運が強かったかも知れないだろ」と言う事にも係っています。

こっちの方は、一度成功すると、かなり成功率が上がる物に強くかかってきます。

つまり「お金持ちになれるか?」の事です。

お金はあればあるほど、より稼げる可能性が上がるのだから、一度成功して金持ちになれば、その後はそれほどの運も才能も必要が無いからです。

株などの投資で、年10%成功した人がいたとする。とある人より、始めのお金を100倍持ってる人は、得られる金も100倍になるので、当たり前の事です。

 

私は前に「成功するのは、運と実力の掛け算だ」と言いました。今でもそうだと思っています。

ただ、これはこの後の未来の事です。これから成功するには、運と実力の掛け算だと言う事です。

 

これは「運も実力も、どちらかが0に近かければ、成功はしない」という事です。

そして、実力も運も最大値が大体決まっている、という事実が大事です。

プロ野球選手なら、目をつぶってバットを降っても、ある確率でホームランを出せるでしょう。しかし毎回この運だけでホームラン王になれる人はいない。つまり運にも限度があるという事です。

もちろん実力にも限界がある。足の速さも投げれる球の速さも、人の限界は大体決まっています。

だから「どちらかがとても大きいから、どちらかが小さくてもOKって事は、無い」と言う事です。

最大値が大体決まっているのだから、野球選手は、運がよく、実力もある人が野球選手になれたのです。

 

さっきも言ったように、でも「実力を得れたのも運だろ」というかも知れないけど、運であっても「実力が、あるか無いか」はその時点では決まっています。

だから、「ある地点から未来の成功を占うには、実力と運の掛け算だ」と言っているのです。

 

そして運が関係していても、実力があるためには、努力が必要なものだったら、それは褒められるべきだと思うのです。

野球選手になりたければ、練習をするしかない。

いつも鼻水がたれている人は、恋人は見付からないのです。

だから、運だろうがなんだろうが、努力をして、実力をつけるしかないのです。

 

そして実力を得れる運を持ち、苦労して実力を得たとする。

しかし、そこから更にまた運が必要なので、決して成功は約束されてないのです。

約束はされてないが、努力をして実力を得られなければ、成功はない。

もう一度いますが、野球練習をしたこともな人が、運だけで野球選手になることは無いからです。

 

ただ「実力と運の、どちらかの要素が多い時もある問題」もあるのは言っておきます。

さっきも言ったように、お金持ちになるには運が大きいです。いくら勉強して良い大学いっても、年一億円稼げるかは運です。

配偶者(恋人)などもそうで、運良く自分にあった人に出会えなければ、いくら実力があっても無駄です。

(理想の人がこの国に何人いると思うのか? 100人だとします。

別に付き合わなくても、なんとなく話すくらいの人が、年に新たに10人だとします。それだと10年で100人です。

この国には、たぶん自分に近い年の年頃の異性が100万人はいるでしょう。100万分の(理想の)100人は、1万分の1です。

10年で100人しか知り合わなければ、まず会うことも無いのです。理想が1万人もいれば、大体会えるという事ですが)

 

ちなみに「運も実力のうちだ」という人がいます。

これは、「運かどうかは分からない時があるので、実力って事にしておこう。そうじゃないと、全て運になってしまい、実力を認められないから」という事です。

つまり「運も実力って事にしておこう」という、実用上そうしているだけの意味です。

例えば、「怪我をしなかったサッカー選手は、運が良かったのか? 練習をしていたのか? 気をつけていたからか? は分からないから、怪我をしないのはサッカー選手がすごい事にしておこう」という事です。

(だから、正確には、運は実力ではありません)

 

 

まとめます。

運だろうがなんだろうが、結局やる事は同じです。努力あるのみです。

やれる事は、努力して実力を付けるしか無いのです。

実力を付けるとは、確率を上げるという事です。

逆に言うと、確率を上げることしか出来ない。

 

「全て運だ」と言っても、それは結果でしか無いことは知っておきましょう。

「運」とは、結果を判断する時に使える言葉なのです。

未来を見ているのなら、誰にも分からない運を気にしても、意味がないのです。