号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

夢は見るものではない、叶えるものでもない、考えてみるものです。

yahooニュースのトピックで「東大入学式のスピーチがsnsで大絶賛」と言うのがありました。

 

前から、いつか「得意なものをやるべきか? 好きな物をやるべきか?」を書こうと思っていて、いいタイミングなので書きます。

 

東大入学のスピーチ内の事で、ここでは「夢」について言ってます。

「本当に好きなことをやらないと突き詰められない」「ナンバーワンは難しくてもオンリーワンにはなれる」「人生のリスクとは、失敗のリスクではなく、行動しない現状にとどまるリスクだ」と言うような内容だそうです。

分かりますけど、典型的な成功者目線からの話です。

 

もちろん、成功者から意見を聞くのも大事ですが、全ての人が成功するわけではないので、いや失敗する時の方が多いので、あくまで「一例」として聞いとかないと、痛い目みますよ。

 

このyahooでは素人のコメントが乗ってますが、これが良かったです。

「夢にはレベルがある。絶対夢を叶えると言える人は、その時点で恵まれている。恵まれた能力と環境を与えられている。夢を持てる人は出来ることがいっぱいある人。ぜひ頑張ってほしい」とありました。

その通りです。

しかも最後は「その恵まれた人達は、出来ることが一杯あるので、頑張ってほしい」と言う終わり方なのが良いですね。ただの妬みではないからです。

 

さて、私の考えです。

夢と言っても色々あり、大きな夢から小さな夢までです。

プロ野球選手になりたい」とは大きな夢でしょう。百人に一人もなれないのだからです。

だからそれら大きな夢から小さな夢までを、全て同じで考えてはいけないですね。

大きな夢であればあるほど失敗の可能性は大きくなります。

だから「失敗する可能性もある」と言わないのは詐欺師ですね。

でも考えてみて「失敗するかも知れないが、やらないともっと後悔するからやってみたほうが良い」と思えたのなら、試してみれば良いのだと思います。

 

ただ、東大のスピーチで言ってたように「夢は叶う」と論理も意味も証拠もなく突き進んだ人が、成功する可能性が高いのも事実です。

だから「信じて行け」と言うのだろうけど、失敗する人の事を考えない短絡的なスピーチですね。

人生は一回なので、証拠もなく突き進んで成功した人は、100%成功したという事です。だから失敗することが分からない。

ゲームみたく、何度も人生を試せれば、成功するのにも運が必要だと分かるのだけど、無理です。

だから成功した少数の人は「必ず成功する」などという。自分がそうだったからです。意味など無いのです。

宝くじだって一回買って当たる人だって、どこかにいる事でしょう。その人が「宝くじは買えば当たるのだから、買うべきだ」と言ってるようなものです。あてには出来ない。

しかしそれを信じた人が多くいれば、その中から本当に当たった人が出てきて「本当だった」とまた広めるのです。

当たった人だけが「必ず当たる」と言って広めるのだから、そりゃそうなのです。

 

もう一度言うけど、何も考えず「必ず成功する」と思っていたほうが成功しやすいです。

「失敗するかも?」と思いながらやると、どうしても心が折れるからです。

だから成功者ほど何も考えず、スピリチュアル的に成功すると信じていたりするから、たちが悪いですね。

だから成功すると言ってるやつほど、考えはあまりないですね。

(あの成功者で大富豪、ジョブスがなぜ死んだか、考えてみましょう)

 

一番は、やはり「失敗するかも知れない。しかしやってみるべきだ」と言うのが良いと思います。

 

で、問題は何か? って事です。

それは日本ですね。チャンスがない国だからです。

大学生が卒業後、数年俳優を目指したとする。その後失敗して就職しようとした時、決して現役で入れる会社には入れませんよね? これが問題です。

数年夢を目指した人は「プラプラした奴」「輪を乱す奴」とレッテルを貼り、現役と差別する社会が良くないのです。

これはその個人の問題ではなく社会の問題です。大人の問題です。

なのに、まるで夢を追う人や、夢を諦めた人個人の問題かのように言ってくる、この国はどうかしてます。

夢を追って、破れたのなら、その人にもそこからチャンスを与えるような国でないと、いけないと思います。

 

アメリカはチャンスの国だそうです。

これは「挑戦を認めよう」と言う風土があるという事です。

挑戦を認めない日本は、あれこれ問題があると、今は皆思っているでしょ? なのに直せないのが問題です。

 

「頑張っても成功しないかも知れない。しかし挑戦した人も差別しないので、やってみろ」という国に、いつかなる事を願います。

 

さて、よく言う「好きな物をやるべきか? 得意な物をやるべきか?」問題です。

これは、仕事でも品物でも配偶者でも同じなので、覚えておいたほうが良いでしょう。

結論から言いますが「好きでいられるのら、好きなものを選べばいい」という事です。

 

問題は、得意なものでないと、いつかいやになって、嫌いになって行くことです。

それは仕事でも異性でも同じです。異性の方は上手くやっていける人か? ただ好きな人か? という意味です。

 

好きなものだから我慢できやっていけたものが、段々嫌いになった時どうなるか? もちろん「何も残ってない状態になる」という事です。

得意なものは、好きでも嫌いでも「得意だ」と言うのは変わらないのだから、やってはいける。

 

なので「得意なもの」ではなく「好きなもの」を選ぼうと言う時は考えてみて下さい。

「今後、ずっと、好きでいられるのか?」という事をです。

でなければ「好きでなくなる僅かな時間だけだ」と分かっていて、それを選ぶかです。

 

さて始めの東大のスピーチの事ですが、ここでも「好きな事をやれ」と言うような事を言ってました。

これもそうで、この言ってる人は「嫌いにならないですんだ」人だっただけです。

嫌いにならないですんだのは「そこそこでも成功したから」です。

 

人は、あまい事を言う人を信じたくなります。

「夢は必ず叶う」等と言う人です。

そんな幻があるのなら、誰も苦労はしない。

かなわない可能性が高いから「夢」なのです。

必ず、皆が叶うのは「夢」ではない。

 

成功した人が だからこそ嫌いにならずにすみ、だから好きな事を突き進むべきだと言う。

この事が分からない、まだ若い子供を騙している様に、私には聞こえるのです。

もちろん騙す気は無いのでしょう。ただ自分でも分かってないだけです。

 

夢とはなにか?

それは、最後は自分で考えないと、いけない物なのです。

誰も君の人生に、責任は取らないのだからです。