映画「ゴジラ-1.0」見ました。感想、ネタバレです。
「はい、せいかーい!」、見に行きましょう。
ゴジラ70周年記念作品だそうです。
正解を出すのに70年掛かったって事です。大丈夫?
ただ、たまにこういう正解が出て来るので「世の中捨てた物じゃないな」と思えるのです。
もちろん、全ての人にとっての正解などはない。
しかし、大多数の人にとっての正解はある。
何度も言ってるけど、バットマンの正解は「ダークナイト」です。
この作品は「シン・ゴジラのアンチテーゼだ!」と言いたい所ですが、シンゴジラの方が珍しいし、おかしいカルト映画の作りなので、こっちの方が正攻法です。
私は最近、ハリウッドのゴジラでキングギドラの奴やメカゴジラの奴等もみてます。
そしてシンゴジラも含め、多くのゴジラが70年かかり作られてきました。
その中で、新たなゴジラを作り、ちゃんと正解に持っていく事が出来た事におどろいたし、感動しました。
いや、正直言うと、今まで正解にたどり着けなかった方が、おかしいと思っているのですけど。
これはゴジラだけの問題ではなく、映画自体の答えの話です。
映画も含め物語とは「人を描く物」と言う、基本であり当たり前な事が答えなのだと、あらためて思える映画でした。
この映画はちゃんと人を描く。
物語とは(普通は)人目線であり、人が主役なのです。
その為に、戦後すぐにしてしまう。
これが見事です(まあ実際は、初代ゴジラにかけてやっただけかもしれないけど)。
自動追尾のミサイルなどが無い時代なので、人が大事になり、人目線でどうにかしないといけない時代だからです。
それにより、人が直に戦っているのが、分かる作りなのです。
主人公にとって、戦中のトラウマからゴジラ自体が向かうべき敵になってるのもいい。
あくまで人が主役だからです。
シンゴジラは政府が主役です。
これはウルトラマンやヤマトの流れがあるからだと思っています。
しかし、政府側が良い人なのは嘘っぽいですね。
もちろん、庵野さんも分かっているから、シンゴジラで政府の偉い人は皆殺し、次の世代のまともな人達が解決する話にしたのでしょう。
これは「そうあってほしい」と言う話(政府がちゃんとしていてほしいと言う事)になるので、別に間違ってもいないのだけど、ちょっと塩梅が嘘っぽいんだよね。
だから、政府と言う謎の集まりにしないで、個人の集まりにしてしまうのが良い。
そうは言っても、ゴジラ位の問題で、個人で関係するのは、普通はおかしい。
だから、戦後すぐの時代にする事で解決したのが今回のゴジラです。上手いです。
(戦後すぐはまだゴタゴタした時代で、出来そうな人が、素人でもやらしてもらえる時代だからです)
(それに素人だとは言っても、戦争に行ってるから、やって来た人達です)
ちょっとは文句も言っておきます。
「人の話になっている」と言っても、もちろん完璧ではない。
やはり最後生きてるとか、ありきたりです。主人公もヒロインもです。
ただ「ありきたりが良い」とも言えます。
問題はありきたりな結果ではなく、その演出ですね。
ちょっとつまらない演出だったかな?
例えば、主人公に「これが脱出装置だ」と整備士が言わないで、「この解除スイッチをぶつかる二秒前に押せ」だけ言っておいて、実は助かった方が良くないですか?
あと、例えば子供がけがをしたかのように見せて、それで最後おばさんが駆けつけて、子供の事で急いで病院に行ってる様に客には見せて、病院に行ったら実は典子は生きていた、の方が良くないですか?
役者も、いい役者をそろえましたね。
これも、良いけど、みんな見た事があり過ぎて、役者にしか見えない所が問題と言えば、問題ですけどね。
さて、ゴジラとは何か? です。
「ゴジラは核兵器の暗喩として描かれた」と言うのは、有名な話です。
そこをちゃんと捉え、しかも現代風にアレンジしたのが「シン・ゴジラ」でしたね。
しかし、もっと象徴的に言えば何か? 言い方を変えれば、もっと根源的に言えば何か?
と考えた時、出て来たのが「ゴジラとはトラウマの暗喩」だと言う事です。
トラウマでよくあるのが「恐怖」です。これは過去はもちろん、未来にありそうな恐怖も含まれます(トラウマとは過去の事だろうけど、過去の出来事から来た未来の不安も含まれるでしょう)。
トラウマとは「恐怖」だけではなく、例えば戦後すぐで言えば「自分だけ生き残った」事や、「誰かを救えなかった事」、「戦争で負けた事」、等も含まれます。
戦後の初代ゴジラは核の暗喩だろうけど、それは「核に対する恐怖」すなわち「トラウマ」の事なのです。
そして初代ゴジラでそれを解決するのは、どういう意味か?
「科学の力と、人々の力で、それを乗り越えられる」と言うトラウマからの解放の物語だったのです。
そもそも宇宙戦艦ヤマトもウルトラマンもそうですが「戦争で負けたが、今度こそは正しい力を発揮して、今度こそは勝つ」と言う、戦後のトラウマ解放の物語です。
それが初代ゴジラもそうだったのです。
ゴジラを、その根源的な暗喩である「トラウマの象徴」にしてしまったのが、今回の「ゴジラ-1.0」だったのです。
主人公の「恐怖」の象徴であり、それを言いかえれば「戦争のトラウマ」の象徴がゴジラでした。
(今回のゴジラは「怖かった」と言われているようです。恐怖の暗喩だからですが、上手く表せていた、と言う事です)
そして世間にとっても「どうする事も出来ない物」と言う事で「敗戦の象徴」であり、核兵器から生まれた「核兵器の象徴」であるゴジラを倒す、と言う物語です。
(ゴジラは戦前からいたのだろうけど、途中の核兵器の実験でもっと狂暴な物になった、と言う描き方だったと思います)。
ゴジラを倒す事が、主人公の戦争の恐怖からの解放になっていたので、上手い具合に「人の物語としての問題点の解放」と「ゴジラを倒す事」が重なり合った、見事な作りでした。
さて、おまけです。
初代ゴジラで銀座和光の時計を壊したようですが、これを和光の人はとても怒ったようです。縁起でもないと。
そして今回、どうするのか? と思って見てたら、他は壊れたのに銀座和光の時計の所だけは残ってましたね。よかったね。