号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

文句の文句

映画「ゴジラ-1.0」の感想をyoutubeなどで見てたら、良くないと言う意見が結構多くて驚きました。

いや、あってます。間違ってはいない。

しかし批判する人達も批判されるべきだと思うので、その人達の意見の批判でもしようかと思いました。

 

サッカーでいつも批判しているセルジオ越後さんっているじゃないですか。あの人も嫌われてますね。

私は、セルジオ越後さんに対しても、批判する人がいるべきだとは思っています。

しかしセルジオ越後さんも必要だと思っています。悪く言う人も必要です。

ただ、それを受け入れろ、と言うのではなく、あくまで一意見として聞いて、文句があれば言え返せば良いだけの話です。

 

もちろんこれは、いつも文句を言っている私に対してもそうです。

私の意見もただの一意見として見て、それで悪く思えばそれで良いと思っています。

大事なのは、自分で考える事です。

 

 

意見として「時代設定などおかしい」と言う人がいます。

時代設定としてゴジラがいる事がおかしいのだから、そりゃおかしいのです。

もちろん言いたい事は分かります。物語として「もし、あの時代ゴジラがあらわれたら?」と言うのが初期設定であり、それ以外は事実にもとづかないといけないのが、物語の基本です。

全部嘘で良いのなら、ファンタジーにして「全部嘘です」とすべきで、戦後にしたのなら、ゴジラ以外は事実に元ずくべきです。

 

ただこれは、どの程度が許されるか? と言う度合いの問題です。

どうしてもお金の問題などで出来る事や設定上、時代設定がおかしい時がある。監督自身の能力もありますが。

これはあの時代をよく知っている人に対して「許せますか?」と聞くしかない物です。

例えば、物語の職業物は、その職業の人だとほぼ見てられない位バカバカしいものです。

警官なら、警察物など馬鹿らしい。軍人もそうで、ほぼ軍人が出る物は嘘ばかりです。消防士物もそうだし、物語のサラリーマンだって嘘の塊です。

だから「嘘だ」と言う人は、映画見るたびに毎回そう言わなければいけないのだが、そう言ってるのかな?

もちろん「今回は許せる度合いを超えた」と言いたいだけかもしれないけど、ゴジラが出て来る映画で「事実と違うのが許せない」と言うのか? 他の怪獣が出て来ない映画で、もっと言うべきじゃ無いのかな?

(色々おかしいのは間違いはないでしょう。私も「震電、残っててもまともには飛ばねえだろ」とは思いましたし「脱出する物語なのに、後ろプロペラの震電を使う所が雑だな」とは思いましたが、大事なのはそこでは無いから無視しました)

(本物の震電の後ろプロペラは、脱出時外せるように作ろうかと思っていたようです。それに映画の脱出装置も、この時代あったドイツ製にして、それらしく考えられてはいるのだそうです。それでも高度が低すぎるから、この頃の性能だとパラシュートが開くのがおかしいのだそうですが、まあ考えてはいたようです)

 

アメリカが出て来ないのはおかしい」と言う人がいたけど、そんなのいくらでも理由は考えられるだろ? 考えられない方がおかしいのだと思う。

ソ連に気を使い」と言っていると、鵜呑みにしている人がいたけど、あれは「世間に対する言い訳」であり、本当の理由は他にあっても良いのです。

あれが上手いのは、アメリカも日本政府も、シーンで一切出さなかった所です。出したら嘘っぽくなる。出さないから、裏でどんな理由があって出て来ないかを、勝手の想像できるのです。

 

 

役者に対して文句を言っていた人がいました。

佐々木蔵之介吉岡秀隆も、あれはゴジラ映画に出て来るキャラ枠だから、あれでいいのです。C3POとかと同じです。

問題があるとすれば、キャラではいけない唯一の人、神木隆之介です。

悪くはないのだろうけど、思ったよりきっちり演技をする人だな、と思いました。まるで演劇でも見てるかのように、はっきりした演技をする。

つまりはっきりし過ぎて、綺麗すぎるのです。

(これらを神木の演技のせいにするのは酷です。全体的な流れを教えれなかった監督のせいでしょう。ただデニーロとかなら、ここからでも魅力的には持っていけるんだよ)

 

これは絵作りもそうです。

綺麗すぎるし、明るすぎる。不穏さがなさすぎる。

この事を言うのなら分かるけど、佐々木とか艦長とか、他の人の事などどうでもいいだろ?

 

 

神木隆之介の感情が分からないと言う人がいます。それに対する「いや分かるだろ」と言うネットの感想もあった様に、分かるだろ。

分からないのは物語上のキャラ設定です。

人がブレるのはあっていて、だからはっきり分からない動きを人はする。

だから本当の人ならあってるけど、物語だからそこは(普通は)分かりやすくするべきです。

その物語上のキャラ作りが上手く行ってない事を、頭で分かって無いから「神木の行動が分からない」などと言うのです。つまり分かってない自分自身のせいです。

もちろん、キャラ作りが上手く行ってない事自体はあっていますが。

 

「神木が女に手を出さないのが分からない」と言うのもありました。

でも説明してたろ。「戦争が終わって無いから」と。

でもそうは言ってもおかしいと言う事だろうけど、これは「神木は普通と違う人だ」と言う物語なので、別にあっている。

これの問題も「キャラ作りがおかしい」と言うべきです。

物語上のキャラとしての作りの方が間違っている、と言うべきなのに、それが頭でまとまって無いから神木の行動がおかしい、などと言うのです。

 

この「行動がおかしく理解出来ない」と言うのを素人なら言っていいけど、プロなら「物語上のキャラの作りの方がおかしい」と言うべきでしょう。

なぜなら人の行動自体はおかしくは無いからです。神木は普通よりずれた人だから、行動自体はおかしくはない。こんなのも、いるにはいるでしょう。

こんなのもいる事自体を知らないのなら、それはただの世間知らずです。

 

もっと言えば、神木の行動の作りのおかしさよりも、実はもっと大事なのは「神木に魅力がない」事の方です。

これは神木の演技もさることながら、作り自体に魅力がある様になってないのが問題なのです。

神木に魅力があれば、このようなちょっと変わった所があっても、誰も文句は出て来ない筈です。

これは典子もそうです。彼女も人としての魅力がない。

(これもさっき言った様に役者のせいと言うよりは、監督が演技指導を出来なかったせいでしょう。ただもう一回言うけど、素晴らしい役者はここからでも、魅力的にもっていける)

 

「何か気に入らない」と言う感情から「神木の行動がおかしいからだ」と言う答えを出している。

これは素人の考えです。

プロなら「神木に魅力が無いのが、全ての元凶だ」と言えなければいけない。

言えないから、彼らはみな、ただの素人です。

 

 

しゃべりすぎ問題も言ってました。言葉で説明し過ぎると言うのです。

これもあっています。

言葉を言わなくて通るかを考え、言わなくても通るなら言うべきではない。

しかしこれを言う人って、ここを直せば全て良くなるとでも思っているのかな?

私がこの辺の事を文句で言わないのは、これが気になるなら、全てダメです。

まるっきり基本から全て直さないといけない。

そうじゃ無いと、プロの監督を唸らせる、人間物語にはならないでしょう。

つまり名監督ではない事に文句を言ってるのです。

 

じゃあどうすれば名監督になれるかを言って欲しい。

言えないのなら、下から言わないといけないでしょう。

よくは無かったと言う感想は、言う権利はある。しかしリスペクトは忘れてはいけない。

良く出来ているのなら良く出来ていると褒め、その上で「もうちょっと上を目指せる内容なので、おしい」位にしとくべきです。

みな大した事も言わない癖に、どうも上から目線です。イラっとします。

 

 

人間の物語にしようとしたのなら、もっとそれ自体を頑張るべきだ、と言ってた人もいました。これもあっている。

しかし批判している人は、そもそも人間を語れる人達なのか? 政治を、経済を、歴史を語れる人達なのか? 歴史の中から、その時代の人々の感情が良く分かっている人達なのか?

人間を語っているのを聞いた事もない人達が、今回の映画では「人間を描くのが下手だ」みたいな事を言っている。

人間を語れない人達が、人間を語っていないと言っている。どうかしてないか?

彼らは「あの監督は一流じゃない。二流、いや三流だ」と言っているのです。あっているけど、これを言っている人達は、映画を語るのに、三流にもなれない人達じゃないか。

何言ってるの? まずは自分を見ましょう。

せめて山田玲司さんくらいなら、まだ語って良い。

しかし文句を語れる人ほど語らない物です。

それは分かっているからです。

分かってない人ほど、文句を語りだす。イラっとする。

 

 

この監督が一流の「人を描く監督」ではない事は認めます。

しかしゴジラゴジラです。

こういう人は、天ぷらそばの天ぷらに文句を言っている人です。

「こんなの、一流天ぷら屋で出せる代物ではない」と言っている。

私は天ぷらそばだとすれば、天ぷらも及第点は行っていると思っています。

そして総合の天ぷらそばとして、良く出来ている。

 

 

戦争を語ってないと言う人がいる。

核の問題を語ってないと言う人がいる。

これもあっている。

しかし私は「戦争と核の問題を映画化した」と言う作品がもしあり、それにゴジラが出てきたら、怒ります。

戦争や核などの問題で、ゴジラは出すべきではない。

いやフィクションにも、するべきでは無い。

言葉で、みんなで語り、問題を追及していくか、ノンフィクションの本当にあった話を見せるかです。

ゴジラが出て来た時点で、これらの問題はただの「フレーバー」なのです。おまけです。

もちろん「おまけ」でも意味がある。興味がない子供達に雰囲気を伝える事が出来るからです。

しかし本当の問題を大人に言う時は、ゴジラにはしないでしょう。

 

これはシンゴジラに怒ってた園子温監督もそうです。

あの原発事故を安易に語った事に対して怒ったようです。

しかし、ゴジラにした時点であくまで「おまけ」です。それが分かってない。

映画は映画ですし、ゴジラゴジラです。

本当の問題を、フィクションの映画やゴジラで語ろうと言う方が冒涜なのに、気が付いてない。

 

戦争を語ってないと言う人は、でも自分では戦争を語らない。

核問題を語らない、と言っておきながら、自分では語らない。

語れない人が、語れてないと文句を言う。語れないのに、何を知ってるの?

 

 

この映画でダメだと言う人は、他の映画はもっとダメでしょう。

これでダメなら、他のゴジラはボロクソに言うべきです。

セルジオ越後さんは、それでも筋は通っている。いつも文句を言ってるからです。

しかし今回のゴジラの文句を言ってる人は、じゃあいつもボロクソに言ってるのかな? 言っていれば筋が通っているけど、言ってないのなら、どうした?

 

どうも今回の文句を言う人は、決まって監督の名前を言う。

たぶん「この監督は文句を言って良いのだ」と思っているのでしょう。

確かに完璧ではないし、粗も多い。

しかし今回はまず褒めるべきです。それから問題点を言うべきです。

そして問題点を的確に言えるのならいいけど、言えないのなら下から言うべきです。

 

ゴジラと言う、皆が作って来たのに、今までこのレベルすらなかったのです。

それは有名過ぎる作品にありがちなのですが、色々な思いや感情が出て来てしまい、上手く行きにくいからです。

実際上手く行ってない。

シンゴジラはやはりカルト映画であり、正攻法ではない。

沢山作られたが、正攻法で正解を出せたのが今回だけなのだから、それは素直にほめるべきなのです。

例え完璧でなくてもです。

 

文句を言っている人達は「俺が描いてほしかったゴジラでは無かった」と言ってるだけです。

それはただの素人の感想です。

その「気に入らない」に頑張って理由を付けてるが、能力が足りず、あいまいな事ばかり言っている。

もしくは自分が言えるレベルを探し出し、細かな事を指摘して、重箱の隅をつつくのみです。

その素人でも分かる意見しか言えないのなら、本当に黙っていてほしい。邪魔なだけです。

 

やはり文句を言う権利がある人は、あまりいない。

youtubeだと、岡田斗司夫さんや、山田玲司さんくらいですね。

じゃあお前はどうなんだ? と言う人もいるでしょう。

例え私が、文句が言えない人と同じ穴のムジナであっても、それは「私も含め皆クソだ」と言う事でしかない。

私がどうであれ、結局みんなクソである事には変わりはないのです。

 

 

23年11月22日 自分の為の、メモ的に残す為に追加します。

 

宇多丸さんのラジオの音声がyoutubeに出てたので聞きました。

 

はじめに、正直私は、宇多丸さんの意見は気に入らない時が多い事は言っておきます。

つまりヨイショではないと言う事です。

単純に今回は良いと思ったので、残そうと思い書きます。

 

宇多丸さんが言っていた「こうした方が、良かったのでは無いのか?」と言う物です。

最初のゴジラが出て来た時、あの時「ただそこの島に居た」のではなく「日本軍が来て目を覚まさせてしまった」とするべきだと言うのです。

そうする事により、ゴジラが生まれた事が、日本軍の戦争のせいになり「戦争で起こした悲劇と恐怖の象徴」になる。

だからゴジラを日本だけ倒す事が「日本の戦争の決着」になるし、他国の人にとっても「戦争の責任を日本が取った」となる、と言うのです。

その通りです。なるほどです。

 

ただ、それを無視した監督の気持も分かります。

そもそも監督は戦争を描く気が無かったのでしょう。

あくまで舞台装置としてこの時代が大事だから使っただけです。

それにそれもあっている。上で私が書いたように戦争を描くならゴジラでやるべきではない。ゴジラの時点で、戦争もただのフレーバーであるべきです。

 

ただフレーバーだと言っても、味付けを間違ってはいけない。

だから戦争自体の暗喩としても、気を付ける必要はある。

宇多丸さんが言ってたように、ゴジラを日本軍が起こした内容にしても、大して時間もお金もかからず、出来たでしょう。

これは簡単に多くの事が解決出来たし、何もマイナス要素が無く簡単に出来たのだから、そうするべきでした。

なるほどです。

 

他に、最後神木が戦闘機から脱出する時「私は神木が知らずに、勝手に脱出すればいい」と言いました。

しかし宇多丸さんは、前にちゃんと神木に脱出装置を説明しとくべきだ、と言うのです。

そので「俺はお前を一生許さない。しかし生きろ」と言って、神木自身に最後どうするか決めさせるべきだ、と言ってました。

これもその通りだと思います。

 

監督が、神木が知らずに脱出させなかったのは「自分で生きる事を決めさせたかった」と言う理由だとは思ってました。

それを通すのには、宇多丸さんが言ってたようにするのが良いでしょう。

 

ただそうすると、神木が死にたいと思っている様に、物語をする事が前提です。

「俺が生きてるからみんな不幸になる。だからゴジラと共に死ぬべきだ」みたいなシーンが必要でしょう。

 

他に宇多丸さんが言ってた細かな事では「写真を持っていたけど家族に返すべきだろう?」と言ってましたが、あれはあのままで良いでしょう。

それは彼にとって「戦争が終わって無いから」です。

それに家族に返しに行く勇気もないでしょう。

だからこそ、最後の戦闘機に乗る前「家族に返しに行き、死のうとしている」と言うシーンにすれば良かったかもしれません。

 

他にも「整備士を呼び出す為に嘘の手紙を出したが、人としてあれはない」と言ってました。

これはその通りです。

ただ神木のキャラとしたらあっている。

前に言った様に、彼は変わった変な奴なのです。

ただ、普通に世間にいるにはいる、変な奴です。

 

これも問題は、物語上の使い方のほうです。

変な奴キャラにするのなら「変なキャラから普通になる」とするべきか「魅力的ないい奴にする」必要があるのです。

魅力的に出来れば「一応探せばいる、変な奴キャラ」は通るからです。

主人公は「いそうな奴」で、しかし「ちょっと変な奴」にするのが定石だからです。

それがないとただ変な奴でしかなく、何をしたいのか見ている人に分からないのが問題なのです。

 

これとは別にマクガイヤーさんのyoutubeも無料分は見ました。

やはりこの人の動画もいい。問題は見ててつまらないことぐらいです。

マクガイヤーさんや、今回の宇多丸さんくらい言える人が、映画の事を語ってほしいですね。

 

 

23年11月27日 追加

 

山田玲司ヤングサンデーを見て、相変わらずGHQが出て来ないと言ってたので「だからどうとでも考えられるだろ?」と言う意見を書いときます。

実際、まともな人は考えられると思っていたのに、この事は皆言うので、しょうがないから書きます。

 

例えば、アメリカはあのゴジラに注目している筈です。兵器として使えるかもしれなからです。

だから国を挙げて調べた筈です。

その結果「あのゴジラは核実験の影響を得ている。どうやら核エネルギーが体内に蓄積してるらしい。だから下手に攻撃すると爆発するかも知れない」と思った、としてもおかしく無いでしょ?

「いや、そんな事は非論理的だ」と言う人もいるでしょうけど、ゴジラの存在が非論理的です。

あれが成立するのなら、この理論を信じたとしてもおかしくはない。

もちろん「爆発するかもしれない」位でしょう。はっきりは分かてない。

 

だとしたら?

そもそもアメリカ人は、東京にはもういない。逃げている。

 

しかもアメリカが攻撃をして爆発をしたら、日本に何とみられるか分からない。アメリカが東京を吹き飛ばしたと思われるかもしれない。

なら、日本人に処理してもらおう。それで爆発してもアメリカのせいではない。

そこで「これは悲劇だった。アメリカも復興に力を貸す」と言えば、日本を味方にできる事でしょう。

 

「東京の人を逃がせよ」と言います。

あれも誰かが足を引っ張っている可能性もある。しかも占領軍で、実質全てを握っているGHQが絡んでいるのかもしれない。

 

なぜゴジラは人が多い東京に来たのか? それは分からない。

アメリカは色々仮説を立てるだろうが、はっきりとは分からない。

だから、単純に人が多い所に来るのかもしれない。音の影響とか、もしくは卵を産むのに餌が多い所か?

だとしたら、東京の人を逃がしたらどうなるか?

結局、他の人が多い都市に向かうかもしれない。大阪とか。

だからGHQはわざと政府に「それをしても、他の都市を攻撃されるだけだ」などと言い訳を日本政府にしてたかもしれない。

では他の都市も人が逃げればいいのでは無いのか? その通りです。

しかしもし日本を避け、あの辺の人口が多い都市に上陸したら?

それは中国では無いのか? 

そもそも南から北に上がってきて東京です。だから日本の都市に人がいなくなったら、中国に向かうかもしれない。

 

中国向かって、そこでソ連に捕まったら?

もしくは攻撃され、しかし爆発はしないで、ソ連に死体を取られたら?

あのゴジラが作れたら、明らかに強力な兵器です。それを東側に取られ訳にはいかない。

 

もちろんアメリカはそう思っても日本にはそうは言えず、だから誤魔化すだけでしょう。

情報が上手く回らない様にして、逃げるのが遅れるようにするとかです。

 

絶対アメリカは「あのゴジラをどうにか捕獲できないか?」などと策を練っている途中の筈なのです。

何か出来ないかと、色々策を練っている途中で、時間稼ぎをしている。

まさか日本がゴジラを倒せるとは思っていない。

しかし実際は、なぜかあの作戦でゴジラを仕留めれたのです。

理由は分からないけど。

 

そもそもが、あの体重を支えて陸に二本足で歩ける生物はいない。

そもそも、口からあのような攻撃が出来る生物もいない。

あんなに再生力がある、大きな生物もいない。

だから、何が弱点なのかは、誰にも分からない。

あの作戦は「未知の力で動いているゴジラの弱点を、たまたま引き当てて倒した」と言うのもだったのです。

 

他にも、ヤングサンデーでは「ヒロインの性格変わり過ぎ」とも言ってました。

あれはそもそもが良いとこのお嬢さんで、戦争中に逃げている途中「そんな態度だとなめれれるよ」と一緒にいた誰かに言われ(その人も死んだ)、ガサツな態度を演じるようになった、と思って下さい。

 

他に、「神木が他の特攻した同僚の事を気にしない」とも言ってました。まあその通りですけど。

神木は「周りが見えてない、自分に精一杯の、ただの子供」と言う役柄です。

だから「女に手を出さない」「恐怖が先に立つ」「周りが見えてない」「写真を親族に返すなどの頭も働かない」と言う事です。

 

だからこそ神木ではなく、もっと幼い子供っぽく見える役者を使ったら良かったのでしょう。

しかし山田さんが言ってたように「監督は色々制約がある中で作った」のだろうから、有名な役者を使わざるえなかったのでしょう。

だからそこは酷だと思いますけどね。

 

これらは「人の行動がおかしい」「設定がおかしい」のではなく「物語としての作りがおかしい」のであり「説明が足りない」のが問題です。

 

ただ無理な所を諦めて「出さない」と言う判断は褒めて良いでしょう。

GHQもヒロインの過去も出さない事です。

 

何度も言うけど、確かに名監督ではない。

ただ、他人の文句を言う前に、それが成立するかも知れない事を考えられない程度の人が、文句を言うべきでは無い。