ちょっと前に見て、書こうと思ったが、頭痛くて(風邪かな?)書く気にならなかったので、youtubeで検索したら山田玲司さんのが出てきましたので、見ました。
それにそれを見たからか、youtubeのお勧めで、NHKの昔の番組で小津の事をやってたのが出て来たので、それも見ました(この番組、山田玲司さんも見てるね。言ってた事が同じなので)。
ただ、一番はwikiの内容が参考になっています。
初めから話はずれるけど、このNHKの昔の番組、たぶん1993年のです。
そして小津ブームがあっての放送だったようです。
93年なのが面白い。Ⅴガンダムの年ですね。
そしてドラマ「高校教師」の年です。
つまりこの時はバブル後なのです。
バブルで浮かれ、しかし弾けて挫折して、若者も世間も訳が分からなくなっている時です。
だからこそ、バブル前の昔の日本の良い所が出ている、小津作品が若者に刺さるのが、分かるのです。
何かに支えられたいと言う思い「小津作品」。落ち込む心「高校教師」。そして怒り「Ⅴガンダム」。それに加え、まだ何とかなる筈?「ジュリアナ東京」と言う色々な気持ちが、この頃の流行に係っているのが、今になると面白いのです。
95年を象徴している物語で言えば、「エヴァ」になるのです。
さて、ここから更に90年昔に戻り、1903年、小津安二郎が東京深川で生まれます。
「東京物語」は普遍的な家族の問題などを描いてある、等と言われているようです。
もちろん、嘘ではないし、間違ってもいない。
ただ、どうしてもその時の場所や歴史の影響はあります。
それを無視したら、その時作られたこの映画の、あの感じが分からない事でしょう。
日本は幕末から激動です。
そこから二次大戦まで突っ走って行き、そこで挫折します。
その時、価値観ががらりと変わる。
そして復興、そしてまた経済成長を成し遂げて、また失敗してバブル崩壊です。
この激動の時代に生きた人達は、その時々で感覚が大きく違うのです。
ましてや、日本がおかしくなった二次大戦をはさんだ頃に生まれた人達は、大きな違う時代を二度生きた筈なのです。まるっきり違う時代をです。
その時の話が、東京物語です。
この映画のおじいさんは、60代でしょう。そしてその子供の長男は40歳位か? もしくは、もう少し上でしょう。
1953年公開のこの頃、小津安二郎は50歳です。つまりこのおじいさんと子供の間の年だと言う事です。
つまり、どっちの気持も半々分かる年頃だと言う事です。
ちなみに、この長男の子供が13歳だと言ってました。だから宮崎駿や富野由悠季位の年になります。そして長男の子供の次男が「団塊の世代」なのです。
つまり、この映画の長男は団塊の世代の親の世代です。
そしておじいさんが、団塊の世代の、おじいさん世代だと言う事です。
司馬遼太郎は「日本は第二次大戦ら辺だけ、異常でおかしかった」と言ってたようです。
それに対して半藤一利さんは「その時代だけおかしいなんて事は無い。歴史とは繋がっていて途切れてはいない」みたいな事を言ってた筈です。
これはどちらもあっています。ただの見方、言い方の違いでしょう。
歴史は連なっている。0だったのが、ある時だけ100になったりはしない。
例えば、日本のおかしさを縦で表し、時代を横とで表した表なら、グニャグニャした線になるでしょう。
ただ波線でなっていたとしても、あの第二次大戦時は突出して高い尖った波になっていたと思うのです。だからあの時だけ突出しておかしかったのは、間違いが無いでしょう。
団塊の世代の親とは、戦後に20代から30代だと言う事です。
つまり戦争前に教育を受けている。日本が一番おかしかった時の教育を、子供時代に受けているのです。
そして戦争に行く。そして死ぬか、生き延びたら戦争に負ける世界が待っている。
そうしたら今度は「今まで言ってた事は嘘でした。間違ってました」と言われるのです。
ではその後どうしたか?
実は良く分からない。分からないのは、この時代の人の叫びは、あまり後世に聞こえて来ないからです。声高に騒いでいるのは、大体その後の世代、団塊の世代です。
だから、たぶん困惑してたのかと思うのです。だから黙っていた。
困惑したまま、しかし生きて行かなければならず、一生懸命生き延びようとした世代だと思うのです。
それが東京物語の長男の世代です。
長男たちは、声では言わないけど、親世代に不満はあった筈です。
言いつけられていた事が嘘だと言われ、しかし復興しなければならない。
親の世代の言葉など信じられなくなっていた事でしょう。
それは親の世代もまた、分かっている。この映画のおじいさん達の事です。
戦争にしてしまい、子供たちを殺してしまった。
そして子供たちは頑張って復興していかなければならない。
だから、色々感情があっても、子供に文句を言わない。
この感じが、東京物語のおじいさんと、長男たちの感じに出てますね。
この時代の、言葉では言えない感情が分からなければ、あの子供達はただの親不孝だと思う事でしょう。
しかし実際は、そうでもないと言う事です。
この時はちゃんと理由がある。
もちろん、長男たちも、実の親のせいだとは思っていないから、親自体には怒りは無い。
でもだからこそ、怒りのぶつけ先が無い。
無いからこそ、どうもはけ口が無いのです。
それを復興と言う、分かりやすい、共通の新たな強敵に、ぶつけているだけなのです。
見れば分かるけど、この子供達は別に悪くはないですね。普通です。
物語上でも言ってるけど、この物語のおじいさん達は「まだましだ」と言う事です。
この親族に厳しいのは、日本の特徴です。
そしてここには日本の美学があると、私は思っています。
外国は他人に冷たく、親族にあまいですね。
これは東洋の中国でもそうです。
だから西洋、東洋関係なく、日本が珍しいだけです。
日本では客には優しい。旅人にも優しい。それが隣に住んで隣人になると、急に厳しくなりますよね? だから身内に厳しいのが日本です。
でも私は、他人に厳しく身内に優しいよりは、他人に優しい方が人として正しいと思っています。
もちろん、「身内に厳しい」位ならいいけど、「身内には強くあたる」ような人は論外なのは言っときます。
身内とは、半分自分なのです。
だから、身内に厳しいのは、自分に厳しいのです。
この感じが外人にも分かれば、世界はもっと平和になると思っています。
(もう一回言っとくけど、これは悪い要素もあって、内弁慶になってはダメです。そこは分けて考えないとダメです)
この映画は、外国で受けたようです。日本でも受けたようですが。
日本で受けたのは、時代を表しているからでしょうけど、まだテレビが無かったのもあります。「渡る世間は鬼ばかり」みたいに、テレビが出てきたら、家族の話などはテレビじゃないとうけなくなります。映画の方は「テレビでは出せない豪華な物」になっていきますね。
外国で受けた一つの理由は、映画自体と言うより、この頃の日本の美学が受けたのもあると思っています。古き良き時代の日本の良さがあるからです。
この映画で気になって、思ったのは「東京を描く気は無いのだな」と言う事です。
始めは「小津は東京に興味がないのだな」と思ったのですが、段々それだけじゃない気がしてきました。
「東京を描いてない」どころではなく、「東京は描いてないと強く言いたい」のでは無いのかと思えて来たのです。
高い所で原節子と東京を見るシーンがあります。あそこもなぜ景色を映さないのでしょう?
その他にも、夫婦だけで歩いている時に「ここで迷子になったら、もう会えないじゃないのか?」と言うシーンでも高い所なのに、景色を映さない(このシーン上野の西郷さんの所だそうですね。武蔵野大地の東端で、昔は東側は海だから崖なのでしょう。ジュラクの上ですね)。
この二つが不自然過ぎて、もはや映さないのがわざとかと思ったのです。
(バスに乗り、皇居と銀座和光あたりは出て来ますが。ここは小津の生まれた深川から結構近くですね)
もう一つ、なぜ尾道なのか?
ここは景色を映します。戦後なのに焼けずに建物が残っているようです(話上でもわざわざ戦禍にあわなかったと言ってましたね)。
なぜ戦争で死んだのが次男だけなのか?
小津が次男です。五人兄弟で、兄が一人、妹が二人、弟が一人の兄弟の次男です。
これは東京物語と同じです。
つまり、死んだのは、小津なのです。
死んだのも小津、そして最後に尾道の残されたおじいさんもまた、小津自身だと思っています。
おじいさん役、笠智衆は1904年生まれで、小津の一個下です。つまり裏で自分と重ねていると思うのです。
戦争で死んだ、戦争前の心を持った小津。
実際の小津は実は生き残ったが、取り残された、いや、取り残されるべきだと思っている小津。
その両名です。
尾道が、昔の日本です。戦前から残された風景がある、戦前の日本。良くも悪くもある、戦前の事です。
東京が未来の日本です。これが良くも悪くも、未来の日本なのです。
古き良きものが捨てられ、新たな日本になる。
それは、止めれない。
しかも、止めてもならないのも知っている。
自分らが壊した日本を、復興している若い人達の新たな日本を、否定はできないのです。
原節子は、昔の良き時代を残した次の世代です。
しかし、戦争で帰ってこない次男を待っている。
だからおじいいさんは、「待ってなくていい。新たな人と幸せになれ」と言うのです。
戦前の亡霊の事は忘れて、新たな世界で生きて行けと言うのです。
しかし、それが原節子なのは「そうであっても、出来れば昔の古き良き感情だけは、捨てないで持って行ってほしい」と言う叫びです。
叫びだが、叫べない。それは小津が死んだ亡霊であり、過去(ここでは尾道)に一人取り残されるべき人だからです。
焼けた東京(壊れた日本の事)を立て直す、新たな人達を止める事などできない。
戦争を作った人達だからです。
だから東京を描く気が無いと言うより「あれは東京自体ではなく、あくまで新たな日本の象徴」と言いたいが為に、東京を強く描く事を否定した気がするのです。
(皇居も銀座和光も東京と言うより日本の象徴ですね。過去と未来の象徴です。だからこそ次の年54年に和光の時計は、ゴジラに壊されるのです)
さて、細かな事です。
確か看板で「トリスウィスキー」とか「ジュエル靴クリーム」とかあったと思います。
ウィスキーはまるっきり外国だと言う事ですが、靴クリームも靴なので外国の象徴です。外国に染まっている事を表している。
(ジュエル靴クリームって、この頃あったのですね。今でも池袋が本社で、池袋あたりにはいくつかの看板が建物に残っています)
(トリスウィスキーもサントリーなので、ジュエル靴クリームともども国産品と言う事か。外国に染まっている日本の象徴ですね)
長男の家では土手があったので川の近くだろう? とは思いました。
東京駅から遠いとあったので、荒川区か? 北区か? 板橋区か? と思ったのですが、足立区でしたね。
足立区を出す所が、結構面白い。
長男は今一上手く行ってないと言ってました。東京とは、良くも悪くも、そう言う所だと言う事だろうけど、住んでるのが足立区にするのが、流石小津は東京生まれですね。
今はともかく、当時は足立区の場所によったら、かなり田舎臭かったと思います(これは板橋区でも田舎だったようですので、練馬区とか足立区はもっとそうだったと思ったと言う事です)。
「東京を描いてないと言いたかった」とは言いましたが、それでも「東京を描く気が無い」のも、深層にはあると思っています。
描きたい気持ちがあれば、「東京物語」と言う題名の映画を作るなら、ちょっとは描くでしょ?
なぜか? それは東京生まれだからです。
私は「生まれ故郷と、親兄弟は似ている」と思っています。
生まれ故郷(田舎)とは、象徴的な親族だと思うのです。
「うちのおやじ、ムカつくんだよねえ」と言う娘に向かい、「そうだね。君のおやじはムカつくね」と言ってやれば、「あんたにそう言われたくない」と反撃される事でしょう。
親とは大体そんなものです。
それは、田舎も同じです。「あんな田舎、何もない」と言う人に向かい、「本当なんにもない田舎だね」と言えば、ムスッとされることでしょう。
だから、感覚的に、田舎とは親族に似ていると思うのです。
東京物語でも、親には冷たいが、死にそうだったら忙しくても駆けつけるし、死んだら泣くのです。だから、親族の死は普通あんなもんでしょ? あの映画の子供達は、別に悪くはないですね。普通です。
親とは、近すぎて、よく見えないし、考えないし、大事さが亡くなるまで分からない物なのです。
つまり、東京生まれは、東京に興味がないのです。
親と同じで当たり前の存在で、よく見えてない。
小津は東京生まれです。だから興味があまりないのでしょう。
ちなみに宮崎駿も東京生まれであり、東京は描かない。
逆に東京を描くのは? 新海監督に細田監督です。どっちも東京を美しく描くが、東京生まれではない。
私は美しく描く人は、半分しか見えてない人達であり、実際を知らない人達だと思っています(海獣の子の原作者が埼玉県民だと言うのが面白い訳です)。
知っている人に描いてほしいのですが、知っている人は描かないです。面白いですね。
ただ、小津安二郎は10歳位で三重に移り住んでいます。そして二十歳くらいでまた東京に戻って来る。
つまり、実は「半分東京っ子」だと言う事です。
(10歳までと言うのがまた微妙。もっと若くて居なくなってれば、東京生まれの感じは少なくなり、もっと遅くまでいたら、もっと東京人っぽくなった筈なのです)
この「半分」と言うのが良い訳です。
ちょっと客観的にも見えるからです。
前に言った様に、映画の中の団塊の親世代と、おじいさん世代の間が小津です。
そして次男なのもまた、間を取るのが上手かった筈です(実際に長男か? 次男か? 三男か? で性格が分かると言うデータもあるようです。間の次男は、間を持つのが上手くなりがちなのだそうです)。
そして半分東京で、半分田舎育ち。
戦争も行ってるが、日中戦争時で、大東亜戦争時ではない(それでも大変だけど、熾烈を極めた時では無いでしょう)。
二次大戦時は、映画人としてシンガポールにいっただけですね。
(言いたいのは、三島みたく、行かないトラウマはない。行った辛さはしっている。しかし食べるものが無く、皆死んでいくような事は無かった筈です。つまり行った事自体のトラウマも無いでしょう。だから言い方悪いけど、丁度いい経験をしたと言う事です)
つまり小津とは、結構どっちも分かる間にいる事が多かったと言う事です。
この良し悪し両方が見える立場にいたから、その両方を捕らえて、単純にマルかバツではない物語が作れた気がするのです。
それが東京物語だった気がするのです。
小津は監督業を「自分は橋の下で客を取っている娼婦の様な物だ」みたいな言い方をしてたようです。
私はこの感じが好きなのです。
綺麗事ではすまない世の中を知っている人だけが、言える言葉だからです。
もちろん「たかが映画監督」だけではなく「されど映画監督」と言う心がある人だから、この自分をさげすんだ言葉が通るのです(されど映画監督と言うのは、映画自体を見れば分かりますよね?)。
この後、戦争を知らない子供達、団塊の世代たちは、綺麗事をのたまう様になって行きます。
綺麗事が通ると思っているただの世間知らずが、私は嫌いなのです。
ただそうは言っても、その世代の親たちがその子供、団塊の世代にちゃんと説明して育てられなかったのが原因です。
その親が、東京物語の子供達の事なのです。
そして話が戻りますが、それは困惑して自分達も良く分かって無かったからです。
それは更にその親、つまり東京物語のおじんさんの世代のせいなのです。
それを分かっているから、おじいさんは何も言わない。小津も何も言わないのです。
この「何も言わない」が小津たちの残した呪いです。
東京物語のおじんさんは子供達に文句があるが、色々もらってもいる(物理的にも心理的にも)。東野英治郎に「お前は良い方だ」と言われてたでしょ?
長男たちもまた、言葉に出さない文句もある事でしょう。しかし憎い訳では無い。
私もまた、小津安二郎の事は、たぶん嫌いでは無いでしょう。
しかし小津世代に文句もある。
その文句を言葉にした方が良いのでは無いのか?
東京物語でも、言えば良かったのでは無いのか?
「言わないのが美学だ」で本当に良いのか?
なので、呪いを断ち切るために、私は小津に対しても、誰に対しても、文句を言っていこうと思うのです。
東京物語は、あの時代の問題だけではなく、日本の問題も含んでいるのです。
日本人は、その様な事も考えて、この映画を見るべきなのだと思います。