号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

私ではない、君たちとは誰か?

アニメ映画「君たちはどう生きるか」見ました。

ネタバレ、感想、考察です。

 

まず、言っとかなければならないのは「ナウシカ2ではなかったですね。ごめんなさい」と言う事です。

ただこれは、宣伝が無いという事で成立するのは「ナウシカ2」だけしか無く、あれだとただの宣伝の失敗だと思います。

だから、あれこれ文句を言おうと思ったのですが、映画を見たら、そんな事はどうでも良くなりました。

 

最後エンディングロールの時、不覚にも泣きそうになってきて、どう誤魔化そうかと困りました。

だって、あの作りの、あの終わり方で、泣くやつなんかいないからです。

あれで泣いてたら、ただの変な奴なので、困ったと言うことです。

 

【 まず初めから見ていって思ったのが「やはり最後の物語であり、また宮崎駿人生の総集編なのか?」という事です。

二次大戦時だし、物語やフィクションの話です。

だから「41年生まれの宮崎駿自体の事かな?」とみんな思うはずです。

 

見ていっても、どうも宮崎作品のセルフオマージュだと思えるので、やはりそうなのかな? と思えます。

 

でも「風立ちぬ」よりは全然マシです。

おじいさんの、昔話で聞いてられないのは自慢です。

仕事の話や女の話、などになると、美化された自慢話になりがちなのが、人というものです。

それが風立ちぬでした。

宮崎駿の自分擁護であり自己肯定であり自慢です。だからいらない。

ただ、思ったのは宮崎駿自体は「自分擁護」ではなく「創り手全ての擁護」だったのだと、最近は思えてきました。少なくとも、そう思って作ったはずです。

ただ、そう思って作ったが、実際に結果としてできたものは、ただの「自分擁護」です。だから嫌いです。

 

しかもあの作りなら、他の実写の得意な監督なら、もっと客の心を打つ作品を作れたことでしょう。実写映画として。

だから宮崎駿がやる必要もない。

 

でも今回は宮崎駿の「子供の頃の思い出」です。

だから、いやらしくないのです。

自慢ではなく「こう生きてきた」と言う話だからです。

 

】っと、言う風に考察できるように、宮崎駿は作ったのだと思います。

 

つまりまた「自分の物語か」と客に思わせようとしたのでしょう。

(この作り、田園に死すと同じであり、エヴァと同じです。分かっていてやったと思うのですが……?)

 

でも、どうでしょうか?

君たちはどう生きるか」です。

この前には、あきらかに「私はこう生きてきた」が付くでしょ?

 

主人公、眞人が宮崎駿かと思って見てましたが、段々違うように思えてきました。

あの鳥人間のあの鼻、手塚治虫っぽくないですか?

それに謎のおじさんの服、ナウシカキャラっぽいですよね?

謎のおじさんの子孫が、眞人の母であり、また不思議な力をもつ、死ん少女です。

 

謎のおじさんが積み木を並べて、なんとか世界を保っていました。

そして、眞人に仕事をつげと言う。

しかし眞人は断り、現実世界に帰る話でした。

 

主人公、眞人ですよ。

「しんじん」じゃないですか。

シンジ君です。

 

やってきました。

これらの「何やってるか、よく分からない物語」の主人公と言えば、庵野さん一択なのです。

 

宮崎駿庵野さんに、壊れゆくジブリを継げという(鈴木さんのほうかも知れないけど)。

しかし継ぐこと無く、ジブリに留まらないのが庵野さんです。

不思議な力をもつ母とは? これがナウシカでしょう。

そして死んでしまう。つまりもう作らないという事ですし、庵野さんにも作らせはしない。

そしてナウシカではないけど、似たような母が出来たのだから、それと仲良く生きていけ、という物語でした。

 

富野さんが最後(本人は最後だとは思ってないだろうけど)Gレコで、自分のやっている事、やって来た事、にちゃんと決着を付けてきます(これも富野さん自身は、途中であり決着とは思ってないだろうけど)。

Gレコ自体が上手く行ったとは思わないけど、ちゃんと自分のやって来た事に決着を付け、問題点を直し、現実の問題に書き直し、次の世代に続く物を残したことは、本当に感服します。

(もう一度言うけど、富野さん自体はそう思ってはいないかも知れないが、結果ちゃんと直してくることが、誠実な大人だという事です)

 

しかし宮崎駿は最後「風立ちぬ」で自分擁護の自己肯定です。本当に気に入らない。

と思っていました。

 

しかし「君たちはどう生きるか」で、自分の成り立ちと、次の世代の成り立ちを重ねる事で、皆同じだと思わせる。

自分の作品も、他人の影響されてきた作品にも、敬意を残す。

自分の作品に敬意を残すことは、それが好きだと言うファン達に敬意を残すと言うことです。

 

そして最後、崩れ行く夢の世界(ジブリ)の住人の、死にかけているおじいさん(駿)と、不思議な力をもつ少女(ナウシカ)はいなくなるが、次の世代の「君はどう生きるか?」と繋がっていくことを示したのです。

ナウシカは不思議な世界と共にいなくなってしまうが、次の世代を作り上げたのだから、無駄ではなかった、と言う話でもあったのです。

ナウシカ2」ではなかったが、映画「ナウシカ」の後のナウシカをメタ的に表した作品でもあったのです。

(ちょっとズレるけど、母の名は久子です。「人気などが」長らく続いた子だと言う事でしょう。ピンドラの久宝もまたナウシカだと思うのですが、これもまた久しく宝という意味で、同じ漢字が使われているのが面白いわけです)

 

富野さんみたく、最後、宮崎駿もまた、自分の作品に決着を付け、次の世代に「私はこう生きてきた。こういう世界を作っていた。しかしそれらももう崩れてなくなる。さて、その後の君らは、どう生きるのか? 考えろ」というメッセージを残してくれました。

ちゃんとした大人であったのだと言うのが分かり、そして本当に最後かも知れないと思い、映画の最後で泣けてきた、と言う話でした。