号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

呪いでもあり繋がりでもあり存在表明でもあり生存戦略でもあり、愛でもある。

呪いでもあり、繋がりでもある。

存在表明でもあり、生存戦略でもあり、愛でもある。

その心は?

桃果ですね。

 

映画「RE:cycle of the PENGUINDRUM」はテレビアニメ「輪るピングドラム」の映画総集編です。

その事で気が付いた細かな事を書いていきます。

ネタバレです。

 

なぜ10年も経ち、今更総集編なのか?

まあ色々あるのでしょうけど、一つとして、分かりずら過ぎたのでもっとヒントを出そうと思ったのでしょう。

これは劇場版ウテナと同じ事なので、そう言う事をやりたがる人なのかもしれません。

ただこのアニメは元が分かりずら過ぎるので、それは正解だと思います。

当時見てた人の一パーセントも分かってない内容だったろうから、いくら何でももったいないですからね。

 

プリンチュペンギンを出し、眞悧(さねとし)の台詞を言わせ「ペンギンは生まれ変わりですよ」と言うヒントを出したかったのでしょう。

それともう一つ、桃果を出すが、相変わらず苹果(りんご)と一緒には出しませんでしたね。会話もしないし徹底している。これもヒントでしょうけど、こっちは相変わらず分かりずらいなあ。

 

さて妄想です。

テレビ版の後に、髪が伸びたりんごにクール便が届いた事でしょう。

中には凍った赤ちゃんペンギンが入っていた事でしょう。

そいつは他人には見えず、しかし何かと手伝ってくれるが、やくには立たない事でしょう。

そう、幽霊に取りつかれているのです。

その後水族館で謎の帽子を見付け、それをかぶりピンクになり「やれやれ」と言いながら、自分を見失っている二人の子供を救いに行くのです。

 

今回の大きくなった桃果は、なぜ今更大きくなったのか?

なぜ桃果なのに帽子をかぶっているのか?

なぜどこまでも妹りんごと話すチャンスすら無いのか?

 

やはり桃果が亡くなり、その生まれ変わりとして生まれたのがりんごなのですね。同一人物なので話す事すらないのです。

最後浜辺で皆子供の姿でいるシーン。ここも桃果はいるのにりんごはいないようです。これはおかしな演出ですね(訂正します。桃果ではなく子供のりんごの方でした。似てる、と言うより形は同じなので間違えますね)。

どうしても、桃果とりんごは一緒に出さないと言う強い意志が感じられます。

だから同一人物だと言うヒントでしょう。

映画で新桃果が大きくなったのは、帽子をかぶっているりんごだからですね。

りんごだから変身する為帽子が必要だったのです。

映画ではディステニーって叫んでましたね。これもヒントです。

 

そうなると、新桃果は体もりんごだし、帽子も前と違い一つになっただろうし、だから白と黒が大体半分の皇帝ペンギン(の子供)の顔で、まさに完全体です。

新桃果は真桃果でありシン桃果なのです。

(たぶんクイーンオブザクリスタルって名じゃ無いかな? って思っています)

 

「白と黒は一緒の所にいるべき」みたいなメッセージをピンドラでも言ってたと思います。

これは「さらざんまい」でもそうで、白ケッピと黒ケッピが一緒になって完全体でした。

だから今回の桃果の帽子は白黒合わさってるので、完全体なのです。

もっと言うと、生まれ変わったさねとしも、ペンギンとしてりんごに付いているのだから、これも白黒が一緒にいると言えます。

 

プリンチュペンギンはあの不思議なペンギンです。

つまり普通のリアルペンギンもいる世界なのにあの丸っこい嘘ペンギンです。幽霊ペンギンだと言う事でしょう。

だから誰かに付いているのでしょうけど、可能性があるのがりんごです。

どこまでもさねとしは桃果について行くストーカーだと言えますが、まありんごもストーカーなので似たもの同士です。気が合う事でしょう。

そして「実はさねとしは桃果に救われた」と言う話でもあります。

救われ、だからこそ恩があり、だからこそ背後霊や守護霊として桃果の生まれ変わりりんごに付いていく事を許されたのでしょう。

テロを阻止され、思う通りに行かず死んでいったはずのさねとしでしたが、実はそれは救いだったのです。

そしてそれが分かったから凍った亡霊から生まれ変わる権利を得て、生まれ変わる途中がプリンチュペンギンですね。

でもまあ、また昔の記憶が出てきて、たまにテロを犯そうとするので、それに対抗する為にたまに桃果も出て来るのでしょう。

それに付き合わされるのがりんごですね。いい迷惑です。

 

さて暗喩の方です。

りんごは綾波レイですね。

レイはシンエヴァで最後髪が伸びてました。だから今回のりんご=シン桃果は髪が伸びているのです。

細かな事で言うと、桃果もりんごも目がオレンジ色っぽいのですが、今回の桃果の目の真ん中は赤でした。レイが赤だからね。

(ちなみにレイってセーラームーン火野レイから取ったとネットでありました。だから赤目なのですかね?)

だとするとプリンチュペンギンがエヴァ零号機かな? 始まり零号機が、物語の発端のさねとしなのはあってる気がします。

今回のプリンチュペンギンの姿はウルトラマンだと思ってます。エヴァウルトラマンから来ているとは皆思っている事でしょう。だからそこも合ってますね。

今回のタイミングだとシンウルトラマンが劇場公開してるので、そこも係っています。

まあ、この辺もヒントでしょう。

 

次元を物語に戻し、今回はりんごの事を少し気にした演出だったと思います。

さいごの晶馬(ひょうま)が燃えて「愛してる」と言う所で、りんごが「私も」と言っているとネットでありました。これはテレビ版ではなかった一言ですね(私は気が付かなかったですね。暗喩に流されて見てたたので、物語自体をおろそかにしてたのでしょう。良くない見方ですね。気を付けます)。

ここで思い出したのが、ピンドラのテレビ版を始め見た時、りんごを後半忘れたかのような演出だったのが気がかりでした。

だから今回は、りんごをもう少し忘れないで最後まで行こうと言う思いがあったのかな? と思います。

 

他にも、冠葉(かんば)とひょうま、二人の最後も少し変わり「生きてますよ」と言う演出になってました。

これも死んでいると思う人が多いので、そうなると勘違いされそうなので、分かりやすくしたのだと思います。

これも「さらざんまい」で「自己犠牲何てダサい事するな」と言っていて、自己犠牲が素晴らしいと勘違いされてもいけないと、直したのでしょう。

 

などなど、ウテナ映画版の様に、いくら何でも分かりずらく勘違いされそうな所を直す為に、映画版を出してきた気がします。

エヴァの暗喩はともかく、輪廻あたりの物語の裏設定が分からないと残念ですからね。

気が付いてほしかったのでしょう。

本当、上手いけど分かりずら過ぎるので、この位のヒントは必要ですね。

ちなみにエヴァの暗喩は分からなくても良いのだけど、最後の曲を「少年よ我に変えれ」で終わる所なんか、決して暗喩を忘れてた訳ではないし、捨てた訳でもなさそうです。

エヴァの方は「少年よ神話になれ」と言う歌詞であり、そのアンサーでもあるこの物語では「我に帰れ」と釘を刺していると言う事です)

 

子供姿で最後の方「愛してる」と言う所は、暗喩が分からないと分かりずらいかもしれません。

彼らはアニメ制作スタッフとキャラの暗喩ですね。

制作スタッフは子供の様に、子供心を持ったまま、客に愛を伝えていく、と言う事でしょう。

キャラもまた同じく、客に愛を伝えていくのです。

そして桃果とは、やはりアニメの象徴かな?

アニメがスタッフ達を助け、その受けた愛を次の子供にアニメを作り伝えていく。それを表したのが、たぶきとゆりです。

そし今回も、行き詰ったかんばとひょうま、つまり庵野さん達を助け、壁を突き破り、向こうに行けるようにしたのが桃果であり、アニメだったのです。

 

呪いでもあり、繋がりでもある。

存在表明でもあり、生存戦略でもあり、愛でもある。

その心は?

アニメです。

と言う話でした。