号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ラビリンスを抜けるのに何年かかったのか? と言うお話。

映画「パンズラビリンス」感想です。ネタバレです。

 

「シェイプオブウォーター」のデルトロ監督作ですね。2006年です。

 

始めは「絵が綺麗」だし「金かかっている」し「設定が上手いな」と思い見てました。

ただ、段々鬱陶しくなってくる物語でしたね。

なぜか? それは、細かな配慮が足りないからですが、根本的な問題として「細かな配慮をしようとしてない」のだと思います。

言い方悪いけど、オタク病ですね。

オタク病なので、気になる所はかなり頑張って作られているけど、気にならない所はいい加減です。それが客に見えて来るから鬱陶しいのでしょう。

 

さて良い所から

設定が見事ですね。1944年のスペイン内戦とファンタジーを重ねて描いている。

これはどちらか一方だと、弱い内容です。この二つが合わさり始めて深い物語になる。

デルトロ監督は細かく考えてから描いているようです。

しかし上手く無いのでしょう。それと狙ってあいまいに描いている可能性もあります。

そのどちらであっても(両方だと思うけど)結果、あいまいに見える物語になっています。

あいまいだから客が自分で考えてみれる。考える余地があって面白いのです。

それに客は見たいように物語を見ます。これも面白いのですが、これがもっと面白いのは話の内容にかぶっているからです。

この物語も「女の子の妄想だった」と見るか「いや実際にファンタジーの世界はあった」と見るかで内容が変わり、どちらであっても、物語上の女の子が見たいように見える、と言う話でもあるのです。

例え全てが女の子の妄想でも、最後は夢を見れて喜んだのだから、この子がそれで良いと思えばそれでも良いのでしょう。現実でも妄想でも「喜んだ」と言う事実は同じだからです(ただ私は嫌いですけどね、この作り)。

 

細かな所で、試練が三つありました。

あれもどうとでも取れるような内容なので、面白いですね。

それが女の子の妄想から来るものだとして、そこに「母の妊娠から死にそうな事実」と「現実の戦争」の両方があり、その両方にかかる「嫌な義理の父親」と、これも両方にかかる「その死の予感」とがある為に、それら複雑な設定にかけてどうとでも取れるのが面白いのです。

 

この三つの試練は、他のサイトで色々出て来るので探してみて下さい。

私もざっと他のサイトを見て、そこで書かれてない事だけ言います。同じ事を言ってもしょうがないからです。

狙った物だけではなく、狙ってないけど出てきてしまったデルトロの感覚の事も言います。

 

カエルが出て来ます。太っていて食い過ぎです。

ペイルマンが出て来ます。手に目がある奴です。あそこも食べ物の誘惑ですね。

二度食べ物関連が出る。デルトロ太ってますからね。色々トラウマがあるのでしょう。

だから主人公の女の子は食べてしまうのです。「食べても良いだろ?」と言うデルトロの叫びです。

しかし、カエルは何でも食べ、その為吐き出し死んだようになります。

それに女の子も食べ、死にそうになります。

だから良くないのはデルトロも分かっているのです。

しかし食べる事はやめれない。その暗示です。

 

ペイルマンは教会などの暗喩でもあるのだそうです。ネットで書いてありました。

これはなんなのでしょうか? ただ子供を食べるので悪い教会の事でしょう。

もしかしたら、悪い教会の教えが、この1944年頃の戦争に影響を与えてたのかもしれません。

これは、目が無いのが面白いのです。つまり何も見えてないと言う事の暗喩です。

そして食べ物を独占しているのも面白い。食べ物か財産か何かをため込んでいて、それに手を出す人を襲う年取ったバケモノが教会だと言うのです。

これももしかしたら、デルトロ自体のトラウマかもしれません。いやな思い出が子供の頃、教会にあったのかもしれませんね。

 

扉が三つあり、妖精は真ん中をさすが、女の子は左の扉をあけます。

自分で考えて決めろ、と言う事だろうけど、左を開けるのが面白いですね。スペイン内戦で政府側がドイツなどの援助を受けていて、だから反政府側にソ連等が付いている。だから反政府側が左翼なのです。

だから左を開ける事にかかっているのでしょう。何処を開けるかは自分で考えて決めろと言う事でもあります。

 

では悪い所

まず拷問などのリアルな痛い事を描く意味があったのか?

リアルを伝えたいのなら、あのファンタジーが出て来る事であいまいになっている。

ファンタジーで誤魔化すなら、そもそも痛い事等描く意味もない。

どうも、ただやりたかっただけの気がしてならないのです。

 

では、ファンタジーはただの幻であり、女の子の夢でしかなかったのか? 問題の事。

だとしてら、最後弟を連れて逃げ出すのはどういう事なのか?

あのまま少しいたら反乱軍が来て、全て丸く収まったのです。

大尉も息子を殺す事もないだろうから、皆助かって終わって良かったのです。

しかし連れて逃げた。そのせいで死んだ。

そもそもこの物語自体が、全て幻だとしてら「良い子でもない、悪い子でもない、ただの女の子が戦争に巻き込まれ、良かれと思い弟を連れ逃げたせいで殺されました」と言う物語です。何が面白いの?

 

例えそうしたいのなら、前にそうなる理由のシーンでを入れとくべきです。

例えば、大尉はいつも銃の弾を一発は別に持っている。それはいざとなれば自殺用に持っているとする。しかし子供が生まれ二発持つ事に変える。他人に「これは息子の分だ」とやばくなったら殺すかもしれない事をほのめかしておく。

そうする事により、女の子が連れて逃げて正解だったと思わせる事が出来た筈です(大尉が死ぬシーンも少し変える必要がありますけど)。

しかしこんなシーンがない。なぜか?

 

それはやはりデルトロ監督が「ファンタジーはあったのだ」と思って作っている気がするのです。

でもそうなると、リアルな現実の戦争の怖さが薄れます。

だからこの映画は、ファンタジーが幻でも、本当にあっても、どちらであってもあまり良い作りでない話なのです。だから失敗です。

 

この話のファンタジーは、どこまでいっても現実とからみません。これは何か?

デルトロ監督はオタクです。だから経験から思ったのでしょう。オタクの世界、ファンタジーは決して現実と混じる事はないのだ、と。

どこまで行っても別の世界であり、現実に生きている人には見る事さえできないのです。これがデルトロのファンタジーのリアルです。

この話は、現実が痛い世界です。だから「現実なんて良い事ないだろ?」と言ってる気がしてならない。

「どうだ、まだファンタジーの方がいいだろ?」と布教している様に見えるのです。ここも気持ち悪い。

 

「現実で死んでも、夢の世界があるからかまわない」と見れる作品でもあります。ここも気に入らない。

自己犠牲であり、他人の為に死ねれば天国に行ける、と言っているのだろうけど、これもさっき言った様に、物語上で自己犠牲が成り立ってないのです。

あくまで妄想好きな女の子の独りよがりです。独りよがりでもファンタジーを信じきれれば幸せ、と言ってる様に見え、やはり気持ち悪い。

 

さっき言ったように、デルトロ監督は教会にトラウマがあるのかもしれない。

しかしその存在からは逃れきれないのでしょう。

最後のシーンです。高い椅子に父と母が座っています。

周りの装飾からまるで教会のようです。しかも金色から思うに、金持ち主義の飾り過ぎた偶像崇拝の象徴の、悪しき教会のようではないですか。

あれが素晴らしい最後と思っているのなら、歪んでいるのです。

嫌いなのに、それに憧れているのです。

しかも高い椅子に両親が座っている。降りて来いよ。

あの親子の距離感。そして親が抱きしめない。

これがデルトロの悪しきトラウマから生まれた「歪んだすばらしき世界」でなくて何なのでしょうね?

 

などから、この頃はまだデルトロの歪んだオタク精神が生んだ、闇のファンタジーでしかない気がします。

現実を痛く描き、しかしファンタジーも現実味がなく実は痛い。

どっちもまだデルトロには闇しか感じられない。

 

それが「シェイプオブウォーター」になると、少し良くなってきます。

少なくともあの世界には半魚人がいるのです。そして他人にも見える。

それが虐げられようとも、陸上では生きられなくても、そして結局海に帰り暗い底の方で暮らすのが幸せだと言う物語であっても、まだ「パンズラビリンス」よりは闇が薄くなってきてるのです。

そして女半魚人を抱きしめる作品です。同じ目線で、同じ価値観で、同じタイプの人を見付けられる、と言う話になっているのです。

 

だから私はこの映画は2006年だと始めに書いたのです。

シェイプオブウォーターは2017年です。

闇から抜け、海から這い上がり、少なくとも人から見える所に精神が出て来るまで、11年かかったと言うお話でした。