号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

存在証明

ピンドラ映画版のネタバレありです。

 

やくしまるえつこ さんの「僕の存在証明」と言う曲が、映画版のために作られた事はファンなら知ってると思います。

しかし前編には出てきませんね。「出て来ねえのかい!」とエセ関西弁でツッコミそうになりましたよ。

 

後編があるのでそれまで待とうかと思いましたが、我慢できずアマゾンでMP3版を買って聞きました。

(今現在だとyoutubeに出てますね。たぶん公式だと思いますけど。ちょっと聞いて、これはちゃんと買わないと悪い曲だと思い買いました)

 

曲と言うよりは「映画用に作られた作品」に聞こえました。

本気度が分かるので良かったです。

どこか「ユリクマ」を思い描けるのも、何かの運命が感じられ面白いですね。

ちょっとした、ネタバレヒントになってるのですね。

 

イクニさんがコメントで言ってたのが、この「存在証明」と言う言葉はやくしまるえつこさんが出してきたそうです。これがまた面白いわけです。

話の内容を文字で見せて作ってもらったようですが、出来たのを見て「ああそういう話ですか」みたいな事をイクニさんが言ってたのが面白いのです。

ここにも、沢山の人の才能が合わさり、イクニさん自体を超えた作品になってる事の証明ですね。

 

生存戦略」とは「生き残る方法」ですね。

では生き残った後でやることは?

それが「存在証明」です。

存在証明とはSNSで「いいね」がほしいとかも当てはまります。だから「生き残る方法」より、なさけない言葉に聞こえそうです。

しかし「生き残る」が「動物的」であるとすれば、「存在証明」は「人間的」であるとも言えます。

より人間的である存在表明のほうが、上のレベルの様にも聞こえます。

しかしやはり人も動物なので、生き残るのはまず先なのも事実です。こう言うと生存戦略の方が上のレベルに聞こえるのです。

 

つまり「人は動物である」と言うのと同じ間柄です。

動物が先なので、見方によればそっちが上にも見えるし、動物を超えた(と人は思っている)のが人であるとするならば、人らしさがより上にも見えるのです。

 

表裏一体であり上も下もない存在であるのです。いわゆる白と黒の存在ですね。

白黒、どっちが上でもなく下でもなく、どっちも大事なのが人だ、と言う所に繋がります。

それが白黒の(リアルな方の)ペンギンだという物語です。

 

さて、やくしまるえつこさんが何処まで考えたかは分かりませんけど、生き残った後の自分らしさの存在証明を突き進んでいるのが、今の庵野さんにも見えます。

まあ庵野さんは昔から存在証明は探していたのでしょうけど、今はなすべき事を分かって、それに突き進んでいる状態に見えますね。

やはりシン・ウルトラマン見に行こうかな? と思えてきました。