号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

サードインパクト

映画「サード」見ました。

エヴァサードインパクトはここからかと思われます。

 

寺山修司を追っていくと、この映画「サード」の脚本をしていた所に行きつきます。

話は「男の高校生が女友達と金稼ぎをしようとして売春を手伝う。そこでヤクザに引っかかり酷い事をされたのでとっさに殺してしまう。その後少年院に送られた時の事」です。

捕まり少年院にいれられた少年は、元々野球をやってサードを守っていたので「サード」と言うあだ名が付けれれている、と言う話です。

昔のドラマなんかもこんな感じの話はよくありました。だからこの当時は感覚的に「こんな事もあるよな」って事だったのでしょう。

しかし今見るときついですね。何も共感が出来ず、ただただつまららない映画です。

結局何が言いたいのかも分からないので、誰が見ると面白いのでしょうね?

たぶんこの頃の高校生なら、見ると色々考えさせられ、意味があるとは思います。

しかしこの映画、裸も出るので中学生は見れなかったようですし、大人が見ても面白いのでしょうかね? だから意味がある年齢がピンポイント過ぎます。

今の私には、時代的にも年齢的にも何一つ面白くない映画でした。

この時代特有の話などで、時代が変わると面白くないのです。

 

ではなぜ寺山修司が脚本なのか?

分からないので(正確には面白くないので頭が回らないので)ネットで調べました。

「映画.com」って所で書いてあった、「あき240」さんと言う人のコメントが全てのようです。

60年安保や70年安保の暗喩だと言うのです。なるほど、そうですね。

映画の中で野球の三塁(サード)を守ってる人は、そこを走者が過ぎれば点を取られてしまう。つまりサードを守れないと終わりだと言う事です。これは安保闘争で何も出来なかった、止めれなかった事を表しているとあります。

そして安保成立後やる事、つまりゴールを見失ってしまう。だから映画の中のサードが見る悪夢で、ホームベースが無くただ同じ所をぐるぐる回るのみ、と言うのが出て来ます。

そしてサードはホームベース側から見て左側にある孤塁だと言うのです(レフト方向ですからね)。だから安保で戦った左翼の学生の事になるのでしょう。

 

本当になるほどです。

こう思って見ると映画の中にある細かな事にも納得がいくと思います。

サードに少年院で話すおじさんの話が、一見何を言いたいのか分かりませんけど、左翼の話だと思えば納得がいきます。金持ちの子供なのに「平等など無いんだ」等と言い出し、最後自殺したと言う話でした。

おもちゃの車のねじの事もそうです。ねじを回し走っているつもりだったのに、それを止められてしまって今は自分がくるくる回ってしまっている(おもちゃの車のねじの方を持って持ち合上げると、ねじが止まり車の本体の方がくるくる回る絵を見せてました)。何処にも行けないし、何にもなってないし、こっけいだと言うのでしょう。安保後の過激な左翼の事でしょう。

女友達がよく考えず体を売る。これも良く考えず危ない事をする左翼の学生の事でしょう。

その事を止めもせず、よく考えもせず手を貸すのがサードです。

その後、危ない人にも引っかかり、最後は殺人までして捕まってしまう。これも学生運動の事ですね。

少年院で逃げ出す子が首を吊ります。これも最後死ぬ学生運動家です。

サードは自分はそうはならないと、最後少年院の校庭で反対方向に走り出すのです。つまり左翼は止めて、少年院を出たら普通に暮らし始めると言う事です。

しかし皆に監視されながら同じ所を(校庭を)走りくるくる回るあの最後は、どうも皮肉が入って無いのかな? と思えますね。

時代的にこの後は競争社会になるので、映画内でサードも友達が来るのをもう待たないと言う映像でした。

実際に学生運動の後は、皆憑き物が落ちたように普通にバリバリ働き始めたようです。あの運動は何だったのか? と皆が思う位です。

つまり学生運動は祭りだったのです。子供が騒いでいてだけですね。だから私は嫌いです。

なのでこの映画でも祭りの映像が出て来ます。そして最後は祭りには参加しないで走り去って行くのがサードでした。

9月の祭りだと言ってましたね。全国全共闘結成が9月だったからでしょうか?

早稲田大学新聞会と言うサークルが学生運動の拠点だったそうなので、この辺から映画の「新聞部」が来てると思います。わざわざこの名で呼ぶのはおかしいですよね? (売春させた女友達の事を、サードは新聞部とあだなで呼んでました)映画で最後新聞部が結婚したようだと言うのは、君が捕まってる時には、もうサークルも実際の新聞も既に熱から覚めているよ、と言う事でしょう。

 

と言うように「書を捨てよ町へ出よう」と同じに、この頃の社会情勢を暗喩的に書いていたのが寺山さんだったのです。

寺山さんは、訳の分からない様な事を面白おかしくしておいて、ちゃんと地に足が付いているのがすばらしいですね。面白いだけではダメだと言う事です。

ただ寺山さんはこう言う話も、ちゃんと面白くも見れるように映画にする人です。ここも素晴らしいと思う訳ですが、この映画「サード」の方は面白くない。

これは良し悪しもあるのでしょうけど、個人的には寺山監督作品の方が好きですね。

 

さて、初めに言った様にサードは左側を守っている(つもりでいる)人だと言う事で、左翼の事です。

エヴァサードインパクトもここからでしょう。

そもそも何でサードインパクトなのか? とは思っていました。

前に二回もインパクトが既にある。なぜか?

普通の物語の作りなら一回で良いのです。しかし前に二回ある事で、次来たらサードになるぞと、この映画と合わせて来たのでしょう。

エヴァサードインパクトは、個人が無くなり皆が溶け合って一つになると言う事でしたね。

これが人類補完計画そのものでした(その後更にフォースインパクトがなんちゃらうんたらあるようですが、これは新劇場版で新たに付け加えたのでしょう)。

つまり左翼化の事です。個が無くなり一つになるのです。だから「サード」なのです。

(シンエヴァのニアサードインパクト状態の世界が赤いのは赤化(左翼化)したからですね)

 

ちなみに第三新東京もなぜ第三なのか? と思ってましたが、これも同じ所から来てるのでしょうかね?

この都市も言って見れば社会主義的な都市でしたね。

そしてシンエヴァの第三村もそうです。こっちは共産主義ぽかったです。

つまりここでも共産主義否定では無いのです。でも肯定でもない。

右でも左でも、程よいバランスの所があるだろうと言いたいのだと思います。

この辺も良く出いてましたね。

そして今までの総決算だと言う事です。やっと全てにオチが付いたのでしょう。

 

2021年5月27日追加

 

細かなエヴァの設定の事について。

「ファーストインパクト」で人類が出来たようで、知恵の身を得て知恵を得た事でもあるようです。

これは日本で言う明治維新ですかね? そして野球で言うとファーストは右にあるから、右翼的側の国、明治の日本が出来た事とも重なります。

セカンドインパクト」で人類が沢山死んだようです。そして海の浄化です。

これが日本の第二次大戦でしょう。沢山死んだ事と、海で戦い負けた事を表す。野球で言うとセカンドは右でも左でもないですね。日本は右のアメリカ、左のソ連、どっちも敵にまわしてたので、どっちでもないとも言えます。

サードインパクト」が陸の浄化です。陸が赤くなっていく。そしてこれが旧劇場場版でのゼーレの目的だった筈です。個人が無くなり一つになると言うのです。

これが野球の左側の事なので、日本で言う左翼化運動、学生運動になるのです。

では新たに出て来た「フォースインパクト」は? 魂の浄化だそうです。

これは野球で言うとホームベースと言う事になる。これがゴールでホームベースに付くと走者はいなくなるわけです。そして右でも左でもない。

たぶんこれが95年の宗教的テロです。右でも左でもなく魂の浄化と言い、皆がいなくなる事、つまり死ぬ事を狙う事件です。日本での時系列でも70年代の学生運動の後の大きな事件と言う事です。そしてピンドラにもかかっていると思います。

ではそれ以外になる「アデショナルインパクト」とは? ゲンドウの個人的な問題であり、ユイに会いたいだけの行動ですね。

これは野球で例えている物とは別と言う事です。だからファーストからフォースまでの数で表すのとは違う書き方です。なので日本の歴史的な事件に例える事とも、違うと言う事です。

これこそが現実と虚構が一つになり、ずっと一緒にいたいと願う個人的な問題の事です。子供も出来たのに、大人になり切れずアニメ等の虚構と一緒にいたいと願う気持ちです。

だから「アデショナルインパクト」も「フォースインパクト」も否定する。

エヴァと言う母に買ってもらったおもちゃから卒業して、現実を生きて行きましょう、と言う話でした。