号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

忘却のテーマ

アニメ「忘却の旋律」考察です。ネタバレです。

 

このアニメ知ってます? ほとんどの人は知らないのじゃ無いでしょうか?

そう言うとつまらないアニメだと思う事でしょう。当たりです。つまらないです。だから全部見るのが辛かったです。

ただメタ的に見て、このアニメの置かれた状態、そこから出されたメッセージ性、などはとても面白い。

庵野さんとイクニさんがいない所で、周りの人間が場外乱闘を始めたような感じです(いや別に戦ってはいないけど、雰囲気です)。

 

まず原作がGJKとなっていて、これはガイナックスJ.C.STAFFカドカワの共同制作らしいです。

そしてアニメ制作はJ.C.STAFFとなっています。

さてここからは私の勘です、疑って下さい。

たぶん始めはカドカワガイナックスで、エヴァの後の話をやろうとしたのだと思います。

このアニメでは「20世紀に大きな戦争があり、それで勝ったのはモンスター側だった。その後新世紀になり、人々はあのメロディを忘れて行った」と言う様な事を言います。なのでエヴァで敵側が勝った後の話をしたかったのだと思います。

しかし庵野さん達の反対にあって頓挫した。そしてJ.C.STAFFに投げたのじゃないのかな? と思っています。

さてここから更に面白いのはJ.C.STAFFに投げた事です。ここはアニメ「ウテナ」の制作会社ですね。

だからか「忘却の旋律」の監督が錦織博さんです。ウテナに係わってますね。

脚本が榎戸洋司さんです。ウテナのシリーズ構成です。

美術監督小林七郎さんだそうです。だからかウテナの映画版と同じに、背景で謎の赤をカゲの所に入れる絵を使ってきてます。

だからウテナ関係の人が多く係わっているのでしょうけど、そもそも「忘却の旋律」自体が、「ウテナ」のオマージュかパロディになっているアニメでした。

つまりここでガイナックスウテナに関係した人が交わる事になった訳です。

 

主人公、ボッカの声優が桑島さんと言う方だそうです。この人の声ウテナ役川上さんににてますね。だからわざとこの人だったのでしょう。桑島さんは川上さんが亡くなった後のアニメの声の代役もいくつかしてたそうなので、業界自体で似てる事は知れ渡ってたのでしょう。

ボッカは男だけど薄いピンクにも見える髪ですね。これもウテナに似せているのでしょう。

牛もよく出て来ます。

これは私は知らなかったのですが、ネットで、ウテナは「十牛図」をモチーフにしていると言う事です。詳しくはwikiを見て下さい。悟りに至る十の段階を牛が出て来る絵で表したものだそうです。アンシーが悟るまでの話だと言う事です。この牛はチベットだと象で表すそうです。だから映画版ではちょっと象も出て来ますね。だとすればウテナの牛は十牛図からです。

そしてウテナで牛がよく出てくるので、忘却の旋律にも出て来るのでしょう。

 

さて錦織監督も榎戸さんもウテナで何をしていたのか? が分かっている人です。

そしてエヴァでやろうとしてた事も分かっていたのでしょう。

なので、元々の「エヴァの後をやろう」と言うコンセプトから、ちゃんとエヴァのコンセプトを引きついだ話を暗喩として持ってきてます。

そしてウテナ調の作りにする。ここでもうエヴァとイクニ作品の合体作品を、他人がやっていたと言う事です。

2004年の作品です。つまりピンドラの前です。そしてイクニさんがこのアニメを見て無い訳が無い。ピンドラの、エヴァを模したあの不思議な作りの元のイメージは、これを見たから決まったのかな? なんて思います。

ちなみに、私がこのアニメの存在を知ったのは、ピンドラの時籠ゆりの声優を調べてる時です。この人「忘却の旋律」の忘却の旋律役でしたね。だからピンドラのゆりの声優があの人なのはヒントです。ガイナックス要素があると言う事と、忘却の旋律も考える元になった事のヒントでしょう。

もっとちなみに、マギレコの二葉さなの髪型、忘却の旋律に似てません? たぶん似せて来たのだと思っています。そして泥犬さんもこのアニメ、参考にはしたと思っています。

 

ではこのアニメの暗喩は何か? ですが、それはエヴァのやりたかった事に関係してます。

それは、寺山修司でしょう。

そしてウテナ寺山修司なのです。ウテナの近親相姦の暗喩、寺山さんが好んで使う手でしたね。ウテナ寺山修司要素が強い気がします。

エヴァはどっちかと言うと、それら演劇の要素を使うとか、見た目につかうとか、部分的に使う程度です。2004年頃だとまだ、中身をそれほど理解して使えてるとは思えません。しかし明らかに旧映画版の終わり方とか寺山修司からでしょう。

そして「忘却の旋律」はエヴァの後なので、エヴァの持っている寺山修司の影響を描きます。つまり学生運動です。

 

20世紀にモンスターと戦争があったと言います。それはエヴァの戦いの事でしょう。

そしてエヴァの敵が左翼なのです。サードインパクトが左翼化の事です。

となるとエヴァ後の話で、人が負けた後の話となると、暗喩的に左翼に負けて社会主義国になった後の話と言う事になるのです。

だから背景に謎の赤がカゲの所に入る。これはただウテナのオマージュではなく意味がある。つまり街が赤化した世界の話と言う事を表していたのです。

 

だからボッカは始め学生なのです。そして学生を辞めて戦う。学生運動です。

本当の歴史だと左翼側が学生運動家です。しかし左翼側が勝った世界なので、革命を起こす側が右翼側になる。逆転の世界です。

逆転の世界と言う事は、革命がもし成功しても裏返っただけであり、大して変わらないと言いたいのかもしれません。

黒船さんが出て来ます。黒船、つまりアメリカです。左翼と戦うアメリカの化身が黒船です。

ほとんどの場面の敵が、モンスターではなくモンスターユニオンです。ユニオンなのです。つまり労働組合の事であり、左翼要素の集まりを表します。

モンスターユニオンが動物を模してるのは、動物の様に考えられない奴らと言う事でしょう。そして左手にロボットのような装甲を付けている。左側を非人間的なもので武装している奴ら、と言う事です。

ではモンスターは? これはおかしくなった心の象徴でしょう。モンスターみたくなった人の心や行動の象徴がモンスターだと思います。だから無くならないし、倒して終わりと言う話では無いのです。

だから具体的にいるおかしくなった心に操られている人達、モンスターユニオンがほぼ敵になる。

最後はモンスターキングも出て来ますが、あれはもう人と言うより、象徴の存在になった事を表しているのでしょう。ユニオンは流されているただの人です。モンスターは悪しき心の象徴だが、象徴そのもに落ちた人がキングです。

19話で「モンスターを消せるが、消したら今度は皆がああいうようになる」と言います。

その時見てたのがサルの面をかぶった人なのですが、見てほしいのは着てるものです。タキシードの様な物やドレスです。つまりサルの様になった金持ちの資本主義者です。あれでいいのか? モンスター、つまり社会主義者が生んだモンスターは子供を殺していくかもしれないが、まるっきりなくなればサルの様な資本主義者だらけになる。それはそれで正解なのか? と言う話です。

ちなみに殺される子供は、社会の犠牲になるのはいつも子供と言う事と、学生運動でおかしくなったのも子供だったと言う事でしょう。

キングが元メロスの戦士だと言うのが面白いですね。昔は革命の使者で学生運動家だったと言う事です。そして資本主義側が勝っても良くないと分かり、今は社会主義国家を守る存在になったと言う事です。もっと言うと、その間を取ってバランスを取っている者だと言いたいのかもしれません。

 

さてここから、細かな事を書いていきます。

 

15話で馬のレースをするのは寺山さんからでしょう。競馬好きでしたね。

18話、東京駅でやってる事は学生運動家そのもでしたね。

このあたりで、いつまでも学生運動なんてやっていて、女の幸せはどうなるんだ? と言う事になる所も、こういう話の定石ですね。昔は良くありましたが、そう言えば近年は無くなった話です。男が何かに人生をかけて行く、その為付き合う女は悩む、なんてもう昔話なのでしょう。

19話あたりから演劇っぽい演出が多くなります。もちろん天井桟敷からでしょうけど、エヴァウテナ寺山修司から来てる事から、演劇っぽいのが出て来るのでしょう。

そしてアニメ「マギレコ二期最終話」も演劇演出でした。だからこそ泥犬さんはこのアニメを知ってるな、と思ったのです。まあ知らなくても出来る演出ではありますけどね。

20話、電車でぐるぐる回る。分からなくなり同じ所をまわる事を暗喩で描く演出、これも寺山さんも学生運動にかけてやってました。

そして電車です。最近はもう、イクニ、庵野関係の話に電車は付き物なのが分かりました。

そしてリンゴをかじると電車から降りれる。禁断の知恵の果実です。だから知恵がついて同じ所をまわっている所から打破出来るのです。そしてこれは映画版「レヴュースタァライト」でもやってましたね。やはりいろんな元があるのがこのアニメかも知れない。

21話、牛少女、下品ですね。でも最終話でこの子らは動物の様に世界に飼われている子供。知識もなく動物の様に育てられた子供。搾取される子供。そして最後は大人の生贄として犠牲になる子供の事を表してました。意外とちゃんと意味があり、意味が通るものだったのですね。そして結構深い社会の闇を表した暗喩でした。

23話、暴走して意味もなく戦ってくる四号の事を「力を得てなんでも出来ると勘違いした子供」と言います。この時ココがボッカにしがみつく演出をする。だから何かを思ったのだろうけど、たぶん「自分らと同じ」と言いたのだろう。力を得ておかしくなった学生運動家の事ですね。

24話、最終話です。

やはり沢山の時計が出て来ますね。寺山作品のオマージュでしょう。

ちなみに武装演劇集団と言う名も、寺山さんの演劇にかかっている事のヒントでした。

最後に小夜子がボッカを、忘却の旋律がキングをかばいます。

小夜子はボッカを守れたが、忘却の旋律はキングを守れなかった、それは幻だからですね。生きている生身の人間が必要なのだと言う物語でした。ここの演出はよかったですね。

ちなみに、忘却の旋律の彼女は「理想の象徴」です。だから理想の彼女の形をしているとも言えます。

最後それでも小夜子が出て来ます。これはもう死んでいて新たな「忘却の旋律」では無いのか? とネットで言ってた人がいました。そうかもしれませんね。

そうだとすると、学生運動家は周りの人を巻き込み殺してしまうかもしれない、と言う注意かも知れません。そしてキングの様に理想の象徴「忘却の旋律」をそばに置いて戦い続ける亡霊になる、と言う話にも見えますね。

でもまあ、やはり生きていた、で良いのじゃないですかね?

最後バイクで街に向かい走って行きます。

オープニングで向かう街の絵は、赤色が多く使っている絵でした。つまり左翼化が進行している街です。

しかし最後に向かう街の絵は赤色を使って無かったですね。

つまり前より世界が段々良くはなって来ている、と言う事を表していたのです。

ちなみに背景に赤を使い赤化を表す暗喩、後のエヴァで大々的に使ってますね。こっちが先か? エヴァが先か? まあ元はエヴァからなので、あっちが先とも言えますが、そう言うのなら寺山作品が先だと言う事になります。もちろん探せば寺山作品より前もある事でしょうけど。

 

旋律は英語でメロディですね。

メロスもギリシャ語で旋律だそうです。

そしてテーマもドイツ語で主旋律などと言う意味もあるそうです。

つまり「忘却の旋律」とは「失われたテーマ」と言う意味です。

元のテーマを忘れ、暴走した学生運動の事かな? とも思います。

昔の闘いの日々を忘れた普通の人々、と言う意味もあるでしょう。

そしてもしかしたら、エヴァも元のテーマを忘れた話だった、と言う意味もあるのかもしれません。

エヴァの旧映画版だと何を言いたいのか分からない(分かりずらい)話でしたからね。

エヴァを見てると作り手が忘れたように見える内容「元々の寺山作品から来た、学生運動や左翼などの社会風刺」を取り入れた話だった、と言う意味もこの題名には入ってるのかもしれませんね。

 

さて長くなったので少しだけ感想を言います。

まず、やはり表が面白くないと失敗です。裏が良く出来ていてもです。

それは誰も知らないアニメになるからです。このアニメもそうでしょう。

後半エロ要素が強くなったアニメは失敗の断末魔ですね。このアニメもそうでした。

ただ失敗した時に後半やれる事としたら、もう他にないのでしょうがないですけどね。

 

このアニメ、そうは言っても、エヴァウテナから新劇場版エヴァやピンドラにつなぐアニメだったので、そういう意味では面白かったです。