号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

死ねない呪い

アニメ「コードギアス 復活のルルーシュ」見ました。感想、ネタバレです。

 

この作品、この映画の前にサンライズお約束の、三部作総集編やってたのですね。

それを知らずに復活のルルーシュ見たので「なんでシャーリーが生きている?」と謎だらけでした。映画の方では死なないらしいですね。

でも変えても良いのなら「ユフィの所を変えてほしかったな」と思いました。ここは変えてないようです。

つまりこれで正解だと思ってると言う事ですね。

ふーんって事ですが、まあ人それぞれ正解は違うのでしょう。

 

私はたまに「こうだったら良かったのに」と言います。

これは終わった物に言う「素人の遠吠え」でしかないのだけど「悪い、良くない」しか言わないのもずるく「何がどう良くなく、どうすれば良かった」かも言うべきかと思うので、言える時は言っています。

まあ、その程度のものですし、私の意見があってなくても考える元になれば良いと思い言っています。それでも良ければきいてください。

 

私が「反逆のルルーシュR2」の前半見ていて「この後こうだったらいいのでは無いのか?」と思った事を書きます。

まずルルーシュの母がラスボスで悪者です。そしてギアスを持っている。それでギアスを使い誰かの体を乗っ取るか、精神を取り換える。それで母の体は死ぬのだが、精神は生きている。

と思って本編を見ていたら、本当にギアスで他人の体に精神を移してましたね。しかしそれが急に出て来た子でしたね。なんででしょうね? 私ならユフィにします。

私の考えた話では、母は昔子供のユフィに「私は魔法を使えるのでゲームをしよう。一日体を取り換えて成り済ますと言うゲームを」と言って精神を取り換える。

その後母の体は殺される。たぶん暗殺されることを知っていたか? もしくは自分で仕込んだか? です。

それで死んだ事にして、自分が殺される事を逃れるようにする。

母は自分の死をルルーシュに見せ、復習を促す。

ただナナリーは巻き込む気はなく、たまたま来てしまったナナリーがけがをする。その時、母の体だが精神はユフィだったので、ナナリーを助けようと命を落とす。

母はユフィに入り、いつかは国を乗っ取ろうと画策しながら生きて行く。

ルルーシュはユフィが「全てを手に入れる」人だと言ってました。実は裏で画策して全てを手に入れていた。

皆に好かれる性格も、わざとです。ルルーシュが死んだ事になり隠されてきた事にも裏で関わっていた。

シーツーが黒の騎士団に奪われたのも、ルルーシュにあったのも母が裏で関わっていてわざとです。

ユフィがスザクに会ったのもわざと、好かれたのもわざと。

だからギアスが暴発して、ユフィが虐殺を始めるのもわざとです。そうすれば黒の騎士団の革命が進むし、ルルーシュが途中で止まれなくなる事を狙ったのです。

ユフィが死んだのは、死んだふりです。

母はユフィの体を乗っ取ったが、記憶があいまいです。ギアスが完璧では無かったのです。だから一日の内半分くらいは自分がユフィだと思って生きている。たぶん朝はユフィだと思っていて、夜は母の記憶がはっきりするとか。

だから死んだふりの時スザクを巻き込む気はなかった。ルルーシュを恨むようにする気はなかったのです。

ただその後もスザクには黙っていた。いざと言う時は自分が出て行って「私は(ユフィは)生きている。ルルーシュに手を貸してほしい」と言うために、敵側に付かせておいた方がいいと思っていたのです。

そして最後の方にラスボスとして、玉座に足を組み、ひじをついて座り、ルルーシュの様に高らかに笑うユフィが出て来る……ってのを考えてました。

こんなのでよくありませんかね?

 

さて「復活のルルーシュ」の事です。これも終わらせる気は無いのだと分かりますね。

もし終わらせる気があるのなら、殺すのはシーツーですよね?

これはテレビ版最後にも思ったのですが、終わらせるのならルルーシュとシーツーも殺すべきですね。

シーツーが死んで、それでギアスも無くなったルルーシュが普通の人として、陰ながら生きて行く。そうすれば終わる事が出来ます。

ただ終わらせる気が無いのでやらないのでしょうけどね。

 

ではテレビ版最後のルルーシュが死んだのは? もちろんありですね。あれほどの人を巻き込んで殺したのだから、死なないといけませんね。

しかしそれは「物語として」です。子供や社会の影響を考えれば死なないといけないだけです。

社会の影響を考えなければどうでしょう? これは微妙ですね。

殺してるのが軍人なら構わない気がします。例えば軍人はルルーシュを見れば撃って殺しますね。なら逆にルルーシュがギアスで殺しても同じ事ですね。

それが戦争で、駒のように人を殺してもかまわない気がします。そもそも本当の戦争でも元々はそうです。捨て駒を使い勝利します。ただ現在においてはそれが通じるかは分かりませんけどね。昔は勝たないと仲間も家族も殺されたり危ないので、捨て駒を使い勝てる方が、使わないで負けるより良かったのです。しかし今は違います。だから微妙です。

でもだからこそテレビ版の始めに「たいした意味もなく日本人を殺していくブリタリア人」と言うシーンがあったのですね。負ければこの様にいつ殺されるか分からない世の中だ、と言うシーンが必要だったのです。

覚えてないのですが、ルルーシュが軍人以外むやみに殺したのか? が実は大事ですね。

でもだからこそ映画版では、一般人のシャーリーの父を殺してない事にしたのかもしれません。

もしかしたらこの後ルルーシュが死ななくても良いように、ルルーシュがわざと一般人は殺さない様に、映画版で内容を変えてきたのかもしれませんね。

 

もしそのように軍人以外ルルーシュが殺してなければ、まあ死ななくてもいいかな? と私は思います。

物語的に「死んだように世界を欺く」で構わない気がします。

それに自分で死のうとはした。学生、つまり子供だった。等の事も踏まえると「ルルーシュが生きていた」でいい気はしますね。

 

そもそもルルーシュが死ぬシーンでも、死をそまつにしている気がするのです。

ルルーシュは他人の命もそまつに扱うが、自分の命もそまつに扱うおかしな奴、に見える気がするのです。

だとすればルルーシュは、生きなくてはいけないのかもしれません。

死んで罪を償うべき人がいると、個人的には思っています。しかし生きて罪を償うべき人もいると思っています。ルルーシュに罪があるのなら、後者ですね。

 

さてルルーシュが生きていても良いですが、死ぬべきはシーツーです。

これでは死ねない呪いにかかったままですね。サンライズの呪いですかね?

終わらせる事が出来ないのサンライズの呪いです。

逆襲のシャア」でアムロもシャアも消した。殺せないから消したのです。しかし富野さんは呪われましたね。それで映画版Zガンダムまで呪われる事になるのでしょう。Zガンダムカミーユが残りそれで呪いから解放された、と個人的には思っています。

だから呪われず、終わらせるにはルルーシュが生き残り、シーツーが死なないといけないのです。

それで魔法の存在、夢の存在、中二病の大本の存在であるシーツーがいなくなり、中二病ルルーシュは普通の人として大人になり生きて行く。それが見てる人の暗喩になり、メタ的に全てを終わらせる事になるのです。

ちなみに「まどマギ叛逆の物語」は表は終わってないようで、裏では終わらせてます。これは見事ですね。これに匹敵する物語はなかなかないです。

まどマギは叛逆で終わる。コードギアスは反逆で始まる。

ガンダムアムロとシャアは消える。ルルーシュは復活する。

逆を行ってるコードギアスは、自らの足で呪いの道を突き進む事を選びましたね。

最後ルルーシュはシーツーと手をつないで歩いて行きます。魔法からまだ離れられないのです。

 

さて「コードギアス」は次があるのでしょうか?

次回。シーツーを消す事が出来るのか? 魔法を、中二病を消す事が出来るのか!? って所で終わります。