号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

反面教師

アニメ「アルドノア・ゼロ」一期分12話まで見ました。感想です。ネタバレです。また文句です。

 

いや、最近見たアニメで次の回が見たくなるような物は久しぶりでした。つまり面白かったのだと思います。

敵がスーパーロボで自軍が弱い寄せ集め。普通のロボットものの逆をやろうと始めたのだと思います。原案である虚淵さんっポイ発想ですね。

で、これも良い所があるからこそ、悪い所が目立ちますね。「若おかみは小学生!」の時は光が強いからこそ、うすい筈の影がはっきり見える位でしたが、このアニメの影はどす黒かったですね。つまり悪い所も大きい作品でした。

アニメ「デカダンス」なんかはどこから直したらいいのかな? と言う位直す所が多くありそうなので、逆に悪い所が分かりずらい(それでも大枠は面白アニメでしたけど)。しかしこのアニメは良い所があり、大枠がしっかりしてるからからこそ、悪い所がよく分かる作りです。面白いですね。

 

7話位まで見ていて思ったのが「死がいいかげんだな」「全体がのっぺりしていて、何所を見せたいのかが分かりずらい」「大枠は面白そうなのに、今一細かな所が雑な気がして物語にのれない」「その場限りの短絡的な面白さを所々やる」「リアルにしたいのか? ライトに行きたいのかが中途半端」等です。

これは何なのだろう? と思い、監督を調べたらアニメ「喰霊-零-」と同じ監督……なるほど、ここまでの感想が「喰霊-零-」の感想そのまんまです。良く言えばぶれない人、悪く言えば進歩の無い人なのだろうと思いました。

 

原案が虚淵さんですね。だからか基本が良く出来ている。もしくは監督も脚本家も基本は上手く出来る人なのかもしれません。しかし演出が雑なんでしょうね。

始め地球側も火星人側も同じように描く。差が無いのでただの強い国と弱い国の戦争にしか見えない。例えば始めは火星人側は暗くてよく見えないとか、寄りな絵や、ずれた絵でキャラが良く見えないとか、違う演出で差をつけた方が良かったと思います。

ロボットは差を付けているのでしょうけど、もっと地球側はミリタリーっぽい武骨なもので良かったと思いますけどね。

始めのロボットの倒し方なのですが、あれはまあいいでしょう。でももっといい訳が必要ですね。地球の化学力が及ばないバリアーがあるのだから、科学で考えて「どこかに通信する隙間がある筈だ」は通じないかもしれない。科学を超えているのに科学的に対処する? なぜでしょうね? 少なくともたった一言「常識が通じないかもしれないけど、もうこれにかけるしかない」と言うのが欲しかったですね。

いや、そもそもこの一言は考えられていたのかもしれない。ただそれを上手く説明できてないだけかもしれません。

途中、鞠戸大尉が「こっちも敵も、誰も戦争経験なんか無いんだ」と言ってましたね。これは良い言い訳ですね。だから相手がぼんくらな戦い方しかしなくてもしょうがないと言う言い訳ですね。それに敵は競い合っているのと、絶対的に有利な為仲間内で助け合っていないし、油断もある。だからこそ敵の戦い方が雑なんだと言うのも、言い訳としてちゃんと置いてあるのです。

だから初めに考えられた設定では、言い訳を作って置いた気がするのですが、それを意識して作って無いから、上手く見ている人に伝わっていかないのでしょう。

 

始めの船から降りる時、女船長が船に敬礼します。本当いらない。そもそも盛り上がっている時に、盛り上がってない他のシーンを入れる事自体間違っているのに、その時にのんびり降りる船に最後の敬礼をする、まるっきり分かってないですよね?

押井さんが本で言ってったのが、戦闘中はずっと音楽を切らないと言う事です。つまり腰を折らないのです。盛り上がってる時に、他の盛り上がってないシーンを入れる演出をするC級アメリカ映画がたまにありますが、それと同じですね。せめて他のシーンにするにしても皆が走り急いでいる様にして、勢いを止めてはいけませんね。盛り下がるし、イライラしますからね。

それで思ったのが「エヴァンゲリオン」です。あれはちゃんと盛り上がってる時は腰を折らず、そのまま最後まで突き進みましたね。(一話から二話にかけては少し違いましたが、あれは回をまたいだからこその、狙った演出なのでありです)

 

全体的にもその場限りな演出が目立ちます。ホラー物で脅かすために急にバンッとデカい音と共に何かを出すあれと同じです。それ自体は物語上あまり意味のないその場限りの脅かし要素です。

姫がしめ殺されたりする所です。あとは仲間のロボットはすぐ死にますね。雑なその場限りの刺激ですね。

二体目の剣を持ってるような敵が出て来た時、もう相手は手に負えないほど強いと皆が分かってるのに、誰も止めず味方機が出て行って簡単に殺されて行きます。雑ですね。

少なくとも鞠戸大尉か主人子は分かってるはずなので「表面きって戦ってはダメだ」位言うでしょ? なぜか見殺しです。

こういう思慮が足りない雑な演出をする人は、たぶん死なんか描けないのだなと思います。客も空気が伝わってきて「このアニメは死なんか気にする必要が無い世界だな」と思い始めるものです。主人公が友軍機を見殺しにする世界ですからね。だから一期最後のシーンも盛り上がりはしない。驚くだけです。

 

ここでも押井さんが本で言ってた事が思い出せます。押井さんが師匠に「盛り上がる事が演出の仕事では無い。一つの台詞、表情、構図に向かい作って行くのが仕事だ」と言われた事です。

この言葉の意味はなんとなくは分かりましたが「なんで盛り上げてはいけないのだろう?」とは思っていました。

しかしこのアニメを見て分かりました。「小手先の驚かすような、一瞬の興味を引くような演出をするな」と言う意味だったのでしょう。これは全体としたら何をしたいかが分からなくなり、最終的には面白さがなくなるものだったのです。

それよりも、何を見せたいかを意識して、それに向かい作って行く方が結果いい場面になり、記憶にも残ります。向かっていくのが物語全体でも、一話一話でも、シーンでも、表情でも、絵でもです。

その事が、このアニメにはずっと足りと思わせる作りでした。その場限りの驚かせしかしてない演出でした。

本当は大事な所を意識して、それの為に、そこに向かい物語を作る。結果全てがその為だけの物語になり、その一点に集約していくので、そこで感動するのです。

それが無いからこのアニメでは敵が倒された時も今一盛り上がらない。友達が死んだ時も、姫が一度死んだ時も盛り上がらない。金髪の貴族が仲間に殺された時も雑な死に方でした。だから一期最後に姫が撃たれる瞬間「撃たれるな」と分かりましたね。そうすれば盛り上がるだろうと、監督が思うだろうと分かったからです。流石に伊奈帆まで撃たれるとは思いませんでしたけどね。それはあそこで撃たれる意味が分からない演出だったからです。想像以上にその場限りな、細かな所が雑な物語でした。

 

ちなみに、最近やはり宮崎駿さんが優れているのが分かりました。まあそりゃそうだと言う事ですが。

この人の作品は細かなおかしさが無い作りですね。だから安心して見てられる。

それが「ラピュタ」「ナウシカ」等の面白い作品なら分かりますが、個人的に大して面白くもない「ポニョ」や「ハウル」なんかも、おかしい突っ込みどころが見付からない作りでした。よっぽど考えて練って作っていたのでしょう。

逆に「アルドノア・ゼロ」は細かな雑な所が気になって見れなくなっていきます。設定も物語も、全体的に良く出来た作品なのに、細かな雑な演出がノイズとなり気に入らない。それがこの作品が今一うけなかった理由だと思います。

 

そしてこの感想自体は「喰霊-零-」の時と同じです。だからこそ誰かが作品の悪い所は言う必要があると思っています。言わないから同じ間違いをするのです。

エヴァンゲリオンもテレビ版の最終回でぼろくそに悪く言われるべきだったと思います。言わないから始めの映画版でまたおかしなものを作り、やっぱり駄目だと止める事になったのです。

個人的には「天気の子」なんかももっと悪く言われるべきだと思っています。別に消えてなくなれと言う事ではありません。その悪い所を直して、良い作品を次は作って行ってほしいと言う事です。

 

今後このアニメの残り半分を見ます。

たぶん同じでしょうからもう言う事は無いでしょう。

つまり内容がどうだろうが、基本が同じなら同じ事をし続けるのです。

変わる訳が無い。

いやこのアニメ、絶対名作と呼ばれるポテンシャルはあったと思いますけどね。残念ですね。次に期待です。監督には変わって行ってほしいです。変わらない人は進歩が無いと言う事ですからね。