号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

odd story

アニメ「ワンダーエッグ・プライオリティ」6話、考察、続きです。ネタバレです。

 

これは脚本家だけではなく、監督もきてるなあ、と思えてきました。良く出来た監督が出て来た気がします。

脚本家野島さんも、この監督を褒めていたそうです。

もちろん脚本が良く出来ているのが前提ですが、そこから細かな演出はたぶん監督だろうから、監督の力量と努力の賜物かもしれないですね。

 

ちなみに脚本と演出、どちらが大事か? ですが、もちろんどちらも大事です。

脚本が骨だとします。脚本だけだとスケルトンです。それに下手に肉付けをすればゾンビの様になるか、整形失敗の人みたくにしかならない。

ぎゃくに骨が無いと肉の塊です。つまり人には見えない。

 

で、「まどマギ」が頭に浮かぶ訳です。

虚淵脚本で、犬カレーさんが肉付けをしたようです。

もちろん監督も関係してるでしょうけど、監督が何をどこまでしてるかは分かりません。でも監督も大事な決定をしてるでしょうし、大小の調整もしているだろうか、この人も必要だった事でしょう。

まどマギ」は物語「人魚姫」が入ってますね。見ればそうなのですが、今一釈然としなかったです。人魚姫を入れるには物語上少なすぎる気がしたからです。これを始めから入れるのを意識して脚本をした人が、物語上この様な薄い入れ方をするだろうか? と感じてました。

ただ脚本家の心構えとして、あまり入れると良くなく、隠し味程度におさえておくべきだと言う信条があるのかな? と勝手に片付けてました

それに「ワルプルギスの夜」が出て来るし物語「メフィスト」が入っていると言われてました。しかしこれも薄い気がしてました。

しかし虚淵さんのコメントを見たら「人魚姫もメフィストも犬カレーさんが入っている様に演出しただけだ」と言う事でした。虚淵さんはよくまどマギにはメフィストが入っていると言われるけど「しらんがな」と言ってました。

私はこれで納得しました。犬カレーさんが脚本から「ここは人魚姫っぽいので人魚姫にかぶせよう」とか「メフィストにかぶせよう」と後から付けた演出だったのですね。

そう考えれば、この物語上薄い入れ方も納得できます。

それにだからこそ脚本は、元の話に引っ張られる事なく自由に出来たと言う事ですし、演出として絵的に隠し味程度に、良い塩梅に謎が入っている物語になったのでしょう。

脚本家がいて、それから演出として情報を足していく、それで複雑さと深さが増したのでしょうね。

しかも、この足したのが監督ではなく、別の犬カレーさんなのでなお更良い訳です。犬カレーさんがやった事に最終的にバランスを取る人もいたと言う事ですからね。

それに見た事の無い不思議な演出を足すには、それをやる才能がいるので、その突出した才能のある人と、面倒くさい事もしなくてはいけない監督が別にいた事も良かったのでは無いのか? と思っています。

ちなみに犬カレーさんは、何の仕事をするか分かってない宙ぶらりんな状態だったそうです。そして作っている最中に段々やる事が増えて行ったそうです。

私は監督とか脚本家とか名前がある人だけではなく、もっと細かな穴埋めをする人が必要だろうと思っています。なぜなら物語作りは既に複雑で深い能力が必要なものになっているからです。

昔は医者だけだったが、しまいに内科医、外科医等とわかれ、それから脳外科医、麻酔専門、レントゲン技師、等と細かな事を専門とする人が必要な位複雑になりましたよね。だから物語ももっと細かな細分化「も」必要かもしれませんね。

 

さてワンダーエッグの方も脚本家の野島さんが良いのは分かりましたが、監督も良いのかも? と思えてきました。

まどマギ」みたく多数の才能が合致した、珍しい作品になりそうな予感です。

 

ネットで考察を見てて気が付いたのですが、6話の始め、蛇口から水が落ちるかのような「ちゃぽん」と言う音から始まるのですね。分からないよ。

そして真ん中位の途中で、急に白く濁った水の絵だけが映ります。

これらが言いたいのは? 終わりの方でアイが風呂に入ってますね。つまりこの風呂に入っている状態で思い出しているのが6話だと言う事です。

だから6話は時間や場面がバラバラでいいのです。このバラバラなのは演出上良いと思いますが、わざわざそれでいい理由も始めから入れてるのです。よくやってますね。

 

オッカムの剃刀の事が出てきます。知らなかったので、ネットで探りました。

オッカムは「必要以上に多くを仮定するべきではない」と言う事を言いたいそうです。

これは全体のヒントなのでしょうけど、逆に言えば「多くを仮定出来るようなミスリードを沢山入れてますよ」と言う事です。

わざわざ言ってくるのは親切と言うより「ちゃんと言いましたよ」と言う良い訳であり、挑戦ですね。でも面白いし、分からしてから挑戦してますよ、と言う事であるので、正直でもあるのでしょう。

今回6話は「たぶんミスリードだろう」と思える事が多々ありますね。だからこの回でオッカムの剃刀をわざわざ言ってくるのでしょう。やらしいですね。

だから今回の怪しすぎる事は、まず関係が薄いでしょう。数珠とかね。まあ見えない者を見えるようにすると言う意味はあるかもしれませんが。

 

今回の助ける子はツインテールです。リボンもついてます。

そして抱いてるぬいぐるみは耳があります。それを離さない。より所です。

よくあるのが、ぬいぐるみは仮想の子供とか友達とか、もしくは自分自身ですね。

ワンダーキラーが出てきます。この頭が印象的です。しかしリボンが付いてます。これはツインテールを誤魔化して表しているだけですね。

ワンダーキラーは手に包帯です。ぬいぐるみも手に包帯です。

ワンダーキラーは制服です。ラッパが武器です。ほら吹きですね。

つまり、今回の助ける子と、ぬいぐるみと、ワンダーキラーは同一人物ですね。

 

では今回の子はほら吹きか? と言うとそうでは無いと思います。ほら吹きと思われてしまうと言う事です。

しかしこの子が現実にいたとしたらどう思いますか? 誰にも見えない人が見えると言う事です。

おかしいと思うでしょ? だから病院に入れられて正解だと思います。

でも「見えない人がいる」は間違いかも知れないが「見えない人がいる様に見える」は間違って無いです。ほら吹きでは無いのです。嘘ではない。この子には見えるのです。

それは認めてあげるべきです。この子が見えるのは嘘ではない。さて、それからどうするか? は病院の先生にまかせますけど。

そしてこのワンダーキラー、つまりもう一人の自分は狂暴ですね。だからこのもう一人の自分を認めてはいけない。

それにもう一人の自分とは話をしてはいけないといいますね。友達になってもいけない。だから拒絶する話なのでしょう。

見える事は認め、そこからこのもう一人の自分を無くすようにする事が必要です。物語上ちゃんとそうなってます。倒す事よりも、見える事を認めてミッション完了ですからね。良く出来てますね。

 

さてさて、もう一人の自分が見える子の話ですよ。

ここまでこのブログを見て来た人は、きたかな? と思いませんか?

それを分かりにくく見えない敵とする。それに数珠を出し、幽霊みたくする。見事な誤魔化しだと思いませんか? 本当に上手いですね。