号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

何と、なぜ戦うのか?

映画「ランボー ラスト・ブラッド」ありましたね。見てません。感想です。

 

ランボーはメキシコのカルテルと戦う。どうもスプラッター映画の様な戦いシーンらしい。最後ランボーが椅子に座って終わる。

と言うのを見る前から漏れ聞こえてきてました。だから見る気もしませんでした。

ずっと前から、確かランボー2か3の頃から思っていた事があります。

それは「ランボーは何と戦うべきか?」と言う事です。

 

押井守さんが本の中で言ってたのが「映画は地雷が多い。それを一つでも踏むとダメな映画になる」と言うような事です。

押井さんは「ベイブ2」でブタのベイブが街に行く、すると急に嘘っぽくなる事を地雷を踏んだと言ってました。そうでしょうね。

映画「ジェイソンボーン」も失敗だったと言ってました。作り手が、大事な面白要素が失ってしまった事に気が付かなかったのですね。逃げれないギリギリの状況で、謎の巨大組織に挑む、と言う所だと思います。敵も自分すらも謎であり、味方もいない無理な状況で戦ってきたのに、「ジェイソンボーン」ではただの凄腕のエージェントみたいでしたね。

 

特に続き物「何々2」の時は考える事が必要だと思います。

1では初めてなので何でもありです。必要な物は新たに作ればいい。だからこそ感覚でも成り立つ時がある。

2ではアイテムがそろっています。それは良い物がもう出来上がってるので、一見簡単に思えますが、違います。なぜなら、それらを使わなくてはいけないからです。これはパズル的な要素が必要になってきます。使わなければならないアイテムを使い、その中で面白くするには考える事が必要になる。

1では何が面白かったのかを考えるのだが、同じアイテムなのに1と同じ事は出来ない。同じアイテムで違う事をする必要があるのです。

 

ターミネーター」とか「スターウォーズ」は2が良く出来てましたね。これらは比較的簡単です。1をひっくり返せばいいのだからね。

これら二つもそうですが「エイリアン」等ではスケールアップも効いてますね。SFなどで1ではたいしたお金も使えなかったのが、2では大金が使えると、スケールアップが出来、それだけで成立したりします。

逆に1から大作だと2は難しいですね。「インディペンデンスデイ」とか「アベンジャーズ」等です。どうしても1の感動は超えられないですね。

これらはSFなので、このような簡単な方法でも2が成立しますが、そうでないと難しくなります。だからこそ考えが必要になってきます。

 

地雷を踏んだ映画があると同時に、この映画ではこれが正解だと言うピンポイントを狙い当てた物もあります。「バットマン ダークナイト」ですね。

これを見た時「バットマンはこれが正解だ」と思いました。リアルなダークな世界での話にする事で、アホみたいな恰好のバットマンが成立するのです。

ちなみにこの時のバットマンは三部作ですね。その1と3も悪くはなかったですが、弱かったですね。少しリアルさから離れたせいもあると思っています。

 

アニメ「009」のオープニングテーマ「誰がために」。この歌詞を見た時にも「これが009のやるべき事の正解だな」と思いました。作詞が石ノ森章太郎なのであってたのでしょう。このイメージで作るべきなのです。

歌詞に「九人の戦鬼と ひとのいう」「涙で渡る血の大河 夢見て走る死の荒野」とあります。サイボーグ戦士は誰がために戦うのか? と言う歌詞なのです。

鬼と呼ばれ誰にも認められないのに、血の大河と死の荒野を進むがごとく戦う。誰の為に戦ってるのか? と自問自答しながら戦うのが、サイボーグにさせられた彼らの運命である、と言う内容です。

これこそが面白くなる大事な要素であり、「サイボーグ009」の物語の進む道なのだと思いました。

 

さて「ランボー」です。

個人的には、早くも2から1の良さを見失って、そのまま終わりをむかえたと思っています。

ランボーが戦うべき相手は何か? アメリカですね。

ランボーが1で戦ってたのは、警官でも軍隊でもなくアメリカなのです。

もっとマイルドに言いたければ「アメリカの負の要素」でもいいです。

だから私はランボーアメリカにケンカを売る話にするべきだと思い、そうやらないかな? と思ってましたが、最後まで誰も気が付きませんでしたね。残念です。

アメリカ人がアメリカの負の要素にケンカを売る。これ以上の愛国心があると言うのでしょうか?

ランボーアメリカにケンカを売る、これ以上の面白い話があるのでしょうか?

残念ですね。そりゃ最後一人安楽椅子に座り終わる訳です。そこには思い出以外、何もないのです。