号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

森のケーキ屋さんのジレンマ

今は昔。森の奥にケーキ屋さんがありました。

そこにはおじさんの妖精さんが二人いて、ケーキを作っていました。

一人の髭のおじさんはとてもケーキ作りが上手でした。それこそ一度食べたら病みつきになり、まだ食べたい、また食べたい、と皆が思う様な不思議なケーキでした。

もう一人のおじさんもケーキ作りが上手だった筈ですが、段々様子が変わってきたように見えます。

どうもここのケーキが美味すぎ、子供が沢山食べてしまうようです。しまいには何も考えないで、栄養のあるものも食べず、勉強もしないで食べ続ける子供がいたそうです。

その事をこのおじさんは「これは良くないぞ」と見ている様でした。

そこでこのおじさんは栄養もあり、しかも甘くはないケーキを作り始めました。

それは森の外でケーキを作る職人や、一部の大人にはうけましたが、子供にはうけませんでした。なのであまり食べてはもらえなくなりました。

髭のおじさん妖精が、甘くて美味しいケーキを作り売ってお金をため、もうひとりのおじさん妖精がその貯めたお金であまり売れないケーキを作る。そんなケーキ屋さんになっていきましたとさ、めでたしめでたし。

いや、めでたくないので続きます。

 

ジブリ高畑勲さんについて書きたいと思います。

この人は何かあるとは思ってましたが、面倒くさそうなので見ないようにしてました。

でもネットでたまに聞いている、岡田斗司夫さんとか山田玲司さんとかの話でもちょろちょろ出てきて、やはり色々思いや考えがある人なのだと言うのが漏れ聞こえてきました。

この人の言ってる事をちょっとネットで見ただけでも、掘り下げると、思ってたよりずっと面白そうですね。

ただこの人自体を掘り下げると深そうで、すぐに分かるのは無理そうなのと、大変そうなのであきらめて、この人の言葉の一部だけで気になった所を書こうと思います。

 

高畑さんも異化効果を気にしてる人だったそうですね。

物語に同化させて感動させるものは良くないと思っていたそうです。

そして押井さんも異化効果の人らしいですね。なぜこだわるのかは知らないですけどね。高畑さんと同じ理由なのか? いな、なのか?

そして富野さんは異化効果ではないけど、物語に感化されて動かなくなったりしない様に、最後キャラを殺して行ったりして、見てる子供などを遠ざける人らしいです。

私は、これら見てる人の事を考えて同化させなかったり、最後に無理やり追い出したりする方法は「大きなお世話」だと思ってました。子供達もそこまで馬鹿ではないだろうと思ってました。

これはケーキ屋さんをやってるのに「ケーキは栄養もないし食べ過ぎると糖尿になったりして良くない」と言ってるようなものです。

だから高畑さんは、栄養があって甘くなくあまり美味過ぎないケーキを作っているように見えてました。

富野さんの方は店に呼んで食べさすけど、最後首根っこ捕まえて子供らを店から追い出す様な事をしてました。

これらは本末転倒に見えます。ケーキ屋さんのジレンマなのでしょう。

 

私の考えは、基本はケーキ屋さんは「甘くて美味しくて病みつきになるケーキを作るべき」だと思います。

それが栄養があまりなく、食べ過ぎて糖尿になってもです。

なぜならケーキ屋さんだからです。

ケーキ屋さんをやっていて、栄養や健康を考えるから無理があるのです。

それにひっかかるのなら、ケーキを作る以外の所で頑張るべきです。例えば「食べ過ぎると体に悪いよ、ほどほどにしましょう」と言うメッセージを子供らや大人に送るとか。

もしくは横に総菜屋さんか、病院でも併設してやればいいのです。もちろん実際には難しいのは承知の上です。だがケーキの中に総菜屋や病院の要素を入れようとする方が無理な話です。ケーキ屋さんは美味しいケーキを作るだけでも難しいのですから、美味いケーキを作る事を第一に考えるべきです。

そもそも食べてもらえなくなったら、意味がありません。

 

ギターを持った男が言う。

「子供達よ。大きくあったお前達に、お父さんから生きるのに必要な事を伝えておく時が来たようだ。それを歌にしてきたので聞いてくれ」ジャカジャーン。

と、やり始めたら「いや、言葉で話せよ」とつっこみますよね?

「子らよ、人として大事な事を、紙芝居にしてきたので見てくれ」と言っても「いや言えよ」と思いますよね?

ものを伝えるには適材適所がある。

そして食べ物にも適材適所がある。ケーキで栄養を取ろうとするから無理がある。

本当に子供や次の世代に伝える事があるのなら、そのまま言葉で言うべきだと思います。

感情や感覚にも言いたいのであれば、ノンフィクションで見せるべきだと思っています。

フィクションで物語で伝えようとするのだから無理がある。限界があります。どうしても伝えれる物は限られてくる。その事を理解しておく必要があります。はなから主食とケーキを同じにしようとするから無理があるのです。

もちろん、何か伝える物としてのケーキにも意味はあります。普通食べてもらえないものをケーキにして誤魔化すと、食べてくれるからです。しかし、皆が食べてくれる甘くて美味いケーキに入れられる栄養は限られてくると、理解しておく必要がありますね。

ケーキは甘くて美味い必要があります。基本の栄養は他の食べ物で取らせるべきです。

 

さて、世の中そんなに単純では無いですね。白か黒ではない。

髭の妖精さんが作るケーキは特別ですね。美味すぎました。一歩間違えれば麻薬になりそうな位の代物でした。麻薬なら危険だと思われても仕方がないのかもしれません。

しつこいようですが、多くの問題は量の問題です。質の問題ではない。

普通のケーキぐらいなら、高畑さんらが気にしてる事は、気にし過ぎだと思います。しかし妖精さんが作る美味過ぎるケーキなら話は別です。例え良い物であっても、なんでも度を越してくるとブレーキが必要ですし、片寄った物は真ん中に持っていく努力は必要になってきます。

高畑さんは「あまり感情移入してしまう物語は考えなくなってしまう」と言うような事を言ってました。確かにそうですね。美味過ぎるケーキは「美味い」以外考えられなくなります。(私個人の感想ではナウシカがそうです。あれは考えさせるような内容なのに、面白過ぎて考えたくなくなりますね)

頭を使わず見れる物語もたまにはいいですが、それだけだと馬鹿になりそうです。だから頭を使うような物語に出来るか、考えてみる事も必要だと思えてきました。

 

私は「火垂るの墓」が今一好きになれなかった。どうも何を言いたいのかがはっきりしない。主人公の行動が正しいと思えなかったからです。ウッチャンナンチャンの内村さんも「主人公達、家から出てかないで家にいればよかったじゃん」と言ってましたね。同じ気持ちでした。

しかし高畑さんは「主人公の行動が正しいのか」も含めて考えてもらいたかったそうです。なるほど、なら成功してますね。

ただほとんどの人にはそこまで考えないで「あの子たち可哀そう」と思ってる気がします。つまり考えさせる事に気を付けた物語なのに、見てる人の多くは「あの子らの行動が正しかったのか?」を考えないで見てしまってます。気を付けても難しいのだから、なお更考える余地を作る物語にしなくてはいけない事に気が付きました。面白いものですね。

それに「銀河鉄道の夜」も子供の頃から嫌いでした。これも何を言いたいのかが分からない。「カンパネルラが友達を助けたが死ぬ物語」で何が言いたいのかが分かりませんでした。ただこれも今頃になって「考えさせる物語」と思って見れば成功してたのだと分かりました。

この二つは考えさせる物語として成功してるように思えますが、危険もありますね。私の様に「何が言いたいのかが分からない」となりがちです。そしてそれは間違ったメッセージを送ってしまいがち、と言う事でもあります。どっちも「頑張ってもどうせ力なき子供は死ぬ」と言うようにとらえてしまう人も多そうです。だから危険です。たぶん中途半端な考えしか持っていない人が作ると、間違ったメッセージの物語でしかなくなると思います。この二つの作品がそうならないのは、よくよく考えて気を付けて見ると、作り手の細かな考えだったり思いが見えてくるので、成功してるのでしょう。

考えさせる物語と、何を言いたいのか分からない物語、これは紙一重です。よっぽど気を付けて考えて作る人じゃないと、やらない方が良いと思います。

 

では頭を使うように仕向けた物語。それをやろうとした高畑さんが成功したのか? と言うと別の話です。

作るのにお金がかかるのだから、ある程度の金銭的な成功は必要です。作り手が石油王で趣味で作ってるなら別ですが。

富野さんは美味そうなケーキで皆をひきつけ、その後殴って帰させるようなものです。この人は金銭的な成功はしてるけど、帰させ方がやばい人でしたね。(もしかしたら今は違うのかもしれませんけど)

そしてイクニさんです。そしてピンドラです。これは成功してるように見えるのです。多くある中の一つの成功の形なのかもしれないけど、成功例を見せれた気がするのです。

それは、女の子にも受けそうなピンクの美味そうなケーキに仕上がったからです。そしてそれなりに売れました。髭のおじさんの様に沢山は売れませんでしたが、それなりに売れた事が大事ですね。そして栄養もありました。それをうまく隠して皆に食べさす事に成功したように見えるのです。ピンドラはやはり良く出来てます。

 

ただ間違ってはいけないのは、イクニさんは、高畑さん富野さんや押井さんより後の世代の人ですね。この人らや、他にも演劇だとかの前の世代の人達の努力があったから、イクニさんが出来上がったように見えます。

前の世代の努力が、後の世代に生きてるのだから、後の世代の人の方が上手くやったとしても、だからより優れてると言う簡単な話ではないでしょう。

しかし、後の世代の人なのだから、前の世代のやってきた事をふまえやってるのだから、上手く行くのは当たり前……でない所が面白い訳です。それなら今現在、素晴らしい物語であふれかえってる筈ですね。

イクニさんは前の世代のバトンを正しく受け取り、自分なりの答えを出したので、異化効果の現大王認定って事でどうでしょうか?

 

森のケーキ屋さんの、栄養満点のケーキはあまり売れませんでした。

ただ一部の大人やプロにはうけました。

そしてその作り方や心意気や考え方が、他のケーキ屋さんに残った気がします。

だからこそ、今後も残された人たちによる、ただ甘いだけでは無いケーキがチャレンジされて作られていく事でしょう。

めでたし、めでたし。