物語としての宗教の使い方について、私の考えを言います。
「かぐや姫の物語」の最後に月に赤ん坊が映る絵が出ますね。
ネットの意見を聞くと、月の赤ん坊の絵は、子供の頃の記憶や、地球での思いでは残ると言いたいのじゃないのか? とありました。でもならなぜ赤ん坊なのか? そこは意味が通らない。
私が始め思ったのは輪廻転生です。
かぐや姫は最後の少し地球を見て涙します。なんとなく記憶が残っていて、だからやはりまた極楽浄土から現世に落とされるのじゃないのかな? と思いました。
神は穢れた(けがれた)現世にあこがれた姫を地上に落とす。かぐや姫は帝のアタック等で「穢れた現世なんか居たくない」と願った。だから神が極楽浄土から降りてきてかぐや姫を連れて帰る。と言う物語だそうです。
神が全てを救う存在なら、かぐや姫をもう一度現世に島流しにすると思います。そもそも記憶がなんとなく残ってる事自体、神の恩赦かもしれませんね。
ただこれは物語上の救いです。高畑さんはそうは思っていないが、悲しすぎるので物語上入れたのでしょう。
高畑さんはやはりただの死亡だと思っているし、輪廻転生なんか信じてはいないのでしょう。
だからこの話は「救いのない話だ」と言うのです。
輪廻転生は危ない考えですね。死んでもまた生まれ変わるのなら、死なんか気にする事も無いのです。
昔は死が隣り合わせだった。子供の頃に死ぬ子も多かった。だから死なんか気にしないと言う位の誤魔化しが必要だったし、それで構わなかったんでしょう。
しかし今は違います。危険な考えに思えます。
つまり輪廻転生は精神的な救いではあるが、効きすぎると危険でもある。麻酔のような物です。お酒のような物です。
だから高畑さんは赤ん坊の絵を入れる位に留めたのでしょう。危険性があるから「救いがある可能性があるかもしれない」位に留めたのかと思います。
そして「スカイクロラ」です。
これも原作では死ぬ前の記憶がなんとなく残ってるようです。
しかし押井さんはアニメではそうは言ってませんね。原作でそうなのだから、そうも出来たのにしないのは、私には輪廻転生の否定にみえるのです。
つまり、最後に死んだ男が生まれ変わって生きている様にみえる、様に描くが、実はそうはなって無い。
これは救いがある様に見せて、裏では「輪廻転生なんて嘘っぱちで信じちゃいけない」と言っている様に見えるのです。つまり「かぐや姫」とまるっきり同じ作りなのです。
そして「ピンドラ」です。
これも輪廻転生を物語上使いながら信じてはいない。
信じているのなら死んでもかまわないのです。「自己犠牲として少年たちは死にました」と言う物語で良いのです。しかししない。
これも輪廻転生の否定です。この話でも物語世界から言っても、使ってもいいのに使わない。つまりイクニさんが信じていないのです。
そして宮沢賢治も信じていなかったでしょう。だから迷って「銀河鉄道の夜」なんて物語を書いてしまったのでしょうね。仏教徒がキリスト教が入った物語を描き、生き返るのだから構わないとか、極楽浄土に行けるのだからハッピー、と言う物語にしないからです。
これ等の考えであっていると思います。
しかし皆はっきり言わないばかりか、救いとして見えるように描くから分かりづらいですね。
さっきも言った様に、死がそんなに悪くない様な気がするから危険なのです。
そしてこれは宗教上の考えです。しかも宗派によって違う筈です。
つまりその宗教の人以外では通じない話なのです。
多くの人が信じているのは科学です。だから科学上の考えから離れたこれらの事は、受け入れられないのです。
もし、これらの一つの宗教を押す話にするのなら、始めからするべきです。見ている人に、例えば仏教の話ですよと始めから言えば嘘では無くなるのです。客との約束は破るな、と言う事です。
「ダーリンインザフランキス」の最後が生まれ変わりエンドです。これは最後に急に輪廻転生を言うから、見ている人に受け入れられないです。でもこれはたぶん製作者も仏教を信じた人では無いでしょう。だから都合のいい所で都合のいい宗教観を入れて来るので、なお更たちが悪いのです。
「エンジェルビーツ」も最後生まれ変わりです。しかしこちらは始めから「死後の世界だ」と言って始まっています。それで内容が雑であっても客に嘘はついてないのです。だから生まれ変わりで通るのです。
押井さんが西洋の映画を理解するにはキリスト教の理解が必要だと言っていました。そうでしょう。
それは所々にキリスト教の影響から暗喩があったりするので、知らないと分からないからですね。
では西洋ではキリスト教を信じているのか? たぶん多くの人は違います。多くの人は科学を信じているのです。
だからキリスト教の影響が強い映画が多くても、キリスト教映画は少ないのです。それは信じている人が少ないからです。
キリスト教はどちらかと言うと、一般常識に分類されるものです。だからそれを知らないと映画を理解できないだけです。でも信じているとはまた違うのです。
日本でもクリスマスの事は皆知っています。だからクリスマスが関係してくる物語は多いです。クリスマスを知らないと何をやってるか分からない事でしょう。しかし日本人はクリスマスの本当の意味なんて誰も気にして無いのです。クリスマスは宗教から来ていても、日本ではただの一般常識なのです。
だから日本では寺も多いですが、本当に心から仏教を信じている人は、割合で言ったら少ないのです。だから仏教を物語で入れるのなら、墓参りとか一般常識としては良いけど、仏教を信じて無いと信じれない物は入れるべきでは無いのです。
つまり輪廻転生は仏教のある宗派を信じて無いと信じなれない事なので、普通はそれを入れるべきでは無い。
もう一度言いますが、入れるのら始めから「仏教物語ですよ」と言っておくべきです。それで客も納得して、安心して、見れるものになるのです。
宗教は何を信じているかと言う事です。
今は信じている物で圧倒的に多いのが科学です。だから科学の事は皆信じているだろうと入れるのは間違っていない。
しかし他の宗教でしか通じない物は違います。それは少数だからです。
それを入れるのなら始めから明言するべきなのです。それで嘘にならないで済む。
つまりはそれを信じている物が多数だと思える場所では、それに従うべきだと言う事です。(間違ってるかもしれませんが)例えば、イスラエルなら何も言わずユダヤ教を信じている物語としても成立するかもしれません。
私は宗教は信じてません。
しかし本当に困ったときには神頼みをしたくなります。
正月に神社で手を合わせてみたくなります。
不思議なものですね。
だから信じてなくても、心のよりどころになるものなのでしょう。
なので輪廻転生が救いとして物語として登場するのでしょう。
しかし高畑さんも押井さんもイクニさんも、救いとして入れておいても、嘘にならない様に気を付けています。
信じる人には輪廻転生に見え、そうじゃない人には違うように見えるように置いておく。
そしてたぶん自分らは信じて無いのです。
流石に考えて作ってる人は、何をやっても上手いわけです。