号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

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早く大人になれよ。子供だましは子供しか騙せないのだから。

 

アニメ映画「天気の子」感想です。ネタバレです。

 

見てみないと分からないものですね。

見る前から世間では賛否両論あって、気になってしまったのでネットとかで皆の感想を見てしまいました。

皆の感想から内容も大体分かり、それから考えられた感想は「テロを起こす宗教団体の勧誘ビデオ」です。

実際見てみると、始めからずっと勧誘ビデオそのままの作りですね。だからとにかく気持ち悪いのを我慢して見てました。

で、実際見終わってみると「そこまで悪くないかな?」と言う感想でした。中二病過ぎて何が悪いのか分かってない子供が作ってはいるが、作り手がおかしな人ではなさそうだと分かり安心しました。見てみないと分からないものですね。

 

実際に見るまでこの感想文は『フィクションで物語的にして「テロを起こす宗教団体が作った勧誘ビデオ」の「天気の子」を見た人の目から、どこが「勧誘ビデオ」でどこがおかしいのか?』と描こうと思ってたのに、止めました。そこは残念です。

そこまでおかしな人の気持ちが入って無いと分かったので、極端な悪口は止めました。

 

でもだからこそ残念ですね。

間違いやすい間違いを犯しているし、だからこそ見ている子供にも勘違いさせやすいアニメになっています。

 

ではどこが「テロ勧誘ビデオ」なのか? を書きます。

 

主人公、帆高がやがて教祖になる人物です。勧誘ビデオの主人公は教祖ですからね。

ヒロイン、陽菜が巫女です。神に選ばれた人であり、巫女でもある人が選んだ人が、教祖帆高様なのです。

キャッチコピーは「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語」です。教祖様とその奥さんになる巫女だけが、世界の秘密を知っているのです。それを皆さんにお見せしましょう、と言う物語です。

そして題名が「天気の子」です。天の気の子、天の気分の子供、つまり「神の気持ちの代弁者」が帆高様なのです。

物語始めから教祖様の声です。絵は陽菜を映しているのにです。つまり教祖様の子供時代の話なのだと言うのです。ヒロインはおまけです。どのようにしてまだ若かった教祖様が、汚い世の中を浄化して「世界を変えてしまった」のかの物語が始まったのです。

 

「キャッチャーインザライ」の本が出てきますね。この本はジョンレノンを殺した奴、ケネディ大統領を殺した奴、レーガン大統領を殺そうとした奴等が持っていた本です。世の中のインチキに抵抗して、暴力に出て来る人達の聖書になっている本です。ただこれは元の本の意味を、間違って解釈してるように思えますけどね。別に暴力的行動に出るのが正解だと言う本ではなさそうですからね。
雑誌「ムー」も出てきます。オーム真理教は始め「ムー」に空に浮かんでいる写真を載せたりして募集してたそうですね。これも別に「ムー」自体が悪いわけでは無いですけど。

帆高は銃を拾います。「この物語に銃はいらなかった」という感想が多いですね。しかし必要なのです。あさま山荘事件で使われた猟銃は、交番を襲撃したが失敗したのち、銃砲店を襲って奪ったものが使われました。つまりテロ行為をする人にとって銃は、戦うのに必要な力と言う認識です。だからこの物語に銃はどうしても必要なのです。

帆高はたまたま銃を拾います。上手いですね。つまり天から銃を持つ事を選ばれた人なのです。力を持ち世界に銃を向けろと天に言われたのが、帆高様なのです。

帆高様は運命的に巫女であらされる陽菜に出会います。巫女たる陽菜様は見ただけで帆高様を感じ取り、食べ物を上げざるえなかったのです。

もちろん巫女たる陽菜様は天に選ばれた人です。力を得た鳥居の場面、空からの光に導かれてますね。

水が魚の様になる、空に竜が出て来る。これも「嘘っぽいのでいらなかった」と言う感想がありますね。もうお判りでしょうけど、必要なのです。なぜなら宗教勧誘ビデオだからです。人知を超えたものが見えるのが巫女であり、教祖様なのですから。

 

帆高も陽菜も親が出てきません。これも上手いですね。大人は信用してはならないのです。なぜなら大人は汚く嘘つきだからです。だから離れて暮らしなさいと言うのです。

帆高なんか別に大した問題も無いのに家出します。陽菜も中学生なのに弟だけと住みたいと言うのが無理な話です。でも大人と離れて暮らすこの子らが正解だと言う物語です。

オーム真理教もそうでしたが、信者に家から出て住み込みをさせますね。親はもちろん今まで普通の世界で生きてきた人であり、常識がある人達です。その人と暮らせば自分の宗教のおかしい事に気が付くかもしれないじゃないですか。だから親と、そして世間とは離さないといけないのです。常識のある大人は必要ないのです。

なのでここに出て来る大人は悪そうですね、特に警官が悪そうです。この宗教団体にとって警官は敵なのでしょう。別にこの警官たちはまともなのにね。

「大人たちは分かってない」と言うけど、この子らの何が分かってると言うのでしょうね? 社会からの恩恵は受けてるくせに、押さえつけられている所ばかり文句を言う子供は、ただのわがままですね。

物語上では「大人たちが分かってない」理由を無理やりつける必要があるのです。それがスピリチュアルな事です。だから皆が見えない物が見え、理解出来ない事が出来る、それが教祖様と巫女なのです。この二人にしか「世界の秘密」は見えてはいけないのです。

須賀 圭介は味方です。大人でも帆高様と長く一緒にいた人は、味方になってしまうのです。しかしそれでも大人には限界があります。だから最後帆高に「お前が世界を変えたなんておこがましい」みたいな事を言うのです。結局大人には帆高様の本質は理解できないのです。

 

帆高は一度捨てた銃が、また偶然使いたい時に手元にあります。なぜなら神に銃を使う事を託された人だからです。そして銃を向けます。今度は銃と分かっていて向けます。ちゃんと段階を踏んでいますね。銃を向けざる得ない状況を作り、違法な事をする不安を無くしていくのです。「しょうがなかったんだよ」と言う事です。

帆高は陽菜を救います。世界何てどうでもいいのです。他人何てどうでもいいのです。ただ、これは別におかしいとは思いませんでした。この責任を陽菜が取る必要はない気がしますからね。

でも問題はこの物語の後ですね。

たまたま2019年10月ごろに関東で大雨になりましたね。そして何人か死人も出ました。何日かの大雨で(一日であっても)人は死ぬのです。「天気の子」は数年雨です。東京も海に沈んでいます。じゃあ何人死んだのでしょうね? 電気も上水道も、もちろん下水も水に沈んでその周りで住めるわけないじゃないですか。頭おかしいのでしょうか? でも「しょうがなかったんだよ」と言う事です。愛する人を救う為なのだから。

だから次は帆高様は分かってても人が死ぬのを選ぶのでしょう。銃で段階を踏み、水で多くの人が死ぬのにも理由を付け段階を踏む。銃の時みたく、次は偶然ではなく必然として人の死を選ぶのを擁護する作りなのです。だって「しょうがなかったんだよ」愛する人を救う為なのだから。

 

テロを犯す団体は、犯罪を犯すその一秒前までは犯罪集団では無いです。

テロ集団の犯罪を犯す前日までを描いたらどのような作品になるのか? その子供時代を描いたらどのような物語になるのか? 「天気の子」になるのです。

 

アニメです。世の中を良く分かってない子供を勧誘するには、アニメがいいですよね。それに実写だと怖さが出てきます。水に沈んだ東京を実写としか見えないCGで描いたら、怖さが出てくる。それをアニメなら「これでも良いんじゃないのか?」と言う誤魔化した絵が作れるのです。良く出来てます。

最後、陽菜は力を無くしたが祈っています。巫女様は今は力を無くしたと言う、上手い言い訳になるエンディングです。そして巫女は祈るのです。信者の為に祈るのです。

帆高様は言います「大丈夫」。何が大丈夫なんだと言う意見も多かったアニメです。

でもあってませんか? このセリフ。教祖様は信者に向かい言うのです「大丈夫」と。皆を集める集会で壇上に上がった教祖様は声高に言うのです「大丈夫!」そして信者も言うのです、大声で「大丈夫!」それを皆が気絶するまで朝まで言い続けるのでしょう「大丈夫、大丈夫、大丈夫!」

帆高様は「僕たちは、大丈夫だ」と言います。つまりこの宗教に入って、仲間になった人達は生き残る事が出来ると言う、終末論です。

 

これが「テロを起こす宗教団体が作った勧誘ビデオ」でなくて何なんでしょうね?

 

影響力を持った大人が、子供を惑わす嘘はいけないのです。

たぶんこれは狙ったのではないが、子供を騙そうとするから、勧誘ビデオと同じになったのでしょう。

子供を騙すのも、ディズニーみたく「これは良い嘘なんだ」と思って言っているのでしょう。

これは無知で無茶な子供の背中を押す物語です。ボニーアンドクライドカッケー! と言っている物語です。危ないですね。

大人は汚いと言っていて、間違いではないが「大人は」ではなく「人は」ですね。

まともで頑張っている大人を馬鹿にした作りです。だから漫画家の山田さんが怒ってるのは良く分かる。しかも考えてない子供のふりをした大人が、良く考えないで大人は嘘つきだと言っている。象徴的にも物理的にも、東京を海に沈めない様に考えて悩んでいる大人を馬鹿にした作りです。何百万人も住む所を無くす事も考えないで、物語としても子供に対する影響を考えないで、東京を海に沈めて「大丈夫」と言う、人を馬鹿にした作品になっています。

 

始めに戻りますが、でも見てみると、そこまでおかしい人が作った作品だとは思えませんでした。

人はおかしくはないが、それに狙った訳ではないかもしれないが、子供騙しになっている作品です。子供を騙す作品です。

やって良い事と悪い事、それが分かって作られていたら、良い作品になったかもな、そう思える作品でした。早く大人になってほしいですね。

 

2020年 6月 2日 追加

 

ちょっとネットでの人の意見で気になった事があったので書いときます。

私は前から物語は3つの目線があると思ってます。

キャラからの目線と、作者の目線と、自分からの目線です。

これがごっちゃになってると分かりづらいですね。

百田さんの「永遠のゼロ」の時も思いましたが、この物語の主人公の青年から見れば「特攻とテロは違う」と言うのも「まあそう思ってもしょうがないだろう」と思える。だけど問題は百田さんもそう思ってるだろうって事です。厳密に言うと確かに違うかもしれないけど、結構似てると思います。どこが似てるのか違うのかに触れないで違うと言うのは、違うと言うのが私の考えです(小説読んでないので小説で言ってたらごめんなさい)。

「天気の子」の主人公も年を考えれば、そこまでおかしくはないです。問題はいい大人の作者も同じに思ってると見える所です。

帆高は「大丈夫」と言います。これはこんな世界になってしまったけど、どうにかして見せる。だから「大丈夫」と言ってるようにも見えます。

しかし気持ち悪いのは帆高少年ではなく、作者なのです。

作者が東京を海に沈めて「大丈夫」と言ってる様にしか見えない所が、気持ち悪いのです。

帆高は自分から進んで海に沈めたのでは無い。しかし作者は自分の意志で沈めたのです。そして自分の意見として「大丈夫」と言っている。何が大丈夫なんだよ、と多くの人が思ってしまう物語になってるのが、問題なのです。