号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

サンダ 対 ガイラ

映画「サンダ対ガイラ」ほぼ関係ありません。

 

数年前の話を蒸し返すようで悪いのですが。

お笑いコンビ品川庄司の品川さんが映画監督をしていて、映画の中で映画批評をする人に対し、批判をした様に見える事をしたそうです。

その事に対し、ラジオで映画評論をしている宇多丸さんと言う方が「それは間違っている」と言う事を言ったそうです。

私は、YouTubeでも宇多丸さんの映画評論が出て来るので、たまに聞いてました。

こんな所で人知れずささやかながら、他人のやった事にいちゃもんを付けている(ように聞こえる)私としては、この辺の問題をきちんと言っておく義務はありますね。

 

宇多丸さんが言うには、品川さんは映画の中のキャラクターに「映画撮った事もない奴がグダグダ言ってんじゃねえ」と言ってるように聞こえる事を言わせている。それが話の内容から関係ない所で言ってるので、品川さんが個人的に言ってる主張だと聞こえるのだそうです。

これがあってると仮定します。つまり「映画撮った事もない奴が文句言うな」と品川さんが言ったとします。ちなみにこれをキャラクターに、つまり役者に言わせたのなら、宇多丸さんが言ってたように姑息ですね。正しいと思うのなら正々堂々言えば良いだけです。

 

たまたま数か月前に、元大阪府知事だった橋下徹さんが政治の事で「じゃあ自分で政治家になって政党作ってやってみろ」みたいな事を言っていたとネットで見ました(この人は昔からこんな事をよく言うようですけどね)。

それを聞いて「違うな」と思ったのですが、この言ってる事は品川さんと同じです。

他人に何か言われた時に返す言葉で「じゃあ自分でやってみろ」と言うのは「やった事もない奴がグダグダ言うな」と言う意味ですね。この時橋下さんは返す言葉として言ったそうなので、同じになります。

じゃあ考えてみてください。政党作れる人が何人いますか? 政治家になれる人が何人いるのか? 監督をやれる人が何人いるか?

つまり「国民の99.9パーセント以上の人に対し、何も文句は言うな」と言う意味です。

例えば日本国首相でもいいですし、アメリカ大統領でもいいです。この人たちのやってる事に文句を言える人が経験者だけだというのなら、ほぼ「誰も何も文句はいうな」と言う意味です。それでいいんですか?

 

そもそも論点がずれてるどころか、論理的な所が何もない言葉です。

基本は内容がどうなのかを言うべきなのです。

つまり批判の内容を言ってはいない。それが間違ってると言うのならどこが? どのように間違っているのか? を言うべきです。

批判の内容ではなく、「誰々が」言うなと言ってる事が問題です。これでは「お笑い芸人が監督なんてしてるな」という批判と同じです。「誰々が」なんて何の関係があるのでしょうか?

では名監督なら何を言っても良いのか? 元首相は政治家をコケおろしても良いのか? そんな事は無く、言ってる内容が大事ですよね。

 

「基本」は内容に反論するべき、と私は言いましたが、なんでも限度がありますし、時と場合もあります。

それにずっと言ってる事ですが、問題の多くは量の問題です。質の問題ではない。だからこそはっきりした答えが出ないのです。そこは良く頭にとどめておくべきです。

フォローではなく、私は「やった事が無い奴、やらない奴が言うな」と言いたくなる気持ちは分かります。

こんな大きな事ではなく、ただの日常的な事や会社のちょっとして事でも、やらない奴があれこれ言うと頭に来ますよね?

やらない奴は、自分がやらないし、やれない事を前提として言うべきです「ああやれ、こうやれ」でも「ああやったらいい」でもなく「ああやったらいいんじゃないでしょうか?」位にしとくべきですね。ものは言い方、でもあります。

でもこれも文句を言う側からの意見として、例えば魚屋さんがカレイとヒラメの区別が分からない位の事をしてるのを見ると「何やってるんだよ」と言いたくもなります。つまりなんでも限度があると言う事です。

どっちも量の問題だと言う事です。

 

では素人が「こうしたら良い」と言うのはありなのか?

将棋のプロの方同士が指してる横で、素人が見てるとします。たぶん上手い素人ならたまには「こうした方が良いのに」と思う事があると思います。そしてそれがあってる事もあるでしょう。

つまり素人がたまには部分的にプロを超える時もあると言う事です。しかしそれと同時に部分的にだし、たまにです。素人がそのプロと指しても勝てないでしょう。

これで素人が「プロも大したことないな」と言うのは違うし、プロが「じゃあお前が指せよ」と言うのも違います。

しかし一手だけ素人の方が良い手を思い描いたとするのなら、それはそう言う事です。それを超える話でも、未満でもありません。「一手だけ素人が良い手を思い描いた」ただそれだけの事なのです。

もし一手だけ素人が良い手を思い描いたのなら、プロはそれを認めるべきです。

それと同時に、その素人が横で「分かってないなあ」とか五月蠅く言ってたなら「じゃあお前が指せよ」と言いたくなる気持ちも分かると言う事です。

 

では映画批評とかを本やラジオやネットで、素人が言う事はありなのか?

ありでしょ? 何も言うなと言うのでしょうか?

私個人は、プロの方が悪い所も含め言ってくれるのならプロの方に任せればいいと思っています。つまり映画なら監督などです。

しかしそれは世間的に禁止されてますよね? 同業者を悪く言うのはつぶし合いになるので禁止されてるはずです。だから映画監督は他の映画がクソだと思っても、言わないですよね? オブラートに包んだ言い方をしますし、それであってると思います。

だとすれば素人が悪く言うしかないじゃないですか。素人しか言えないのですから。

監督からすれば「素人が言うのだから」と気にしなければいいじゃないですか。

それでも言い返したいのなら、言い返せばいい。監督は他の作品の悪口は言えないけど、映画批評家の悪口は言っても良いと思います。批評家もさらされてしかるべきです。

 

宇多丸さんが面白い事を言ってましたね。同じような時期に「何も文句を言うな」みたいなメッセージを言った人が、品川さんの他に二人いた。松本ひとしさんとナベアツさんだと言う事です。

この三人に橋下さんも含め、なぜ「何も言うな」と言い出すのか? つまり批判が多くなったと言う事です。

映画も政治も不特定多数の人が見てるものです。必ず批判もあるけど賛美もあるでしょう。なのに否定的な意見ばかりになったので「言うな」と言うのです。「すごいぞ、よくやった」と言う意見の方が多ければ、何も言うなとは言わないのです。

つまり世論が否定的な事ばかり言うようになったのです。批評家が悪く言うから皆悪く言う、なんて本気で思ってるのでしょうか? それが素晴らしい物なら世論が許さないでしょう。世論から、悪く言う批評家の方が叩かれるはずなのです。それが叩かれないのは世論が同じ意見だからです。追い詰められてきた事を示すのが「何も言うな」なのです。

 

橋下さんの事で言えば、最後の最後は「じゃあ自分でやってみろよ」と言うのも良いと思います。

橋下さんは言うだけではなく、自分でやったのだから褒められてもいい筈でしたね。

でも問題は、人の心を考えてなかった所だった気がしますね。

聞いている人が、橋下さんは言えるだけ反論したと思えたのか? やれるだけの事はしたと思ったのか?

やれるだけをしたと思わせ、その後で「自分でやってみろ」と言う事を言えば聞いてる人も「そうだよなあ」と思わせた筈です。

この他にも「どうも攻撃的だよなあ」と思わせる言動が多かったですね。問題は攻撃的な言動もやむなし、と皆が思えたのか? そんな言い方無いのじゃないのか? と思ったのかです。

言ってる事が正しいかどうかではなく「その言動が皆の心をつかんだのか?」が大事だったのでは無いでしょうか?

だから最後は皆の心が離れて行って政治家を辞めていった様に見えましたね。

ちなみに橋下さんは政治家を辞めた方が幸せだろうから、橋下さんが嫌いな府民は政治家として頑張らせておいた方が良かったのにね。

 

さてもっと深い話。

「何も言うな」ではなく、言った事に対して反論があるなら言うべきだと言いましたが、そうも言えない時があるのは、分かってあげてもいいかと思います。

一つはしがらみです。スポンサーの意向だったり、先輩の意見だったり、役者やスタッフの「こうしないなら、おります」発言だったり、お金や期限の限界だったりして、しょうがなくしなくてはいけない時が、大人ならありますよね?

もう一つの方は、もっと分かりにくい話です。明らかにその人個人の失敗だったとします。しかしその人からすれば会社が忙しい、上司がおかしい、先日肉親が死んだ、自分は風邪なのに働かざる得ない状況だった、等の事があり、気持ちの上で「しょうがないだろ」と思う事もあります。もちろん思っても言いませんでしょうけど、通じないですからね。

客などの相手方にしてみれば「そんなのそっちの都合だろ」と思いますし「いやなら他の仕事しろよ」とか言いますよね。まったくその通りなのですが、人は皆そんなに強くはないですからね。嫌なら他の仕事について、やっていける人なんて一割もいないじゃないですか。その事を考えてあげてもいいんじゃないのかと思うのです。

客にとっても限度があるでしょうが、それが生死に係わるとか本当に困る事でなくて、謝っているのなら、後悔してるのなら、許すべきです。

やってみると大変で間違いもおかしやすい仕事もあります。そうだろと言った所で「いや俺は上手くやる」なんて言う奴いますよね? そうなると最後は「じゃあ自分でやってみろよ」と言いたくなるのは分かります。

これらの場合は言葉で反論は出来ないですからね。それこそやった人にしか大変さが分からない事も多いのです。

なので「自分でやってみろ」と聞いたら、この意味で言っている可能性もあるので考えてみるべきですね。スポーツ選手等では多いと思います。

橋下さんなんかは、この意味で言ってるのが大きい気がします。そして言いたくなる気持ちも分かります。だけど橋下さんの問題はやれた事、やった事、ではなく言動だったような気もします。府民を、国民を味方にしなければいけないのに、最後まで何か見えない敵と戦っていたように見えました。それが怖がられたのでしょう。残念ですね。

品川さんも松本さんも、この意味で言ってる所もあるのでしょう。しかしもっと上手くやれてる同業者(監督)がいるのだから、この言葉はくすんでしまいますね。

それでも「知った事ではない。間違ったやつの責任だ」と言う人もいるでしょう。人に優しさを見せる事が出来ない人は、その人自身は気が付いていないでしょうけど、周りに人がいないですよ。優しさを見せれたら、いた筈の人が、友が、子がいないのは、あなたを避けてるのに気が付くべきです。あった筈の幸せが、あなたの人生を避けて通っている事に気が付くべきです。

 

「品川さん 対 宇多丸さん」そこから頭に浮かんだのが「サンダ 対 ガイラ」です。昔の怪獣映画です。実は見た事は無いです。

サンダとガイラは、30メーターと25メーターの人型の怪獣で、二人とも同じ細胞であるクローンです。

サンダは人間に育てられたので温和で人の味方です。

ガイラは深海で一人で育った為、人を何とも思っていないし人を捕食します。

では品川さんと宇多丸さんどっちがサンダで? どっちガイラなのか?

それで気が付いたのが、実はガイラはいないのでは無いでしょうか? 少なくと今はまだガイラはいないように思えました。

ただ今後も「誰も文句を言うな」等と言い続けていたら、皆を敵にまわします。人々を敵にまわしたのがガイラです。だから人々はサンダを援護してガイラを攻撃します。人々を敵にまわしたら皆から攻撃を食らうのです。

 

世の中にはそこそこの批判は必要です。

そしてその批判に対しての批判も必要なのです。

ではそこそことは? それが人が考える量の問題です。今はまだAIでは出来ない事を人がするべきです。

過度の批判はダメですが、しかし「批判はするな」は脳が止まっています。それは危険です。続けていたらいつの間にか、だたの人を食らう怪獣だと思われてしまいますよ。