号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

機械仕掛けのりんごは思考しない。

2004年のアニメ映画「アップルシード」と、2007年の続編「エクスマキナ」を見ました。

よくある続編物の失敗について書きます。

 

何か文句ばっかり言ってますが、要はバランスです。良い所は他の人が言ってくれるでしょうから悪い所を言います。

ちなみに、もし世の中が悪い所ばかり言う人が多ければ、私は良い所を言いますよ。

 

特にゲームで多いですね。二作目で一作目の良い所を消し去る物が。なぜでしょうか?

それは何が良いのか? 何が悪かったのか? を頭で考えて答えを出してないからです。

なんとなくの感覚で物を作ってるからです。芸術作品の様に。

それだと毎回ゼロから始まるので、なかなか良い物を作るのは難しいのです。

 

アップルシードは元の漫画を見てないのでそれは無視します。

元の漫画にどれほど似せてるか? とか、二作目にジョン・ウーが係わってる事のしがらみとかは考えないで、好きに物語を構築できたと仮定して書きます。

 

では「アップルシード」の二作目「エクスマキナ」で良くなった所はどこでしょう?

トゥーンレンダリングは止めましたね。そりゃそうです。気持ち悪かったですからね。絵的に見やすくなりました。

世界は二作目の方が広がりました。前は村の中のお話のようでしたが、街の中のお話に見えるようになりました。

世界が広がる方が物語も広がります。ただ前の荒廃した世界の、限られた閉じられた世界も捨てがたいですね。二作目はよくあるただの明るい未来都市になったようです。個人的には一作目二作目の中間を目指してほしかったです。

二作目の世界だと主役のデュナンも、小さな一個人でしか過ぎなく見え、その方が出来る事が限られてくるので物語としては面白くなります。一作目ではすぐ世界のトップに関係する人だと分かり、すぐトップたちに出会う。簡単すぎます。いきなりラスボスの城に乗り込むようなものです。一作目で完結ならそれでいいと思いますけどね。

二作目は映画的な物語になりました。一作目はあまりにもたどたどしすぎました。急に出てきたヒトミが死にかけても、何も感じません。

個人的に内容をいじって良いのなら、ヒトミは小さい頃の友達だったってのはどうでしょう? ベタですが無いよりはましです。

ブリアレオスとの関係性ももっと必要でしたね。回想シーンでキラーマシーンの様だったデュナンがブリアレオスと過ごしていくうちに、段々明るく笑って話すようになった、と言うシーンを入れても一分位しかかからないのにね。そしてその昔はキラーマシーンの様で必要に応じて仲間も見殺すデュナンが、危険をかえりみず見ず知らずの母と子を助ける、と言うシーンを入れる。その時ブリアレオスに助けられ「なんであんな危険を冒した? お前らしくない」と言うシーンも入れる。それにより母と言うものがトラウマになってる事を示すと同時に、デュナンは本当は良い奴なんだな、と言う視聴者に共感させるシーンになる。ギャップ萌えです。その時ブリアレオスもケガをして「あんたこそ」とディナンに言われれば、ブリアレオスも共感させ、二人は似た者同士なんだなと視聴者に思わせる。こんなシーンが必要だったと思います。

つまり物語の基本の大事な所がかけてるのが一作目でした。

それに比べ二作目は、少しマシになりました。少しね。少しは物語としての基本をやろうとしてるのが見えました。しかしベタでした。ベタ過ぎてベタベタでしたが。

 

一作目の方が良かったのは? 

一作目は、今の時代からするとベタなSFでした。

しかし二作目は恋愛要素を軽く入れたりしたベタな映画でした。ベタな映画よりはベタなSFの方がまだ内容としては面白いですね。

ベタですが、一作目は考えさせる物語になってます。二作目はそれがかなり薄くなってます。明日には内容を忘れる、アメリカンなB級アクション映画になりました。

考えさせる内容があり、それでいて基本が甘い分、一作目の方が良くなれる可能性が大きかったですね。

 

例えば二作目は、青い色を赤く塗りつぶした様な作品でした。だから一作目が良かったと言う人と、二作目が良かったと言う人が両方いますね。青が良いか、赤が良いかの違いです。

理想としては、青くていい所は残し、赤くしたら良さそうな所を赤くする。それにより、よりカラフルな作品になる訳です。しかし残念ながら一作目を否定した様な作りでした。

何も考えず新しく塗りつぶしてしまうのは、日本のお家芸ですね。

昔のゲームでは良くありました。「三国志」は二作目までの国をヘックスで表すのが優れてたのに、三作目から止めてゲーム性がなくなりました。「ドルアーガの塔」はあの単純な絵と内容が良かったので、あのまま細かな所を良くしていけば良いのに「イシターの復活」でまるっきり変えてしまい人気はなくなりました。「ドラクエ」だって「グラディウス」だって「悪魔城ドラキュラ」だって「パンツァードラクーン」だって「ファンタシースター」だってそのままで面だけ変えるか、もしくは少しずつ出来る事を増やしていく(パンツァードラクーンなら好きな方向に移動できるとか)で構わないのに、なぜか新しく違う物にするか、途中で他のゲーム作りに移行して止めてしまう事をよくやりますね。

ファンタシースターオンライン」が出た時「今後はこう言うゲームばかりになるのでは無いのか?」と思ったら全然出てきませんでしたね。セガ自体からも「PSO2」になるまで正当進化型は出ませんでした。あのまま進化していけば、大作で名作が外国産ばかりな現状では無かったでしょうに。

これは客が何を求めているのか? そのゲームのどこが面白く、どこがダメなのか? を考えず、勘で作っていくからでしょう。職人の勘ですね。

 

ではゲームだけなのか?

日本の街並みが分かりやすいですよね。どこの国でもない統一性のない汚い街並みです。

京都だって所々が昔なだけで、ヨーロッパみたく街全体に魅力があるわけでは無いです。

そして細々と残ったかやぶき屋根の建物がありがたがられたりする、そんな国ですね。

何が良いのか、残すのか? を考えず、全て塗り替えしてしまった国を象徴してるのが、この街並みです。

では中身は?

映画「オールウェイズ」が流行ったりします。あれは記憶の中で美化された昔が描かれているので、本当に昔が良かったわけでは無いのですが、それでも昔に思いをはせる理由は、漠然と「昔に良かった所で今は無くなった所があるよな」と感じているからです。

物のない時代、食べ物も無い時代があり、だからこそ「物があれば幸せになれる」と漠然と思い突っ走ってきた国です。

今は物はあります。食べ物も捨てるほどあります。では幸せは?

幸せになれると思い、物を手に入れようとしてた筈なのに、いつの間にか「物を手に入れる」だけが残りましたね。本末転倒になったのです。これは考えが無いからです。得られた物が、何の為に必要な物だったのか忘れたのです。

本当にそんなに物が必要でしょうか? その物を得る為に、多くの時間を働いている今は正解でしょうか?

そこそこに抑えて、そこそこ働き、必要な物を得る。そして一番に人々の幸せを考える。こんな当たりまえな事すら分からなくなってる国ですね。大事な物を見失っています。

過労死なんて言葉がありますね。なんで多くの店が24時間開いてるのでしょう? 多くの店が夜遅くまで開いてるのでしょう? 銀行も役所も開いてないのに。今はストレス社会と皆分かってますね。これらが全て本末転倒で考えのない社会の結果です。

会社は利益を得ようとするので、これに逆らっては出来ない作りです。つまりおかしいのは法律の方ですね。それを作っている議員がおかしいのですが、それを支えていて支持しているのは国民です。つまり国民の考えが足りないのですが、なぜか? 大事なのはマスコミですね。民主主義で大事なのは情報です。その情報を手にして伝えているのがマスコミです。スポンサーのある営利企業のテレビを信じてきたこの国の汚点だと、いつかは気が付くでしょう。NHKも国民が代表を選挙で選ぶべきでしたね。

(テレビはスポンサーがいるから金を払わずとも見れる。だから否定はしません。しかしただの物ほど怖いものは無いですね。営利企業の影響力がでかくなり過ぎたのです)

今はネット社会に移行しています。だから可能性が出てきました。スポンサー等の一部の人間の意向が入らないマスコミが必要です。それが出来て始めて民主主義が機能します。今の日本はまだ不完全な民主主義でしかないのです。

 

手塚治虫は漫画は風刺だと言ったようです。これは一理あると思っています。

つまり今の社会を分かってない人が、物語を作ろうなんて、お笑い草なのです。

なので私は社会問題を軽く言いました。まあ軽くでもいいので知っておくべきです。

社会問題も物語も表裏一体なのだと、認識して置くべきでしょう)

 

物語に戻ります。

物語は一作目がうけると二作目は最初を踏襲するから、ガラッと変わる事は少ないですね。

大体はただつまらなくなるだけです。

中には「バックトゥーザフューチャー」や「スターウォーズ」みたく、一作目より盛り上がる事もありますが、この二つは三部作の途中なので、少し事情が違いますね。

それに2010年の「アリスインワンダーランド」みたく一作目は駄作なのに、二作目で急に出来が良くなるものも無いわけでは無いですが、まず無いです。

二作目を作るなら、一作目のどこが良かったのか鑑みてから作るべきです。せっかく成功例がある訳ですから。

アップルシード」は物語としては分かりやすく一作目の良さを殺し、新たな良さを入れてきた作品でした。面白いのはネットでの点数を見ると、一作目と二作目丁度同じ位の点数ですね。そしてどっちも低調な点数です。

一作目の良さを認識して、そして問題点を改善した方がいい物語になった事でしょう。

 

もちろん、ゲーム等は飽きられるので、いつまでも同じ事をやってはいられないのだから、どこかでガラッと変えて新しい要素を入れなければいけない時が来るのでしょう。

でも本当にそれがその時必要なのかは考えてみるべきですね。「ドラクエ5」の作りでいいから新しいシナリオやりたくないですか? 「悪魔上ドラキュラ」みたいなゲームが今流行ってないですか? これは何なのか考えてみるべきです。

 

一作目があるから二作目があるのです。昔があるから今がある。

前の良かった所を認識しておくべきです。

じゃないと気が付きもしないうちに、大事な物を失ってしまいます。