号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

約束の地へ

ボグラー&マッケナ著「物語の法則」の中に「ストーリーとは作者と観客の契約」だと言う所がある。

例えば映画なら「金を払い、その上90分かそこら自分だけに注目してくれるように頼む」ような事だと書いてあります。

だからこそ、それに値する対価を払う必要があるし、そういう契約だと客は思っている筈です。

それは最低限客を飽きさせず楽しますと言う事です。

そのシーンは客にとって必要ですか? その言葉は必要ですか? 他に入れる必要な物があるのじゃないですか? 客が見るに値すると思うものがあるシーンになってますか?

それが出来て初めて契約か遂行されたと言う事です。約束が果たされたと言う事です。

 

物語自体は楽しませるのが契約です。

しかし、どの様に楽しませるか? どのくらい楽しませるか? は書いてありません。言外の約束なのです。

言外の約束と言うのは「言葉では書いてないけど普通はこうと思うだろう」と言う事です。言葉以外の意味もくみ取って伝えるのに必要なのは、コミュニケーション能力です。一対一でもそうですが、一対多数のコミュニケーションでも同じです。だからコミュニケーション能力がない人は気を付けた方が良いです。双方に伝わって無い事も多いですね。

しかしです。例えば音楽等では、コミュニケーション能力がなくても良い音楽は作れたりします。それを聞いて皆が感動するものを作れるのです。

だから才能や能力がある人は、コミュニケーション能力がなくても成功したりします。なまじ成功してしまうので、コミュニケーション能力の必要性が分かってない人が多いですね。

例えば人と長く付き合ってくると、初めは素晴らしい事を言う人と思っていても、段々コミュニケーション能力が無いと話が通じなくなってきて、嫌になってきます。

分かってない人は、段々「作者の暴走」と言われることをしだすものです。そして気が付いた時は「初めは周りに沢山人がいてほめたたえてくれたのに、いつの間にか誰もいない」となっていく人がいますよね?

だからこそ、大事なのはコミュニケーション能力ですよ。

オラオラ系の男子が好きだと言う女の人がいて、それで男が「これでいいんだ」と好き勝手やっていくと、何処かで愛想をつかされて逃げられてしまいますね。調子に乗っている芸能人に多いですよね。男なら浮気を繰り返す男が多いです。勘違いしない方が良いですね。上手な人は顔色をうかがってます。オラオラ系の様で、実は社会や妻の顔色をうかがい「これ以上はダメだな」と分かっている人が、上手くやっている人なのです。

たまに物語などの制作で「自分がやりたい事をすればいい」と言う人がいます。間違いです。では「人の顔色を見てそれにそった事だけをすればいい」のか? 間違いです。だからこそコミュニケーションなのです。他人と話す時自分が思った事を全ては言わないでしょ? それに自分だけがずっと話しているのもおかしい。そしてコミュニケーションが上手くいってる人相手だとしたら、相手の言ってる事が全て正しいと合わせたりしませんよね? 言っていい事悪い事、相手の気持ちに自分の気持ち、それらを考慮して話していく事が、上手くコミュニケーションが取れていると言う事です。

音楽や物語などの製作者は気を付けるべきです。コミュニケーション能力が無いと「初めは上手く行っても、気が付いた時には誰もいない」となりがちです。もしくは「他人に合わせすぎて自分を見失っていがち」です。

相手が個人ではなく不特定多数であっても、人相手なのだから同じです。コミュニケーション能力が無い人だと成功は長くは続かないものです。

 

 

どの様に楽しませるか? は普通前もって伝えるべきであるし、裏切ってはいけません。

アクションものだと思ったらアクションであるべきです。恋愛ものであっても、ホラーであっても、なんでもそうです。予告で恋愛ものなのに、見たらミステリーだったでは客が納得しません。約束を裏切られたと思うのです。

 

どのくらい楽しませるか? これも大事です。客に伝えた予告を裏切ってはいけない。予告がCG満載のヒーロー物に見えたらそうするべきです。予告でCGを使ってるのに本編はほぼないのなら裏切り行為です。飲食店の店先のサンプルは大盛りなのに、実際はこじんまりしてたらクレームものです。

 

面白いのは、お笑い等でよく言われるのが「ハードルを高くするな」と言う言葉です。見る前に「すごく面白いぞ」と言われて聞くか「大したことのない普通の話」だと思って聞くかで、その後聞いた「面白い話の印象」が変わってきますよね? 人は期待して無い時の方が、後からもらえる物に感動するものです。

アニメ「エンジェルビーツ」の第一話のエピソードで「バンドをやり、学生がなぜか食券片手で盛り上がってる所で大きな扇風機を回し食券を飛ばす。そして外まで飛ばされた食券をいただく」と言うシーンがありました。しかもどうもドヤ顔でやってるような演出でした。これぞまさに「ハードルを低くする」事ですね。そしてそこからは何も期待しないでこのアニメを見れた事が印象的でした。こんな逆もあるのだなと思いました。

ネットでこのアニメの事で「主人公が死んで他人に心臓移植されるとあるが、主人公は餓死してるように見える。餓死した人の心臓移植なんておかしい」とありました。詳しくは知らないけど、たぶんその通りだと思います。しかし私はこれを聞いて、この事よりも、この事が気にならない位ハードルを低く見ていた自分に驚きました。出来るなら面白い効果をうみますね「ハードルを低くする」事は。

しかし普通は「ハードルを低くする」事は続きを見てもらえなくなるので、狙えるものでは無いですね。このアニメも狙った訳ではなさそうです。たまたま私には良い方に転んだ、と言う話です。

これは「ハードルの高さ」が大事なのだと、考えさせるエピソードでした。

つまり高いと思おうが、低いと思おうが、期待に対し応えれるか? と言う事であり、言い方をかえれば、言外の約束を果たせるか? と言う事になります。

かなえられないなら約束は言うな、と言う事です。

 

例外として、期待を裏切る事が正解の時もあります。「まどマギ」等ですね。

ただこれは難しいですね。思ってた事を裏切るなら、よっぽどいい事を示せないとただ裏切っただけに感じます。

 

あとは、これもコミュニケーション問題になる事ですが、どれが双方にとっての約束と判断されるか? と言う問題があります。

お笑いは「緊張の解放」だと言う人がいますね。シリアスかと思わせておいて、笑かすと効果があります。逆に冗談事かと思わせた物語で、シリアスになっていく物語も印象的になり効果があります。

他の感情もそうで、笑いあり涙ありと、物語は色んな感情が次々来た方が効果があります。

つまり「こう来るだろう」と全て読めてしまう物語はつまらなくなりがちです(全てではないですが。例えば水戸黄門など)。

これらは「適度に裏切れ」と言う事です。

もっと細かく言うと、「約束を果たしてない」とは判断されないレベルで「裏切れ」と言う事です。

しかし、どれが「約束事」と判断されるかは人それぞれです。

その中でも、はっきりした答えはないが、大体の世間的な決まりごとはあるので、その位は守りましょうと言う話です。

毎日学校や会社で楽しく話す異性がいたとして、だからと言って付き合ってるとは言えません。しかし同棲しているのに「付き合ってない。ただ一緒暮らしてるだけ」と言う人は常識が無い人だと思われます。多くの人が認める言外の約束事は、普通は守りましょう、と言う事です。一般的で常識的な約束が分かってない人が、一般的な人が喜ぶ作品を作れるとは思えません。

売れているお笑いの芸能人は皆常識人ですね。たけしタモリさんまに鶴瓶ダウンタウンウッチャンナンチャンとんねるずだって最近は常識人ですね。常識のある人しか他人を長く笑わしたり喜ばせたり出来ないのです。

 

他人の考えている事を理解しようとする事が、コミュニケーションには大事ですね。

それが多数の視聴者相手でも同じ事です。

なのにそれが欠けている物語の作り手、ゲームやテレビの作り手が結構多ですね。

相手の事を理解しようとしないで、どうして相手が喜ぶものが出来るのでしょう?

そしてそれら不特定多数の人に対しても「言外に交わされた約束」が大事なのは理解しておいた方が良いですね。

一度「約束を交わした」と思った人は、ずっとそれを心に留めておくものです。

それは、良くも悪くも大きな力になるのです。

例えば「約束の地」をめぐるイスラエルの問題は根が深いですね。

この位「交わした約束」は重い事なのだと理解してください。

皆自分にとっての「約束の地」へ向かいだすのです。

それが大きな流れになった時、流れをかえる事など不可能なのです。