号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

2、猫を救おう、と言う話

書籍「SAVE THE CAT の法則」 ブレイク・シュナイダー著
の感想の二回目です。

 

170ページ、脚本を動かす黄金のルール

こういう事をすれば物語が面白くなると言う技ですね。

たぶんプロはもちろんの事、素人も色々知っているのでは無いでしょうか? 大小あるでしょうけど、それらを聞いてまとめたら面白そうですよね? 誰かやってくれないでしょうか?

ただプロは出したくはない物ですよね。それをこの著者は自分の技を披露します。面白いですね。成功者の余裕ですかね?

 

172ページ、SAVE THE CAT!

これは読んで字のごとく「猫を助けろ」と言う事です。

主役は好感を持たれるべきだ、とあります。

その方が見てる人には面白いので、主役は好感を持たれるような事をすべきで、それが「猫を助ける」だそうです。

ただこれは本当に猫を助けるのではなく、あくまで好感を持てるように仕向けろと言う意味だそうです。

この本が例で言っているのは「パルプフィクション」で、この中のジョントラボルタは殺し屋で観客には好感が持てなさそうな役でした。しかし愉快で無邪気なキャラにしたのだそうです。それで好感を持たせる事に成功した、とあります。

ちなみに、殺し屋などのキャラだからこそ無邪気さで好感が持てるのでしょうね。悪い奴が少し良さそうな所を見せるだけで、とてもいい奴に見える、と言うやつですね。

それに例えば字のごとく猫を助けたとしても、ただやっただけだと嘘くさくわざとらしくなりますね。それはこの本でも言っています。しかし嫌なキャラ、かたぶつなキャラ、むすっとしてるキャラなのに、危ない猫を助けここだけニコっとしたら、急に好感が持てるキャラになったりしますよね。だからやり方次第です。

他にこの本で好感をもたらす技として、敵キャラをもっともっと悪い奴にしてしまえ、と言うのもありました。主役が泥棒でも、他に人殺しが出て来る世界ならましに見えると言う事でしょう。

「アラジン」では主役がパンを盗むが、食べようとした時、腹をすかした子供がいたのであげてしまうシーンがあるようです。それでなぜか良い人に見えてしまうものですね。盗んだパンなのにね。貧しい子供にパンをあげない善良な市民より、盗んだパンをあげる泥棒の方が好感が持てる。そんなものですね。

とにかく、好感が持てるようにするべきだと言う事ですが、特に主役、特に始まってすぐに、と言う事です。それで客は最後まで見届けたくなる。

これも世の物語で意外とやってない気がしますね。不自然でなく出来るのなら、そして物語上どうしてもやりたくない理由もないなら、これを試してみるべきですね。

 

176ページ、プールで泳ぐローマ教皇

つまらない状況説明をしないといけない時がある。時間の都合上、説明に手間はかけられない時は、言ってしまった方が早い時もある。

しかしそのまま言ってもつまらないので、飽きさせない様に絵で工夫する、と言う事だと思います。

この本では、つまらない状況説明の時、ローマ教皇がプールで泳ぐシーンの事を言っています。それでそれに気を取られているうちに、つまらない説明が終わっているのです。

これはつまらないシーンをもたせる方法ですね。どうしてもつまらないシーンになりそうなら、あきらめず裏で絵で客の気を引く等をやるべきだ、と言う事だと思います。

ちなみに、少し話がずれますが。

確か「卒業」でダスティンホフマンが嫁をさらいに教会に向かい走る時(うろ覚えです。間違ってたらすみません)、向こうからこっちに向かい走るシーンで、まっすぐ長い道を望遠カメラで遠くから取ってるシーンがあったと思います。普通に撮るとすぐカメラまで走って来てしまう。しかし望遠カメラで遠くからアップで取ると、いつまでたってもこっちに来ない、つまり延々走っている絵が取れる。それで急いでいるのにいつまで走っても教会に付かないと言う、客がやきもきする絵が撮れます。つまりこの場合、単調なシーンだが意味がある。

他にもシーンが変わる時に、落ち着かせる為になんて事のない風景を入れるのも、意味がある。

ミステリー等で今起きた事を客が考えたい時に、関係ない風景を入れたり、ミステリーで関係しているが別に今映す意味はないアイテムの絵を入れたりして、客が自分で考えて納得させる時間を稼いだりします。これも必要です。

逆に言えばこういう特別な意味があるシーン以外、代わり映えしない絵、単調なつまらないシーンを入れるべきでは無いと思っています。

つまらなくなりがちなシーンでも、つまらなくて良い理由はない筈です。なら考えろと言う事だと思います。

 

179ページ、魔法は一回だけ

魔法の様な事は一回だけにしとくべきだ、と言う事です。

この本の例では、「スパイダーマン」でスパイダーマンが遺伝子改良されたクモにかまれ特殊能力を得る。その後敵もそれとはまったく関係のない科学実験によりスーパーパワーを得る。これでは魔法が別々に二回起きているでは無いのか? 一回だけならまだ映画だからと納得しても、二回も奇跡が来ると嘘っぽさが増すと言う事だと思います。その通りです。

私も映画「ウォッチメン」で似たような印象があります。ドクターマンハッタンと言うキャラが最強で重要なキャラなのだが、彼はたまたま超能力を得る。そしてそれ以外のスーパーヒーローもいるのだが、そいつらが超能力を得たのとは関係ない事になってる。それを見た時こうしたら良いのにな、と思ったのが「重要キャラのマンハッタンの誕生が他のスーパーヒーローの誕生の原因になっている。例えばマンハッタンが死にかけた時に出す光を浴びた人が力を得るとか」と言う事です。

つまり一回の奇跡なら多くの人にとって許容範囲だが、二回以上はうそっぽ過ぎて見てられなくなると言う事です。

「奇跡が起き、町が救われた」と言う物語があったとして「また危機が起き、また奇跡で救われた」とやったらどう思うのか? と言う話です。

これらは何とかその二つをつないで一回の奇跡にすべきです。そしてたぶん大体できます。

「スパーダーマン」なら敵はスパイダーマンの細胞から作ったもので超能力を得るとかです。

 

181ページ、パイプの置きすぎ

なぜパイプなのかは読んでも良く分かりません。

しかし言いたい事は、物語の肝心なストーリーが始める前置きが長すぎると見てられない、と言う事だと思います。

これは客にとって「どんな物語として進んでいくのか?」が分かる前の情報や時間の事だと思われます。

アニメ「シュタインズ・ゲート」は前置きが長く、何をしたいのかが初め分からない、とよく言われます。これは元がゲームだから許された方法ですね。ゲームは人の手が加わるので(たとえボタンを押すだけでも)物語より飽きにくいものです。「シュタインズ・ゲート」は後半面白くなるので、それでも見れる物語になってますが、前置きが長い作りの所が正解かは謎ですね。

例えば、あきさせない様に不穏な空気を初めの内からもっと出すとか、演出で未来に起きる事件を少し挟むとかあってもいいかもしれません。

これもそれを考えてみる事が大事と言う事です。考えて、やはりいらないな、と思ったら止めればいいだけです。

前置きが長い事が問題なのは、前置きはつまらないという事です。面白ければありなのでしょう。しかし面白ければ、それは前置きと呼ばれなくなると思いますが。

 

184ページ、黒人の獣医(別名、マジパン多すぎ)

黒人の獣医よりマジパン多すぎの方が分かりやすいですかね? ケーキの上にのっている硬めの砂糖菓子です。適量だといいが、多すぎると酷いケーキになると言う事らしいです。

この本では「黒人の獣医で元軍人」と言う例を言っています。実はこれは私は今一分からない。そこまでダメだろうか? 

でも設定が多いと定まらないのは分かります。これが一人ならいいが、こんなキャラが大勢いる事を考えたら、確かに1キャラ1特徴でいいな、とは思いそうです。

脚本術の基本は「シンプルなほど良い」だそうで「アイデアは1回に1つだけ」だそうです。

だとすれば「黒人の獣医で元軍人」の事だと「黒人の元軍人が獣医を目指す」と言う物語ならありだと思います。そうして物語上で増やしていけば良いと思います。

始めから多く盛る必要はない。なぜならその盛った設定が、初めから全て必要ではないだろうから、と言う事でしょうか?

 

186ページ、氷山、遠すぎ!

悪役が遠すぎる。危機が遅すぎる。危険がのろすぎる。と言う事らしいです。

タイタニックで言うと「気が付いたら目の前に氷山が!」だとハラハラするが「気が付いたら氷山が向こうに! ってどこかって? ほらあれあれ。あの向こうに見えるだろ?」じゃハラハラはしないですね。

極悪人も地球の裏側からネットで話しかけるより、ドアの向こうから声が聞こえる方が怖いですね。

しかし地球滅亡の危機なら「一年後に隕石が」でも成り立つかも知れません。でもこの一年で何ができるのか? と絶望と希望が出てないと失敗ですけどね。

つまり距離感の問題ですね。

近く、そして早くやってこい、と言う事です。

せめて第一波が来て「こんなに被害が」となり、なら「本体が来たらもうダメだ」となる様にして、せめて何かは早く来いよ、と言う意味だと思います。

 

189ページ、変化の軌道

唯一変化しないのは悪人だけで、主役も仲間も大きく変化するべきだ、そうです。

ストーリーは変化を描くもんだ、とも言っています。そうだと思います。

アガサクリスティーの本「 春にして君を離れ」は最後主役が変化しません。途中変化するのに元の生活に戻ると性格も元に戻ってしまう。これはミステリー作家だから許される話ですよね。実際はこんなものだと言いたかったのでしょうか? しかし私は気に入らなかったのを覚えています。少しでいいので前進しろよ、と思ったのを強く覚えています。

もちろん何でも例外はあります。しかし「サザエさん」を描きたいのじゃなければ変化させるべきです。しかも前進させるべきです。「ドラえもん」だって映画だと変化するじゃないですか、前進します。来週のテレビ版だと戻ってますけどね。

面白いのはこの著者は、悪役以外は「全員変化させるべきだ」と言う所です。なるほど変化するのが主役だけでは無いのですね。全員の方が力ある物語にはなります。

変化、つまり進歩を見たいのが人なのでしょう。

ちなみに、変化しない物語。これは私の嫌いな日常系アニメでやりそうな事です。でも日常系だって小さな事で進歩していくものしたって良いですよね? 勘違いしない方がいい。この生活がずっと続けばと思ってる人が日常系を見てるのだとしても、その日常系アニメはいつか終わる。そして人は皆、進歩を見たいのです。だからアニメが終わる時、そののほほんとした日常がこれからも続くと言う話でも、皆が何か少し変化、進歩している話にした方が良いと言う事です。

 

191ページ、マスコミは対入り禁止!

これはそうですね。マスコミは物語に出てこない方が良い。

世間の皆が知ってる事はつまらないし、しらけますね。それに嘘っぽさが増します。皆が知ってる問題は専門家にまかせればいいだろ? って事です。皆が共感できる一般人のキャラクターはお払い箱です。

スパイダーマン」だって世間の皆が知らない「あれは何なんだ? 誰なんだ?」と思っていた時の方が面白いですよね? 知られていると葛藤が減ります。「変なやつだ、信用できない」と出会ったキャラに思われれば、それだけで葛藤が生まれます。

毎回言いますが、全てには例外があります。わざと逆を行く事もたまには面白い。「アイアンマン」は皆に知られているからこその物語が描けます(残念ながらあまり機能してませんでしたが)。しかしあまり無いから面白いだけのイレギュラーです。

物語上、マスコミを出すか? 出さない方が良いか? を考え、どっちも出来るなら出ない方を模索するべきですね。

これに近いものも色々あります。

「子供の物語に大人が口をはさむな」とか「家族の話に警官呼ぶな」とか「刑事物語に軍隊出すな」なども同じ事だと思います。つまらなくなるか考えてから出すべきですね。

 

「脚本を動かす黄金のルール」はここまでです。

やはりこれらは分かりやすく面白いですね。

 

またまた長くなってきたのでここで切ります。

書きたい事はもう少しな気もしますが、疲れたので止めます。

次回は198ページ、この映画のどこがまずいのか? からです。