考えるんじゃなくて、感じるんだ。
この言い方、私はちょっと嫌いです。
アニメ映画「海獣の子供」感想です。
考えると言う事は、客観的にも考えれると言う事。
そして、感じると言う事は、自分にとってはどうか? と思う事。
このアニメが言っている事は「自分達にとっての世界の意味は?」が全てである。
それは良く言えば、結局全ての生き物は、世界の全ての事に対し、自分にとって意味があるのかが全てだと言う事。
悪く言えば、それは小さな生き物個々の自分勝手な思いで、客観的には見えてはいないと言う事。
書籍「ホモデウス」を書いたハラリさんが「人生は物語では無い」と言ってましたね。
このアニメは「世界は物語だ」と言っていると思います。
私はハラリさんの考えに賛成なのですが、でも人は人にとってどうかが全てだと思えば、このアニメの様な「人にとってどうなのか?」も一つの考えだな、と思えてきました。
しかし、ほぼ全ての事に良い面と悪い面がある様に「人にとってどうか?」の世界観は危険もあります。現実から目をそらしてしまいがちだからです。自分に都合のいい世界観を構築してしまいがちです。
客観的にみると「世の中に意味なんか無い」と言う仏教的な考えの方が正解だと思います。
そしてそれをふまえてから「でも人なのだから、人から見た世界の意味はどうなのか? に最後は行き着く」のが正解では無いでしょうか?
このアニメは客観的な世界を表してはいない。主観的に世界を見ている。つまり、人にとっての世界を表している。
しかしそれは、世界の半分しか表してはいないと言う事です。
だから半分の事、現実があいまいです。初めから現実を描く気が無いので、このアニメのおかしい所を言った所で意味が無いですね。
ただ作ってる人達は、人から見た世界観が現実につながるのだと思って作っている。つながればどこまでが現実かがあいまいになる。作ってる人達の現実感があいまいだから、客には分かりずらく、言いたい事が伝わってこないのだと思います。
トラックで何処かに行き、そこでトトロみたく木の中のトンネルを超えますね。あれは不思議な世界への入り口ですね。
なら千と千尋の神隠しみたく、あそこから非現実に行き、そして不思議な体験をしてから帰ってくる、そんなよくある作りの方が伝わったと思います。
人から見て感じた世界の話。
それを世界と認める事が出来るのか? が賛否の分岐点だったと思います。