号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

21 Lessons 感想その2

ユヴァル・ノア・ハラリさんの書籍「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考 」の事を書く二回目です。感想です。

 

281ページ、無知

複雑な世の中になったので個人が知っている事などたかが知れてるが、自分は知っていると錯覚しがちだ、との事です。

人間の決定はほとんど合理的な分析ではなく、情動的反応と経験則による近道で決めてしまう、とあります。

実は個人は世界を良くは知らない事と、周りの影響が大きいので、集団志向で決める事が多い、と言う事らしいです。あってると思います。

人は、自分の影響を及ぼすたまたまある周りの考えに影響されて決めてしまいます。それが道理に通ってなくてもです。

人は無知を認めるのが怖いのです。でも全てを知ってる人なんかいない。だから周りの人が知ってる事を、さも自分が知ってる事の様に思う生き物なのでしょう。自分も含めてだが、知っているかのように話す人が多いですね。テレビで言ってる人も大体そうです。専門家は自分の専門の所は知ってるだろうけど、それ以外はすべて知ったかぶりです。だからテレビで言ってるほとんどの事は知ったかぶりです。

その知ってるように感じる情報のほとんどは、テレビで誰かが一回言ってた、新聞で一回見た、誰か知ってる人が言っていた、なんとなくそう感じた、その程度で正しいと思ってるだけですよね。だから自分の周りの影響でそう思ってるだけなのです。だって、周りの意見から得ただけの情報なので、そうなるのはもっともなのです。知っているのではなく、誰かが言ってたのを知っているのです。

しかしこれは結構日頃だと上手く行くものですね。だからこそ止められないのです。正しかろうが間違っていようが、周りと合わせておけばつまはじき者にされませんし、死ぬ時は一緒です。周りも死にたくないから最後は皆で何とかしようと一緒に考えてくれたりします。それで多数に合わせておけば、多数は大きな力があるので何とかなったりもします。

しかも周りに合わせとかないと、いざと言う時見捨てられますからね。たとえ自分が正解でも、多数の力ある人達は正解を捻じ曲げたり出来るので、合わせとかないとつまはじき者にされるだけだったりします。だから処世術としたら周りに流されておく方が、確率ととしたら良かったりします。つまり実際は周りに流されず正解を持つのは難しいと言う事です。

理想としては、何が正解かは自分で持っていて、それで周りに流される方が良いか? 違う道を進むべきなのか? または周りに流されてるように見せておいて、自分だけいざと言う時に逃げれる用意をしとくべきなのか? はたまたそこから出てどこかの町、国、会社に逃げるべきか? を決めれるようにしたいですね。

 

285ページ、権力のブラックホール

権力者に集まる人は、大抵何か思惑があり、してもらいたい事がある。だから権力者に集まる情報は歪む、とあります。

なるほどね。権力者ほどフラットな情報は集まりにくいですね。不特定多数に向けた情報から得るのでもない限りはね。

ただ権力者相手でなくても、人は他人に話す時何かしら思惑があったりします。親兄弟でもない限りは。思惑と言っても悪い事でも意識してるわけでもない場合が多いけど、あるのです。ただ格好つけたい、馬鹿だと思われたくない、弱音を見せたくない、逆に弱い奴だと思わせて助けてもらいたい、仲間だと思われたい、仲間だと思われたくない、等の事かもしれないけど、でもあるのです。

人からの情報は大なり小なり歪むと思うべきです。

今気が付きましたが、私はなぜその言葉を言っているのか? を勘ぐってしまう癖があります。特にどこか不自然な所がある人はね。これは疲れるので良い事ではないけど、役に立ったりもします。癖ではなく意識して使い分けれる人が一番いいのでしょう。

 

290ページ、世の中が複雑になったので、自分の責任がどこまであるのかが分からなくなっている。

先進国の裕福な生活の裏で、低賃金で働く子供が何処かの国にいたとしてら、その責任は自分にあるのか? 環境汚染を他国でしてるグローバル企業の株を100万円持ってたとしたら、自分に責はあるのか? それは分からない。

292ページ、しかし知らない所で問題があるとしても、知ろうとする責任はある、と書いてあります。そうだと思います。

力ない正義は意味が無い。しかし知ろうとするだけでも力になるのです。テレビで見るだけでも視聴率が稼げ、視聴率が稼げればそんな世間の情報を流す番組が多くなり、いつか政治家も無視できなくなります。だから知ろうとするだけでもある程度の責任は取っている事になるのです。

ただどの程度が個人の責任なのか? と言われればはっきりした答えは無いですね。これは量の問題です。何度も言ってますが、量の問題は難しい。でも明らかにダメなのはある。ニュース等にまるっきり興味がないダメな人はいる。その人は誰が見ても無責任ですね。

 

307ページ、ゲッペルズが「嘘は一回語っても嘘のままだが、千回語れば真実になる」と言ったそうです。ヒトラーは「プロパガンダは要点を絞り込み、ひたすら繰り返す」と書いたそうです。流石に当時、プロパガンダを上手くやっただけあり良く分かっていたのですね。

310ページ、忠誠心を判断したかったら馬鹿げた事を信じさせる、とあります。馬鹿げた事も信じてくれるのだから忠誠心があるし、そのような人達は団結力がる。馬鹿げた事にもすがりたい位の人達なのだから、やってる事を否定できず狂信的になる。だから怖いですね。そういう人たちは何でもしがちです。テロはこの様になりがちですね。

311ページ、お金も企業もサッカーも虚構とあります。皆が信じているからこそ存在できてるものと言う事です。つまり皆が信じれば虚構でもこの様に力になると言う事だし、虚構を信じているのは宗教家だけではないと言う事ですし、役にも立っていると言う事です。

313ページ、つまり虚構は力をうむ、と言う事だそうです。そして逆に言えば真実は力を失うと言う事です。おおむねそうだと思います。

虚構を信じると言う事は、皆がまとまると言う事ですね。まとまれば力になります。真実には確かなものが無いのでぶれやすく、まとまりいにくい物ですね。皆つまらない真実なんて聞き手くないのです。

虚構は嘘で幻です。でも役に立ったりするし、力も得れる。

しかし悪い方の力になったりもしますね。だからよくよく考えて虚構と言うものを理解しておかないと、痛い目にあいますよ、と言う事だと思います。

 

314ページ、現実と虚構の区別は難しい。なので完璧さを求めてはいけないようです。

世界は複雑になったので真実は分かりにくい。政治家も本当の事ばかり言うわけでは無い。嘘も方便の時もある。全ての人の、全ての事を信じるのは危険だ。と言う事でしょう。

より可能性が高いものを信じる努力をし、可能性を高める事しか出来ませんね。例えば世界の裏で大地震があったとしても、自分で見に行ける人はまずいないでしょうから。

315ページ、信頼できる情報が欲しければ、たっぷり金を払え、とあります。ただの物など無いと言う事です。ただの物や安いものを提供するのは意味がある、思惑があると言う事です。

例えばテレビは視聴率を稼ぐために、面白おかしく描きますね。面白くしようと大きくゆがんで伝えています。夕方のニュースは芸能ニュースも同じ位の大事件の様に伝えますよね。スマップの一人が公園で酔って脱いだという事件覚えてますか? あの騒ぎ様。天変地異でも起きたかの様に。あれが危険なのは、あれが大きな事件の様に感じる事では無くて、本当の大きな事件の時、危険度が薄れてしまう事です。皆の感覚を麻痺させていくのです。

他にもスポンサーがいるのでその悪口は言えない。景気が悪くなる事も言えない。等の歪んだ情報を流してますね。

戦前の新聞も売れる為に、皆が興味をかい買ってくれる事を書きました。日本が勝ったすごいぞ! とあおったようです。つまりお金を払ってもこういう事もあります。

だから情報には金を払えと言っても、日本は一般人に対しあまり選択肢が無いですね。残念ですね。私は昔から、お金を取るけどしっかりした情報を一般人に伝えるものが必要だと思っています。

316ページ、科学文献を読めだそうです。これも一般人には敷居が高いですね。それに文献自体があってるかは謎です。でもこれしかないですね。武田邦彦さんがネットで何か話したりしてまいす。この人は科学文献を読んでいるので、人としては信用できますね。ただその文献自体が怪しい気もするので、この人の言葉を全てうのみにしてはいけないと思っています。

武田さんの話もハラリさんのこの本の話も、全てを信じない方が良い。と言うと語弊がありますね。全ての人の全ての話を信用してはならないと言う事です。人はすべての事の専門家ではないので、色々な内容の事を話すと必ず間違いが出てきます。それに専門家だって、弘法も筆の誤りな時があります。それに未来からしたら今は歴史の途中なので、今の全ての知識があってるわけでは無いですね。未来からすれば、あの時代はなぜあんな事を信じてたのかと思うものです。まさかこの時代が全ての知識の到達点だとは思ってはいないでしょ? なので信用でき、頭がよく、知識がある人でも、全てが正しい事を言うわけでは無いので気を付けるべきです。もちろん今こんな事を言ってる私の事も含めてですけど。

 

 318ページ、虚構が力をあたえる。だから劇作家等は大事だ、との事です。

共通した価値観を信じ込ませる事が力になるので、アニメなども思ったより大事なんだなと最近私は思えてきました。価値観、論理感、道徳、正義感、そういうものを子供に植え付けるので、日本では特にアニメや漫画は未来を決めてるのかもしれないとさえ思えてきました。

しかし最近のアニメや漫画はどうでしょうか? 私は勧善懲悪でも良いと思っています。最近はひねった物か、逆に何も考えてない物が多い気がしますね。これはいい方向ではない気がします。作ってる人は未来の価値観を決めてるのだと思うべきですね。

319ページ、その中でもSFは未来を考えさせるのでより大事になるだろう、と言います。

326ページ、SFの「すばらしき新世界」は一世紀近く前に書かれているが、未来を考えるのに良く出来ている、そうです。

この小説の面白い所を、この本の中で少し書いてあります。それを見て私が思うのは、人それぞれが「好きにすればいい」と言う事ですし「好きにするだろう」と言う事です。私は良く言ってますが、人は現在山に登ります。結構日本では簡単な山上りは流行っているようです。何の生産性もないし疲れるし危険もある山登りをするのです。それに運動もします。将来SFの様に動く椅子に座り歩けなくなる事もあまりなさそうです。だから心配しなくても皆がそれぞれの生き方を決める気がするのです。しかも今の人が見ても、それほど不気味ではない未来になる気がします。

 

338ページ、今の時代情報は沢山手に入る。それをこれ以上詰め込む今の教育はもう時代遅れだ。これから大事なのは「情報の意味を理解したり、重要なものを見極める能力、大量の情報から世の中の状況をとらえる能力」だと言います。

何を教えても時代遅れになるので、汎用性がある物を教えるべきだ、と言います。

確か前に、テストの時に携帯でネットで「誰か答えて」と書き、その出てきた答えを書いたと言うニュースがありました。その時確か大前研一さんが「ネットで答えが出るもを覚えさせている教育がおかしい」と言うような事を言ってたと思います。その通りだと思います。

調べてすぐわかる物を時間をかけて覚えさせるのは意味があるのでしょうか? しかも人として成長する大事な子供のうちにです。意味のない役に立たない物を覚えさせるよりやる事が無いでしょうか?

もちろん専門家になる人は専門の所はパッと頭に浮かぶように覚えるべきです。でも今の教育はそうはなっていない。覚えさせ過ぎです。覚えさせる事を絞らないと、その分野ですごい人が出てこないですね。

「子供のうちに勉強する事自体を覚えさせるのが大事だ」と言う人もいます。勉強をするなではなく、勉強するものが違うと言う事です。無駄な事に時間をかけ過ぎだと言う事です。

 

ここから少し私見を言います。専門家ではないので疑って聞いてください。

ゆとり教育が問題視されましたね。何が問題なのか? 

あれは勉強を減らすのではなく、ゴールを変えるべきなのです。

つまり大学受験を変える。自動車免許みたく、この大学で勉強できる基礎学力があるかをテストするべきです。

そしてそれ以上は皆合格です。そして合格人数が多くて皆は入れないとしたら、抽選です。

勉強が出来るのに抽選で落ちたら可哀そうだ? でもそれは勉強ができる人が学べる良い大学が少ないのが問題なのです。問題が違います。

たぶん最初の数年は有名大学に殺到するでしょう。でも数年で落ち着きます。それは虚構だからです。今は、大学で学ぶよりも大学卒業の肩書が欲しいだけですよね? だから段々と、入るのが難しい大学の価値は薄れて来るでしょう。

入るのが難しい大学の入試試験が解ける人を望んでいる会社が、どれほどあるのか? その学力が必要な会社は入社試験でそのテストをするべきです。それで東大に受かる位のテストの点数を取った人を取ればいい。ではそんな事をする会社がどれほどあるのか? まずない。問題はまずないと国民の多くが知っている事です。国民は東大入試試験に受かる学力自体が意味が無いのは知っているのですよ。それがこの国です。おかしいと知ってる事すら直せないのが、今のこの国です。

大学でやっていける基礎学力のみをテストすれば、意味のない勉強は無くなります。それがゆとりです。ゆとりは意味のない、価値のない、対価が無い努力は無くそうと言う事です。努力が悪いのでも勉強がダメなのでもない、意味が無いからダメなのです。

 

344ページ、時代の流れが速いので、もはや大人の意見も当てにはならない。

ネットでもテレビでもあてには出来ません。だからこそ全てを信じたり一つの情報に頼ってはいけませんね。実際にやれる事として、この事(時代が早いので先人たちの知恵もあてには出来ない)を自体を自覚している事が大事だと思います。

 

369ページ、虚構を信じ込ませたいのなら、犠牲をはらうようにそそのかす。

人は犠牲が必要だった事を否定は出来なくなる、と言う事です。その犠牲が無駄になるからです。ダメ男につくす人は、つくすほど抜けれなくなる。会社も国も、ある事業にお金をかければかけるほど止めるのが難しくなる。

良く考えるべきですね。傷口を広げるだけになる時があるので、今までの努力や犠牲が無駄になったとしても、止めなくてはいけない時があります。難しいですけどね。

 

389ページ、人生は物語ではない。

物語にあるものは、その物語に必要だからこそ、その中で描かれている。物語は答えがある。物語は存在意義がある。そしておおむねハッピーエンドになる。しかし人生は物語ではない。

人は「自分はなぜ生まれて来たのか?」と思うものです。

この問いは「自分の存在は意味がある筈だ」と言う前提ですし「意味があってほしい」と言う願いから出て来る問いなのです。

そして何故か人は自分は「ロトの子孫で勇者だ」と思いたい動物ですね。自分の存在は意味があるのだ、と思いたいのです。

これはただ自分に都合のいい答えです。

存在に意味など無いのです。生まれた意味も、生きてる意味もないのです。

と言うと不安になりますよね? 

でも考えてみてください。自分が勇者に生まれて来たのではなく、町で売れない薬草を売ってる店員かも知れないのですよ。少女漫画なら嫌な事を言う誰にも好かれない嫌われ者かも知れない。そもそも現実で交通事故や病気で幼くして死んだ人は、すぐ死ぬ為に生まれてきたとでも言うのでしょうか?

生まれた時に理由がある事、物語として役が決まってる事、それらが無い事は別に不幸ではない。自分で決めていけるのだから、素晴らしいと思うべきです。

390ページ、ブッダの教え。万物は絶えず変化したいる。永続の本質を持つものはない。人生には意味もなく、人生に意味を見出す必要もない。だそうです。

これもそうですね。確かな物はないし、変化しない物はないし、人生に意味もない。しかし意味は自分で見つければいいのです。ブッダも必要がないと言ってますが、やるなとは言ってないと思います。例えば、ミニ四駆世界一を目指すのは多くの人に意味はない事ですが、そこに意味や生きがいを見出したのなら素晴らしいのでは無いでしょうか?

 

394ページ、現実か虚構かを調べるには、苦しむかどうかを考えてみるべきだ、とあります。国が疲弊したとして、国は苦しまない、なぜなら虚構だから。しかし国民は苦しむ、現実だからです。

真実を知りたければ、苦しみに注意を向け、それが何かを調べるのに限る、ともあります。

これは実践的で効果がありそうです。

2020年4月現在で言うと、コロナで死ぬ人や家族がどれほど苦しむのか? それを防ぐために経済が破綻したらどれほどの人が苦しむのか? を考える必要があります。

残念ながら人生は物語ではない。ハッピーエンドが約束されてはいないのです。

二択どっちかが正解などと言う事は無い。コロナ感染を防ぐのと経済は両立しない。どちらをとっても苦しみしかないのです。

現実を理解して、その中のより良い苦しみを選ばないといけない時なのです。正解は無いですが、選ばないといけない時なのでしょう。

 

さて感想は終わりです。

この本はあってようが何だろうが、考えさせる元にはなるので良い本だと思います。

大事なのは書いてある事では無くて、そこから自分で考えてみる事です。

この本で良く出て来る虚構と言う言い方は面白いですね。その事を理解する事が大事だと言っていると思います。

ただ前の本「ホモデウス」でも出てきたので、少しネタ切れかな? と思わせる内容でした。

ハラリさんは歴史学者だそうなので、今を考えるのに過去の事を持ち出す作りの方がさえていると思いますけどね。

次はどういうアプローチで出してくるのでしょうね。