号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ひょうか

アニメ「氷菓」を見て感じた事を書きます。

このアニメは殺人などが起きないミステリーでしたね。この題名「氷菓」もミステリーに関係する言葉でした。

しかし私個人で言えば、この「氷菓」一番のミステリーは「評価」でした。

そして答えから言える事は「氷菓はたしなむ程度にしとくべき」と言う事です。

 

そもそもネットで高評価だったので見たのですが、見終わって「なんでこんなに高評価なのだろう?」と謎でした。

別に悪い作品とは言いませんが、かなりの「高評価」なのが腑に落ちなかったのです。

 

考えて分かったのは、このアニメ「日常系」なのだな、と言う事です。

そして日常系が嫌いな私が分からなったのは、もっともだったのです。

しかしそうだとして新たなミステリーは「なぜ私は高評価なのが気に入らないのか?」と言う事です。

もちろん単純に、好きじゃないのが高評価なのが気にいらないだけ、とも考えられるのですが、どうもそうでも無さそうなので、だからこそのミステリーでした。

実は私は結構前にこのアニメを見たのですが、やっと頭の中でまとまってきたので書きます。

 

まずこれが高評価だと言う事は、これが「皆があこがれる日常」なのだなと言う事です。

普通の学生の毎日に、可愛い女の子と係わる日常が訪れる。そしてつまらない普通の刺激もない日常を生きて来たが、頭が良い事でちょっとした青春を送れる。これが皆があこがれる夢の日常なのですね。

いや分からなくは無いのですが、昔なら「うる星やつら」みたく宇宙人が出てきたりする。「超人あーる」もほぼほぼ普通の日常だったが、それでも現実だとありえないロボットが現れる。

しかし「氷菓」は現実そのものです。現実が今の夢の国なのですね。

しかし現実なのにアニメですね。実写では無い。つまり「うる星やつら」に溺れてたオタクよりは現実を見てるようで、結局は同じだと言う事です。

そして「氷菓」のヒロインの女の子は存在しない子ですね。中身が無いし、生き物としての命が無い。可愛いくて毒が無い、と言う記号です。

ラムの方もあり得ない存在でしたが、高橋留美子さんが女だからか「氷菓」のヒロインよりは人間味がありました。

氷菓」の世界は現実その物の設定だからこそ、このヒロインがうけるのが私には不気味です。だったらいっその事「角の生えた空を飛ぶビキニの子」の方が嘘満載でいい気がします。

つまり嘘満載に乗ってる方がまだ現実を見れるのじゃないのか? と言う事です。嘘だと分かっていて乗れてるからです。

まあしかしそうは言っても、多くの昔のオタクはそうでもないですね。嘘にドップリつかっている人も多かったのは事実です。

つまり、昔のアニメは嘘満載だから嘘と分かりやすくていいが、それにドップリつかれる人は嘘満載につかれる分やばい奴だった、と言う事です。

 

ここで少し話がずれますが、この「嘘にドップリつかれる方がやばい」事に係わる事を書きます。

 

「実写」と「アニメ」と「漫画」と「小説」の事です。

この四つは、現実からそれぞれの距離で離れていくものです。現実から同じ距離離れているわけでは無いので、違う物です。

しかし「小説からアニメ化」や「漫画からアニメ化」そしてそれを「実写化」したりしますが、違う物なので、普通は同じ作りだと上手く行かないと言う事です。

分かりやすい所では、テンポや納得できるリアルさ加減が違いますね。

テンポは小説や漫画は自分で決めれるものです。面倒くさかったら流し読みをしてしまえばいいし、難しかったら途中で止めてじっくり見ればいい。

しかしアニメや実写ドラマは無理です。だから漫画や小説と同じ内容を映像かすると間延びしたり、早すぎたりします。同じでは無いので調整が必要です。

それにリアルさが違う。小説なんかは文字だけです。頭の中で考える時と同じなのです。つまり脳内物語です。だからリアルさが無くても成立しやすいですね。「モモ」や明智小五郎シリーズとか、実写だとウソっぽくなり見てられなくなりそうだけど、小説だと成立します。漫画は実写よりは、より嘘が通りやすく、アニメは漫画よりもう少し実写寄りになるので、嘘が通りにくくなっていきます。

ちなみに富野さんは実写は情報量が多いので「止まった絵でもアニメより間が持つ」と言ってました。なるほどですね。

 

これらが、リアルな現実からの距離が違う事で、色々と考える事が出てきます。

 

まず「日常系」ですが、これの問題はつかってしまう事です。そして現実に戻ってこれなくなる人がいる事です。

いや、そんな人はいないと思うだろうけど、そうでもないのです。

日常系アニメ「氷菓」のヒロインは、言って見れば女の人のとっての王子様です。つまりいないのに「いるような気がしてくる」ものなのです。

そしていない夢の存在を追って、結婚もしないで死んでいく人がいる。

必ずしも結婚が良い訳ではないが、それを年を取った時に後悔したのなら、それは幻の王子様かヒロインに惑わされた人なのです。そしてそういう人は結構いる筈です。

幻を見るのは良い。ディズニーランドに行っても戻ってくればいい。しかし戻ってこないのがやばいのです。だから人をつからせて戻らせない日常系はやばいのです。

 

氷菓」は元が小説です。これはいわゆる「人をつからせる日常系アニメ」ほどの影響力はない筈です。だから私は小説なら構わないと思っています。字を読んでいても、目を上げればリアルなカラーな世界があるのだから、現実に戻さない効果が少ない筈です。

しかしアニメは効果が大きいのでやばい、と思っています。それにこの「氷菓」は絵が綺麗です。だからこそ人の心を掴むし離しにくいので、なお更やばいでしょう。そしてだからこそ評価が高いのです。嫌な現実を忘れさせてくれて、夢につからせてくれるからです。

 

では「実写」はもっとやばいのか? 問題です。

でも違いますね。実写だと現実が見えて来るので、逆に夢からさめやすいからです。

アニメは小説より現実の様に想像できるが、現実すぎない程よい距離感なのでしょう。

ちなみに昔のテレビは今ほど画質が綺麗じゃなかったですよね。今の様に綺麗すぎると現実が見えて来るからダメなのです。だから時代劇も昔の方が良かったと言う人がいますし、ドラマも昔の方が乗れたはずです。綺麗ならいいってものじゃない。

それに昔の芸能人は謎の人物でした。アイドルはトイレにも行かない存在でした(流石にそんな訳ないと分かってはいたが、感覚としてです)。銀幕のスターは生活が見えなかった。浮気してもフライデーはやってこなかった。だから昔の芸能人は今のアニメのキャラに近かったのです。皆が思い描いた存在そのものでした。だから昔は実写のドラマに子供も乗れたのでしょう。しかし今は芸能人も同じ人に見えるからダメなのです。

 

まだ言う事があります。小説はより現実から遠いい。だからその世界には乗りにくい。乗りにくいが、だからこそそれに乗るのはやばいのです。

現実感が少ない頭の中の世界に乗り、つかってしまい逃げ出せないのは、実写ドラマよりも深くはまってしまってると言う事だからです。

小説にドップリはまれる人が多かった時代は、実写ドラマやアニメが無かったからでもあるのでしょう。

だから昔の小説家はやばそうな人が多かったですね。自殺したり、理想に溺れてみたりする人が、今より多かった気がします。

これが夢の世界との距離感の良し悪しですね。

現実から近すぎたらほぼ現実です。だから夢を見たくて物語を見てる人には乗りにくい。

しかしもっと離れていき、現実が思い描けなくなれば乗りやすい。

更にはなれて行き、遠くに行くと現実感が無いので、逆に乗りにくくなってくる。

乗りにくくなるのだが、しかし現実から離れ精神世界に近づいて行くので、それに乗れるときは深くどっぷりつかって逃げれなくなりやすい、と言う事です。

 

なんであれ、たまには嘘だと分かっている夢を見てもいいが、つかって離れられなくなっている人はやばい、と言う事です。

つまり量の問題です。程度の問題なのです。

これはお酒の様なものですね。たまには酔って我を忘れても良いけど、いつも酔ってる人はアルコール中毒です。そうなるとやばいのです。

そして「氷菓」の「評価」です。これが「まあいいね」位ならいいが、高評価で「とてもいい、すばらしい」と言ってる人は「アル中ではないのか?」と勘ぐってしまうのです。

お酒で考えてみて下さい。あるお酒を高評価で「これは本当にすばらしい」とほめたてる人の中に、アル中が混ざってる様に聞こえませんか?

もちろん、ただそのお酒を褒めている人もいるだろうけど、あまりにも褒める人は中毒の様に聞こえてくるのです。

だから私には「氷菓」の「評価」は「皆大丈夫だろうか?」と思え、気に入らない事に気が付きました。

なので結論として「氷菓はたしなむ程度が良い」と言う事になるのです。