号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

21 Lessons 感想その1

ユヴァル・ノア・ハラリさんの書籍「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考 」の事を書きます。

解説ではなく個人的に気になった所の感想です。

 

70ページあたりに、イギリスのEU離脱の国民投票はするべきでは無かった、とあります。

人は「どう考えるか」ではなく「どう感じるか」で答えを出しがちだ、と言う事です。国民全体でいったら確かに「どう感じるか」で多くの人が投票してしまうでしょう。なのであってると思います。

国民は専門家では無いのだから、それがどんな結果をもたらすか分かってはいない。だから国民に聞くのは間違っている、と言っています。これもあってると思います。

でも、だとしたら誰が決めるべきなのか? これは難しいですね。少数の専門家でも危ない気がしますし、国会議員でも危ない気がします。それに国民が納得しない。だから結局、国民投票しかなかった気がします。

しかし急ぎ過ぎた気はします。大事な事なので数年かけて皆に議論させてから投票するべきでしたね。

これは他人ごとではないですね。日本も憲法改正をしそうです。そしてその時の気分で決まりそうです。怖い事だと覚えておいた方がいいですね。人の振り見て我が振り直せです。イギリス人が馬鹿だとは思っていない筈です。でもあんな事になるのです。明らかに確かではない情報に流されて決まったようですね。日本では皆がしっかり考えて決まるだろうと言うのは妄想ですよ。

とにかくそれでも最後は国民投票しかないのでしょうから、決め方には気を付けた方がいいです。「急いで決めろ」と言うのは大体が詐欺なのですからね。

 

96ページ、20世紀になると情報が多すぎたので、一か所で処理する社会主義は効率が悪くなり、民主主義の方が上手くいった、とあります。

だが今後AIがデータを処理するとなると、社会主義がなりがちな独裁国家の方がデータを集められやすいので、有利に立つかもしれない、とあります。

民主主義は個人情報と言う事でデータを勝手には集められないので、AIがデータを上手く集められなくなり、不利になるかもしれないと言う事です。

これはどうでしょうね? 同じシステムならデータを集めれる独裁国家が有利でしょうが、システム自体を民主主義の方が上手く作る気がしますけどね。

ただもっと未来に行くとシステムもどこの国でもある程度決まってきて、確かに独裁国家の方が優れてくるかもしれない可能性はありますが、もしそれが大きな優位になるのなら民主主義も法律が変わり、個人情報なんて気にしなくなる気がしますけどね。勘違いしてはいけない。所詮民主主義だって、最後は力で国民を押さえつける集団なのですからね。代々住んでいた家でも、ここは道路にするから出て行けと言うでしょ? やさしくね。しかもそれが国家の危機なら力で追い出す筈です。

 

99ページ、政治家は自分で政策を決めてるように思っているが、その前に専門家がメニューを作っていて方向性は決まっている。それが今後は専門家がAIのなるのでAIが方向性を決めるようになる、かもしれない。

100ページあたり、AIは意識がなくても超知能を持てる、かもしれないと書いてあります。そうでしょう。

例えばAIは人の顔を認識できるようになり、笑顔やつまらない等が分かる様なる(どれが笑顔かは教える必要がある、それにこれは教えた方が手っ取り早い)。そして人々に音楽を聞かせる。AIはその表情を観察する。どのパターンが人が喜ぶかを観察する。その情報が多くなると、AIは音楽を聴いて嬉しい悲しい楽しいと感じなくても、人が素晴らしいと思う音楽を作る事が出来るようになる。

つまり意識も感情も無くても、素晴らしい音楽、絵画、物語を創造出来る様になる。それ以外の事、人の感情を操作するのもしかり。

つまり人がやっている仕事よりも、色々な事を感情が無いAIがもっと上手くやるようになると言う事です。

102ページ、だからAIの改良に投資するよりも、人の意識の向上に力を入れるべきだと言います。それでもまだ長い年月、決定は人がするのだろうから、人の意識を向上させておかないと簡単に操作されてしまうよ、と言う事です。AIやAIを使い人を操作しようとする人々にです。

 

112ページ、全ての物、事がデータ化でき活用できる時代になると、データが大事になる。そしてその大事なデータを誰が管理するのかが大事になる。

正直言うと、私はこれがそんな大事になるのか分からない。分からないとは字の通りで、大事になるかもしれないし、そうでもないかもしれないと言う事です。

ケースバイケースで少しずつどの情報をどう扱うかがこなれてきて、なんとなく落ち着くようにも思える。もちろんたまには大きな問題にはなるだろうけど。

しかし私は昔ただの検索エンジンGoogleが、こんなに大事な企業になるとは思っていなかった。Googleが検索順位を変えるだけで、どれほどの利益を及ぼすのか? そんな事は考えてなかったのでね。つまり未来予測は難しいと言う事です。しかし将来Googleさえも本当に国を操れる脅威になれば、各国独自で開発しそうですけどね。つまりは分からないと言う事だが、危険があるかもしれないので気にしておく必要はあると言う事です。

 

自分のメモを見ると、ここから大きくページが飛ぶ。と言う事は長らく気になる事が無かったと言う事です。

 

213ページ、昨今ある世界のテロ。世界の交通事故や糖尿等で亡くなる人の方が断然多いとあり、名の知れてない第一次大戦の戦いにも遠く及ばないそうです。

テロはこの少数の殺害で世論を動かし、たまたま自分に都合がいい方向に世界が動くのを狙うそうです。

そもそもテロを起こす人たちは国家に比べると力が無いのだから、そんな賭けに出るしかないし、それがたまたま効果が出る時があるので、彼らにとってはやる価値はあるようです。

一例で、どこかの国がテログループに敵対的だとします。そこでテロを起こす。するとそこの国民が、政府がそのテログループに敵対的行為をするからテロが起こり国民が死んだと騒いだりする。そして国会議員も選挙がある為、国民感情を気にしてテログループに対し敵対行為は止めようとする。そう言う事を狙いテロ起こす事もあると言う事です。

つまりそんな脅しに流されて判断を間違ってはいけないと言う事でしょう。それがどの程度の損害で、そこから起こしたこっちの行動がどれほどの事をうむのかを考えるべきです。そしてそれがテロリストにとって都合がいい事にならない様に気を付けるべきですね。テロリストはわざとやっているので、それに乗っては逆効果です。

日本は平和ボケです。でも日本は平和で幸せになるべきなのです。核も持たず軍も戦う理由で派遣しない国が、幸せになるべきなのです。

そして核を放棄し戦う理由の軍も持たないと言ってる国民が幸せだと世界に示すことが、最終的にテロを無くす手段なのです。そんなテロ行為をしなくても、いや、そんな行為をしない方が幸せになりますよと言うべきなのです。

ただ残念ながら今一つ上手くいってはいないですね。国としてお金はあるのに皆が幸せで生きてると思ってない国です。だから逆にオーム等の新たなテロも生んでしまいましたね。

日本は平和ボケを謳歌し、それを世界に広めれる可能性がある数少ない国だと思います。ただまだ可能性でしかないですけどね。

 

236ページ、人の愚かさを過小評価してはならない、とあります。

第二次大戦前、日本はこのままだと他国の植民地になるぞ、だから戦争をして土地、つまり力を得よう、とうたいました。

しかし戦争で負けてボロボロになった後の方が(戦後の方が)豊かで幸せになった。

これは面白いですね。こう言われると確かに愚かだったし、多くの戦前の知識人でも分からなかった事です。戦争が愚かだと思ってた人もいるだろうけど、それでも国の行動は止められなかった。これは国民が集まった仮想の人格が国だとすれば、日本国さんは愚かだったと言う事です。そして時代の流れや仕組みでそうなる事が良くあるのです。だから過小評価せず今後も気を付けるべきだし、では今は愚かさが無い国なのか? と自問するべきですね。

 

262ページ、道徳とは「神の命令に従う事」ではなく「苦しみを減らす事」だと言います。

言われてみれば私は道徳がどんなものか考えて来なかったですね。私だけではなく多くの人がそうです。テレビで道徳教育がどうだこうだと言う人でも、道徳がどう言うものなのかと言ってる人は、私は見た事が無いです。

ちなみに戦前の道徳教育があるので怖いと思ってる人がいるようです。確かに「神の命令に従う」ではなくても「お上の命令に従う」になりそうで危ないですね。

私の考えですが、もし道徳教育をしたいならテレビでやってるノンフィクションのドキュメントを見せるのが良いと思います。新たにNHK等と組んで作ってもいい。これなら教師の負担もないし、何を見せてるかを国民すべてが分かります。学校で見せてるものをネットで流せばいいのです。「何が正義か」ではなく「何が起きてるのか」から自分達で導き出す、これが一番フラットな教えになりやすいのでは無いでしょうか? そこからどうやって「苦しみを減らせるか?」を考えさせればいいでしょう。

 

265ページ、世俗主義と言うとあまり良い印象はない言葉ですね。でも観察と証拠に元ずく「真実」を求めるのが世俗主義だと言ってます。

逆に言えば宗教は「真実」を求めてはいないので危険な面がある、と言う事だと思います。

この辺を読むと、私は世俗主義なのだと言う事になりますね。私は真実があり、そこからどうするべきかを考える必要があると思っています。

結果から事実を曲げるのは危険です。しかしその方が効果的で手っ取り早い時が結構あるので、勘違いしやすいですね。

でも危険です。危険とは絶対不幸が起きるわけでは無いけど、注意しとくべきだと言う事です。例えば嘘を言うとそれを正当化する為にまた嘘を言う。そしていつか嘘だらけになり誰にもどうなってるのか分からなくなり、大きな不幸をもたらすのです。

原発は事故は起きませんと言ってましたね。2010年までは多くの人が信じてましたが、あれは嘘でした。今も言外に言ってますね。誰もある確率で事故が起き、国が転覆しそうな大惨事になるかもしれないけど原発やるぞ、とは言いませんね。それは嘘なのです。私は国民がそれを分かっていて、それでもやると言うのなら気に入らないけど諦めます。それが民主主義で、最後は強制的にやる暴力集団が国と言うものです。しかし今は誤魔化してますね。こんな大事な事を誤魔化す国に未来があるとは思えませんけどね。

でも原発止めて電気はどうするんだ? 経済はどうするんだ? と言う人がいます。火力発電にせよ二酸化炭素はどうするんだ? と言う人もいます。

これは学校教育とゲームの弊害です。どっちも正解があるものです。世の中はそんなに甘くはない。二択でどっちも不幸の時があるのです。それでどっちがより良い不幸かを誤魔化さず議論するべきなのです。

 

276ページ、影の面を認める。

世俗主義は伝統的主教より有利な点がある。それは自分の誤りや盲点を認める建前になってる事、だそうです。建前と言う所がハラリさんは良く分かっていますね。

逆に多くの宗教や教条主義イデオロギーは影の面を認めないので危険がある、と言う事です。世の中に完璧なものなど無いのですからね。

面白いのは教条主義的な指導者は「永遠」「純粋」「救済」と言う言葉をよく使うとあります。つまりこれらを連呼する人はうさん臭いと気を付けるべきです。こういう人は影の面を認めない人です。どんなに強く光を当てても影は出来ます。それを見ない事にするのは世界の半分だけが真実と言っているようなものです。つまり半分は見えていない人である可能性が高いと言う事です。もしくは半分は見るなと言ってくる人だと言う事です。

日本は宗教も他国に比べ薄いですね。それに強い教条主義イデオロギーもなさそうです。しかし影を見ないですね。しつこいけど原発の事が分かりやすいですね。これは日本は世俗主義でもなく教条主義でもない、ただ日和見主義で目をそらすだけの国民だと言う事です。ただただ見ない事にする。珍しい国だと思います。自分の事なのに。

 

長くなって来たのでここでいったん切ります。

続きは279ページ Ⅳ「真実」からです。