号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

少年は歩くのか? 造るのか?

アニメ映画 『ペンギン・ハイウェイ』 感想です。ネタバレです。

 

角川が関係しているせいか「角川映画っぽいな」と思ったのが初めの感想です。

でもあらためて調べてみると、角川映画はこういう映画(ジュブナイルSF映画)はあまりどころかほぼ作って無かったですね。

時をかける少女』やSFじゃないけど『セーラー服と機関銃』の影響が個人的に強く、そう感じたようです。

若い人はもう分からないでしょうけど、昔は一つの人気の出た映画の影響力はとても強かったですね。

他に『なぞの転校生』とか藤子F不二雄さんの沢山ある短編漫画とか、高橋留美子さんの短編漫画『炎トリッパー』『笑う標的』『忘れて眠れ』『闇をかけるまなざし』を思い出しました。

これらは「普通の日常をおくる子供が、不思議な世界に巻き込まれていく」物語です。

昔はよくあって、最近はあまり無いので残念だと思ってました。

 

ペンギン・ハイウェイ』はもっと子供の物語ですね。なので今あげた作品とは違いますが、においが同じです。普通の日常でも一つ裏道、けもの道を抜け、森を抜けると不思議な世界がそこにはあるんじゃないのか? と思ってしまう子供の物語です。

日常から少し逃げ出すが、今みたいに逃げ切らない健全な時代の物語です。

SFのていを取っているが思春期の少年の成長を……、なんて見れば分かる説明ははぶきます。

 

お姉さんの正体

分かりませんね。

分からない様になっているのですが、それは少年の成長の物語として「お姉さん」と言うものは分からないものだ、と言う意味でしょう。

 

それではつまらないので

お姉さんは缶ジュースをペンギンに変えれます。これが出来ると言う事は、科学力などと言う陳腐な言い方で言ったとしても、地球の人間では到底調べても分からないレベルまで達している、と言う事です。

未来人、宇宙人、別次元人。なんでもいいのです。そのどれでもいいし、そのどれかと探っても分かりはしないレベルだと言う事です。

しかしこれを宇宙人だ、未来人だ、と言わない所が最近のSFですね。もはや理解不可能なレベルの生き物は、宇宙人なんて簡単な話ではないと分かってきた時代の話です。

例えば、この世界はヴァーチャルリアリティの中の世界だと言う人がいます。そうかもしれませんね。それならもはや神は宇宙人ではなく、パソコンの前の無精ひげのデブのオタクかもしれませんものね。

最近のリアルな話だと、この世は11次元なのだそうですよ。でも多くの次元は小さい所に折りたたまれているので、私達には分からないだけなのだそうです。これは私は信じてはいないのですが(違うと言うのではなく、そうだと言う証拠がないと言う事です)、これを聞いて思ったのは世界は11次元でもいい、と言う事です。

つまり本当は世界は11次元あり(もっとあってもいい)、その中に11次元の複雑な生物がいて、その人のパソコン上に我らの世界があるのかもしれない。つまり我々は11次元人間から見たら簡単なドット絵、スーパーマリオみたく見えてるかもしれません。

パソコン上のキャラクターがどんなに頑張っても、パソコンから出てきて我々と握手をする日が来ない様に、我々もどんなに世界のありようを理解しようとも、この世界から出て神たる11次元オタク生物と握手する日は来ません。

つまりこの「お姉さん」はもはやそのレベルからの使者でもいい訳であり、そこまで行くと人間の理解が及ばないものであり、正体が分からないのが当たり前になるわけです。

まあ、そこまでいかなくとも、その神の様な力を持った何かが「お姉さんを」を送ったのでしょうが、地球人に気をつかってはいるのでしょう。

だから地球人の様な姿かたちであらわれる。

神の世界の法律かも知れない、社則かもしれない、個人的な気持ちかも知れない、とにかく気をつかっているのであまりおかしくない形で送り込まれてます。

しかしこの作られた使者「お姉さんは」はどの位の者なのか? 神は簡単にペンギンを作れます。ならお姉さんも作れるでしょう。ペンギンが沢山出て、消えて行きます。お姉さんも沢山出して消せたのではないでしょうか? ペンギンが一匹消えても地球人はたいしてどうも思わない。ペンギンが缶ジュースに戻っても何も思わない。しかしお姉さんが缶ジュースに戻ったら? でも他にもまだ沢山「お姉さん」が残っていたら? 人はどう思うのか? 人にとってペンギンが現れて消えてもどうでもいいように、神にとって「お姉さんは」はペンギンでは無いのか? 現れて消えてもどうでもいいものでは無いのか? と思うのです。

 

この作品は実は怖くて残酷な話です。

作者がそこまで思って書いたのか、ただそうなったのかは分かりませんが。

少年は頑張っていつの日か分からないものが分かるようになろうとする。しかし人の出来るものを超えたものを想像させるのがペンギンなのです。

少年はいつの日かお姉さんに会える日を願っていますが、お姉さんは消えたペンギンと何が違うのでしょう? ジャバウォックと何が違うのでしょう?

 

少年の頃に出会った近所のお姉さんがどこかに嫁に行ってしまう。

そのお姉さんとは二度と会えない事も良くあります。

お姉さんとは少年にとってそういう者なのかもしれません。

追いかけても決して追いつかない者であり、それでも影を追いかけて追いかけて、いつの間にか大人になっている。

そんな蜃気楼の様な者なのでしょう。

ペンギンとお姉さん、二つの蜃気楼を追いかける。それが人生と言う物語です。

 

ペンギン・ハイウェイは前に誰かが通った道です。皆が通る道です。しかしそこでたどり着くのは皆がたどり着いた所までなのです。

ペンギン・ハイウェイは少年の物語です。

だから皆が歩いた道を進みなさい。

少年は大人になるまでの日数を数えてます。そう、そこがゴールだと思っている。一つのゴールです。そしてゴールにたどり着いた時、その時決めるのですね。その先に進むのかを。

その向こうです。決めたのならその向こうの道なき道を突き進むのです。しかしそれは成功でも、幸せでもないかもしれません。誰も歩いた事のない道なのですから、失敗が待ってるかもしれません。死が待ってるかもしれません。

さて、この少年は何を選択するのでしょうか?