号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

Save the Soul of Social withdrawn Sfx nerd

アニメ「SSSS.GRIDMAN」感想です。ネタバレです。

 

たぶん元々狙った訳でも無い所もあったが、やってくうちにとても上手く収まった物語になったのでは無いでしょうか?

元になったのが実写の怪獣物で、ウルトラマンの系譜ですかね?

それでいて元々コンピュータと異次元人が出て来る物語であり、それをアニメ化したので、とてもいい元ネタのなったのでしょう。

 

コンピュータ内に仮想現実がある、いわゆるマトリックス系の話ですね。

ただコンピュータ内の世界では未来にしなくてはいけないので、現代にする為に異次元人が出てきてそれが手を貸していると言う話ですね。これは元の実写版グリッドマンがそうだったので、そのまま取り入れたようです。

このアニメの方は一人の少女が作った世界と言う事になっています。それだと人も皆作り物になる訳ですが、異次元人が手を貸すので、作り物だが現実の地球と同じ位のもう一つの世界がそこにもある、と言う感じになってるようです。つまり作られた人も、もはや実際の人と同じレベルの生き物になった、と言う事です。

だからか、元の実写版グリッドマンに出て来る、コンピュータ内に住む怪獣少女が出て来るのですね。この少女が出て来るので、異次元とつながったコンピュータ内にもう一つの世界が元々あり、その中の一部に今回のアニメの世界が作られた、となっているようです。

だから今回作られた世界(一つの街)の外にもまだ世界があるようです。ただそれがどんなものかは分かりませんけどね。西部劇かも知れないし未来かも知れない。半獣のケモナーの世界かもしれない。でもまあ、なれれば大丈夫ですかね?

 

これが面白いのは、今回のアニメの世界、つまり作られた世界から新条アカネが最後目を覚まし元の世界に戻る訳ですが、そこはたぶん実写版グリッドマンの世界なわけです。

つまりそこもまた作られた世界なわけです。だから階層仮想現実になっている。

アニメの世界が作られた狭い世界と思うと残念に思う。それにそこにいる人目線になり考えると、狭くて不完全で怖い世界のように思える。

しかし上の実写の世界もまた作られたと思うと、実は変わらないのじゃないのか? とも思える。

さらにその上の世界、つまり私たちの現実世界もまた、気が付いてないだけで狭い危うい世界かもしれない。それは誰にも分からない。だからアニメの世界と現実世界は実はあまり変わらないかもしれないと、思えてくると言う事です。それと同時にあの狭い作られたアニメの世界も、そこまで不気味で残念な世界でも無いと言う事です。

 

このアニメの作られた世界は、一人の人間の内面世界な訳です。つまり怪獣好きが作った二次創作の様な世界です。実社会になじめない子が現実逃避で逃げ込む世界、アニメや特撮物の世界なわけです。

それを現実の世界の本当の人の、引きこもりな感じの精神世界とかぶらせている訳です。そうしておいて、最後はそこにはいてはいけないと言う物語になっている。

最後は結局はパトロンの異次元人もいなくなり、アニメのアカネもここでは暮らせないのだから(上の世界に体があり暮らしがあるので)戻らざる得ない。

メッセージとして、アニメや特撮物に逃げてる現実の人に、この世界では暮らせないので最後は戻って暮らせと言う物語になってるわけです。このメッセージは現実的ですね。

だけどこの物語中だと、戻った世界もまた実写版グリッドマンの世界なわけであり、たぶんそこまでアニメの世界と変わらない。つまりアニメも特撮物も全否定でもないと言う事です。妄想の世界もまた一つの世界だと言うのです。そして思ったよりは現実と変わらなし、これはこれで価値があると(意味があると)言いたいのでしょう。

しかし全肯定でもない。全て自由にできる世界では、弱い人には精神的に持たないので戻るべきだと言う事です。結局アカネみたく作ったのに壊したり殺したりしだすし、それはアカネにとって幸せな世界では無いのです。だから戻らないといけない。人はある程度の縛りがある方が幸せに生きて行けるのです。

それにかけてアニメを見てる人にも、実世界の少しは縛られた世界に、君らの幸せや住む所はあるのだ、という話になっているのです。

この階層仮想現実が、ゲームアニメ等に溺れる現実世界の人の暗喩になり、いくえにも重なったメッセージになっていて、面白い話でしたね。

 

さて全能な者、パトロンの異次元人の事です。この人は結局何をしたいのか? と思いませんか? この人のしている事は、暇つぶしです。

前にも言ったのですが、もう一度言います。自由度の高いテレビゲームなどを長くやっていると、レベルが高くなりすぎてやる事がなくなったりします。その時人は何をするのか? 面白そうな事は何でもするようになるのです。町を破壊したり市民と戦い滅ぼしてみたり、強そうな善人の王さまにケンカしてみたりします。強すぎるので装備を外しほぼ裸で魔王と戦たかったりもします。意味のない大きな建物や何かを沢山作ったりもします。

時間も無限で最強で何でも作れる。そうなったときには人は何でもするようになる。この異次元人と同じです。

この異次元人は、言ってみればこのゲーム内で最強になった人です。もうやる事に意味なんか無いのです。面白そうなら何でもするのです。

 

そしてこの異次元人の力を貸してもらったアカネが同じような事をしだすのは、もっともな事なのです。

しかしゲームで最強になった人は、結局何でも出来てもすぐに飽きて止めてしまいます。縛りが無い自由なんて人生は、実は面白くもなんともないのです。始めは面白くても、すぐに飽きて面白くない。退屈なのです。アカネはそれに気が付いてしまうのです。

グリッドマンが倒せなくてつまらないのでは無いのです。結局一人で怪獣を作り戦ってると、現実世界と同じで仲間がいないではないですか。六花を見ていると、勝ったからと言って何なんだろう? と気付き始めているのです。だから最後に主人公の響を刺すのです。やる事は分かっていた。響きを殺せばいいじゃないか、と言う事です。分かっていたけど追い詰められるまではしなかった。なぜならつまらないからです。倒せないからではなく、友達を敵にまわし殺して、だから何なんだ? と気が付いてきたのです。現実世界で怪獣ごっこを一人でしてた時と、何が違うのか?

なのでオープニング曲の時、グリッドマンは退屈から救いに来たと言うのです。しかも絵はアカネなのです。元々はアカネしかいないのだから、アカネを救いに来た話なのですね。

ただこの世界で作られた他の人も、たぶんレベルで言えばもう普通の人と同じになってるのです。同じになれば救う人達になる。だからこそグリッドマンは、この世界も救おうとするのでしょう。

 

面白いのは、ではグリッドマンは何をしたいのか? です。

これはウルトラマンなどでもそうですが、結局何をしたいのかが今一分からないですね。でもこれも異次元人、アレクシス・ケリヴと同じです。暇つぶしなのです。

まあ、その言い方だと何ですが、結論は暇つぶしです。呼び名は動物愛護団体でもいいですが、動物愛護も自分が不自由無く生きれて始めて出来る事です。暇が無いと出来ないので、同じようなものです。

言ってみれば、グリッドマンウルトラマンもゲームで例えれば対人戦を始めたようなものですね。つまり戦っても互角であり負けるかもしれないのです。そしてゲームをしてる人なら分かると思いますが、結局互角な対人戦が一番面白いのです。

それに生き物と言うのは、他の生き物を助けるのが好きなのです。それも自分に似た動物の方を助けたい。助ける事が出来る動物が、長く生き続けられてた筈です。じゃなければその種族は自分らが亡んでいるか、その世界を滅ぼしている可能性が高いでしょう。

だから自分らに似た人間を助けるグリッドマンウルトラマンも、楽しいし満足感も得るのです。それでいて対人戦で互角な者と戦う。つまり精神的にも安定する楽しいやりがいのある暇つぶしを得たのが彼らですね。

逆にアレクシス等は、まだこの楽しい暇つぶしに気が付いていない人達なのでしょう。

地球人にとったら、暇つぶしでもなんでもいいので助けてくれればいいですね。だから助けられたら、ひねくれた見方をしないでも、ありがたがればいいとは思いますけどね。助けるのが楽しいという心は、正義だと言えるのですからね。

 

さて細かな話です。

アンチ君がこの物語で一番うけてるのでは無いでしょか?

この子は子供ですね。アカネがなんとなく作った子供です。アカネのこの子に対する行動は、若くしてなんとなくで子供を作った母親そのものですね。

もしアカネがなんとなくでこの年で自分の本当の子供を作ったら、殺してしまうでしょうね。良くある事件ですね。未熟な者が子供なんて作るな、と言う事です。

ちなみに話がずれますが、スーパーなどで小さな子供を連れた母親を見かけたりします。小さな子連れの母親が、自分より年下になってきたあたりで気が付いたのが、なんて多くの母親は未熟なのだろうと言う事です。夢見がちな男が未熟なのは知ってましたが、現実に生きている女もまた未熟なのですね。この未熟な者が未熟な子供を育てているのだから、そりゃいつまでたっても未熟な人しか育たないわけですね。

これは非難と言うよりも、現実がこうだと言う事です。別に私も未熟な人に育てられた未熟な人間の一人なのですからね。

だからアカネの行動も実は質は変わらないと言う事です。ただ量の問題で、未熟過ぎるので子供を殺してしまいそうだと言う事であり、それは殺さない母親と大きな差があるのは事実です。でも思ったよりはちょっとした差なのです。

何を言いたいのかと言うと、アカネの行動に近い事をする親がいるのでは無いのか? と言う事です。上手くやれない子供に当たる親ですよ。いるでしょ? そこら中にね。

子供は親にしてみれば、何してるのか分からない怪獣なのですね。アカネは最後までこの子が何をしてるのか分かりませんでしたね。それは分かろうとしないからです。自分が植え付けたやるべき事を、けなげにやってるだけなのにね。

この子供のアンチ君が母親から離れ独り立ちする物語でもあります。親が決めた事ではなく、自分の意志で生きて行く理由を決めれるようになるからです。

しかし、虐げられても最後まで母親に付いて行く子供でもありました。だからこの子はうけるでしょうね。そう思うと、この子が主役でも良かった気がします。最後グリッドマンになるし、これはこれでうけた物語になった事でしょう。

 

さてさて、もっと細かな話です。

特撮物は子供向けだからか、色んな細かな大人の事情を省いた作りですね。大人が見るとおかしな所や突っ込みどころが多いものです。お金とか住んでる所とか仕事とか警察とか、どうなってるの? と言いたくなります。でもそれであってますね。年齢一桁の子供が見るにはその位で丁度いいのです。子供には魅力的で大事な所以外は分かりずらいノイズでしかないものです。

だからこのアニメも突っ込み所が多い話です。それが特撮物っぽさを出してますね。そしてそれもこの作られた不思議な世界にする事で、大人が見てもおかしくない物にしている所も良く出来てましたね。

 

では子供と言うのは何を見てるのか? です。

戦いでしょうか? その通りです。だからとにかく戦ってほしいものです。この物語は精一杯十分戦ってますね。ここも特撮物オマージュとして裏切らない。

しかしです。覚えてるのは違う事だったりします。ウルトラマンならジャミラやシーボースの回を強く覚えてたりします。

だからちょっとした心に残る戦い以外の話は、実は大事なのです。子供の心にずっと残るからです。

その辺もたぶんこのアニメは良く出来てますね。このアニメはたぶん小さな子供は見ない気がしますが、それでも見たら戦いに興味が行くが、覚えているのは違う所だと思いますよ。実際に子供にでも聞いてみないと、それが何所かは分かりませんけど、それこそアンチ君の話ですかね? まあどこであっても、楽しいだけでは無い何か心に残るものがある物語になっているので、その辺も特撮物オマージュとして良く出来てます。

 

絵的なもので言うと、怪獣を見上げた感じの絵が多かったですね。それに何か越し怪獣の絵が多かった、例えば電線です。これらの絵は臨場感が増します。だから良いですね。

20年くらい前に流行ったゴジラのブームの時も、庵野さんの実写の短編、巨神兵あらわるもそうでしたが、この見上げた絵が少なかったです。とにかく怪獣の目線の高さの絵は絶対にやってはダメですね。なのにこれらの作品では多かったような気がします。何も分かってないな、と思って見てました。

都心の方でも花火大会があります。大きな川の土手でやったりします。駅から土手まで歩いて行くのですが、少し離れてます。駅からは遠くに花火が見えます。そこから歩いて行くと、建物に隠れ花火が見えなくなります。しかしたまに建物の間から花火が見えたりする。そしてまた見えなくなるが、段々音だけが近づいていきます。もう少し歩いて行き道を横に曲がると、花火がとても近くに見上げる位置に見えたりするのです。これを体験するたびに「ゴジラはこう言う事だな」と思うのです。

ちなみにゴジラは動くので、もっと急に目の前に見上げる所にあらわれる、なんて事があるでしょうね。どの特撮でもしないけどね。

特に建物越しで見ると花火は良いですね。鉄橋の下から見上げたり、電線越しとか、建物の間からとかですね。何か大きさの基本になるのが手前にあるので、大きさの感じ方や臨場感が違うのです。もちろんずっとあると邪魔なのですが、ちょっとだと良い訳です。

これらの臨場感を増す絵をこのアニメではやってました。流石に良く分かってる人が作ってるのだろうと思ってました。良かったですね。ただこれをアニメで見せられるなんて、特撮物が日本ですたれるのが分かりますね。

 

このアニメ、アップが多いし、止まった絵が多いですね。たぶんこれらで力を抑えていて、臨場感を増す戦いの絵で力を使ってるのかな? と思ってました。これもお金などの制約から出来る事をするのがプロであり大人なので、よくやったと思います。

この止まった絵も雰囲気が出るように気を付けているし、あまり早くシーンが動かない子供向け特撮物のオマージュにも見えるので、良く出来てましたね。

ちなみに、子供向けは物語を早く動かしすぎると分からなくなるのでおさえていると思います。もっとちなみに、ラピュタを始め見た時私は、情報が多く濃いのに物語が早すぎて付いていけなかったです。だからあまり面白くなかった。しかし大体物語が分かっている二回目を見た時は、とても面白く感じました。だから子供向けはあまり早く物語が進んではいけないのでしょう。

 

途中に総集編を入れるのがこれらのアニメでよくある事ですね。

しかし段々こなれてきて、上手く誤魔化しますね。

このアニメは(たぶん)一度使った絵を使い、それを少し変えて、アカネが一度起こった事実を変えようとしている話にしてましたね。上手いですね。

(ちょっと話がずれますが、残響のテロルの時も総集編の様な「思い出すという回」であるが、ミステリー感を出し「今まで起きた事から考えを整理する」というシーンにしてました。これも退屈にならないやり方だったので、感心しましたね)

 

とにかく、特撮物オマージュであり、元の話もあり、それをアニメにする。それらを上手く使い意味がある要素に変えてましたね。よくまとめたな、と思います。

ただあまりに上手くまとまってるので、流石に始めから全て考慮して作られたのではない気がします。

やりながら良い物は入れ、または残し、違う所は変えて調整する、と言うようにやっていったのでは無いでしょうか? そうやって行くうちに、上手くピースがすべて埋まったように思えます。

これは実践的なやり方だと思います。偶然もあるが、それをやりながら取り入れていく、と同時に、始めは気が付かない問題点も途中で気が付き、変えていったのでは無いでしょうか? 人は完ぺきではないので、このようなやり方しか出来ないと思います。そしてそれをやると良い作品が出来るのでしょう。

良く出来た、よくまとめ上げた作品に思えました。

 

ちなみに

アカネは怪獣オタクなわけです。

そしてグリッドマンは始めはアカネを助けに行った筈ですね。アカネしかいなかったのだからね。

「正義のヒーローよ、引きこもった怪獣オタクを退屈から救ってくれ!」と言う製作者側の気持ちが乗っかった物語でしたね。

だから気持ちや気合いが入っていたのでしょう。

他人事では無いのだからね。