号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

延々感動詞を読む話

ユリイカ 幾原邦彦特集読みました。感想です。残念です。

 

誰かに愛について 聞いたとします。色々な角度からの沢山の答えが返ってきたとします。では、その人は愛を理解しているのでしょうか?

Googleで愛について検索したとします。色んな角度からの沢山の文が返ってくるでしょう。では、Googleは愛を理解しているのでしょうか?

 

話しは人に伝わる様に話すものです。伝わらなければ意味が無いものです。難しい言葉や分かりにくい言葉を使う人は、意味のない人ですね。何のために話しているのか分かってない人です。

ただ例外もあります。一つは小説や詩の様なものです。それも味わいなのでしょう。ユリイカはそういう本であるらしいので、間違ってはいないけど、思った事の羅列でしょうか? それって面白いのでしょかね? 多分詩だとしたら、面白いのかはレベルによるのでしょうね。私は詩も小説もうといので、面白さは分かりませんでした。

もう一つ例外があります。そもそも難しい事を言っている時です。フェルマーの最終定理でしたかね?(うろ覚えです)、テレビで林先生の予備校の数学担当の先生が出てまして、この定理を見ても良く分からないと言ってました。生徒を東大に受からす様な予備校の数学担当の先生でも分からないのです。もちろん林先生も分からないようでした。だからそんなものも世の中にはあるのです。それを簡単に言えというのが無理なのです。

まあ、ここまで難しい事でなくても、専門家にしか分からない言葉を使うのも、専門家の集まりで使うのには問題が無い。いや専門の言葉を使うべきですね。その方が話が早いからです。医者もプログラマーも弁護士も哲学者も、専門家しか分からない言葉を使わないで話す方が難しいですし、時間の無駄ですね。だからその場合は良い事です。

逆言うと、専門家でもない人に向かい話す時に、一般的じゃない言葉を使う人は馬鹿ですね。誰に向かい、何の為にその言葉を発しているのかが分かってないからです。

 

誰に向かい何の為に話しているのか分からない人って、論外じゃありませんかね?

何言ってるか分からに人は、詐欺師か偽政治家か馬鹿か、もしくはその全てです。

 

私は「ホーキング宇宙を語る」は読みました。しかしホーキングの論文は読みません。読んでも分からないからです。つまりそれが専門家が読むものなら、そもそも普通の人が読む必要が無いものです。

逆にホーキングなどは、一般人に向かい言っといた方が良い事だと思う事を、一般人向けに分かりやすく話すので優れていますね。誰に何の為に話すのかをちゃんとわかっているからです。それにそれが後世の一般人にとって大事だと思い一般書を残すので、人としても優れている人だと思います。

ちなみに、一般人や初心者に本を残す人は素晴らしいと思っています。「ソフィーの世界」を書いた人や、学問のすすめ福沢諭吉や、漫画入門を書いた手塚治虫等です。他にも、なんの事であれ、あまり多くの人が書いてない入門書を書いた人は、いつもすばらしい人だと思っています。

 

分かりやすく伝える事は、分かっている人にしか出来ない事です。

分かってない人は、聞いて来た事をそのまま伝える事しかできないのです。

それはWikipediaでありGoogleです。人である必要が無いのです。

 

今現在の私の感想では、幾原邦彦作品の中心に触れている人で、それを伝えられる人なんか、漫画家の山田玲司さんしかいないようです(完璧ではないにしろ)。

もちろんアニメ製作者サイドだと分かっている人はいるのでしょうけど、そういう人は一般人に伝える事をしてないから聞けないですね。

岡田斗司夫さんも面白いですが、この人は幾原作品は見て無いようです。

なので今現在なら、ニコニコチャンネルかyoutubeで山田さんの話を聞くのが一番手っ取り早いですね。

 

wikiによるとユリイカと言う言葉は「分かったぞ」と言う程度の言葉らしいです。

私にはこの特集のほとんどで「分かったぞ」とだけ言っている人の感想を読んでいる気分になりました。