少女革命ウテナ の映画版「 アドゥレセンス黙示録」の感想です。ネタバレです。
テレビ版のウテナの言いたい所を凝縮して伝えた事と、テレビでやりたかったけどやれなかった事をやった感じですね。
ただ、やりたかったからだけではなくて、イクニさんなりの意味があるのかと思います。
テレビ版と違い、男の裸が無くて女の裸だけです。ウテナが寝取られない(純潔を願うファンからと言う意味)。車のレースが出てきて、しかもシーンが長い。これらは何をしてるのと言うと、男向けに描いていますと言う事でしょう。
だから、女向けのテレビ版の反対を示すように、ウテナとアンシーの髪の長さが逆なのでしょう。
しかし今更なぜ男向けなのか?
イクニさんは富野さんの影響があるのかな? と思います。逆襲のシャア好きですしね。富野さんは最後キャラを皆殺してファンを遠ざけるような人ですね。それでアニメの世界何て所に留まるな、と言いたいのでしょう。
そしてウテナもまた女の子に対し、幻の王子様がいるお城に留まるな、と言っている物語ですね。王子さまも、純潔の証ウテナも、君らが思ってるような人はいないと言う話です。
ただウテナの方は見ている女の子に自分と重なる様になっています。泥臭くても生きて行けばいい、と言うメッセージになっています。ウテナのキャラは否定と言うよりは、現実に沿った理想の人になれば良いという事です。失敗しても、真っ白では無くてもそれでいいじゃないか、と言う話です。
なのでこのウテナに乗れなった男や、純潔の真っ白なウテナ様を願う女の子には、現実に目覚めよと言う話になっているが、このウテナに乗れる女の人もいますね。男もね。それは現実をある程度知っている人です。もしくは変な男に引っかかった事がある人です。
その人達をも遠ざける事をしますね。それがテレビ版最後にウテナがいなくなる事です。これは富野さんの影響じゃないのかな? と思います。最後消して物語に留まらせない様にしてるのでしょう。
イクニさんが面白いのは、これをずっとしますね。ピンドラもユリ熊もさらざんまいも、どれも最後キャラが「死んだのかな?」と思わせる演出をしてます。これはイクニさんの終わらせ方の曲げれない信念なのか? もしくはギャグなのか? ですね。
それでもウテナはうけましたね。だからこそ、そこに留まってしまう女の人もいた事でしょう。その人達を解き放たなければ、イクニさんのやってる事が中途半端になります。
そこで「 アドゥレセンス黙示録」です。
イクニさんは、どうもテレビ版ウテナでも百合物をやりたかったようですが、止められたそうですね。「百合物は女の子にはうけないからダメだ」と言われて止めたそうです。それであってますね。
だから「 アドゥレセンス黙示録」で百合物にしたのでしょう。最後ウテナとアンシーがキスして終わりです。やりたかったからなのと、これで留まってる女の人を遠ざけたのでしょう。
男が好きそうなカーチェイスもそうです。剣で戦うなんて格好いい事はさせないし、最後アンシーを救おうと献身的になるシーンも見せない。そもそもウテナが車になり絵から消えます。
そして説明口調で説教臭いです。
まあ、やり過ぎだとは思いますけど、これで女の人を遠ざけているのです。
イクニさんはウテナでメッセージを入れています。それは女の子に対し目を覚ませと言う事ですね。
「幻の王子さま、幻の男装の麗人、幻のアニメに騙されるな流されるな。現実から目をそらしても幸せはないぞ」と言っていると思います。
だからこそ映画版では貫いたのでしょう。ウテナがうけたので、それにまた留まらせたら意味が無い。それで終わらせたら、今までの様な嘘つきの大人になってしまう、と思ったのでは無いでしょうか?
ただやはりやり過ぎだったと思います。
ちょっと尖り過ぎてましたね。
だからこの後十年以上も表舞台から消えるのでしょうかね?
ウテナから十年後あたりの頃、富野さんは丸くなってたと思います。イクニさんも丸くなったのでしょう。
棘がなくなり丸くなった人は魅力が薄れていきます。だから一般受けはしなくなってきますね。でも私はこの丸くなった人が好きなのです。
皆は尖った魅力的な人が好きですね。他人事だからでしょうね。クラークケントになって人として生きて行くスーパーマンは見たくないのです。いつまでもスーパーマンとして命をかけて自分らの為に戦え、と思っているのでしょう。
私は、丸くなってつまらないおじさんになった尾崎豊が見たかったですね。つまらないマイケルジャクソンが見たかったのです。
誰も見たくは無いでしょうけど、つまらないおばさんになったウテナも見てみたかったですね。きっとイクニさんもそうだと思います。