号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

星を愚直に真っ直ぐ進み、辿り着いた場所。

アニメ「Zガンダム」の劇場版三部作を見ました。感想、ネタバレです。

 

フィクションは人が作るものなのだから、その人の感性や感情や知識などが影響してくるのは当たり前な訳です。

その中でも色んな知識や経験がある人で、なおかつ色々考える人、しかもそれを物語にどっかり載せてくる人が作るのもは、その人要素が多くなるのも当たり前と言う事です。

1941年生まれの富野さんが作る戦争物に、第二次大戦が含まれないなんて事は無い訳です。しかしそれよりも安保闘争が含まれるのは自明の理な訳です。それは記憶や体験として二次大戦より大きくなるからであり、つまり大学生の頃に60年安保を身近に見て来た人だからです。

ちなみにこれは私には年齢的に、感覚的に分からない話です。だからニコニコチャンネルのヤングサンデー山田玲司さんが言ってたから、始めて気が付いた事です。なるほど、やってる事は学生運動な訳です。

ただ、少人数が係わる戦争や争いは学生運動と同じようになりがちだとも言えます。西洋で言ったら都市国家の戦争から、それより昔の争い。中国の三国志なら始めの頃のあまり多くない人数が争っている頃。日本でも戦国時代の始めの頃の小国同士の小競り合い等。そしてフランス革命とかの後の内ゲバですね。

これらは少数が係わり、まだ治め方や法律なのがこなれてないので、個人の思念とかが大きく関わってきます。こなれてないので、極端な事が起こりがちです。割合として人が多く殺されたりするのは、この辺の話ですね。それに少数だから個人の能力が大きく影響します。

ガンダム後のZガンダムは、第二次大戦後の学生運動ような、少人数がごちゃごちゃした勝手気ままに行動する、内ゲバ物をやっています。

富野さんには学生運動が一番大きく頭に浮かんでいるだろうけど、それと同時に昔からの人のやってきた根本的な争いも見える、と言う事でもあります。

だから「Zガンダム」は「実際の少人数が係わる戦争」をきっちり誤魔化さずやってるように見えるのです。

良い人も悪い人も、偉い人も下っ端も、強い人も弱い人も多く死ぬのが戦争です。

それに小人数の戦争の方が、割合としたら最後多く粛清されたりして死ぬ事が多いので、この沢山死んでいく作りで、それらしくなります。

大人数の戦争では、流されたり上から命令で戦ってる人が多く、自分の意志で戦ってる人は割合では多くはない。だから最後殺す必要は無いから、割合では多く生き残るものです。

しかし少人数の戦争でも、勝った方のお偉いさん方は生き残る割合が多いのも事実で、ここも合っています。

どこまで狙ったのかは分かりませんが、意外とリアルな「少人数の戦争物」になっていたと言う訳です。

 

Zガンダム」は続かない様に、終わらせるために、皆殺してきたと思ってました。

これは間違いでは無いのですが、間違っていたのは「見てる子供の為」かと思っていたら、それだけではなく「自分の為」も入っていたのだな、と思えてきました。周りが「ガンダムの富野」と五月蠅かったのだろうと思います。だからいっそ消してしまいたい心もあったのでしょう。

これを聞くと情けなくも聞こえますが、だからこそ聖人君子では無かったと言う事であり、そんなに綺麗事で世の中は出来てないと言う事です。不完全な人が作った、人と言う不完全な生き物の物語だったと言う事です。

そもそも不完全な人だからこそ、物語は生まれるのです。完璧な人はブッタやキリストみたくなり、物語創作なんてしないでしょう。宮崎駿さんも手塚治虫さんも完璧な人では無いですね。だからこそ不完全な人の気持ちが分かり、不完全な人が描けるのです。完璧な人のみが出て来る物語、誰が見たいですか?

 

どうしても「Zガンダム」の話は重くなるで、ちょっと小休止で、軽い話を入れます。

 

Zガンダム劇場版は評価があまりすぐれないですね。しかし私はテレビ版を見てないので悪くなかったです。出来る範囲内では、良くまとめた方じゃないでしょうか?

これはテレビ版を見て無い人が見るべき作品だと思います。今更50話も見てられないけど、「ガンダム」は知ってると言う人が見るものですね。

ガンダムの劇場版三部作」は1から順に137分、134分、141分です。

Zガンダムはの劇場版三部作は」は1から順に95分、98分、99分です。

しかもテレビ版ガンダムは全43話で、Zガンダムは全50話です。

単純に考えて「ガンダム」はテレビ版より半分弱に圧縮すれば何とかなる。しかし「Zガンダム」は三分の一以下に圧縮する必要があった筈です。

つまり時間が短すぎるのです。だからどうしても無理があります。テレビ版を見てた人が気に入らない切り方をする所は、どうしても出来てしまいます。これで納得するのなら元のZガンダムがスッカスカだったと言う事になります。だから文句が出てきて正解なのです。

あと感想としてよくあるのが、絵が古いテレビ版と今の足した絵が混ざっていて、昔のがクオリティが良くないので見ていて残念、と言うものです。

富野さんは言わないし、言えないでしょうけど、たぶん単純に金の問題ですね。スポンサーからのお金で、絵も全ては作れないし、時間も長くは出来なかったのでしょう。三作目99分ですよ。ぜったい時間は三桁にするなと言われた筈なのです。

だから出来る範囲内でやるか? そもそもやらないか? しか選択が富野さんにはなかった気がします。だからその中でやれた事と言えば、良くまとめて出来た方かと思います。

 

この劇場版の見方として、まずは総集編だと思って見るべきです。じゃないと早回しで頭に来るのはしょうが無いですね。

それと戦記物だと思って見る事ですね。

リアルな第二次大戦物を再現シーンでやったりします。そうすれば沢山人も出て来るし、初めに名のある意味がありそうな人が出てくるのに、途中から出てこなくなったりもします。死んだりしたか、引退したか、遠くの飛ばされたかです。逆に急に意味ありげなキャラが途中から出てきたりしますが、キャラが多すぎるので全てを細かく言ってられないのです。そう言うふうにZガンダムを見ると、これはこれでリアルな戦記物にも見えてきますよ。全ての人に意味がある物語にはなって無いのが現実です。だから無残に盛り上がりもかける所で死んだりもします。描かれてない所で死んだりすらします。それが現実を描く戦記物語です。

その様なものとZガンダム劇場版を見れば、そこまで悪くはないです。

 

内容を見てみると、Zガンダムの富野さんは病んでますね。いやこの後に本当に病んでしまうので、まだですかね? 病みかかっている途中ですね。

私は前に言いました。ガンダムはリアルな戦争では無いのだから、物語に乗らせない様にするのは考えすぎだと。気にし過ぎだと。

しかしZガンダムは良くないですね。ガンダムよりリアルな戦争に近づき、そして魅力的にし過ぎです。これは子供を「戦争なんてこんなもんだろ?」と勘違いさせてしまう様な作りです。だからこそバランスを取る為、キャラを皆殺していくのでしょう。富野さんは、これは良くないぞと強く思ってはいなかったのか?

ガンダム後で、Zガンダムの前の作品らがあまりスポンサー受けが良くなかったようですね。だから「そろそろガンダムで一発大きな花火を上げてくれ」と言われてたのでしょう。だから魅力的なものに仕上げた。皆を酔わすものに仕上げたのです。ガンダムが「お酒」なら「Zガンダム」は大麻です。それで皆を酔わせておいて、急に「こんなものに溺れてたらダメだ!」と怒り出し取り上げ捨て始める。そんな状態だったように見えるのです。

酔わすのがガンダムより強烈だからこそ、その逆も大きくしたように見える。つまりZガンダムはキャラを皆殺していく。そしてそこがとても情緒不安定の様に見える物語ですね。病みかかっていたのでしょう。

 

では、Zガンダムは何が魅力的なのか?

これはガンダムもそうですが、乗り物ですね。だから子供でも乗れるのです。体力も力もいらない。ゲームが上手ければ出来そうです。

しかも乗るのはニュータイプです。選ばれた勇者なのです。山田玲司さんも「努力をしない」と言ってましたね。努力が無くても始めから強いのです。

強いから大人から頼りにされる、認められるし、居場所があるのです。

泥臭くない。汚くないのです。綺麗な宇宙船内で腹を空かす事もなく、汚く匂う事もない。戦争なのにです。

痛くない。ロボットだから手が飛ぼうが足が飛ぼうが痛くないのです。

少数のロボット達が主役の戦争なので、自分の努力で状況を変えられる。本当の戦争なら自分が何をやってるか分かって戦ってる人は少なくなります。どんな戦況でどんな戦略でやってるか分からず、ただ命令された事を遂行するだけです。それがZガンダムなら自分の意志で世界を変えられるかもしれないのです。

ロボットは力の象徴であり巨人です。神々の戦いをしているようなものです。ゼウスとクロノスが戦っている様なものなのです。操縦士はオリンポスの神々になったのです。

それでいて乗り物です。戦闘機や戦車の様なメカものです。これはこれで男の子が好きなアイテムです。

それでいて仮面であり、アバターです。自分自身の様で違う。だから怖さが薄れていくものです。これが同じ性能でも2メーター位のパワードスーツを着て戦うのなら、怖いでしょ?

ロボットだから男も女も乗れます。だから戦場に女もいます。そしてイチャイチャします。戦争中なのにイチャイチャも出来る話です。

戦記物の面白さも忘れてません。とにかく戦況だったり戦略だったり政争の策略だったりを語ります。これは普通は一部のトップだけが知ってる事なのに、エゥーゴでは身近です。兵士であり、戦士であり、王やその周辺の中枢でもあるのです。

つまり男の子が望むもの勢ぞろいです。やばいですね。

 

ガンダム」では子供が流され戦争に巻き込まれます。しかし「Zガンダム」では巻き込まれるのはカミーユぐらいです。しかし戸惑うのは最初だけで積極的に関わっていきます。ファもカミーユに付いて行くのが理由かもしれないけど、なんであれ自分の意志でいるのです。他の多くの人達は大人です。つまりただ戦争に加わっている軍人です。

ガンダムは「しょうがなく巻き込まれる」感がありますが、「Zガンダム」はただ戦争をしているのです。しかも魅力的な戦争なのです。

ガンダム」はおもちゃ感がありましたね。二本足で歩くロボットがおもちゃっぽい。今回は宇宙戦闘が多い事と、そもそも陸でも空を飛びます。これは絵を書きやすいからでしょうけど、結果戦闘機と何が違うのだろう? と思う所に来ています。つまり戦闘機寄りに感じてしまって、おもちゃっぽさが薄れています。

だから「ガンダム」より良くないですね。ガンダムよりリアルな戦争に近づき、それでいてもっと魅力的な世界になっています。ゲーム感覚で面白おかしく簡単に戦争が出来そうなものになっているのです。

だからこそキャラを殺していくのです。もう殺さないとバランスが取れない。心のバランスが取れないのです。しかしこの取り方は危ういですね。すぐにバランスは崩れるやり方です。この後、富野さんの心のバランスが崩れる事を、暗示してたように思えます。

 

始めに言った様に、物語には製作者自体の事が多く入ってきます。

だからアムロもシャアも富野さんだと思っています。しかしそれだけでは無いですね。製作者なので、このようなキャラが多く出て来る物語だと、他にもいてもおかしくは無い。

私は昔からサイコガンダムは何なのだろう? と思ってました。

明らかに異質ですよね? あれだけが大きく、そして黒く、しかもなぜかガンダムなのです。なぜガンダムにしなくてはいけないのか?

一つはガンダムは正義の味方では無いと言う事でしょう。勘違いするなと言うのです。ただの兵器なのです。使い方次第で黒くもなるのです。

もう一つは大きく黒くなったガンダムは、実際のガンダムと言う物語が、富野さんにとって、大きく黒くて普通の人では手に負えないまがまがしい物になってしまった、と言う事だと思います。

ではこれを乗りこなせるフォウムラサメは誰なのか? これがもう一人の富野さんでしょう。

施設で四番目の子だから名前がフォウですね。富野さんもガンダムがうけてからは「ガンダムの監督」という記号で覚えられてた筈です。

苗字がムラサメで日本人です。しかも古臭い名前ですね。古臭い日本人なのでしょう。

フォウだけは好きでロボットに乗ってる訳では無いですね。「過去を思い出したいのなら乗れ」と言われ、過去を思い出すために、自分が何者なのかを見付ける為に、すなわち自分の存在価値と居場所を見つける為に乗せられる。

富野さんも、過去の栄光を取り戻すために、存在価値と居場所を得る為に、黒く肥大したガンダムに乗せられたのです。「Zガンダムを作れば過去を取り戻せる」と言われて戦わされていたのです。

問題は、フォウは死ぬのです。しかもガンダムに乗って無い時に死ぬ。降りてそこから逃げようとした時に、無残に軍人に撃たれて死ぬのです。富野さんも降りたら無残に撃たれて死ぬのみだと思ってはいなかったのか?

物語上、フォウは好きで乗ってるのではないので、殺す事も無かったのです。例えば「右手でも失い降りる事になる。そして昔も思い出せないし出来る事も何もなくなり、今は何とか暮らしているが、今の方が幸せだ」と言う話でも良かった。しかししなかった。いや出来なかった。この時はフォウには死ぬ以外なかったのではないだろうか? 富野さんにとって、ガンダムから降りた者は死ぬしかないと言う気持ちでは無かったのか?

面白いのはフォウを撃った軍人もまた軍の為、特攻攻撃で死のうとしてた男です。自分を追い詰めるスポンサーからの男もまた、会社の為に頑張っている人でしかないと思ってはいなかったのか? そんな風に勘ぐってしまいます。

 

そしてもう一人の富野さん。最強の男カミーユですね。

テレビ版と違い、カミーユは劇場版で発狂しないで残ります。だからこそ最強になったのでしょう。生き残る奴は最強なのです。生き残るべきなのです。

カミーユはファとイチャ付いて終わりです。結局青い鳥は近くにいる者です。

なんてことない事こそが幸せだと言うのです。ロボットに乗ってないで普通の事をしている人が、幸せなのだと言うのです。

沢山の富野さんの分身は死にました。しかしカミーユは生き残り、富野さん自身も生き残りましたね。そして発狂しなくても済んだのです。

死ぬか精神に異常でもきたさなければ、戦う事を止めることなどできない、と思わなくなっていたので無いでしょうか? アニメで戦う者が生きても良いのだと思えるようになった。帰る場所があると気が付いた。待ってくれてる人がいるのだと気が付いた。

星の鼓動は愛なのです。愛があれば心臓が鼓動をして星は生きて行けるのです。

当たり前で、よくある話ですか? 

死にかけたり発狂しかけたりしながら、丸い星をさまよい一周回りたどり着いた、元の場所。

その意味を、深さを、ありがたさを知っている人が、どれほどいるのでしょうね。