ネタバレ注意です。
映画「ボーはおそれている」……見てません。考察です。
いや、いくら何でも、何か言うには見て無いと失礼だと思い、見ようかとも思ったのだが、3時間は長い。長すぎる。もう無理です。ごめんなさい。
それでも書こうかと思った理由の一つは、どうも考察動画が多い作品です。そしてどうやら多くは酷そうです。
youtubeの考察動画など、ほとんど下らないのが、毎度のことながら分かってしまう。
そして問題は、これらの人って本とかでも情報を得ていたり、本にも書いていたりします。つまり誰でもやれるネット動画だからレベルが低いのではなく、全てレベルが低いのです。
そう言う国の映画がどうなるか? は、この国の映画を見ていれば分かりますね。
もう一つの理由は、同じくyoutubeで映画評論家の町山さんの動画が出て来ました。
これはとても良かったです。
とても参考になった……ばかりか、これを聞かないと私には分からない事だらけだった気がします。
これを聞いたので、そこから考えられることが出て来て、書こうと思いました。
この国の映画評論をけなして、有名な町山さんを褒める。
つまり、全てをけなしたいわけでは無く、良い物は良いと言う事です。
ちなみに、古い評論家の町山さんも、この国のダメな評論文化を作り上げた一人だと思っています。
これも、町山さん自体に好感を持ってる訳ではないが、良い事を言えば、それは良い事だと理解する事が大事なのです。
好き嫌いではなく、単純に良い物は良いと言える事が大事です。
前置きが長くなりました。本題です。
町山さんが言うにはこの映画「ボーはおそれている」は「ユダヤ教の教えが分からないと、何やってるか分からない」と言います。なるほどです。
監督がユダヤ人で、そこからユダヤ教の影響が色濃く入っていると言うのです。
「ボーがユダヤ教の教えに反する事をしている。だから良くない事が起きるのか?」みたいな事です。
その他にも「この監督は、自分が好きな映画を公表しているが、それの影響が強く入っている」と言います。
これも多くの映画を知っている人じゃないと分からないですね。ここも町山さんの話で納得します。
(細かな内容は、たぶんまだyoutubeで町山さんのが見れるので、見てみるといいと思います)
さて、町山さんの話を聞くと、多くが納得はするが、だとして、なんでこんな話をする必要があるのか? と言う説明にはなっていません。
ヨブ記が大事だと監督が言ってるようですが、だとしてもヨブ記をやっている訳でもない。
じゃあ、何をしたいのか?
そこで、私が考えてみました。
もう一度言いますが、見てません。
ネットでネタバレ動画などから見た内容からの考察なので、細かな所は何も分かりません。あしからず。
とは言っても、ここのブログを見るような人だと、もう分かっているのでは無いのかな?
まずは、ネットで一番よく出て来るポスターです。
ホアキンフェニックスがこっちを見ているポスターです。
このポスターの後ろの景色、上が青で下が砂の様な色、そして文字が黄色です。
って、見おぼえないですか? デジャブかと思いますよね?
そう、映画「アステロイド・シティ」のポスターです(こっちは文字はオレンジですが、黄色に赤を入れたらオレンジです。赤は血かソ連か?)。
つまり、やってる事は同じです。またウクライナ戦争の事です。
Wikiによると、「アステロイド・シティ」の主役、ジェイソン・シュワルツマンの父が(ロシアのユダヤ系)なのだそうです。
そしてホアキン・フェニックスの母が、東欧系のユダヤ人でハンガリーとロシアのハーフなのだそうです。
つまり、やってる事は同じです。
どっちもロシア系のユダヤ人系を、主人公に置いてくる。
ちなみに「ボーはおそれている」の方が「アステロイド・シティ」より、二か月アメリカの公開は早いようです。
二か月だと、どっちも真似は出来ないのだから、重なっただけでしょう。
そして「しまった」と思ったと、思うけどね。どっちもね。
両映画とも、母が亡くなっている。
そして両映画の母が、ソ連でしょう(暗喩としてです)。
ボーの方は、実は母は生きていたと言う話です。だから、死んだと思ってたのに、ロシアとして生きていた、と言う事です。
「ボーはおそれている」では、産みの母が仕組んだ事だそうですね。
すべて母が作った世界で、母が監視していて、母の思惑通り子を苦しめる。
「苦しんで生んだのに、お前は私の思い通りにならない」と母が子にいちゃもんを付け、理不尽に苦しめる話だそうです。
まさにロシアのウクライナへの攻撃の事じゃないですか。
この話が秀逸なのは、ここにユダヤ教の教えを入れて来た事です。
ユダヤ教なのに、それに反した行動をするし、キリスト教に流されて行く子供の話です。
これはウクライナの事でしょう。
それに怒る母。
ユダヤ教に反するのがナチスです。ウクライナをナチスだと弾劾するのがロシアです。つまりユダヤ教の敵に傾倒していると怒るのがロシアです。
映画ではこれを、ユダヤ教ではないキリスト教などにうつつを抜かしていっていると怒るのが母なのです。
だから母がロシアです。
ユダヤ教徒なのに敵側に傾倒している、と怒られるボーと、ゼレンスキーをかけているのでしょう。
ボーは恐れている、つまり怖がって行動を起こさないから不幸がやって来る、と言う話だそうです。
ここに、ウクライナがかかっている。
戦争前に大きな行動を起こさなかったから、ロシアに攻められたと言いたいのでしょう。
ただ、これはちょっと酷な気がします。
しますが、この変な映画の話だとあってはいる。
「ボーは恐れて行動を起こさなかった」と言っても、このおかしな母の行動など、誰が分かると言うのだろう? と言う映画になってると思います。
同じく、おかしなプーチンの行動など、誰が分かるのだろう? となっているので、話としては合っています。
最後母は、ボーを追い詰め、殺してしまう。
母は殺したいのでく、自分の元に戻って、自分の理想通りに生きて欲しかったのです。
これもウクライナの事です。
ロシアはウクライナに戻ってきてほしい。そして自分の都合よい存在であってほしい、とは思っている。殺したいのではない。
しかし実際は殺してしまっている、と言う皮肉です。
母の子供に対する文句も理不尽だそうです。
これも、プーチンの理屈は理不尽なのにかかっています。
この話が良いのは、ヨブ記に係っていると監督が言った事です。
ヨブ記は神に理不尽に不幸にされてしまう男の話です。
そして、最後まで神を信じた男が救われ、前より豊かになる話です。
つまり「ウクライナも信じ通せれば、いつか幸せが待っている」とも読み取れる話なのです。
でも最後ボー死んでるじゃないか? と言いたいと思います。
ボーは水に落ちて死にます。
キリスト教も洗礼がありますが、ユダヤ教から元々「沐浴」があります。水で体を清めるのです。
そして「水で清められ、生まれ変わる」と言う意味合いがあるのだそうです。
生まれ変わるのだから「一度死んで、生まれ変わる」と言う意味でもあるのでしょう。
だから宗教観が強いこの映画において、ボーの死はただの死では無いのです。水で死んでいるからです。
彼は一度死に、水で清められ、そして生まれ変わる事を示唆しているのです。
これはウクライナにもかかっています。
一度死ぬが、信じ通せれば、前より幸福で生まれ変われる(かもしれない)と言う話だったのです。
beau(ボー)とは「女性の親友か恋人」もしくは「しゃれ男」の事だそうです。
これの正解は「しゃれ男」の方でしょう。
ゼレンスキーの事ですね。