号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

無いのは不幸、では、あればいいのか?

youtube岡田斗司夫さんの番組で、山田玲司さんと話しているのが出てきました。

無料分だけ見てみましたが、この2人の会話は面白いですね。

その内容から色々考える事ができ、基本能力がある人らの会話は、本当に面白いのです。

 

最近この2人はからまないな、と思っていて、仲悪いのか? と思っていたので、久しぶりに会話が見れて良かったです。

たまにあって、近況を話し合う仲になって欲しいですね。相乗効果があり、どっちにとっても特だと思うのだけどね。

 

この会話を聞いて、思ったことを書きます。

 

岡田さんは、今の若者が死にたがるのが分からないようでした。「なんでもあって、幸せそうなのに」と思っているのですかね?

しかし「岡田さんは幸せそうだ」と思っている山田さんの言葉には、納得しない。

でもこれって、やってる事は同じです。岡田さんは若い人が幸せそうに見えるし、他の人は岡田さんが幸せそうに見える。しかしそうでもないと言うことです。

これは、ただ単に「隣の芝生は青く見える」というのもあります。

ただそれだけではい。

ここに、日本が戦後、誤ってきた元がある。

ここに大事な「幸せとはなにか?」問題が隠れているのです。

 

無いというのは「不幸せ」です。

食べ物がない。家がない。健康がない。すべて不幸せです。

戦中、そして戦後、このない時代がありました。

その時代を生きてきた人は「じゃあ、あるのが幸せなのだろう」と思ったのです。

これが全ての間違いの元だったのです。

 

無いのは「不幸」ですが、

あるのは「普通」なのです。

グラフで書いたとします。縦に幸せ度、横がお金とか食べ物とか、なにかの物です。

縦は、マイナスから始まり、途中0になり、そこから上がプラスです。

物があればあるほど、幸せ度が上に行きます。グラフなら斜めにまっすぐ登っていく。

そしてゼロにたどり着きます。

そこからは、だんだん横になっていき、伸びなくなっていき、しまいにはグラフの線が真横になります。つまりそれ以上、幸福度は上がらない。

つまり、大体、0までは急に登っていくが、そこからはあまり伸びなくなるのです。

 

岡田さんが若者を幸せそうに見えるのは、今の子供には、物があるからです。

しかしそれは「不幸」ではないと言うだけであり、幸せかは、また別の要素なのです。

それは岡田さんのことを幸せに見えるのも同じです。はたから見ただけの岡田さんから分かるのは「岡田さんは不幸ではない」という事だけであり、幸せかは、また別の話なのです。

 

これは「無い」から「不幸」だと感じていた人の、勘違いから出てくる問題だったのです。

無いから不幸なら、あれば幸福だと思ってしまった、馬鹿な考えのままここまで来てしまった、この国の間違いです。

 

ファミレスでも、友達とか、好きな人とか、おじいさんなら孫とかと一緒なら、幸せでしょ?

高級料理であっても、毎日一人で食べてたら、何も幸せは感じない。

そもそも好きな人と一緒なら、コンビニの前で肉まん食ってても幸せです。

毎日一人でコンビニの前で肉まん食ってたら、ただの不幸です。

なので「あるのが、幸せではない」事は理解しておきましょう。

 

さて、問題の一つは、昔、物がない時代でもあったのに、今は無くなった幸せがある、という事です。

サザエさんみたく、丸い机を囲んで家族で笑っているのは、実は幸せだったのです。昔にも幸せは手に入った。

それを勘違いして、物を得るのが幸せだと思い、それを追い求め、その結果物は得られたが、昔あった幸せの多くを失ってしまったのが、この国だったのです。

 

「無い」のは不幸です。

しかし、もうこれ以上の「ある」は、いらなくないですか?

食べる物も肥満になるくらい手に入る。屋根がある家に住み、クーラーもある。ネットもある。動画もある。もう物はいらない。

この国に必要なのは、それより「幸せを取り戻すこと」を考えるべきなのです。

仕事や学校のストレスをなくし、ワーキングプアを無くし、犯罪を抑制して、安定して生活に不安がなく、友達とファミレスで喋っていられる世の中なら、実は幸せなのです。

物理的に、日本はもう、この国民の幸せを手に入れられる事が出来ます。

だから、あとは「それをどう政治的に持ってくるか?」という、内部的な問題なのです。

 

もちろん「内部的な、構造の問題」だという事は、逆に言うと、やろうとすれば出来るのに、今まで出来なかったことになるので、実際は難しいのは言っておきます。

(科学力が無いから出来ないことは、科学力が発展すれば出来るようになる。しかし科学的には出来るのに、実際出来ない事は、下手するといつまで経っても出来ないから、こっちの方がたちが悪い、と言うことです)

 

この「物事の基本」である「幸せとはなにか?」を、言ってる人が、私には見つからない。

山田さんと岡田さんでも、はっきりまとめられていないのだから、やはり根が深い問題なのだと、あらためて思った、という話でした。

 

 

2月19日 同日に追加、

どうしても、メモも取らずに勢いで書くため、書き忘れが必ず出るのは、勘弁です。

 

山田さんが面白い例えを言ってましたね。

今の若者は、アニメ「フリーレン」のようなもの、という言い方です。

これは「ドラクエで言えば、竜王を倒したあとの話」と言う意味であり、「最強の武器、防具を持ち、最強レベルで今の若者は生まれ、強い敵もいない世界でのお話」という事ですね。

「今の若者は、何でもある世界から生まれたのだから、幸せだ」という年寄りに向かい「最後の敵を倒したあとのRPGが面白いというのか?」という答えを言っているのです。

なるほどです。この例えはいい。

 

しかしです。これに納得しない岡田さんも、またいいですね。

 

山田さんは、この「攻略できる時代に生まれた岡田さんは幸せだ」と言いたいようでした。

しかし岡田さんは「そうでもない」と言いたいようでしたね。

 

極端な例えで言うと「戦争に行って、ギリギリで生きて帰った人は、その後の日本復興を見れるし体感できるし、生きてるだけで幸せだと感じられるだろうから、また生まれ変わっても戦争に生きたいだろう?」と言われているようなものです。

ほとんどの人は「いや、生まれ変わっても、戦争には行きたくない」というのです。

つまり、その上に上がっていく時代を体験したといても、それが「苦痛」なら思い出したくもないのです。

昔を思い出して「あの上を目指している苦労時代は良かったな」と思える苦労なら、それは幸せな苦労だが、思い出したくもない「苦痛」なら、また別の話なのです。

 

多分ですが、岡田さんは両方体験していると思います。

「思い出したくもない嫌な苦痛」と「登っていく、いい苦労」の両方をです。

 

これが「良くも悪くも両方ある。それは一見見ただけでは、他人からは分からないものだ」と思えるエピソードで、私には、とてもおもしろく見れました。

そもそも多くの人は「人に歴史あり」というものです。

みんな、言わないけど、聞いてみると結構みんな「へー、そんな事があったんだ」というエピソードを持っているものです。

実は結構苦労してたり、今はそれなりの幸せなのに、自分では気がついてなかったり、などです。

 

いや、面白い物ですね。