号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ウクライナの細かな事 24年2月19日

ナワリヌイさんが亡くなったようです。

本当にプーチンは怖いな、とあらためて思いました。

 

プーチンが政敵を簡単に殺す事は、今に始まった事ではない。

だから、そこは今更怖がらないのだが、この判断の良さから、明らかに老いぼれて無いのが分かり、そこが怖いのです。

 

ナワリヌイを拘束したのはずっと前です。だから殺そうと思えばいつでも殺せた。

しかし殺さなかった。捕まえてたし、何も出来ないからまだ生かしておいたのでしょう。

たぶん、まだ何かにつかえるかも? と思っていたのか?

もしくは、戦争の始めの方だったので、西側を刺激したくはなかったのでしょう。

まずここが冷静です。

 

しかし、このタイミングで殺した。

これも捕まえてたのだから、殺す事も無かった。

しかしこのタイミングで殺した。これが怖い。

 

まず、もう今更西側が、これで怒り狂って攻撃してくる事など無い。

つまり、もう殺しても大して影響も無いだろう、と言う判断でしょう。

たぶんですが、国内にとっても、殺しても影響がないと言う判断です。

これはつまり「もう国内は掌握した」と言う事です。

今までだって色々国内でも殺されいたようです。それに軍も壊してしまったのでしょう。だから、もう国内には敵がいない、と言う事なのでしょう。

 

しかも選挙のタイミングです。

このタイミングで殺して、「敵を見付けておこう」と言う魂胆もあったのでしょう。

これは潜在的な国内の市民の敵の事です。

それがこれで出て来て、祈りをささげたとかで捕まっています。

これもメッセージになる。祈るだけで捕まるのだと、国民に示しているのです。

 

そもそも、別に殺したって隠す事だって出来た。

しかし隠さなかった。これも怖い。

これも、力の誇示です。政敵を殺せるし、それを国民にも他国にも隠さず示せる。しかもそれでもプーチンは捕まりはしない、と言う、力の誇示です。

 

ナワリヌイは、みんな殺されたと思っています。ここも力の誇示です。

明らかに皆殺したと分かっているのに、捕まらないプーチン、と言う事です。

だから殺したと皆が分かるように殺して、そして隠しもしないのです。

 

選挙のタイミングで殺したと言っても、別に「選挙の結果を考えて」等ではな無いのは、分かっていると思います。

選挙内容は、別になんであっても、プーチンが勝つのは決まっているからです。

決まっている状態だから、選挙をするのです。

 

ただ、ここで殺す事で、力を示し、「プーチンに従え」と言うメッセージになる。

そして選挙に行って、プーチンに入れる。入れた人は「屈した」と自分で理解する。自分で屈したと理解した人は、もう逆らわない。

逆に、プーチンに入れなかった人は? それは「選挙で逆らっても無駄だった」と分からせられる、と言う事です。結局プーチンが勝つのだから「結局、他の国民はプーチンに屈したのか」と思うか、「逆らっても結局プーチンが勝つ様に出来るので、全て無駄」と思わせられると言う事です。

選挙の時だからこそ、この力らの誇示を強く国民に訴えれるのです。いやでも考えさせるからです。誰が権力者なのか、を。

 

相変わらず、この辺は上手過ぎる。

老いぼれてもいないし、優れている。

いや、だからこそ困ったね。隙が無いからです。

 

 

「ナワリヌイ追悼、異例の広がり」などと言うニュース記事が出てます。下らない。

「400人逮捕された」とあります。これが4000人でも、4万人でも、大したことは無い。1億人以上いるんだよ、何が異例の広がりなのか?

反攻するのが400人位出て来るのは、前から分かってるだろ?

だが、400人くらいでは、何も変わりはしない。

 

これに乗っかるメッセージを書く人が、Yahooニュースにいる。ちょっと、脳がお花畑の人達です。

もちろん、反抗する気持は必要です。こうあってほしい、と言う気持ちも必要です。

でも夢は夢だと思っていなくては、危ない。

現実を見れない人には、何も現実で成し遂げることが出来ないからです。

「気力で癌は直る」と言うくらい、馬鹿な事です。その人は癌で亡くなる事でしょう。

残念ながら「プーチンは上手くて頭がよくて、しかも老いぼれてない」と現実を見て、更に「ロシアでは反抗するにも祈るだけであり、しかも400人程度が表立って出て来るのみだから、ロシア市民からの反乱はないだろう」と言う、現実は現実として見る必要があるのです。

 

 

ウクライナ軍とロシア軍は、膠着しているようです。

もちろん、ちょっとは、「押した、下がった」などと言うニュースは出て来るが、国全体の地図上からみて分かるぐらいの変化はなさそうです。

 

ウクライナは、反抗するには、来年くらいまでは力を蓄える必要があるようです。

つまり、もう無理でしょう。

膠着して、一年も経てば、兵士は「生きているのが普通」になる。

なら、死ぬかもしれないと分かっていて、本気で攻めていく事は、もう無理です。

 

戦争の初めころはやる気があるのです。「このままでは皆殺される」と思ったり、細かな戦況が分からないのもある。国が攻められ、仲間が殺され、我を忘れているのもある。

 

しかし時間が経って、戦況が兵士にまで分かり、しかも怒りが収まって来る。

今の前線のまま、終わる事も出来る。つまりこれ以上は国が荒れる事も無い。ここで終われば、自分が死ぬ事も無いと思うようになる。

その状態で、はたしてどの位の人数のウクライナ人が、命をかけて領土を取り戻そうと出来るのか?

 

ちょっと、前線が長すぎる。だから、必要な人数が多すぎる。

ウクライナ人で、千人とかなら「命をかけて国土を取り戻す」と思う人を探せるかもしれない。

でも千人で勝てるほど、小さな戦争ではないのです。だから難しい。

 

これはロシア側もそうです。いや、ロシア側の方がもっとやる気は無いでしょう。

だからロシアが大きく攻めれる事もないでしょう。

でもだからこそ、それが落ち着いたウクライナ兵にも伝わり「これ以上命をかける必要があるのか?」と思ってしまうのです。

 

もちろん、ウクライナもロシアも、爆発的に勝って進んで行けるのなら、話は別です。

「一方的に勝てる」と思えば、頑張れる。

しかし、たぶんそれも無いでしょう。

だとしたら、やはり命をかけて頑張れる事は、どちらの軍にも、もうないでしょう。

 

だから、膠着する。

膠着したら、国民も嫌気が差してくるのです。

「和平した方が良いのでは無いのか?」と思ってくるのです。

 

私が思うには、和平をして、ウクライナをEUにでも入れて、EUの軍でも置いた方が一番いいでしょう(訂正、ごめんなさい。NATOですね)。

みんな思うだろうけど、それは負けです。プーチンの勝ちです。

だからみんな嫌がる事でしょう。

でもそれが一番ウクライナの平和にはなるのです。

 

 

正義が勝つなんて思っているのは、日本人くらいです。

そうだったら、誰も苦労はしない。

夢は夢だと思って、生きて行くしかないのです。

その中で、一番の平和を目指すべきでしょう。

 

そう言うと「一番の平和は、ロシアを倒し、戦争など出来ないと示す事だ」などと、言う人がいます。

そう言う人は、まず自分が戦いに行って、プーチンを倒してみて下さい。