号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

一回目はセーフ

漫画「セクシー田中さん」原作者が自殺した事について。

多くは他の人が言ってるため、私があらためて言うことも無いです。

なので、私個人が思った、あまり見かけない内容の事を書きます。

 

いいかげんな人っています。

それこそ、立場が下の人から上の人まで、多くの立場に、それなりの人数が必ずいます。

だから、今回の原作改変の話は、誰が問題かははっきりしません。

多分ですが、多くいたのだと思います。大小さまざないいかげん差をもった人が、多く関わっていたのでしょう。

 

何度も言ってるけど、会社と言うのは「おかしなときは、滲み出てくるもんだ」という事です。

大きな問題が出る前から、小さな問題が出てきていて「なんでこんな事するのだろう?」と思うことが多いのです。

もちろん、外に対して出てこない会社は、内部の人か関係する会社からしかおかしな所は分からないが、分かる立場の人には分かるものです。

 

そして、普通は下の立場の多くの人がおかしいときは、上の人がおかしいのです。

これも前に言ったけど、吉本興業の社長のパワハラ問題が出てくるずっと前、友近さんがテレビで話していた事です。「タクシーの中で偉そうな態度を取る人がいる」と言う話で、「吉本の社員で多くないですか?」と言ってたのが印象的でした。

「タクシーで、急に横柄な態度を取る人はおかしい」とは、これを聞くずっと前から世間で言われていて、それをまだ名のある会社の社員がやっている事自体「おかしいな」と思っていたので、覚えています。

それから何年も経って、社長のパワハラ発言の説明で世に出てくることになります。

「やはりな」とは思いました。多くの社員が明らかに変な態度をとっているときは、その上司が同じことをしてるのです。だから止めない。

 

ではどの立場の人がおかしいのか? というと、それはケースバイケースでわからないのが実情です。

社長かもしれない。

社長が口出ししない会社で、実質権力を握っているその下の副社長や部長かもしれない。

会長が実質権力を握っていて口出しする会社なら、会長のときもある。

ただ部長などの途中の立場の人がおかしいときは、結局見てみぬふりの社長などの責任だ、とは言えますが。

 

ただ、どこかにおかしな権力者がいることは、間違いがないのです。

今回は小学館の問題がポロポロ出てきてます。これも「やはりな」と言うところです。

明らかに、上の方に、おかしなやつがいる。

それが誰であれ、社長の責任は免れないでしょう。

 

今回のような問題が出てきた時、最善の方法は「出てきて、多くの人が納得する説明をする」事です。

それが無理なときは? それが二番目の方法であり「無視する」事です。今回はこの無視する方法で小学館は通すつもりです。

 

では愚策か? と言うと、そうでもない。

うまく対処できない馬鹿は、下手に出てくるより「無視する」方がまだマシなのです。

「いくら文句を言った所で、一年も経てばみんな忘れるだろう」と思っているし、実際そうです。残念ですが。

 

もちろん、犯罪に引っかかるときは別です。ビックモーターとか、ダイハツの問題は法律に引っかかるから逃げられない。

ただ今回の小学館の問題は、法律に引っかからない。少なくとも、責任者や社長が、法律上責任を取るような事態にはならないでしょう。

このような時は、確かに無視するのが彼らには最善なのでしょう。

(ただ、会社の名を落とす事にはなる。だから新たな作家や漫画家が寄り付かなくなる。もちろん読者も避ける。などから、10年規模で見たら数億円は損をしているはずです。数億円分かる金額で損をしたら責任者は責任を取るのに、数値化できない損は無視でき、責任者が責任を取らない。愚かな国ですね)

 

今回、世で小学館や責任者が叩かれてます。

「誰の責任かはっきりしないのだから、叩くべきではない」という人がいます。その通りです。

ただ、残念ながら今回は少し違う。

もし何もなければ、何も良くはならない。

ここで騒げば騒ぐほど「このようなことが起きないように今後気をつける」という事を、するようになるのです。

今後、亡くなった人のように、原作を邪険にされる事を防ぐためには、騒ぎ、関係者にもうやらないように覚えさせておくしか無いのです。

だって、今回は誰一人責任を取らないだろうから、それでは何も良くならず、ただ無駄な死になってしまいます。それは避けなくてはならない。

だから今回は、この叩かれ方で盛り上がることを、しょうが無く、必要なのだと思って見ています(もちろん個人叩きは止めましょう。組織や会社の有り様を叩くべきです。もしくは管理責任を叩きましょう)。

 

良い大学に入った人が、普通は、大きい会社のいい立場に付きます。

良い大学に行けた人は「決まっている事を覚えていて、間違えない人」の事です。

つまり、大きな会社の責任者たちはは、普通、「決まっている事を間違えない」ことが優れている人であり、それを優れた会社員や経営者だと思っているのが、この国です。アホな国です。

だから「一回目の失敗は、逃げられる時が多い」。

一回目の失敗は「過去にあった、もう決まっている、やってはいけ無い事」では無いからです。

だから、原発事故も、責任者は刑事責任を受けない。

ただ二回目は違う。それは「過去に、あったもう知っている失敗」であり「やってはいけないと、覚えておくべきこと」になるからです。

日本式エリートにとったら、この「決まっている、やってはいけない事」の失敗が致命傷なのです。

なぜならこれが、日本式エリートになる「良い大学に入る能力」そのものだからです。

だから、「一度、これは失敗と世に分からせる」ことが必要なのです。

今後同じ失敗を原発でしても、小学館でしても、今後は責任を取らされることでしょう。「またやったのか!」と今度こそ責任を取らないといけないぐらいの騒ぎになるのです。

だから、今回の小学館の騒ぎは意味があります。

いや騒ぎにならないと「みなが知っている、やってはいけない失敗」にならず、また同じことを続けるのです。

逆に、日本式エリート教育をこなしてきた奴らは、この失敗は避けるようになると共に、その時は他の立場の日本式エリート達も(同類を)守らないばかりか、叩き始めるのです。

 

これは逆に言うと、一回目の失敗は「しょうがないな」と思う人らで、上の立場を形成しているのがこの国だと言うことです。

だから一回目の失敗には、この国は緩いのです。自分らが同じだからです。

 

私はこの慣例は愚かだと思っています。

一度目だって「考えれば分かるだろ」という事を失敗したのなら、責任を取るべきなのに、そうなってはいない。

ひろゆきさんも、原発事故の責任者が無罪になった時「他の国なら有罪だけどね」と言ってましたね。そうでしょうね。

 

前から言ってるけど、だからこの国は「人が死なないと、直らない国」だと言っているのです。

人が死んで初めて「よくないな。直そう」と直し始める国だからです。

だから、予期できて、防げた死を、一回は無視する国なのです。

それが原発のような大きなことなら、あのようなことが起きる。

いい加減、このあたりを考えて、直さないといけないでしょう。

 

だけど直らないでしょう。

さっき言ったように権力者は「もう決まった失敗をすること」が失敗だと思っているからです。本当に頭の悪い、だめな国です。

 

今回、自殺者が出ました。

残念ながら、これでも誰も責任を取らず、彼らは逃げ切ることでしょう。

でも無駄でもない。

これで、「一回目の失敗」を提示できたので、ここから今後は、少しであっても、よくなることが期待できるからです。

無駄にしないためにも、どうかこの事は覚えておいてください。世に中のためにとってもです。