号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

見えるのは、光と影。

目を閉じてみてください。

暗闇の中、その向こうに何が見えますか?

親兄妹ですか? 友達ですか? 好きな人ですか? おいしそうな食べ物ですか? 生まれ育った田舎ですか? 桃源郷ですか?

しかし、何が見えたとしても、それは幻です。

目を開けなければ何も見えない。何処にも行けないのです。

空ばかり見ていても、前には進めない。

下ばかり見ていたら、真っ直ぐには進めない。

後ろばかり振り返っていたら、いつまでも進まない。

横ばかり見ていたら、何かにつまずく事でしょう。

泣いてばかりいても、何も見えない。

前を見据えないと、人は真っ直ぐには進めないのです。

そこに見える物は、綺麗な物だけではないでしょう。辛い事も多く見えるでしょう。しかし見ないと前に進む事は出来ない。

とは言っても、時には目を閉じて休む事も良いでしょう。

暗闇の中に、夢を見付けても良いでしょう。

しかし今、前に進みたいのなら、さあ、目を開けて下さい。

 

アニメ映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」感想、二回目です。ネタバレです。

少し精神的に落ち着いてきたので、もう少し考えれる様になりました。

高畑さんは「面白過ぎると考えなくなる」と言ったそうです。

岡田斗司夫さんは「泣くと考えられなくなる」みたいな事を言っていました。

本当にそうです。感情に強く作用すると脳が止まりますね。面白いですね。

 

(さらにいくつもの)が付いた方の「この世界の片隅に」を検索すると、一番出て来る絵がありますね。すずとリンが背中合わせで立っている絵です。悲しい絵ですね。

中合わせです。つまり相反するものであり、光と影ですね。

すずは空を見上げます。手には鉛筆と手帳を持って。夢を描いているのでしょう。

リンは下を見ています。現実を見ているのです。足元を見ているのです。足元を見ていないと転んでしまう様な世界で生きているのです。

どっちが良い悪いではなく、どっちも良い所と、悪い所があります。

しかし問題はどっちも前を見てはいないのです。世界が見えてない。

だからどっちも危ういのです。

 

スズの音が「リン」となりますね。近い存在なのです。

しかしスズは実体があります。

「リン」となる音は美しいが、実態が無いのです。

映画の冒頭の方に出て来た座敷童がリンですね。そこにすずもいた。同じ時代、同じ場所にいた。それから別れ、それぞれの人生を歩んだと言う事です。元は同じだった筈なのにです。

 

すずは妄想をしています。現実逃避をしています。まあ、たまにはいい事です。

リンはいつもにこやかですね。しかしすずに周作の妻だと聞かされる。その時だけ顔をそらし横を見ます。良く出来てますね。最後まで顔を見せませんでしたね。

しかしまた、にこやかになりすずと話し始めるのです。そう言う風に生きるすべを身に付けている。そうしないと生きてはいけなかったのでしょう。自分を隠し誤魔化しにこやかにしているしかなかった。つまり実はすずと似ているのです。

すずとリン、どちらもへらへらしているすべを得たのです。それが生き方だったのです。しかもこの時代、この方が生きやすかった。精神的に、こうじゃないと生きてはいけなかったのかもしれませんね。

 

すずは右手を失います。妄想して、想像して、描いていた絵が描けなくなるのです。現実を見せられる。現実を見るしかなくなるのです。

これは現実を見なくてはダメだ、と言う事でもあります。そして逆に、妄想する事も許されない時代だった、と言う事です。

このアニメのすごい所は、物事が良い悪いではなく、両方あると言う所です。

原作の漫画家の方が右手を失う女を描く。これは「絵を書く事すら許されない時代だ」と言う強い意志が感じられますね。

しかし人生終わりではない。右手を失ったのもただの悲劇とは描かない。だから最後孤児を拾う。この子が片手の無いすずを見て、母を思い描き抱き着くのです。それでこの子は救われる。無駄ではなかった、誰かにとってはです。

ここも面白いのは、この孤児は救われるが、救われない子も多くいたのです。最後の方で広島に帰ったすずが、誰も住んでない民家で子供達を見付ける。この子らは救いません。こんな子供らはいっぱいいただろうから、全ては救えないのです。

だから良い悪いではないのです。語ってるのが正義や悪でもない。人生には良い事も悪い事もある、と言う事です。

救われた孤児にとったら、右手を無くしたすずが救いになった、ただそれだけの事です。良い悪いではない。

 

リンは死にますね。光のすずが生き残り、影のリンが死ぬ。嫌な映画ですね。

しかし不幸な女が死んだ、と言う簡単な話ではないですね。

リンも死んだけど、町の中心にいた人は多くが死んだ、と言う事です。

そこにはお金持ちも貧乏人も良い人も悪い人もいた事でしょう。それは平等なのです。平等に、不条理に死んでいったのです。

義理の姉の子も死にます。この子もただの不運で死んだのです。

空から降ってくる焼夷弾と火事で、町では無作為に死んでいく、ただそれだけです。

人生最後は良い人も悪い人も平等に死ぬ、と言う事です。

それと同時に、それはおかしいんじゃないのか? この時代はやはりおかしかったのでは無いのか? と言う事でもあります。

何が平等なのか? 不平等なのか? どこがおかしく、どこが自然の摂理なのか? と投げかけてくる物語です。

今位な平和な時代なら、子供のすずもリンも友達として生きて行けただろう、そう思える物語です。

この戦争、何が悪かったのか? 誰が悪かったのか? 分かってますか?

前を見ていますか? それはすずでもリンでもない、前を見る事を許されてる時代にいる、私達です。

 

 

この国は戦争で悲しみ過ぎたのでしょう。

だから涙がこぼれない様に上を向て歩いてきました。それで道を誤ったのです。

上を見続けてたら、道など見えないのです。だから進む方向を間違えた。

すずやリンと違い、もう皆が真っ直ぐ前を見れる時代です。

それはありがたい事だと、理解したいですね。