号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

重箱の片隅をつつく

アニメ映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の事を書く三回目です。

考察です。ネタバレです。

 

見ていて、何かに引っかかると、そこに何かが見付かる場合が多いですね。

違和感は何かがあるからです。

それが何かは分かりませんけど、確かに何かはあるのです。

 

私はこのアニメは戦争映画ではなく人生の映画だと言いましたが、理由は言ってなかったですね。

このアニメのおかしな所でもあるのですが、旦那がいるのです。周作が家にいる。戦争時の映画なのにです。周作の父もいる位ですしね。

これは父と旦那を家に置いとかないと、普遍的な家族の物語にならないからです。だから一般的な戦争中の家から離れてしまっても、いるのです。

 

ちなみに日本にも残る人が必要だったので、いる事自体は間違いでは無いですね。ただ全体から言えば数は少なかったでしょうけど。

だから呉なのですね。大和を作った場所でもあり、軍関係の開発に係わる父はここに残る。

海軍の後方統轄機関の呉鎮守府があるので、そこで働く周作も戦地に行かず残るのです。間違ってはいません。

だから呉は要所なのです。だから早くからアメリカの爆撃にあう。

逆に広島市は大きな爆撃は無かったようですね。だから戦時中ここに逃げてきてた人も結構いたようす。

そして手付かずだったから原爆の標的にされたのです。

 

最後の方のすずが泣き叫ぶシーン。ここで思ったのが「何か説教くさいな」と言う事です。

なんでそう思ったのか自分でも良く分からなかったのですが、ネット動画で漫画家の山田玲司さんらの話を聞いて分かりました。

「この話は説教臭くない」と言うのです。「作者は自分の意見を出してしまいがちなのを抑えて、世界をリアルに描いているVR(バーチャルリアリティ)なのだ」と言っていました。

そうですね。私も始めは説教臭くなく、ただリアルさを求めている様に見えてたのです。

だからこそここにきて、急に作者の意見が出て来た事に違和感を感じたのでした。

面白いのは、ここのすずのセリフをアニメでは変えているようです。元の漫画ではもっと分かりやすく書いてあります。ここを変えたのが嫌いだと言う人が、ネットの感想を見ていると何人かいました。

私が思うに、元の漫画は分かりやすいのだが、なお更説教臭いのです。だからアニメでは誤魔化したのでは無いでしょうか? 作者の意見を抑えて、政治的でもないもう少し一般的なセリフに聞こえる様にしたように見えます。

ただこれは一長一短ですね。どっちも良い所と悪い所があります。

元の漫画はとにかく分かりやすいです。

アニメの方は流れて行ってしまう物なのに、分かりにくいセリフにしてる為、なお更一回見ても何を言ってるのか分からなかったですね。

この場面は、すずが今まで分からなかった国の正体に気が付くと言うシーンなので、ここで急に政治的、社会的な自分の意見が出て来る事もあっています。いやこの方が自然ですね。

すずは手を失い絵が描けない。妄想すら出来ない時代。そこでいやでも事実を見せられ気付かされる。社会や国のあり方を考えさせるのです。

ここに二つの意味があります。自分事では無いと思い、国のあり方や社会を見ないと、いつの間にか不幸が訪れる、と言う事です。

それともう一つ、妄想して鉛筆で絵を書く事すらできない時代だった、と言う事です。間違った行動により訪れた、歪んだ時代だったと言う事です。

漫画はこれらの事が分かりやすいが、それだともう一つの良さがなくなります。基本は、作者が自分の意見を言わない中で、ただその世界をリアルに描く事により、そこから皆がそれぞれの答えを出せる物語でした。

単純な良い悪いでは表せない事もある時代です。それを含めた簡単には言えない事をそれぞれが考えて答えを出せる物語だった筈です。アニメではこれを通したのだと思います。言わないからこそ考えが色々出て来るし、自分で考える必要も出て来るのです。

ではどっちが正解か? これはどっちも正解ですね。

ただせっかくのアニメ化なので、このもう一つの表し方をしたのは良かった気がします。これで漫画とアニメで、両方の物語のあり方の正解が見れるじゃないですか。面白いですね。両方見ろと言う事でもあるのでしょう。

 

すずがリンの存在に気が付く。自分は代わりなのだと気が付き悩みます。

しつこいな? と思ったんですよね。女の人にしてはしつこい。すずも作者もです。リンは昔の女なのだからいいじゃないか、と思ったのです。

これが男なら分かります。男はしつこいです。女の昔の男に対してです。男は生まれた子供が自分の子かは分からない。だから生き物として昔の男を注意しとく必要があったのでしょう。女の人は自分が生むのだから、間違いなく自分の子なのです。例え父は誰か分からなくてもね。

すずはリンに茶碗を渡しに行きますね。

竹やりを持って行ったので、カチコミと間違われます。おっちょこちょいだな、って場面です。しかし気持ちはそうだったのでしょう。戦う気持ちで行った。だから竹やり練習していて、気持ちが高まった時に行ったのです。相手もすずの怖い顔を見て分かったのですね。だからリンはいないと言ったのです(この時のすずの表情は出さない。わざとな演出ですね。間違われたようで、実は……って事です)。

今は私が妻なのだから家に茶碗は置いとかない、と言う事です。しかし捨てずに渡す。すずっぽいですね。少し相手の事も考えて、旦那の事も考えて、しかし戦うのです。

その後、すずは花見で旦那とリンがあったらどうしよう? と悩みます。しかし旦那とリンは、あったらそっけなく挨拶するだけでしたね。

ここが気になりますね。おかしいですよね?

うがった見方だと、原作通りなのかな? と思いました(私は漫画は見てません)。

つまり原作者である女の考えです。昔の事になった旦那は、普通に挨拶をするだろうと思ったのかもしれません。女はそうですが、男は違います。少なくともあったらドギマギします。あの状況で、あんなに自然に挨拶できる男を私は知りません。

だとしたら間違ってますね。

しかし信じてみましょう。仮に実際にあったとして、このような状態がある時はどう言う時なのかと。

もし周作がこんなに自然に挨拶できるのなら、たまに会ってたのでしょう。遊郭に行っていた。

でも周作は「久しぶりに見た」と言ってました。嘘では無いでしょうけど、どの位が久しぶりなのか? 数年か? 一年か? 半年か? でもたぶんそんな昔では無いのですよ。

だからバッタリ会っても普通に挨拶も出来るのです。それしかないですよね?

その後、遊郭が焼け落ちて、たぶんリンは死にます。その後に周作がすずを町に連れて行き「あっちだ!」と言ってすずに行かせますね。なぜでしょう?

それはリンからすずの事を聞いていたのです。だから仲良くなっていた事を知っていた。だからすずの友達が死んだ事を伝えない訳にもいかず、伝えた。その時の周作の言葉がつっけんどんで怒ってますよね? 誤魔化しているのです。良く出来てますね。

だとすれば、すずと作者がしつこく悩むのも分かります。まだ周作とリンがなんとなくでしょうが、つながっているのです。今の事なのです。

 

この辺の話は何なのか?

このアニメは生きる上でよくある事で、普遍的な事を描く物語です。

衣食住ですね。それらが必要で大事だとよく出てきます。

特に食は大事です。数日食べないと死んでしまいますからね。

ではそれらを得れた後は? それが性ですね。生殖でありエロスです。それが無いと子供もできませんからね。

それと、売春は人間の原始的で始めからある仕事だと言う人がいる位です。これらも普遍的で昔からある問題です。

そこを誤魔化さず描く。だからこそのリアルな人生の物語になっているのです。

 

戦争が終わった事を伝えるラジオを聞いて、すずが国の正体を悟ります。

これは何なのか? たぶんそのラジオを本当に聞いた沢山の人の意見を聞いて、それをまとめた物だと思います。

すずは「まだ生きて残ってる人がいるのに」と怒ります。もちろんもう人が死なない方が良いとは思ってる筈です。しかしこれで負けると全てが無駄になる。死んだすべてが無駄になる。だから止めれない。現代でもある事ですね。賭け事や株に負けてる時などです。気を付けましょう。

あとは、死んだ人に対して「私も最後まで戦う。そこで死ぬかもしれない。だから先に死ぬか後に死ぬかの違いだ」と思う。だからこそ誤魔化せるのです。沢山死んでも、いつ死ぬのかの違いなだけです。しかし皆が死んで終わるのではなく、止めれるれるのならなぜ止めなかったのか? 止めれたら死なないで済んだ人がいただろう。あれはただの無駄死にだったのか? と思うのでしょう。

そんな気持ちが、あの言葉を生むのでしょうね。

 

それとすずが「国の言う事は全てうそだったのか」と気が付く事ですが、これはどうでしょうね? 経験した皆の意見を聞いて、そう思ったと出て来た事でしょうが、しかし本当かは怪しいですね。

記憶はあいまいです。漢字も書かないと忘れますね。忘れない為にも、たまに思い出します。そして、最後に残ってるのは思い出した時の記憶なのです。

人の顔を描く。時間が経つと薄くなります。だから薄くなった線の上から、新たに重ねてまた書くのです。その時思い出が邪魔をします。「あの子は目が多きかったよな」と思っていたら、薄くなってぼやけた線の一番外側に新たな線を書き、目を大きく書くのです。それを何年かに分け何回かやれば、始めよりかなり大きな目の子が記憶に残るのです。自分は昔の絵だと思っているが、実は最後に重ねて書いた線を見ているだけなのです。

たぶん敗戦の時、悲しいとか悔しいとの漠然とした気持ちがあり、その後に情報が入りそれで裏切られたと分かる。そして年月が経ち、敗戦の時に裏切られ国の正体が分かったと言う記憶が作られたのでは無いでしょうか?

その情報を元に作られているから、すずが急にいろいろ悟るのでしょう。そんな訳はないですよね? 早すぎます。

 

多くの人がそうらしいですが、私はこの物語は泣けてきます。

しかしすずには今一泣けませんね。この子は普通ですね。それは良くも悪くもです。普通を描こうとしてるので、それであってるわけです。

普通なので、そこまで不幸では無いですよね? ましな方です。

ましではありますが、すずの幸せ度は、日本に残った人の中では真ん中位かと思います。

これは平均ではありません。中央値です。

幸せを数値化して、05の人、10の人、50の人、50の人、60の人がいたとします。平均は足して五で割るので「35」です。しかし中央値だと中央の人の数字そのものなので「50」になります。

旦那がいる事を抜かせば、すずの生活はこの中央の「50」の人ですね。つまり概ね真ん中位なのです。

しかし多くの極端に悪い不幸な人も多かった時代です。「10」以下の人です。だからそこに目が行きがちですが、平均ではなく中央を見るとすず位でしょう。

これはこれで一つのリアルを表しています。だから価値があります。

極端に悪い人も多いのでそれに目を向けるのも意味があります。しかし全体を正確に見るのなら、そこまで不幸でもない人も見る必要があります。それが現実を見ると言う事です。

前に言った様に、すずはそこまで不幸では無いからこそ、今の時代の人にものれるのです。だから意味があるのです。

すずの生き方、性格も全て正しいわけでは無いですね。でもこれも一つの生き方であり、生きるすべです。

やなぎです。くねくね揺れるのです。だからこそ大きな風でも折れないで生きていけたのでしょう。

しかしそれと同時に流されるだけですね。風の向きを少しも変えず、さえぎらないのです。おかしな風であってもです。

 

すずは普通です。なぜか? それは普通の日本人の象徴だからです。

それは昔の日本人では無い、今の日本人の象徴です。妄想する今の日本人の象徴なのです。

それが戦時中にタイムスリップする話です。私達が戦時中にタイムスリップする話なのです。

それでもう一度考えてみて下さい、と言う事です。

あの時感じた事からの総括をしないで来てしまった日本人に、もう一度あの時の感覚を思い出し、今度こそ総括するべき、と言うのです。

何を間違えたのか? 何が欲しかったのか? 何が大事なのかをです。