yahooニュースなどを見て思った事を書きます。
怒りについても、自論を書きます。
10月16日に出てたニュース記事で書いてあった事です。
幾原監督の関係者が絵をツウィッターに投降した所「トレースされた」と言う人が現れたそうです。
女性が送って来た絵と見比べたが全然違うので、その後無視をしていたら、大手出版社やアニメ会社などへ、次々「名誉棄損」だと言う様なメールが届いたようす。
最終的には、虚偽の事であり逆に名誉棄損だとして、幾原さんがその人を訴えたようです。
訴えられて裁判になっても、その人は幾原さん側の行動の方が名誉棄損だと、考えを変えなかったようです。
判決が12月に出るそうなので、まだ分かりません。
まだ分かりませんが、幾原さん側が裁判で勝つと「仮定」して今後書いていきいます。
(幾原さんはもちろん有名な人で、弁護士とも話し合ってから裁判に挑んでいるので、勝てる見込みがありやったのだろうから、幾原さん側が勝つ可能性が高いと思う方が普通です。だからこの「仮定」をして話してもおかしくはない事は言っておきます。
例えば、何かの裁判で判決が出たら、大々的に報道されます。その裁判でまだ上訴して最終的に決まってなくても報道されます。つまり最終的に決まってなくても、ある程度の仮定からの話をするのは、社会的に許されている筈です)
絵や物語の作品の盗作の裁判結果が大事か?
大事です。っていうかこれが全てじゃ無いのか? すら私は思っています。
どこまでを盗作と言うかは難しい。
線引きなど無く、右から左までグラデーションになっていて、あいまいな中間がどうしてもある。
だから最後は裁判で決めるしかない。
では盗作はだめか?
例えば、有名な漫画などをそのまま盗作してかいて良いのなら、何が本物か分からなくなる。
それは盗作品が儲けると言うお金の問題でもあり、だからこそ取り締まらないと、社会にとって良い事が無い為、法律で取り締まる必要がある。
しかし逆に言えば社会悪かどうかと言うだけであり「盗作したからなんなんだ?」と思っています。トレースしようが何だろうが、社会悪でなければ問題ない気がしています。
トレースしたら悪だが、横に絵を置きながら見て書いたら善なのだから、違いなど大してないのです。
だから社会悪かどうかを裁判で決めるのが全てだと思っています。
幾原さんが裁判に訴える事は正解か?
正解でしょう。
記事でも京アニ放火事件と比べてますが、無視されると人は頭に来る物です。怒ってくるのです。
そしてエスカレートしていく。
だから、それを止める為には訴えるしかないのです。
京アニ事件の時も、無視された犯人がエスカレートしていったようです。
では、なぜ無視されると怒るのか?
(前にここで言いましたが、これは私の自論です。疑って下さい)
「怒り」とは「戦うために準備」だと、私は言いました。
犯人は「無視するのは弱いからであり、弱いのに逃げている」と思っているのです。
だから迎え撃たなければならない。
弱くもなく、逃げてもいない事を見せなくては、相手の怒りは収まらないのです。
例えば、世紀末、山で食べ物を取る為、ウサギを追いかけていたとします。
こっちは銃を持っているが、なかなか当たらない。
だから、段々イライラして来てたとします。
とうとう行き止まりまで追い詰める。
しかしそこで転んで、銃を壊してしまう。
それに気が付いたかのように、ウサギがこっちの方向にゆっくり向かってきて、隣をすり抜けて逃げてしまったとしたら、どう思うのか?
たぶん頭にきて、すり抜けるウサギに壊れた銃を投げつけたりしないだろうか?
少なくとも、怒りが頂点に達する筈です。
では同じように、クマを追いかけていたとします。
銃を持っているが、なかなか当たらない。意外と熊は足が速いし。
たぶん、段々イライラしてくる。
とうとう行き止まりまで追い詰める。
しかし転んで銃を壊してしまう。
それに気が付いたかのように、クマがこっちの方向にゆっくり向かってくる。
では、ウサギに時のように、この時、怒るだろうか?
いや、恐怖が湧いてくる筈で、怒りなど出て来ない筈です。
ではウサギとクマの違いとは?
単純に「勝てるかどうか?」だけです。
ウサギには銃がなくても勝てるから怒るのです。
だから「怒りとは戦う準備」なのです。
つまり絶対に勝てない状態だと理解させれば、怒りなど出て来ないのです。
そこで、人が無視をされたら怒るのは「弱いから逃げたのだ」と思うからです。
だから迎え撃ちましょう。
ちなみに、人は「多勢に無勢は分が悪い」と分かっています。
クレーム処理などもそうですが、相手の人数より多くの人数で対処するのが基本です。
せめて、相手と同じ人数で話し合うのが基本です。
これが裁判になると、弁護士もそうだし警察もそうだし、とにかく沢山の人が関係してくる。
その人らが全て「裁判ではあなたの負けです」と認める事から、「相手は多数」だと言う事を理解させる事が出来る。
だから裁判が大事なのです。
裁判が気に入らないなら、裁判官か、もしくは国に対して、いら立ちを持つ事でしょう。そうなれば敵がもっと増えるので、なお更良いのです。
安倍元首相が殺された事件はどうなのか?
あれは「銃があれば一人は殺せる」と思ったのが怒りが続く理由です。
局所的だが「その瞬間だけは、勝てると思った」と言う事です。
銃がなければ、何もしなかった事でしょう。
だから、外国で銃で乱射するのもそうで、それで「一瞬だけでも勝てる」と思ったのが大事なのです。
昔の秋葉原の刃物で人をさしたのもそうで、あれもは刃物がなければやらない。もしくは相手も同じ刃物を持っていたらやらない。
勝てないのなら、怒りが起きない。だから、やらないのです。
話を戻し、だから無視するのが一番良くない事です。
なので裁判で訴える事が大事なのです。
ちなみに訴えられた方の人は、結局何をやりたかったのか?
もちろん分からないので、色々仮定してみます。
単純に、本当に盗まれたと信じているかもしれない。
もしくは、そう思いたいと誤魔化しているだけかもしれない。
盗まれたと思えば、自分が上手く行かない理由になり、心が落ち着くのです。
人生の失敗は自分のせいではなく、人のせいだと思う事で心が落ち着く。
他にも、騒げば、しまいに注目も浴びます。
何を言っても無視されていた人生で、注目を浴びる、話を聞いてくれる。それが快感になる人がいるのです。オオカミ少年などもそうです。
それで、一度言ってしまったら、後には引けなくなる。
だからもしかしたらもう「盗作では無いな」と気が付いてるかもしれないけど、後には引けないだけかもしれない。
「盗作だ」と騒ぐことが、自分にとって唯一のアイデンティティーになってしまったかもしれないのです。
この人は、女性らしいですね。よかったですね。この人にとっても、幾原さんにとってもです。
この人が男だったら、京アニ放火事件みたく、殺しに来たかもしれないからです。
頭にきて、最後に殺しに来るのが男です。
秋葉原殺傷事件もそうだし、別れた相手を殺しに来るのも、いつも男です。
この、男は最後殺しに来るのもそうで、一瞬でも、局所的でも「戦って勝てる」と思っているからでしょう。
(もちろん戦う本能を持ってるのが、男なのもあるでしょうけど)
昔のオーム事件で、警察がサティアンに突入した時の映像を見てたのを思い出します。
あの時も、とても多くの警官で入って行きましたね。
あれを見て「正しい」と思っていたのを、思い出します。
相手が抵抗をなくす位の兵力で立ち向かうのが、定石なのです。
「そんなに人数いるか?」と思う位の人数で、相手の抵抗する心を無くすのが、一番平和的に解決する方法なのです。
「絶対に勝てない」と思えば、怒りなど出て来ない。
だから立ち向かう時に大事なのは、相手を怒らせないように、絶対に勝てないと思わせる兵力で立ち向かう事です。
第二の京アニ放火事件を起こさない為にも、元恋人殺害事件を無くす為にも、とても多くの人で立ち向かい、絶対に勝てないと分からせる事が大事なのは、みなさんも覚えておきましょう。