号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

笛の音

アニメ「ワンダーエッグ・プライオリティ」考察3回目です。

ネタバレです。5話まで見ました。

 

しつこいようですが、今後の予測が含まれますので、物語を楽しみたい方は見ない方が良いです。

これは「見てはいけない」と言う事で、逆に見たくなる事をさそってる訳ではありません。

段々、点が線になって行き、あってる気が強くなってきたので、分かるとつまらないと思います。

だから注意です。

この文はただの私の自己満足です。

 

ナムコワンダーエッグ二子玉川にありましたね。2000年の終わりに閉園したそうです。

このアニメの遊園地みたいな所の元はこれですね。

アニメでは何故か畑の絵が出て来るで「二子玉 畑」で検索したら、ひまわりの写真が沢山出てきました。ひまわりが有名なのですね。そしてアイがひまわりなので二子玉確定になります。

閉園後あのあたりを開発したようなので、だから新築の建物を作っている絵が今回出て来たのでしょうかね? その当時のあの辺は知らないのですが、もしかしたら新築ラッシュだったのかな? なんて思います。

ではこのワンダーエッグが何処にかかって来るのか? です。たぶん2000年に14歳だったのでは無いでしょうか?

 

決め台詞「トサカに来たぜ」とか「私があなたの度肝を抜く」とかとにかく古臭いですよね? 2000年ごろはまだ使っていた言葉かもしれませんね。

気のせいかもしれませんけど、どうもキャラの格好も古臭い気がしますけどね。

 

ネットの感想で「1話でアイが引きこもり設定なのに、性格が明るすぎて積極的すぎる」とありました。

確かにそうですが、わざとかな? と思います。つまりそのまま受けとったらいけないと言う事です。本当に今も引きこもりなのか? と言う事です。

 

アイの家に皆が集まりましたね。

物語の謎を言います。これは上手いですね。

しかしこの話がミステリーだと思って見てる人には、逆ヒントに聞こえた筈です。

つまり「先生が怪しい」「小糸と出来てたんじゃないのか?」と言ったら、そっちでは無いと言う事です。

ここが上手いのは、何気に意味ありげなワードを放り込んで来る所です。自然なのが上手いです。「寝てる間に戦いに出てる」「お薬かもな」「私達だけの誰も知らない物語」「時代錯誤の馬鹿女」等です。

そして親の話をしますね。これも自然に入れるのが上手いです。何で親の話をする必要があるのか?

 

遊園地かゲームセンターの所での会話です。

ここも自然であり、魅力的な意味ありげな会話に挟んだりして隠してくるので、とても上手いですね。

「グループセラピーみたいなもんだからさあ」「そうそう、一人じゃないんだって思うための」「じゃないと私達自殺しちゃうかも?」

 

キャラメルコーンが出てきますね。1990年代まではコマーシャルがあったそうです。

まあ、まだ売ってるようですし、ここに出て来るキャラメルコーンのパッケージは最近のようですが、チョイスが古いですね。わざとですね。

 

ねいるが妹に刺されたと言う。そしてねいるの背中の傷が映し出される。

でも映された傷が刺された傷とは言ってませんね。だとしたらそこに何か意味があるのでしょうけど、けむに巻くのが上手いですね。

1話ですぐに卵かけご飯を食べてましたね。あれと同じですが「こう言う事もしてくるぞ」と言うヒントにもなってるので、いちいち上手く出来ている訳です。

 

ワンダーキラーが出てきます。

二人目は綺麗でいたかったようですね。これがまた上手いですね。

これまでのワンダーキラーは守る人とは別の人です。それが敵として現れるので倒すと解決するわけです。

しかし今回のワンダーキラーは違う。敵である人はいない。ただ死んだ理由があるだけです。その理由が形になってるわけです。

最後、助ける相手の綺麗な髪を切る訳です。それで象徴的に縛ってる物から解放させたのだが、つまり気付かせるのでしょう。救っていると言うより、迷って悩んでいる事に気付かせて、成仏させているようなものです。

つまりワンダーキラーを倒すのが目的ではない。それに守る存在も物理的に救う訳ではないと言う事です。

精神的に納得させる事、もっと言えば自分に向き合えるようにする事が目的なのでしょう。

そしてこれも実は他人を向き合えるようにしているようで「人の振り見て我が振り直せ」のように「自分に置き代えて考えろ」と言うメッセージの様に思えてなりません。

 

5話の題名が「笛を吹く少女」です。

そして最後の救うべきサングラスの子が「なぜ死なないの?」と誘う。

それと死んだ妹がねいるの死を望んでいたかのように思わせる作りです。

ねいる自体も、死にたいのじゃないのかと思われるほどに無理をしている。

その上最後の台詞でねいるは「私を死に誘惑したのね」と言う。

つまり「死の誘惑の問題」が誰かにはあると言う事です。そしてだからこそ死んだ理由が他人にあるのではなく、自分自身にある子が出て来る事につながる訳です。

物語での必要上、自然にこの最後に救うサングラスの子が出て来るので、不自然さが無い。

しかしこれもミスリードで他に見てほしくない何かがあるとしたら? それはとても上手くやっていると言う事です。

誰に向かい笛を吹いているのか? と言う事でもあります。

つまり話上大事なのは、死に誘っている事ではなく、「老いて綺麗じゃなくなって行くのは嫌だ」という問題の方だ、と言う事じゃないでしょうか?

 

とにかく、野島さんの基本能力が高い事は、間違いが無いのははっきりする話でした。

基本が上手くないとこんなに自然に話を持っていけないし、台詞を自然に出来ませんからね。