「ドラえもん」を見ているとする。
のび太がドラえもんから未来の道具をもらい、ジャイアンに仕返しをしようと家から出ようとした時、のび太の母に呼び止められたとする。
ダイニングで長々すき焼きを食べ「実はママは先生とお付き合いをしようと思うのだけど」と言われるシーンがあったとしたら、どう思うか?
「どうでもええがな」とえせ関西弁でツッコまないだろうか?
アニメ「ワンダーエッグ・プライオリティ」また6話までで考察です。言いたい事が出て来るアニメは良く出来ているのでしょう。
ネタバレです。今後が面白くなくなる予想が含まれます。注意です。
ネットの感想を見ていたら「今までで一番つまらなかった」と言う意見がありました。
私はそこまでではないけど「少しダルい回だな」とは思いました。
6話だと真ん中位です。よくアニメではこの辺で絵が崩れり、回想回だったりするので、制作側が疲れて来たかな? と思ってました。
しかし6話をよく見てみると、見えないワンダーキラーも出て、お助けキャラも出て、そして母の話もあり、けっしてネタが少ない回では無い。
つまり内容が詰まってないのではなく、どこかにダルく思える所があると言う事です。
そこで思い出したのが「すき焼きのシーンあたりがダルかったな」と言う事です。
ここが失敗でしたね。
ではなぜ失敗したのか? どう失敗したのか? を予測を含めて書きます。
まず言いたいのは、演出も脚本も上手いと思います。
しかしプロじゃないのでどこかどう上手いのかは分からない。
食べ物で言うと旨いのは誰でも分かる。しかしどの食べ物や調味料が、どうかかわっていて上手いのは分からない。それにどう作って上手く行ったのかも分からない。しかし旨いのは分かるものです。
物語もそうです。作りも何も分からなくても、上手いのは分かるものなのです。
それを前提として、その中でも私が分かる範囲での上手さを見付けてみます。
分かりやすく、つまらなくなりそうなシーンから考えた方が良さそうです。5話でアイの家で4人集まり話すシーンです。
前半はオーソドックスです。台詞もこってはいなくて、絵も良くある絵ですね。
ただ後半からは変えてきます。後半になると客は飽きて来るので、絵も変化を付ける必要があるし、台詞もしかりです。
前半の謎解き関係の台詞と違い、もっとラフな感想等を言っています。しかし実はこの台詞の中に、いやこっちの後半の台詞の方が意味があるヒントが入ってますね。(私の予想が合ってればね)上手いですね。
この時リカは立って階段に寄りかかり、携帯をいじりながら話しています。これはつまらなくなりがちな絵に変化を付ける為だと思います。じゃないとこんな絵にする必要はないですからね。絵に高低差も付きますね。
そして後半はジェンガをしだしますね。たぶんこのジェンガは意味が無いか、あっても薄いと思います。でも飽きやすくなる時にはこんなのも必要です。
書籍「SAVE THE CAT の法則」の中で書いてあったのが「飽きそうな時には絵で飽きさせない」と言う事です。例として、ある映画では、つまらない説明の時に教皇が水泳をするシーンがあったそうです。それで何だろう? と見入っているうちに、つまらない説明は終わらすと言うものでした。
ワンダーの方のジェンガもそうでしょう。飽きそうな時に気を紛らす物を入れる。
始めはジェンガと分かりずらい絵です。そして桃恵が何をしてるか一瞬分からない。
しかしすぐジェンガだと分かるのだが、これが上手いです。ジェンガだと分からない所から始まるので、注意がそこに行くし、その分飽きさせない時間が増える。
でもこのどうでも良い所で時間を稼ぎ過ぎない。ちょっと見るとジェンガをしてるのが分かる。どうでも良い事が長く分からないと、頭にきますからね。これらの塩梅が上手かったです。
同じように6話でも4人での会話のシーンがあります。
この時ねいるは端に立って向こうを向いてます。高低差が付くので変化が出ますね。4人座ってたらつまらないでしょ?
桃恵は座ってたがすぐ立ちます。そして踊ります。見た目で感情が分かるし、これもつまらなくなりがちな会話に変化が付きます。そしてアイの前に座り、そして立ちます。これも上下の変化です。アイの横でずっと座っていたら退屈です。
その後桃恵は怒っていなくなります。これは監督じゃなくて脚本の方の上手さかもしれません。これも会話に変化が付き飽きさせませんね。
そしてねいるが近づきアイに話す。これも元々立っていたから自然に上から話しかけるし、顔を近づけやすい。これも横にねいるが座っていたら平凡な絵です。
その後リカが立ち上がり動きで感情を表します。これも絵に動きが出るし分かりやすいし、何よりも新たな動きにより退屈しないシーンになります。
退屈させない様に、その時の流れで動ける子が、次々順々に自然に動く。
これらが下手な監督なら、皆がただ座って話すだけになり、つまらないシーンになりそうだと思いませんか? だからこの監督は上手いのだと思います。
では6話のすき焼きのシーンです。上手いですか? 私は退屈でした。
しかしです。他と比べ違いを感じるのは意味があるのです。理由はそれぞれであってもです。
まず長いし、しつこい。なぜか?
なぜ長いかというより、なぜ長いと感じるのか? です。
まずはジェンガの様な誤魔化しは出来ないシーンです。あれは明るいシーンで出来る誤魔化しだからです。
しかしミステリーの様に重くも出来ない。なぜならそこまで重いシーンでは無いからです。ミステリーの様に人が死んだわけでもないからです。
それに4人での会話の様に、謎を話し合うようなシーでも無いのです。話した内容が考えさせるものなら間が持つのに、このシーンでは考える要素が少ないのです。
だから長く感じるのだが、なぜ長くしたのか? それは監督の感覚が鈍ったのでしょう。間違ったのです。しかし間違った意味があるのです。
もし先生と付き合うのが母ではなく、リカやねいるだったらどうでしょう?
たぶんこの位の時間、同じ事をやっても間が持つはずです。
つまり見てる皆が気になる人物なら、考える事が多くある為に、間が持つのです。
しかしアイの母は、のび太の母と同じです。どうでも良いのです。どうでもいい存在が長く時間を取るから間延びしたように見え、退屈なのでしょう。
しかしです。アイの母は、のび太の母ではないのです。それを知ってるのが監督です。リカやねいると同じ位の存在だと知ってるのが監督なのです。だから感覚が間違えた。
でも見ている人には、まだのび太の母なのです。だからつまらない。
ちなみに私は逆に「まあそう言う事もあるだろう」と思えたので、これはこれでつまらないのです。母の可能性を感じている人にとっては「そうしたか」と思うだけなので、これも不穏な空気で伸ばす必要も無い。
つまりこの不穏な空気で伸ばしたシーンは、先生と付き合うのがねいるやリカの様な大事なキャラで、なおかつそれの意味が分からない、と言う時にやるやり方なのです。
だからこそ失敗です。母の立ち位置が分かってない人にも、分かってる人にも、どちらにとってもつまらないのが、このシーンです。
そして演出が上手い人なのに、この間違ったシーンを作ったからこそ、物語上の母の重要度が高くなったと言う事です。
さて6話の他の事も書きます。
母が寝てるアイを起こすシーンです。変な絵ですね。
アイを横から撮って、母が顔を出しているシーンです。わざとですね。
これも下手な演出家なら、こんな絵も出すでしょう。しかし上手い人がこんなつまらない魅力もない絵を、意味もなく撮る訳が無いのです。
ここも母の重要度が高まるシーンでした。
前回私は、6話の助ける子は病院に入れられて正解だと言いましたね。
でもこの子は病院に入れられてからの方が辛かったと言ってましたね。
これは病院の先生の治すやり方がまずいのだと思います。まあ、自殺したのならあきらかな失敗ですね。
しかし大事なのは「病院に入れればいい訳では無い」と言う事です。病院に入れないで治す方が良い時もあると言いたいのでしょう、
お助けアイテムが出てきますね。これはなんなのか?
これ、ワンダーキラーに似てませんか?
ワンダーキラーはトラウマの元ですね。
お助けアイテムが出て来る時の皆の絵が象徴的です。リカは分かりませんけど。
ねいるは会社ですね。社長です。それにヘビです。ヘビは丸呑みしますね。ねいるのトラウマは「ヘビの様な者に丸呑みにされた、弱い側の呪い」になりそうだと思いませんか?
桃恵はまた女をふってます。これも前にねいるに「段々女性に好かれる事も楽しくなってきたのでしょ?」と言われ「うん」と認めてましたね。つまり肉食系男子みたく次々好かれ、ふって行く事がトラウマになりそうじゃないですか? いや、自殺した子から既にそうなってませんか?
アイも小糸がいじめれれても救えませんでした。カメレオンみたく、その場の色に合わせている。そして消えている。そのせいで小糸が亡くなったのじゃないですか?
リカは分かりませんが、アイドルなのにうまく行ってません。鈍いのじゃな無いでしょうか? つまり踊りとかが上手くないのかな? と思います。
これであってるとしたら、これも誤魔化し方が上手いですね。
さてさて、とにかく上手いです。
これは全て終わってから見なおしてみると、色々分かる物語ですね。
こんな細かな事までやってたのか、と皆が感動しそうです。
私が6話で失敗したと思った所も、上手いからこそバレる失敗です。下手な人はあちらこちら失敗なので気になりせんからね。