劇場版アニメ「レヴュースタァライト」気になった細かな事です。
ちょっとあいまいな内容も含まれます。勘弁です。
劇場版のトマトは何か?
まあ普通に考えれば「禁断の果実」ですよね?*1
なのでピンドラのりんごの事です。
列車で死んだ自分を見ている子達が、トマトをかじっているようです。
自分が演者として心が死んでる事を、俯瞰的に認識していくシーンです。
そして「禁断の果実」は「知恵の実」ですね。
知識を得るが、永遠に生きられる楽園からは追放される。そして人になるのです。
実際の人にとっての意味は「人である事を自覚して、認める」「原罪がある事を認める。つまり人とは色々と弱さや問題があるのを認める」「生きる為に知識も得る」と言う事です。
そして永遠の楽園からは出ていかなければいけないと言う事です。
実際の人にとっては、永遠の楽園など無いからです。
そしてそれは、演者は今の場所で満足していてはいけないと言う事であり、アニメ制作者もそうだと言う事です。
劇場版レヴュースタァライトの子達は、ここで自分が死んでた事を意識し、知恵を得て前に進む事を自覚しだすのです。
東京タワーは主人公とひかりの「約束の地」ですね。もしくは「約束の象徴」です。
ただもう主人公事かれんは、テレビ版でたどり着いてしまった。
それで今回の劇場版は、夢を達成してしまいやる気をなくしてしまっています。
つまりたどり着いた東京タワーの中に居続ける事は呪いになり、まるで牢屋やカゴなどの縛り付ける物の様にも見えますね。
だから最後にタワーが壊れる。捕らわれた鳥のカゴを壊す必要があるのです。
そしてポジションゼロに達する。またゼロから始めるのです。
達成した夢の場所に居続ける事は呪いになる。
東京タワーは何か? ピンドラの東京タワーじゃないのかな? もしくはピンドラの事「も」入っているのかな? と思います。
達成した夢の場所がピンドラでは無いのか? もしくはイクニ作品か? 考えすぎかもしれませんけどね。
東京タワーの上が、延々に上の方に伸びている絵があったと思います。タワーに上に達成しても終わりではない。さらにその上を延々登って行くのだ、と言う意味では無いのか?
ちょっとうろ覚えですけど、線路も脱線してましたよね?
前に言った様に線路は「ピンドラ」や「エヴァ」から来てるのでしょう。
つまり夢の場所です。
だから壊さないといけない。
そしてその向こうにいかなければいけない。
その向こうはもうひかれた線路は無い。その後は何もない所を自分で歩いて行くのです。
キリンは何か?
他の人が「客じゃ無いのか?」と言ってました。もしかしたらその要素もあるかも知れません。
ただ自分が客を描くとしたら、一匹の生き物で描きますか? 多数の生き物で描くでしょ? だから「客」要素があったとしても、それがメインだとは思っていません。
やはりイクニさんじゃないのかな? と思っています。
東京タワーも四つ足でタワーですが、キリンも四つ足のタワーですね。だから高い目標であり、高い所から見下ろす存在であり、何考えてるか分からない者であり、「分かります」なんて言いそうな人って、やはりイクニさんじゃないのか? もしくは先人の先輩クリエイターたちか?
それが食べ物で出来てました。多くの影響されたクリエイターが、イクニさんを食べて育ってると言いたいのかな? と思っています。
だから落ちて燃えてましたね。これは東京タワーを壊すのと同じです。電車を脱線させるのと同じです。イクニさん達も壊して超えて行かないといけないと言う宣言ですね。そうでしょう。それであってますね。
ちなみに、ばなな事「大場なな」って異質ですよね? 何かこの子だけ妙に目立ちます。
「なんでこの子は白の衣装なのだろう?」と思っていました。他も色があるけどこの子の白だけ妙に目立つからです。
この子のイメージカラーが黄色ですね。なおさら白い衣装の意味が分からない。
妙に強く、そして二刀流です。これは演者と裏方の二刀流だからとネットで書いてありました。まあそれもあるでしょう。
今回映画版で「しゃべりすぎ」と言います。これも妙に気になってました。
結論から言うと、この子の元ネタ「犬カレー」じゃないでしょうか? 考えすぎか?
イメージからの黄色はカレーからです。白い衣装は一人が2白犬さんだからです。二刀流は二人のユニットだから。「しゃべり過ぎ」の台詞はマギレコ一話の電車内で言うからです「しゃべるな」と(なぜしゃべるな、かは維摩経の不二法門からです)。マギレコではゾロアスター教なので7が大事な数字になる、七大天使とか。マギレコの監督は泥犬さんですね。ばななが時を繰り返すのは、まどマギから。
などから大場ななは犬カレーさんの事かな? と思っています。この人もイクニさんに大きく影響された人でしょうからね。
「なんだか強いお酒を飲んだみたい」が印象的でした。
元ネタがありそうだが、分かりませんね。
いくら何でも考えすぎかもしれないけど、頭に浮かんだのはアニメ「ワンダーエッグ」の青沼ねいるがボードレールの「酔へ!」の文を引用していたシーンです。
そう考えたら、ねいるは色黒で名も青沼で泥っぽいし、対に描かれたキャラ寿はアルビノで白でした。確か寿から作られたのがねいると言ってたと思うので、元々遺伝的に同一人物と言う設定です。なので、青沼ねいるも犬カレーかな? と思えて来た。
そうすれば犬カレー繋がりで「お酒を飲んだみたい」で繋がるのだけど、考えすぎかな?
もしくは「ワンダーエッグ」のねいるが「酔へ!」を引用する事自体に元ネタがあり、分かる人には犬カレーと繋がり、そこから「レヴュー」のばななになるのかな? なんて事も考えられます。
ちなみにボードレールの「酔へ!」は歌でも詩でもなんでも、時間を忘れる位「酔え」と言っているようです。ばななは今は演者として酔う時間だと言いたいのかもしれない。
しかし「酔へ!」では酔えと言ってるのに、その後の詩でボードレールは「酔いからの覚醒」を示すそうです。そこからこの「酔へ!」は「目が覚める前」であり「酔った状態のその向こうを目指すべき、と言い出す前段階」であろうと言われているようです。
「時間を忘れる位演者として酔い、その後そこに留まらずその向こうを目指す」と言う事を表している詩、の事を言うアニメのキャラ、の元ネタの犬カレー繋がりからの台詞、だとすれば繋がるのだけど、流石に考えすぎかな?
ただそうなら上手く、そして面白く引用した事になりますけどね。
犬カレーが関係しているとなると、もしかしたら他のキャラも、誰か実際の元ネタになる人物がいた可能性がありますが、流石に分からないのと、もう探す気力はありません。
ピンドラのキャラが、実際の元ネタのなるアニメ業界の人がいるのが分かりました。だからこのアニメでもそれをやって来る事もあるでしょう。(ピンドラの元の人は、前にこのブログで書いたよりもう少し分かって来たので、いつかまとめて書きます。)
さてこの辺の事があってたとしても、ここまで来ると、なんだか頭痛いですね。
酔った向こうには覚醒があると思ってたのに、なんだか辛いと言う。
「劇場場レヴュースタァライト」は強い酔い状態から、見終わった後で頭痛くなる、二日酔いアニメでした。